※ネズさんにガチめの心的外傷を与えてる
※ガチめの胸糞要素があるハードめ展開
※夢主がだいぶ嫌な感じで死んでる
※夢小説としては成立してると思いますがハッピーエンド要素はありません。

以上お気をつけください。











 アニキは何かあるとここに来るね。おれの肩にかかるマリィの声。キルクスの入り江からは夜霧が立ち込めていて、凍てつく外気とのコントラストで妹の声はやけに熱を持って響いた。
 後ろから浜の砂を踏み固める、ぎゅっぎゅっという音がして、横に並んだマリィ。鼻の中が痛むほどだいぶ冷えて来たおれと比べて、彼女は呼吸のたびに白いもやを小さな唇の合間から吐いた。

「せっかく来るなら花くらい持って来たらよかとに」
「……そういうんじゃないから」

 ここに来たのは慰霊とか、鎮魂とか、供養とか。別にそういう、この場に眠るもののためじゃない。
 ならますます不可解だ。そう言うようにマリィの目が眇められた。
 悪態をつきたくなるほどに寒いキルクスの入り江にじっと佇むおれは、確かに不可解だろう。マリィが知っているのは、ここで何があったかくらいのことなのだ。

 もう20年近く前のことだ。おれと同い年だった少女が溺死体となって見つかった。
 同じスパイクタウンに生まれた少女だった。名前は。顔も声もよく覚えていない。
 性格もおれには語れない。なにせ20年近く前だ。おれも彼女も幼かった。善性、悪性どちらにしろもまだ発芽の段階で、の良いところも悪いところも露わになる前に死んでしまったのだ。懸命に記憶を辿ればたまに遊んだ時、しゃがんでいた彼女のひざの丸っこいかたちと、幼く突き出された濡れた唇だけがぼんやりと思い浮かぶ。それ以上は上からしつこく白い粉を叩かれたかのように不明だ。

「アニキ、やっぱりその子のこと好いとったんやろ」
「いいえ、全然」

 当時のおれはむしろ彼女を鬱陶しく思っていた。
 彼女は、おれにポケモンのことを教えてくれとしつこくせがむ、迷惑な少女だったのだ。





 とおれは同い年ではあったが、成長速度には大きな差があった。
 身体能力はもちろん、読み書きや周りの状況を感じ取ることや、様々な認知能力にかなりの開きがあったのだ。だからあまり遊びも成立しない。少年のおれにとって彼女は一緒にいてもあまり楽しくない、だが近所のよしみで付き合わねばならない面倒な相手だった。
 はよくおれをどこか甘ったれた潤んだ瞳で見た。そして分別つかなないまま後ろをついて周った。その度におれは何をするにも時間がかかる彼女を置いて行きたくて仕方がなくて悪知恵を絞ったものだった。幼さゆえの言葉も選べず、「がきらい、いっしょにいてもつまらない」と突き放したこともあった。おれとは、そんな語るのもはばかられるような、美しさのかけらも無い関係性だった。

「ネズくんはしょうらい、ぜったいジムリーダーになるね」

 の顔も思い出せないおれだが、彼女と交わしたやりとりは多少覚えている。ネズくんはしょうらいぜったいジムリーダーになるね。舌ったらずの声は、今となっては的中した予言を何度もなぞっていた。
 その次にがよく口にしていたのが、おれへの願いだった。

「ネズくん、わたしにもポケモンのことおしえてよ」

 おれがの数歩先を成長していたことに、も気づいていたのだろう。彼女はよくおれに「おしえてほしい」という漠然とした願いをぶつけてきた。

「だから、何を教えて欲しいか言ってくれないと教えられない」
「なんでもいいよ、ぜんぶぜんぶ、おしえてほしいな」

 なぜおれが彼女にポケモンのことを教えてやらねばならないのだろう。おれの返事はいつも決まっていた。

「いやだ。めんどうだ」

 でもおれに懐いたジグザグマは、に大きな憧れを抱かせた。ポケモンと仲良くなりたい、という思いだけはまっすぐな彼女の要求はそれ故にしつこかった。何度もおれが断っているというのに、は闇雲に、自分が何を知りたいかも定かではないままおれにせがむのだ。ポケモンのことを教えて欲しい、と。
 彼女に願われるたびに、おれは面倒くささを募らせた。おれは、おれの時間を過ごしたい。ジグザグマとふたりで特訓して、ポケモンについてまだまだ分からないことの答えを探したいと思っていたのだ。
 彼女を遠ざけたい。そう願ったおれに、舞い降りたのは一閃のひらめきだった。良い考えだ。屈託無くそう思えた意地悪を、おれは食い下がる彼女に伝えた。

