入学早々に取ってしまった赤点。放課後じきじき先生に呼び出され、土曜日に補修を受けるよう、苦笑いで指示された。
 本来ならば授業のない土曜日。同じクラスの皆は好きに繰り出している中、他に誰もいないと思われた教室にいたのがペパーくんだった。それが出会いだった。

 呼び出されたのは、てっきり私だけだと思った。
 驚いて立ち尽くしていると、先生は私の疑問に答えてくれた。

「ペパーはな、学年で最低の出席率だ」
「へ」
は学年で最低点だがな」
「はーい……」

 ペパーくんはすでに何回も授業を欠席しているとの事だった。じゃあ入学式の時会ったか怪しい相手の名前までよく覚えてたなと、変に感心してしまったのをよく覚えている。
 やはり赤点は私だけだったのかと思うとものすごく恥ずかしくて、私はペパーくんへ一言も話しかけることもなく。
 でも、午後の授業を前に、ランチタイムを迎えた時。そそくさと逃げ出そうとした私にペパーくんは言ったのだ。

「ここでいただきます、すればいいのによ」

 そのまま私とペパーくんは、それぞれのサンドイッチを食べた。食べている間も、食べた後もお互い無言だったけれど、私はそのふたりぼっちのランチタイムが、覚えなきゃいけない知識よりもずっと胸に刺さってしまった。
 ペパーくんは全然笑わないし、ペンを握る手は私のよりひとまわり以上大きいし、というか体の大きさも全然違う。連れてるポケモンも見た目が獰猛そうなマフィティフなのも少し怖い。
 だけど、ペパーくんの横で過ごす時間は、自分の体が骨まで柔らかくなってしまったんじゃないかと思うような安心感があった。

 家族の元を離れて、アカデミーで寮生活をすることに、私の全身は思ったより不安に満たされていた。ペパーくんの横にいて、初めてわかった。赤点なんか取って、みっともないと思っていた自分への見方が変わる。
 私、新しい環境で頑張ろうと思って、緊張しすぎたのかも。だから空回りしちゃっただけで、頑張ってはいた。
 次第にぐずぐずと、私の鼻が鳴り始めた。学校がスタートしてすぐの赤点に、思った以上に私のメンタルは追い詰められていたようだ。
 恥ずかしいなと思いながらうるむ視界で見たペパーくんは、窓の方へとそっぽを向いていた。

 少し苦しくなったお腹を抱えて、迎えた午後の補修。ペパーくんは私が泣いているのを見ないふりしてくれたというのに、私はペパーくんを盗み見てばかりいた。
 補修はもう懲り懲りだ。けど、私はペパーくんがいるのなら、また明日も補修を受けるのもいいなと思ってしまった。ペパーくんとまた一緒にお昼ご飯を食べたいと、思ってしまったのだ。




「ペパーくん。あのね。私、ひとりでご飯食べるの苦手で」

 それは私の本音であり、同時にペパーくんを誘う言い訳だった。
 ひとりで食事をするのが嫌だ。そんな感覚的な理由は、おそらくペパーくんを誘うには弱すぎる。だけど私は、自分の経験を信じることにしたのだ。
 二人きりで、同じ補修を受けて感じた。ペパーくんはなんだかムッとした表情ばかりしているし、気安い性格にも見えない。けれど実は、ものすごく優しい人なのではないだろうか。
 その優しさに漬け込めると言ったら悪い言い方になってしまうけれど、許される可能性はある、と思ったのだ。

「……なんでオレ?」
「ペパーくんくらいしか声かけられなくて」
「まあどっからどう見ても人見知りの気弱ちゃんに見えるしな」
「当たってます……」

 人見知りをする、気弱な性格。でも寂しいのはもっと嫌な、甘ったれな性分。きっとペパーくんには見透かされているであろうことを思うと、今すぐ逃げ出したい気分だ。
 だけど逃げ出したい気持ちより、ペパーくんの関心が私の中でどうにか勝っているようだった。足がさっきから、かすかに震えている。けれど、一向に後ろへは退こうとはしないのだ。

