「さん、今週末の予定は空いてますかあ?」
ジニア先生が目を細めて私に言う、口説き文句のようなこれは、断じてデートのお誘いなんかではない。
デートではないと思える根拠はいくつもあるけれど、まず、意中の相手を誘う場所は忙しいお昼のレジカウンター越しでは無いと思うのだ。いくらぼんやりとした、ジニア先生とは言え。
加えて相手は私だ。だから、これはデートのお誘いでは無い。
「すみません、先にテイクアウトセットの中身を確認してもらっていいですか? 日替わりサンドのAセット。サラダをおつけして、ドリンクはミックスオレでお間違いないですよね?」
「はい、大丈夫です!」
「お待たせしましたー」
ジニア先生の今日のお昼を手早く紙袋に詰め込みながら思う。ジニア先生はどんな風に好きな相手をデートに誘うのだろう。どこか女性に危機感を抱かせないこの人でも、本気になったら少しは強引さを見せたりして、場所やタイミングを狙い澄ましたりするんだろうか。
もちろん相手は私では無いだろう。全て虚しい妄想である。私が誘われるのは、彼の研究や授業の手伝いだけだ。
「んで、先生。次はどこに行くんです?」
「オトシドリが大量発生したという報告があるんです。ちょうど繁殖期を少しすぎた頃なので、若いオトシドリをたっくさん観察できそうなんですよお! ぜひ、ぜひ、ぜひ! 足を運びたくてですねえ」
語り出す彼はあどけない笑顔を浮かべている。アカデミーの生物科、ジニア先生。彼はアカデミー教員という地位を手に入れても、ポケモンへの好奇心は熱く燃えたままのようだ。
ジニア先生との出会いは共通の友人を通してだった。男友達に急に呼び出され、何もわからずアカデミー前に向かったら、そこにいたのがジニア先生だった。男友達が手伝う予定だったという、校外学習の事前調査。急遽行けなくなった男友達の代打として都合よく呼び出されたのが私だったのだ。
すでに白衣のポケット限界まで本を詰め込んでいるのに、加えて大荷物抱えジニア先生は現れた。私が手伝わなければ一人で調査に赴くであろう彼が心配で、見放すことはできなかった。騙し討ちのような出会いだったけれど、私は自らの意志で調査に同行したのだ。
目的地へ向かう道のり、彼の人柄のおかげでジニア先生とはすんなりと打ち解けることができた。
名乗るだけで彼は、
『お名前、さんって言うんですねえ』
そう笑顔をとろけさせた。少年を呼ぶにも可愛すぎるくらい、小花でも周りに浮かせられそうなほどの満面の笑み。それをふんだんに浮かべるのだから、初対面なら誰に対しても薄く持っている警戒心はあっという間に霧散してしまった。
初めてのことだらけだったが、調査自体も問題なく終わった。私自身、あまり苦手なタイプのポケモンがいないのだ。男友達の人選は間違っていなかったようだ。
実際働きぶりは悪くなかったようで、熱く感謝され、二度目、三度目とジニア先生から助手のお声がかかるようになった。
私も、この人とは案外息が合うなと思う瞬間があったし、有識者とポケモンの生態を見て回るのは有意義な時間だと思えた。のんびりと雑談をしながら、パルデアの大自然の中を歩いて、街中じゃ会えないポケモンを目にする。
それにジニア先生の個別授業を無料で受けられてしまうのは、彼への好感抜きに大きな魅力だ。今回の私の返事も、すでに決まっている。
「いいですよ、今週末なら暇してます。またアカデミーの前で待ってればいいですか?」
「はい、よろしくお願いしまあす」
日替わりサンドの袋を抱えて、手を振りながらジニア先生は去っていく。何度か振り返るジニア先生にも手を振り続け、見えなくなったところで私は自分のクローゼットへ想いを馳せた。
さて週末の服装どうしようか。向かう先はポケモンの生態調査。可愛いワンピースやヒールの靴が一番最初に選択肢から外れていくが仕方がない。これは、デートでは無いのだ。
当日。私はTPOを弁えた、動きやすい服装に身を包んでいた。ポケットが多めのパンツに、両手が空くようにバックパックを背負っている。靴はもちろん足首まで守ってくれるスニーカーである。全身がメェークルに不意打ちで擦り寄られたりしても遠慮なく洗える素材だ。
可愛いとは言ってもらえないであろう格好だ。こんな時に可愛らしさをしっかりアピールできる女性が、恋愛におけるチャンスを多く掴んだりするのだろう。けれど私は動きやすさ重視にしてしまう。理由は照れと、もうひとつ。シンプルに、オトシドリの群れを見にいくのが楽しみだからだ。
早朝のアカデミー前でジニア先生と待ち合わせ。荷物を分担して持ち歩き、タクシーの手も借りながら目的地へ向かう。
今はオトシドリたちを刺激しないよう、崖上の草原に寝そべって観察をしている。
「あれが赤ちゃんオトシドリですねえ。生まれてまだ三日以内だと思います。ほら喉元の袋もふわふわ! かなり柔らかそうですねえ。か、かわいい……」
「へえー。生まれたばかりでもしっかりオトシドリらしい顔つきしてますね」
「落とすものを選んだり工夫するあたり、頭がいいポケモンですからねえ」
一通りの観察と、いくつかカメラの設置。調査の下準備を終えたところで、私たちはテーブルを展開した。折り畳みの椅子に座り、各自の水筒を持ち出せばピクニックの開始である。
私はこの時間が好きだ。パルデアの大地を吹き抜ける風に吹かれ、開放感に包まれながら、ぼうっとする。遠くの景色を見つめて、あのポケモンはなんだろうと目を凝らす。そして人懐こい野生のパモの視線に応えて、パンのかけらを投げてあげていた時だった。
