私、ノボリさんが好きなんだ。そう気づくなりこの気持ちは早々に星にでもなってしまうだろうなぁと思った。
 理由はすぐにいくつでも出てくる。ノボリさんはうんと年上だし、そもそもポケモンや手合わせがとてもお好きなようで色恋沙汰には興味がなさそうだし。コトブキムラの村民ではないどころか、シンジュ団でキャプテンを務めるお人だし。例えそれらを抜きにしても、私みたいなちんちくりんが相手にされるわけがない。
 ノボリさんのことは好きだ。だけどこの初恋は風に流れる雲みたく、自然と遠くに行ってしまう。そして私も流されてきっと次の恋をする。私みたいなのでも手と手を取りやすい人と出会えたら、共に先の人生を歩んでいくのだろう。
 ノボリさんの元へポケモン勝負を習いに通う傍ら、私は漠然とノボリさんではない誰かと歩む人生を思い描いていたというのに。
 変化くれたのは私じゃなく周りの人。筆頭はキネちゃんだ。

ちゃん、今日もノボリさんにポケモン勝負を習いにいくんでしょう。その前に髪、梳いてあげる」

 私がキネちゃんに招かれるまま医務室に入ると、椅子に座るように促される。キネちゃんは早く、と言いたげにすでに櫛を構えていた。大人しく座ると、滑らかな手が私の髪に触れた。

「あ、ちゃんの髪、すごく手触りがよくなったね。それに艶も。私が分けた香油、使ってくれてるのね」
「うん、あれ、すごくいい香りするから思わず……」
「でしょう?」

 ノボリさんを好きになったこと、キネちゃんどころか私は誰にも言わなかった。なのにキネちゃんは私の隠していた気持ちを見透かして、以来こうして手を貸してくれる。
 キラキラみつを唇に塗って少し置くとふっくらするとか、ごりごりミネラルの余りはお風呂に入れて、たっぷり汗をかくと肌が綺麗になるとか。そんなことしたって、私の平凡さの前には焼け石に水だ。キネちゃんの生まれ持ったしっとりとした美貌には敵わない。
 それでも律儀にひとつひとつを試してしまうのは、私が恋する阿呆である証拠だろう。

「どうする? 今日は軽く髪でも結ってみる?」
「ええ、でも……」
「あまりいじるのは苦手かしら?」
「大丈夫、だけど。ノボリさんはそういうの、興味ないと思う……」

 私が自信のなさを覗かせると背後から柔らかな笑い声が上がった。

「なんだ、そんなこと」
「そんなことじゃないよ。ノボリさんは私がちょっと着飾ったくらいで意識を取られるような、そんな浮ついた人じゃないんだから」

 私がどんなに可愛くなれても、ノボリさんにとって一番の関心事はポケモン勝負のことだ。何度も勝負のことを学びにノボリさんの元に通っているからこそわかる。勝負の楽しさはノボリさんの奥深くに根ざしていて、そこは絶対に覆せないのだ。
 キネちゃんほど綺麗になれたら、もしかしたら、と思わなくはない。けれど、やっぱりノボリさんの持つポケモン勝負への情熱に私が並ぶ日など、到底やってこないように思えてならなかった。

 そんな勝負に情熱を燃やすノボリさんを好きになったのは私だ。だから、やっぱりゆっくりと諦める方法を見つけなきゃなぁと思う。
 不意に表情を崩してしまった。そんな私の耳の横の毛を、キネちゃんがすくい上げて優しく撫でてくれる。

「もったいないわよ」
「もったいないって、何が?」
「色々と、ね。それに、火のつけさせ方はひとつじゃないの」

 後ろに立つキネちゃんの声は、そんなことを言って始終微笑んでいた。




「す、すみません、遅くなりました!」

 訓練場に駆け込んだ私はうっすら汗をかいていた。走ったせいで出た汗と冷や汗とが首から背中の上、じっとりと混ざり合う。
 キネちゃんは時間に遅れないよう私を仕上げてくれたというのに、遅れてしまったのには訳がある。ギンガ団本部の正面扉から出たところで、同じギンガ団員の先輩に声をかけられてしまったのだ。
 この先輩というのが近頃どうもよく話しかけてくれる。いつも何になるんだろうと思うような私への質問とか、本人の自慢話とかを長々されて少々困っているのだけれど、まさかこれからノボリさんに会いにいくのに呼び止められるとは。

(先輩めぇ……!)

 思わず心の中で悪態をついてしまう。
 先輩が、キネちゃんが軽くまとめてつけてくれた髪留めを褒めてくれたのは、まあ髪が変ではないことを確かめられたようでよかったけれど。話が一向に途切れないのには困ってしまった。
「先輩、私、ポケモン勝負の先生をお待たせしているんです。なのでごめんなさい」。その言葉を5回もぶつけて、ようやく先輩の長話から抜け出すことができた。

 そこからは全力で走った。こんなことでノボリさんに不真面目な教え子だと失望されたらたまらない。
 ノボリさんからちくりとした一言をもらってしまう覚悟だった。けれど、返って来たのは全然別の声だった。

「グライオン、早業シザークロスです!!」

 どうやら勝負の真っ最中だったらしい。そうとも知らず大きな声を上げてしまった私はすぐ自分の手で口を閉じた。

「もう一度! シザークロス!!」

 ああ、あれやられると嫌なんだよな。早業で先手を取られてから、今度はしっかりと普段の火力で技を叩き込まれるやつ。私は口を塞ぎながら勝負場の大戦を見守った。
 訓練だろうに、今日のノボリさんはいつも以上に本気のようだ。横から見ていても惚れ惚れするような隙のなさをノボリさんは放っている。