「……おれさ、にはタマンタとか、いいと思うんだよね」
「たまんた?」
「キルクスの入り江にいる、水の上を飛んでるポケモン。ひこうタイプとみずタイプのやつだよ」

 ちょうど脇に抱えていたポケモンの本を開いて、おれは彼女にタマンタのイラストを見せてあげた。丸っこくて、あまり怖そうでないタマンタはおれの思惑通りに彼女の興味を引いた。そしておれは、ただおれだけのために彼女に言うのだ。

「タマンタを連れて来たら、教えてあげてもいいよ」

 は、はしゃいで声をあげた。ようやくおれが頷いたことが嬉しかったらしく、その場でぴょんと不器用に跳ねた仕草も覚えている。

「ほんと!?」
「うん、本当。がポケモン連れて来たら、ポケモンバトルもできるしね」
「わかったよ、ネズくん! わたし、がんばる。タマンタ、ぜったいゲットしてくるね!」

 彼女の凍りかけの水死体が見つかったのはその翌日だった。
 スパイクタウンの空気を、の両親の慟哭が引き裂く。キルクスの入り江にはひとりで行ってはいけないと言い聞かせていたのに、どうして、と。

 彼女の死は、不幸な事故ということになっている。事故で間違っていない。小さな子供が大人の知らぬところで極寒の入り江に近づき、誰の目もないところで足を滑らせたのだから。
 ただおれだけが知っている。彼女はタマンタを探しに行ったこと。おれにポケモンのことを教えて欲しくて、結果、迷惑な彼女は死んでしまったのだ。






 霧の向こうで、ぱしゃりと水面を叩く音がする。タマンタが跳躍した音だろう。またぱしゃり、ぱしゃりとタマンタが無邪気に跳ねては水に潜る音が冷気の奥へと遠ざかっていく。
 あの日のことを思い出すと、今では乾いた笑いが出る。彼女は考え足らずだったが、おれの方も幼い頃から悪いことを考えつくものだ。
 岸辺からどれだけ足掻こうとも、水上に暮らすタマンタが捕まるわけないのだ。彼女だけの力じゃタマンタは一生ゲットできない。しばらくすれば遠回しに断られたことに彼女も気づくかと思っていた。だからまさか、翌朝に死んでしまい、お願いのひとつも言えなくなるとは。おれにとっては全くの予想外だった。

 の死は、今も俺が見るスパイクタウンに風景に小さな風穴を開けている。
 おれのちょっとした言葉が彼女の死のきっかけになった事は、結局誰にも打ち明けてられていない。泣き崩れていたの両親を目の当たりにして、言い出すことはできず、おれは逃げたのだ。
 キルクスの入り江どころか、町から出るのは危険なことはわかっていたのに、にタマンタのことを吹き込んだことは罪だろう。
 だけど彼女の両親を前に口をつぐんだ。自分のために。あの瞬間からおれは今日までこの入り江に気づけばたどり着いて、こうして大人になった今も無為な時間を注いでしまう。

 の命を奪った冷気を、ツンと突っ張る鼻で吸い込む。

「……帰りますか」

 肺の奥まで冷え切った心地がしてくると、おれは気が済んで、こうしてあたたかな家へと帰ろうとする。罪の意識はあるくせに、罰が下る気配もなければ、罰を選び取る決意もおれにはないのだ。
 
 ここに来たのは慰霊とか、鎮魂とか、供養とか、別にそういうもののためじゃない。
 ではなぜ、彼女の死に囚われてキルクスの入り江に来てしまうのか。マリィが横で不可解さを感じているように、おれも自分でまだ説明がついていない。
 これは贖罪なのか? 唯一、ことのあらましを知る自分自身で問いかけてみるが、それもしっくり来ない。
 正解は見つからないが、不正解ならば不思議と確かめられる。幾度となくここに赴くくせに、花の一つくらい捧げようとかちっとも思えないのだから、彼女への償いでもない。
 多分もっと、自分のための何かだという予感はあったが、やはり説明は降りてこないのだった。



 明くる朝のマリィは冷水を被ったかのような青く、凍りついた顔をしていた。初めは彼女の急病を疑って、必死に心配したが、マリィは首を横に振った。体調の急変ではないようだった。
 ならばどうしたのか。様子は明らかにおかしいですとおれが何度聞いてもマリィは「言えない」と繰り返した。
 マリィが青ざめていた訳は、そのあとすぐに判明した。おれの視線が、ダイニングテーブルの上にそっと置かれていた地方紙に吸い込まれる。
 ずっと思い出せなかったの愛らしい幼な顔が、モノクロの紙面で笑っていた。

