ある冬の終わり。クダリくんからノボリさんのあれやこれを分け合おうと言われて、私は始め、すんなり頷くことができなかった。
忽然と姿を消してしまったノボリさん。未だ連絡のつかない彼の荷物を分け合おうとクダリくんが言い出したタイミングも急だった。その提案の意図するところがわからず、私はただただ戸惑った。
「洋服の半分は君が持ってて。これ、ノボリが好きなペン。バトルサブウェイの社員証は取り扱い注意。歯磨き粉、すっごく辛いよ。このコーヒー、ぼく飲めないからあげる。まずくなってたら君が捨てて」
テキパキと私にノボリさんの持ち物を半分こしていくクダリくん。私が相槌すら渋っているとクダリくんは、まるでノボリさんのような怖い目をして、それでも口の端を釣り上げて言う。
「ダメ。もう君のもの。ノボリは君にいろんなもの、あげる気だった。だからぼくもあげる」
「でも……」
「ぼくは君の義弟。君はぼくの義理のお姉さんだから」
確かに結婚の話を私とノボリさんは進めていた。私たちが本気であることはクダリくんには幾度となく話していたし、お互いの職場への報告や仕事のタイミングも具体的に相談しあっていた。何も無ければ私たちは今頃、とっくに一緒になっていたことだろう。
「ノボリだって何度もぼくに君のこと話してた。言ってた。君のために生きるって。……誕生日パーティーはノボリとの家でやろうねって計画もしてたんだよ。君たちの家のほうが広いから」
「………」
「だからノボリのもの、君に渡す」
ここにいないノボリさんの持ち物を、親しい人たちで分け合う。私が戸惑ってしまうのは、それがまるで遺品整理のように思えるからだ。
行方知れずで安否不明のノボリさんだが、決して無事じゃないと決まったわけではないのだ。そうだ、ただ連絡できないだけで、どこかでひょっこり生きている可能性はゼロじゃない。
だから遺品整理のような真似はしたくないと、どうしても心にブレーキがかかっていた。
だけど、ようやくクダリくんの意図することが僅かながらわかって来た。クダリくんは本来あった未来のかたちを諦めずに追いかけるために、私にノボリさんの私物を渡すのだろう。
「そっか……、わかったよ……」
本来そこにあったノボリさんの意思に沿えるのなら、悪く無いことなのかな。
私はぎこちなくて頷いて、クダリくんからノボリさんの持ち物を受け取ることにした。
段ボール箱の中に積み上がっていく、少し前までノボリさんが使っていたものたち。分け合うものの全てがお互いの手元にあっても何の意味もなさないものばかりで、乾いた笑いのひとつも出なかった。
「うん、ひとまずこれくらいかな。あとこれも、君に」
「え……?」
最後に手渡されたノボリさんの持ち物に、私は目を見開いて驚いた。
6つのモンスターボールだ。中身はダストダス、ギギギアル、イワパレス、シャンデラ、オノノクス、ドリュウズ。彼らはノボリさんが本気のバトルを共にするフルメンバーだった。
まさかノボリさんの大事なモンスターボールたちが私の手元に来ることになるとは思わなかった。
「クダリくん、この子達を私に預けるって、本気なの?」
「うん。ぼく、本気」
私はポケモントレーナーじゃない。人並みにポケモンが好きなだけの一般人だ。それが急に6匹もの鍛え上げられたポケモンを持つ自信はとてもじゃないけれど持てない。
無謀なことだとクダリくんもわかってるはずなのに、クダリくんの表情と声色は私に有無を言わさない。
「いい子たちだって、も知ってるはずだよ大丈夫。ぼくも手伝う。ぼくにだって手持ちがいる。この子たちを全員、一緒にいさせてあげられるのはだけ」
「でも」
「それに、この子たちも来月には君と一緒に暮らす予定だった」
言いかけた反論はすぐに封じられた。そうだ、クダリくんの言う通りだ。このモンスターボールの中にいるポケモンは、ノボリさんと一緒に私の家族になる予定だった。
何も無ければ、今頃一緒に暮らしていたのはこのポケモンたちも同じなのだ。
「ぼくクダリ」
クダリくんが誰に言うでもなく呟く。
「ぼくはぼくのできることをやる」
自分のポケモンを持ったことのない私にとって、急に6つものモンスターボールを連れた生活は新鮮そのものだった。
ポケモントレーナーは目線が合うと本当にすぐバトルをしかけてくるし、6つもボールをつけているとそれだけで一目置かれた。
バトル自体は私がポケモントレーナーじゃないと伝えて断っていた。それでもしつこく催促されるとポケモンの方からボールから出て来てくれて、毎回相手をコテンパンにしてくれた。ノボリさんがポケモンたちを極限まで育て上げてくれていたおかげで、そこらのトレーナー相手なら難なく勝ってしまうのだ。
鮮やかな勝利に感動し、心のままに「すごいね!」と褒め称えればそれぞれに嬉しそうな顔を見せてくれるノボリさんのポケモンたちが、私はすぐに好きになった。
ノボリさんのポケモンたちはやはりノボリさんに似てるところがあるようで、バトルをすることが好きなようだ。
それに気づいた私は時々形ばかりのトレーナー役を買って出て、ポケモンたちに思いっきり力を発散させる。指示なんてあってないようなものだけれど、ポケモンたちの中でノボリさんと戦った経験は生きているようだ。