だったか」

 ペパーくんは目を細め、私を見据える。不審がっている色がその瞳には浮かんでいた。

「さっきも言ったが、なんでオレにそんな声がかかってるのか、さっぱり理解できねえ。自分のポケモンと仲良しこよしで食べるんじゃだめなのか?」
「に、人間がいいの。人間なら、誰でも良い」

 誰でも良いと付け足したのはカモフラージュの言葉だった。
 一度一緒にお昼を食べたら、またペパーくん一緒に食べたくなったという本来の理由は、伝えれば気持ち悪がられてしまう。そうに違いないと思えた。

「ふーん……」

 ペパーくんはそのまま考え込む。彩度の低い青い目が、私を上から下まで何度も見返した。

「わかった、わかった」
「いいの!?」
「まあ、ひとり飯が嫌だって気持ちの味はわかっちまうからなあ。しょうがない……。オレがアカデミーにいる時だけな」
「うん……っ!」
「そうと決まれば、テーブルの確保に行くぞ」

 そのまま私とペパーくんは食堂へと向かった。どうにか座れるところを見つけて、私とペパーくんは一緒にランチをとったのだった。
 初めて同じテーブルで食べた時は、お互い無言だった。まだ彼は私を不審がっていた様子で、ペパーくんはマフィティフの方ばかりを向いていた。それでも、構わなかった。一人で寂しく食べているよりずっとずっと、呼吸が楽だった。

 二度目になると、意外なことにペパーくんの方から私へと話しかけてくれた。

「補修の日、悪かったよ」
「え?」
「泣くなら誰も見てないところで泣きたかったよな。なのに、オレが変に引き止めちまったから……。ごめん」

 驚きつつも、私は首を左右に振った。

「全然気にしてなかった。あれは、気が抜けたタイミングがちょうどあの時だっただけだし」

 ふと思った。もしかしたら、ペパーくんは私が泣いていたことをずっと気にしていたのだろうか。
 隣の席で泣きながらお昼を食べているやつがいれば、怖いと思うのが普通に思える。そして居合わせた不運を嘆かれても致し方ないと思う。だけどペパーくんはは自分が引き止めたから、私を人前で泣かせてしまったと後悔を抱いているようだ。

「あの……。ペパーくんは悪くないよ」

 ペパーくんは悪くないけれど、私の言うタイミングは悪かったらしい。口にモノのが詰まっていたペパーくんはもご、となんとも言えない返事をくれた。その返事で、この話題ごとお互いの会話は終わってしまったのだった。

 それでも三度目になっても、やはりペパーくんは私へとぎこちなくも話しかけてくれるのだった。

「あの、別に。無理して喋らなくてもいいからね」
「はあ? 向かい合わせで座っておいて、四六時中なにも喋らない方が無理ってもんだろ」
「そうなの?」
「オレはそうだってーの。ちょっとくらいしゃべっても良いだろ? 小さじ分くらいにしとくからさ」
「うん……」
「んで。マジで他に友達いねぇの?」
「いない」

 やっぱマジか、と言ってペパーくんの目元が緩む。そう、三度目にして私はペパーくんの笑顔を初めて見たのだ。



 出会いの季節は、瞬く間に過ぎて、あれから半年が過ぎた。
 ペパーは相変わらず授業を欠席しがちだ。普段はパルデアの彼方此方を冒険している。なので毎日、ペパーにひとりぼっち回避を手伝ってもらったわけではないけれど、それでも半年という時間が過ぎた。
 今やペパーは、アカデミーに戻ってきてるときは1番に私に帰りを知らせてくれるし、随分気安く私へ笑顔を向ける。私も「ペパー」と彼の名を楽に呼ぶようになっていた。

「戻ってきてたんだね。おかえり」
「……おう」
「そういえばテストは大丈夫だったの?」
「旅先でも指定の本は読み込んでたからな。なんとかなったぜ。、食堂行くか?」