「なんで……」

 なんで今更、事故死したが新聞に刷られているのか。状況を飲み込めないまま手を伸ばす。活字を追って、すぐにおれも凍りついた。

 載っていたのはを殺した犯人が捕まったというニュースだった。
 ひりつく呼吸とともに紙面を追えば、全く別件の軽犯罪で逮捕された男が、事情聴取を進めていくうちに過去の殺人を自ら告白し始めたらしい。次々と露わになった複数の少女殺人。犯人の供述に事実がぴったりと重なった。その奪われた命のひとつがだった。

 嘘でしょう? 今まで口をつぐんで来たが故に誰にも問えず、抜け殻のようになりながらおれは報道を追った。その日の夕刊に目新しい情報はなかった。翌朝の新聞は、より大きな見出しで一連の事件を報じていた。しかしの事件に関する情報は更新されない。
 夜のニュース番組には、の両親のコメントが報じられた。短い中に、驚きと、色褪せない悲しみ、そして新たに生まれた憎しみが滲み出すようなコメントだった。あの日スパイクタウンを引き裂いた絶叫がおれの耳の中で蘇った。
 翌朝になると新聞もネットニュースも大枠でこの事件を扱うようになり、ようやくの殺した状況が伺い知れる文章が数行、追加された。

 "たまたま訪れたスパイクタウンで、一人でいる少女に声をかけ、連れ去った"。そんな、一番知りたく無かったことが書かれていた。

 はスパイクタウンの外に出なかった。一人でキルクスの入り江にも行かなかった。
 つまりの死は、おれがタマンタをゲットするように言ったからでは、ない。

 全てはこの男のせい。

 瞬く間に激情に駆られた。感情の発露はおれの限界を易々と超えて、全ての体の調節機能が吹き飛んだ。そのせいで叫びすらあげられないほどだった。
 あの犯人をぶちのめしたい、おれも相手も何もかも、どうなっても構わないから。だが、おれの行動を読んだかのようにマリィがドアの前に立っておれを制した。

「マリィ、どいてください、お願いだから……」
「行かせない。絶対に。だってアニキはもうジムリーダーやなか。なんでも、本当になんでもできてしまうから」

 兄としてのギリギリの理性、そして背負うもののあるマリィの覚悟を持った制止で、おれは憎しみのまま走り出すことができなかった。
 その見返りに、憎悪がこの身と骨の内を走り回る。

 滑稽なことに、おれが血走った顔で噛み締めるのは、を殺したことへの憎悪ではなかった。少女の死がおれの罪ではなく、見知らぬ男のものになってしまったこと。その一点がおれを狂わせる。

 ずっとおれの悪魔的な閃きによって、幼さによって、軽はずみな一言によってを殺してしまったのだと思っていた。
 好きなんかじゃなかった。でも、自分はあの子を失ってしまったという事実とともに生きて来たのだ。幾度、彼女の遺体が見つかった現場に足を運んだかわからない。キルクスの入り江に赴いて、生の香りがしない凍える風を吸って、おれの世界に落ちた丸っこいかたちの影を何度もこすった。ひと掬いの時間と精神を、いつだって彼女の存在に奪われ続けていた。おれも自ら捧げていた。そうやって彼女の死と共におれは在った。
 己が生者の世界に結び付けられていることを突きつけられながら、おれはずっと生きてきたのだ。

 形のないは目を閉じても、耳を塞いでも、どんなに孤独になってもおれにつきまとってくれる。
 そのおれと彼女をつなぐ罪を横から掻っ攫われたのだ。

 返せ。返しやがれ。おれのを。

 そして初めて俺はに対して泣きたい気持ちを抱いた。いなくなったあの子が俺に与え続けてくれた喪失そのものを、奪われてしまったからだ。
 己の脳細胞がリアルタイムに壊死していくのがまざまざと感じられた。痛みが増すほどに思う。好きなんかじゃなかったけど、あの子はおれの一部だったのに。

 今が朝なのか夜なのか、時間感覚も失った中で、おれは楽器を手に取った。きみはおれの一部だった。なら一緒になって作った歌や音の中に、きみはいるよね?

「いますよね……?」

 問いかけ、確かめるために歌う。もはや彼女との結びつきの証明は、過去のおれの中にしかないのだ。
 空洞が痛みを訴え始めている。覚えのない痛みで分かる。おれとが真に別たれたのは遠く過ぎ去ったあの日ではなく、今日なのだ。







(「悪気なくうっかり夢主を殺してしまってその日から悩まされる的なお話」「いなくなるまでは夢主を鬱陶しいと思っていたのがいなくなって初めて何か思うみたいな感じ」とのリクエスト内容でした。リクエストありがとうございました。)