勝利の喜びをみんなで分かち合うと、一瞬だけ私もポケモンたちもノボリさんのいない悲しみから逃げることができた。そんな束の間の息継ぎを繰り返しながら、私と6匹のポケモンたちは思ったよりは順調に暮らしていた。
パワフルなノボリさんのポケモンたち、それぞれの扱いに慣れて来た頃。
私に一番になついてくれたのはシャンデラだった。気高いオノノクスやドリュウズ、どこかマイペースなギギギアルやイワパレスと違って、シャンデラだけは時々私にぴったりと体をくっつける仕草を見せてくれた。
今日も。ぼんやりを見ていた私の元に、シャンデラはふわりと近寄ってくる。それがシャンデラが人恋しい時の仕草だと知っている私は、黒くて細い腕に自分の腕を絡めてシャンデラを引き寄せてあげる。
「今日は一段と元気ないねぇ」
外の大雨で部屋の空気もじっとりしている。そのせいか、いつも以上にシャンデラの炎は淋しげに揺れている。
かくいう私も。天気が陰気な雰囲気を運んでくるようで、幸せな思い出たちを悲しさを一緒に思い出してしまう。
ライモンシティのあちこちでノボリさんと会った。ノボリさんといろんな場所に出かけた。ギアステーションの入り口なら、春夏秋冬、晴れ雨曇り、朝と夜とその狭間、様々な光に照らされるあの人を見て来た。
その傍らにいつだって彼の大事なモンスターボールたちは存在した。
未だに枯れない涙の気配が、鼻の奥をツン、と突き上がってくる。
ノボリさんはその身以外の全て置いて消えてしまった。しかもポケモンたちを置いていくなんて。いくら時間が経とうとも何もかもがありえない、としか思えない。
どうして貴方は消えてしまったのだろう。答えのない問いがまた頭を擡げる。ぐるぐると考えてしまうけれど、じきに私は思い出す。なぜ、どうしてなんて、関係ない。種明かしなんてどうでもいい。
大事なのはノボリさんが無事でいるかどうか、だ。
揺れるシャンデラの炎に深い悲しみが燃えている。胸を締め付けるゆらめきに、私はシャンデラの透き通った体に頭をくっつける。
「いいんだよ、シャンデラ。悲しいことは”悲しい”でいいの。むしろ私も悲しいままだから、同じ気持ちだよ」
シャンデラとあまりくっつきすぎると命を吸われるからよくない、と言うひともいる。それがなんだというのだろう。私の生命力を吸って、ノボリさんのシャンデラが少しでも永く形を残してくれるならそれも本望だ。
「でも、もし嬉しいことを感じたらちゃんと”嬉しい”と思ってほしいな」
悲しみに暮れているときに、明るい感情の話をされて上手く受け取れなかったのだろう。シャンデラが腕を枝垂れさせる。
「うん、変な話だよね。でもシャンデラが可愛いから、私もそう思えるようになったんだよ」
この前のバトルだって、シャンデラがフルパワーを出したかえんほうしゃはすごかった。バトル場から離れたカフェテラスのお客さんでさえ、「こっちまで熱いのが届いたね」と興奮気味に話していたくらいだ。もちろん相手のポケモンは一発ノックアウト。その場にいた全員の視線を引きつけた。
私も声を上げてすごいね、と褒めたシャンデラはご機嫌になって可愛らしかった。
「シャンデラやみんなと一緒に抱いた”楽しい”や”嬉しい”は時々、悲しみに埋もれて見えづらくなっちゃうけど、無くしたくないの。ちゃんとそこにあった事にしておきたいの」
ノボリさんが今どうしているかもわからない状況は続いている。だけどシャンデラと一緒に勝利を喜んだ瞬間。それは、時代も立場も超えて美しいと感嘆してしまう名画と対峙した時のような、私の中で汚したくない輝きを放っていた。
「……シャンデラもそうだったらいいなって思うよ」
雨はまだ飽きることなく降り続けている。私の横でゆったりと揺れるシャンデラ。その灯影から窓の外を見て、私はふと、思いついた。
クダリくんから、あと半分の荷物を受け取ろう。次の日曜日にでも、みんなで会いに行って。
もちろんクダリくんが欲しいものはクダリくんのもののままでいい。そうじゃないささやかなノボリさんの全ては余すことなく受け取って、私とこのポケモンたちでどこまでも連れて行こう。
それはノボリさんを失ったすぐあとには絶対抱けなかった、ようやく見つけた次の一歩だった。
クダリくんはきっと良いよって言ってくれるだろう。だってそれこそがクダリくんの願いでもあるからだ。クダリくんはおそらく、私にノボリさんの持ち物とポケモンを預けて、ノボリさんの帰ってくる場所をいつまでも守りたかったのだ。ぼくはぼくのできることをやる。そのひとつは多分、ノボリさんが好きだと言ってくれた私の形をなるべく歪ませずにとっておくことだ。
ノボリさんは今やドーナツの穴だ。もちろん消失の痛みなんて無いに越したことないけれど、不思議とはっきり言い切れる。私たちを形作るのはノボリさんだ。ここにいないくせに、私たちの形を決めているのはノボリさんなのだ。
未来なんて知らないし見えない。でも何にも代えられない穴を開けたまま、生活は続くだろう。
「全部一緒に引き連れていこうね」
きっと今夜も満足に眠れない。10回に1回しか上手に笑えない。それでもクダリくんの願いも引き連れて、私とシャンデラたちが集うこの場所にノボリさんの形をした穴を、空けておこう。
(「失踪してしまったノボリさんを帰ってくると信じて待つシャンデラに夢主が温かく寄り添う話」のリクエスト、ありがとうございました)