「さんって、どういう誘い方なら、わあっ! わたしデートに誘われてる! ……って思えますか?」
「……、え……?」
驚きすぎて、私にもし体毛があったら一斉に逆立っていただろう。ジニア先生からまさかの恋愛相談を持ちかけられていることに気づいた瞬間、それくらいぶわっと、全身から見えない何かが爆発するような衝撃が走った。
恋愛相談をしているという意識はジニア先生にもあるようだ。彼の頬には明らかに朱色の照れが差していて、相反するように私の血の気は引いていく。
「と、突然すみません。こんなこと聞いて。でもぼくたちが二人で出かけても、こんな具合になってしまって、特にデートにならないじゃないですかあ。でもぼくとしては、今日と同じみたいでは困ってしまうといいますか」
「ジニア先生、デートのお誘いがしたいんですか……?」
「はい!」
誰に、とは聞けなかった。
ポケモンに夢中で、生徒に慕われ先生としても忙しくしている。そんな彼の姿しか見てこなかった。
一方で彼はしっかりと誰かを好きになり、その人に近づくために考えたり時間を使ったりしている。ジニア先生のことをもっと知りたい気持ちはあったくせに、私の本音はそれは知りたくなかったと叫びを上げている。
その悲鳴が胸をつんざいて、気がついた。私が持つジニア先生への好意は、人間としての尊敬から成っていると思ってたのだけど、違ったようだ。
ジニア先生が勘違いさせることなくデートに誘いたい人。そのお相手は、アカデミーの同僚あたりだろうか。誰であっても、私には関係ないくせに気になってしまう。
相手が誰であろうと、やたら胸を締め付けるのは、私ではない、という事実だ。
「……そうですね。確かに、デートかデートじゃないかって境目はすごく曖昧だと思います」
「ですよねえ。とっても困りましたあ」
「でも違いがあるとするなら。二人が何かのために出かけるならそれは単なるお出かけで、一緒にいることが二人の目的ならデートになるんじゃないですかね」
そうですかあ。とぼやきながらジニアさんは頭をかいた。分厚い彼のグラスが白く反射する。ジニア先生の口元は笑みをかたどっているものの、彼のはなやぐ雰囲気はどこかへ散ってしまっていた。
彼が真剣に悩んでいるのが分かる。居た堪れなくて、私は彼から視線を外し自らの冷たくなっていく指先を見つめた。
「難しいですねえ。ここ最近のぼくはさんに会いたくてサンドイッチを買いに行きますし、さんと歩けたらいいなと思いながらフィールドワークの場所を決めてるんですけど。これって、全然デートじゃないですよねえ……」
ぼやきを空に溶かして、ジニア先生の唇はぴったりと閉じてしまった。沈黙の代わりにバサバサと、彼のたっぷりした髪が風に遊ばれている。
そんなことに意識を寄せるほどに、私は言われてる意味を、彼の不覚落ち着いた声の中に自分の名があることを、理解できなかった。
「あ、そうかあ……。わかってきましたよお」
私がおろおろと戸惑っているうちに、彼の思考は先に歩き出す。
「お互いが、お互いに会うためじゃないとデートにならないのかあ。ぼくはさんに、会いたいな、一緒にいたいなあって思ってもらわなきゃいけないんですねえ。それは困りましたねえ」
そうだった、この人はアカデミーの教員を務めるくらい頭の出来が良いひとなのだ。私がひとつを考えようとしているところなのに、ジニア先生の理解は倍のスピードで進んでいく。遠慮なく、とんとんと。
「ポケモンの事を知った時のさん、本当に楽しそうですから、勝てる気がしません」
いつもの笑みをどこかに引かせると、ジニア先生はびっくりするほど男の骨格を際立たせている。私が思わず息を呑んでいると、またあの人懐っこい笑顔が戻ってきていた。
「でもいつか、ポケモンを知るためじゃなくて、ぼくとおしゃべりしたり、一緒の景色を見たりするために、出かけてくれませんか?」
ずっとジニア先生にデートに誘われてみたかった。
ジニア先生はどんな風に好きな人のことを誘うのだろうと、ため息混じりに考えていた。こんな爽やかな風の吹く、でもなんでもない日だとは思わなかった。それに、狙い澄ましたような誘い方をしないのも、私が想像していたのと違っていた。
「天然でかっこいいなんてずるいですね」
「えっ?」
「不純ながら。ずっとジニアさんとデート、してみたかったです」
「そっ、そうですかあ!」
表情からも落ち着きを失った指先からも、喜んでくれていることは一眼でわかる。なのに、ジニアさんは「嬉しいです……」と声に出した後、告げた。
「あと、ぼくも不純です」
ぼくも不純です。その言葉の意味を理解するのは初デートを終えたあと。偶然にも話すタイミングができた男友達に、ジニアさんと恋人になったことを軽く伝えた時のことだった。
「ジニアがお店で働いてる店員が可愛くて、どうしても気になるとか言うから、茶化して見に行ったらお前じゃんかあ。だから紹介した。サボりついでにな」
ジニア、しっかりチャンスをモノにしたんだなぁ。男友達の笑い声を聞きながら、私は自分が結構な鈍感をかましていたことを知った。そしてあらゆる意味で赤面がさせられ、それは次のデートまで治らなくなってしまったのだった。
(「ジニア先生お願いします!」とのリクエストありがとうございました!)