 私は、うんうんうん、と何回も頷くと、ペパーもニッと歯を見せて笑い返してくれる。

は相も変わらず煮詰まった寂しがりちゃんだな」

 寂しがりというよりは、怖がりだ。大勢の中で自分が孤独だと知るのが、どうしようもなく恐ろしい。
 なんとなく、ペパーはそういう私の性分を理解してくれているものだと思った。けれど気楽に笑ってくれるのと比例して、ペパーは気軽に私へ、呆れた表情を見せつけるようになっていた。

「いい加減慣れろよな。ひとりで食ってごちそうさんまでしてるやつ、あちこちにいるだろ」
「ごめん。でも治るような事じゃないから」
「毎度呼び出される側の気持ちも味わってみたら、オレみたく慣れろって言いたくもなるぞ」
「ごめん……」

 ひとりぼっちが嫌だ。同じくらいの強い感情で、ペパーに居て欲しいと思う。だからわざわざ彼を誘っているし、欠かさず彼の席を空けてある。
 でもそんな気持ちはペパーにはどうでもいいことなのだ。

 ペパーだって他の誰かと喋りながらランチタイムを過ごしたいのかもしれない。だからうざったそうなリアクションをされるのは、以前なら当たり前だと思えていた。
 だけど最近の私は、そういうペパーくんに仕草ひとつにざわざわとした胸騒ぎを覚えるようになっていた。その胸騒ぎは、私をやたらと嫌な気持ちへと駆り立てる。

「……もういい、わかった」
「ん?」
「探すよ、明日から」
「は?」
「一緒にごはん食べてくれる人を探すって言ってるの」

 一人が嫌な気持ちは変わらないし、変えられない。ならば私ができるのは、同じテーブルに座る相手を変えることくらいだ。
 先に面倒臭いという顔をしたのはペパーの方だ。いい加減成長しろと私にお説教をしたのもペパーの方だ。だから当てつけ半分ながら、彼の望みに応えたつもりだった。

「……人間なら誰でもいいって言ってたの、本当だったんだな」
「へ?」

 彼の望み通りにしたはずだ。だからなんでペパーがそんな、怒った顔をするとは思わなかった。
 ギッと睨むような目で私を見たペパーくんは、残りのランチをひとくちで食べ終えると、バックパックを抱えて去っていってしまった。
 私は座ったままへたり込んだ。何度も同じテーブルで食事をして、ペパーくんは笑ったり、笑わなかったりした。けれど彼が怒ったことだけは一度も無かった。
 何が何だかわからないけれど、私は今日初めて、ペパーくんを怒らせてしまったのだ。

 


 最初から、ペパーの代わりを見つけるつもりは無かった。痛いところをつつかれて、反抗覚え立ての子供みたいなリアクションが思わず出ただけであった。売り言葉に、買い言葉というやつだったのだ。
 そのまま、ペパーに連絡を取るのはやめた。あの様子だと、向こうも私の声も聞きたくないだろうと思えた。
 本当はペパーに泣きつきたい気持ちがやまやまだ。だけどこちらからお願いをしに行くことはできなかった。またペパーに嫌な顔をされそうだし、未だに一緒にご飯を食べるひといないぼっちなんだとバカにされると思えた。

 お昼の時間は、今までもあったペパーくんの都合がつかない日と同じように過ごした。つまり、食べずに過ごすか、自分の部屋まで戻って食べるかの二択で、やり過ごしたのだった。
 思春期なんだから少しくらい胸が成長しても良いはずなのに。むしろ体重が減って、制服がぶかぶかになってしまった頃だった。

!」

 しっかりとした喉から出る声に呼ばれて振り返った。皆が腹ペコの体を抱えて食堂へ向かったせいで、ひとけの無くなったアカデミーの廊下。
 ペパーの声の残響と、彼のばたばたとした足音に、私は痺れたように立ち尽くしてしまった。またパルデアの、多くの人が知らないどこか秘密の地にでも行ったのだろう。ペパーくんの靴はしっかりと汚れていた。