 ノボリさんの手合わせは時折、とてつもない気迫に包まれる。側から見ているだけでも震えてしまいそうになるほどだ。だけどとても惹かれるし、幾度となく胸が高鳴る。
 ノボリさんが静かに荒ぶれば、ポケモンの方もが共鳴するように気迫を増して、わざとわざをぶつけ出す。それは肌が粟立つような興奮をくれる光景だ。だというのに、私はノボリさんばかり見てしまっていた。
 指先、眇められる目元、引き締められて次の手を読ませない口元、細く吐かれる息。
 違う、私がしっかり見て学ばなければいけないのは勝負の方だ。見て学ぶのも大事な修行。私は自分を叱咤して、ノボリさんと挑戦者の勝負をみることに集中し直した。

 間もなく、軍配はノボリさんにあがった。相手の自信をも砕くような、圧倒的な勝利だった。ノボリさんも白熱したようで、珍しく首にうっすらと汗をかいている。
 お相手ともお話終えたところを見計らって、私はお疲れ様でした、と声をかける。
 ノボリさんはつつ、と私を横目で見た後、手合わせ直後と思えない静かな声色で言った。

「なんとも天晴れな宣戦布告でしたね」
「え? 今日はお相手から勝負を申し込まれたんですか?」
「いえ。あなたさまが随分楽しく話し込まれていたようでしたから」

 ノボリさんにそう言われた瞬間、サッと血の気が引いた。見られていたのだ。私が本部を出たところで男の先輩に捕まって、立ち話を続けていたところを。

「す、すみませんでした……!」

 頭を下げてももう遅いだろう。先輩を無碍にできず、結局ここに来るのも遅れてしまったのは事実だ。待たされていたところ、そんな私と先輩を見かけて、ノボリさんはさぞ残念な気持ちになられたことだろう。

「もしかして、わたしくに見せつけているのですか?」
「申し訳ないのですが、見せつけるって、何をでしょうか」

 私と先輩が話してるのを見たって何も生まれないだろうに。ノボリさんの言うことが一向に分からずそわそわしていれば、ノボリさんは深い深いため息を吐いた。

「あの、遅刻なんて言語道断の所業かとは思います。でも決して歓談にうつつを抜かしていたわけではないことは、信じて欲しいです……」
「……わたくしこそ、恥ずかしいところをお見せしました。嫌味なことまで言って、申し訳ありません」

 今度はノボリさんに謝られてしまった。愛用の帽子で目元を隠してしまったノボリさんがぼやく。

「年甲斐もないことだから、常々諦めよう、やめようと思っているのですが……。さん、次わたくしを焚きつけるようなことをなさるなら、覚悟してくださいね」
「ええ……? 焚きつけるって……私は何も……」

 また、はあ、というノボリさんのため息が聞こえる。
 キネちゃんに手を貸してもらってまで、ノボリさんに今日お会いできること楽しみにしていたというのに。今日はなんだか全てがちぐはぐだ。ノボリさんと上手く喋ることもできない自分が恥ずかしくて、気を緩めたら泣いてしまいそうだ。

!」

 淀んだ私たちの空気。そこに割って入ってきたのは男の人の声。さっきも話したばかりの先輩が、勝負場の入り口に立って私に手をあげていた。

「ど、どうしたんですか? もしかして隊長が呼んでたりします?」
「いや! 野暮用だ! にさっき言い忘れた事があってな!」
「あのー……。それって急ぎですか?」

 急ぎじゃないのなら、先輩には退散願いたい。何故なら今は私がこっそりと懸想をするノボリさんとの時間なのだ。たとえどんなにみっともなくとも、邪魔されたくない。

さん、このお方は?」
「同じギンガ団の先輩です」
「俺たち、最近はよく一緒に過ごすよな」
「あの、まあ、よく話しかけてくださいますよね、あはは……」

 私からは話しかけたこと、多分一度もないのだけど、先輩は気づいてないだろう。思わず苦笑いだ。
 ふと、ピリリと頬を撫でるもの。何かと思えばそれは隣のノボリさんから立ち上がるものだった。

「ノボリさん……?」

 私より一歩前に出て、ノボリさんは先輩の前に割って立つ。ただ前に立っているだけ、だよね? そう疑ってしまったのは、両者の間にただならぬ雰囲気が漂っているからだ。

「わたくしの出番はないと思っておりましたが、こうもポッと出の男性に煽られてしまいますと、わたくしも認識を改めざるを得ません。どうやら、譲れないもののようです」
「ほお」
「なので誠心誠意、挑むことに致しました」

 挑む、という言葉に冷や汗がドッと溢れる。今すぐにでも喧嘩が起きてしまうのだろうか。いやノボリさんのことだから、ポケモン勝負できっと物事を決めると、信じたいけれど。この二人は、私には止められない。頼るべきはポケモンか、それともペリーラさんを呼ぶべきか。

さん」
「は、はい!」

 不意に呼ばれ慌てる私だったが、その後の全ては予想外な方向へと爆進し出した。出発点はノボリさんだった。

「あなたさまをずっと、お慕いしていました」

 ずっと触れてみたかったノボリさんの手が、私に触れている。それに今、なんて? なんて聞こえた?
 ふわっと意識が飛んで、流れる雲を見て、後ろへと倒れた私をペリーラさんが抱き止めてくれて。
 目を覚ました時にはいたずらが成功したような笑みを浮かべているキネちゃん、次に手を握りしめ続けているノボリさんに気づいてまた頭が真っ白になる。キネちゃんが笑う。「だからもったいないって言ったでしょう」。全ては未だ予想外。だけど私もしっかりとその手を握り返してしまったのだった。




(レジェンズアルセウスのノボリさんのお話、というリクエスト、どうもありがとうございました!)