 喧嘩別れのような状況で、私たちのやりとりは途切れている。そのせいかペパーくんは私へ目を合わせない。でも、怒っている気配は感じられなかった。
 むしろそのしっかりした体がしょんぼりと縮んでいるような印象を覚える。

「どうしたの? 何か用?」
「いや、はどうしてるかと思って。あと……、痩せたか?」
「まあね」
「ひとりじゃあんまり落ち着いて食べられないから、か?」
「あんまりっていうか、最近お昼食べてないから」
「マジかよ……」

 マジだよ、と言うように私は頷いた。
 この前のペパーみたいな威嚇するような気配は消えている。何かとても喋りづらそうにしている彼の様子を見て、私は恐る恐る口を開いた。

「ペパーくん、あのね。私、まだひとりぼっちだよ」
「……そうかよ」
「だ、だから。私と一緒にお昼を食べてよ」

 目を合わせてくれないままだけど、ゆっくりとだけど、ペパーが頷く。

「う、嬉しい……」
「嬉しいのかよ! 本気か?」

 何を疑うことがあるのだろうか。ペパーがいてくれたら、私は嬉しいに決まっているのに、ペパー本人は半身を後ろに引いてまで驚いている。

「ど、どこで食べる? 私の部屋にでも来ちゃう?」
「はあ!? 無防備ちゃんにも程があるだろ!」
「別にペパーならいいよ」

 私はいまだに、初対面の時に感じた彼の優しさを信じている。たまに捻くれたこともいうけれど、ペパーなら大丈夫だと本気で思って言ったことだった。
 だけど目の前のペパーは、なんだかものすごく、ぐちゃぐちゃになった感情を浮かべて、顔を歪めている。まるで子供が泣き出しそうなのをあやすように、慌てて私は言葉を継ぎ足す。

「うん。ペパーなら、いいし、平気だよ」
「オレは、良くない」
「な、なんで? 来るだけだよ?」
「あのな、。オマエは何にも思ってないだろうけどな! オレは平気じゃないんだよ!」
「ご、ごめん」
「そもそも! オレとはただちょっと一緒に昼飯食べてただけ! それだけのあっさり薄味の関係だろ!?」
「でも、それが私の欲しかったものだよ」

 廊下に響き渡っていたペパーの声がぴたりと止まった。

「関係は薄味かもしれないけど……私は欲しかったもの、ペパーにいっぱいもらったよ。だから、誰でもいいわけじゃない。ペパーだから良いよって言ってるんだよ」

 君は、学校という場で生きていくための、生命線だった。優しいからじゃなくて、存在そのものが。
 そこまで伝えたらきっと気持ち悪がられてしまいそうだ。
 私はむず痒い気持ちで、廊下の、ツヤツヤとしたニスがけに溜まる光を見た。どうにかラインを越えるまえに口を結ぶことができた。だけども、安心より勝るのが嬉しさだった。今まで静かに積み重なっていた気持ちの切れ端を、ペパーにようやく言えた嬉しさが、何度も何度も込み上げてくる。

「でもペパーは私の部屋、いやなんだよね」
「……、……行く」
「え? 来るの?」
「行きたくねー。けど、行きたい」

 一体ペパーの本音はどっちなのだろう。それとも両方ともが本音なのだろうか。
 いまいち彼の考えるところは掴めないまま。でも部屋に行ってもいい、じゃなく行きたいという言い方だった部分を信じたい。そう私の勘がまた囁いた。

 空っぽのお腹を抱えながら、ペパーと私は歩き出す。横にいる彼の様子はまた怒っているようにも見える。でも歩調を合わせる優しさでわかる。私を嫌っているわけではない。
 ペパーという男の子は思ったより複雑だなぁ。複雑だけど、ペパーだからいいか。
 私は口を一生懸命に結ぶ。いつか伝えたいような気持ちだけど、今はまだ言う勇気が出ない。だから言わないようにと口を結んで、廊下の、ツヤツヤとしたニスがけに溜まる光たちをひとつずつ踏みながら歩いた。



(「ペパーくん読みたいです………!!」とのリクエストありがとうございました)



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