※女主人公の名前を「アオイ」に固定しています
恋のきっかけは単純だ。入学して一週間も経っていない頃だった。友達と一緒につくったサンドイッチには、私の苦手な具材が入ってた。
普段なら苦手な食材をパンに挟んだりしない。だけどその日の私はまだ知り合ったばかりの子たちに伝えられなかったのだ。私はトーフの入ったサンドイッチが食べられない、ということを。
場の流れを壊すようなことを言ったら気分を悪くさせるかもしれない。せっかく知り合った子たちと、できればこのまま仲良くなりたい。その気持ちで私は笑顔でトーフ入りサンドイッチを受け取り、一人になった瞬間に肩を落とした。
お皿に乗ったままのサンドイッチは一匹だけの相棒のパピモッチに食べさせるには多い量だ。仲良くなりたいがために嘘をついた事、それから食べられないものを作ってしまった事への罪悪感。だけどどうにか捨てずに済む方法はないかと悩んで、途方に暮れていた時だった。
話しかけてきたのはグラウンドで校長先生の話を聞いた時、意識のすみにいた男の子だった。
しっかりとした男の子らしい体つきで、笑いもしない彼の第一印象は、少し怖い、だった。
「食べないのか?」
彼は私に、食べないのか、と聞いた。食べられないのか、ではなく。私がひとつ頷くと、彼はひとつ息を吐いて言った。
「食べないなら、悪くなっちまう前にオレとマフィティフにくれよ」
「ど、どうぞ」
「ああでも、もらうだけっていうのも収まり悪いよな」
「え?」
「ちょっと待っててくれよな」
彼は背負ったバックパックからキャンプ道具を広げると、すぐさまサンドイッチ作りに取り掛かった。
パンと食材を扱う手つきは第一印象を裏切る美しさだった。パンに機嫌よくバターナイフを滑らすところはまるで魔法の杖を振るっているみたいだった。
とくにピックを指すとき、音もなくパンへと溶けていくピックの先を見て、私は彼がとても手先の器用な人であることを悟った。
あっという間に、彼は一人分のサンドイッチを作り上げた。出来上がったそれはパンの間からはレタスのフリルや食材が愛らしく顔を出していて、彼が料理上手なことは一目でわかった。
「オレの気まぐれサンドイッチ。でも、食材とソースの組み合わせは病みつきちゃんだぜ。これと交換だ」
私の食べられないサンドイッチを、彼の手が引き取っていき、代わりに別のお皿が手渡される。
手の中のしっとりとした重みは雄弁に語っていた。彼がサンドイッチを欲しがったのは、別にお腹が空いていたからじゃない。単に、困り果てた私に救うためだ。彼にとって私は、一度だって話したことのないクラスメイトだ。だというのに困っている事情を見抜いて、目の前でさらっと料理までして見せた。
そして一人になってからパピモッチとともに食べたサンドイッチは、お世辞抜きで”病みつきちゃん”になる美味しさだった。
胃袋も心も掴まれて、それから私は彼改め、ペパーに片想いをしている。
アカデミーに新入生が入ってきて、私も先輩と呼ばれる学年になった。
だけど私自身は、先輩と呼ばれるほどの何かを手に入れたとは思えない。それどころかグラウンドで、およそ人間とは思えないうめき声を上げている。
「あ、ああ、う゛ああああ……!」
「こら、」
奇声を上げている私をたしなめるのは、同じ文系クラスで一番仲の良い友人である。
「またパピモッチの顔、ものすごい変形させてる」
「ごめん、パピモッチ。でももうちょっと揉ませて」
「あーあー……」
相棒のパピモッチの顔を揉むことは、私の幼い頃からの癒しだ。もちもちとした触感に溺れるのはストレス解消になるのだが、ここ最近はパピモッチを揉んでも揉んでも心が癒されない。
原因は、年単位で抱えているペパーへの片思いである。
「だって、また聞いちゃって……!」
「ペパーと、アオイちゃんだっけ?」
「う゛ん……」
宝探しの課題に取り組んでいる、他の生徒が見たらしい。あちこちでペパーとアオイさんが二人で会っている姿を。
しかもどの目撃情報もかなり仲が良さそうで、今や文系クラス内ではペパーがあの後輩と付き合っているともっぱらの噂なのである。
「また新しい目撃談流れてるんだ? これでもう何度目?」
「わ゛っかんない゛い゛……。体感では100回くらい?」
「それはないだろ」
ペパーがなかなか学校に来ないせいもあり、真偽のほどはわかっていない。だけど、二人の目撃情報はかなりの数に及んでいる。
最初は、テーブルシティ東で巨大なガケガニに襲われているところを助け合っていた、との目撃情報だった。その時は驚きつつも、ペパーに何もなかったようで良かったと私も話を聞き流していられた。
次は南西から吹く優雅な風に吹かれておとしどりウォッチをする二人の情報だった。あのあたりは落石が危険だと言うのに、アオイという子はポケモンの扱いが飛び抜けて上手なようなのだ。山の上で二人の世界を繰り広げている姿を、某クラスメイトが目撃したらしい。
雲行きが怪しくなってきたと思った矢先だった。次の目撃情報は、ロースト砂漠。妙に大きいドンファンらしきポケモンのたてる砂嵐から、互いをかばい合いながら歩くペパーとアオイさんの姿が。それを聞いた私の心臓はどきりどきりと嫌な音を立てていた。
トドメを刺されたのは、なんと二人がオージャの湖の中に浮かぶ離れ小島の上で可愛らしいシャリタツを眺めながらのピクニックデートをしてるというもの。それを聞いた私は、すでにどろりとした感情に足を絡め取られていた。ペパーとピクニックデート、私もしてみたい。なのにどうして私じゃないんだろう、と。
皆、口々に囁き合った。嫌だと内心で叫びながらも、ここまでの情報を聞いて、私も思ってしまった。
ペパーとアオイさんは付き合ってるのかもしれない。
むしろ恋人でもないのに二人してパルデアのあちこちに行っている方が不思議で不自然だろう。
私だってペパーとパルデアのいろんな景色を一緒に見たい。彼がどんな宝探しをするのか知りたい。だけど事実、隣にいるのは私じゃない。彼女だ。
「うう……」
吐き出してしまいそうな気持ち悪さが迫り上がってきて、私は、膝で丸まっているパピモッチを思わず抱きしめる。
私だってペパーとは結構話していたはすだ。恋心を自覚してから、勇気を振り絞って自分から何度も話しかけていた。だけど、噂になんてこれっぽっちもならなかった。
おそらく、アオイといるペパーの雰囲気って多分すごくいいのだろう。側から見てもわかるくらい。それは甘いと呼べるものなのかもしれない。だから、二人の仲は囁かれるべくして囁かれているのだろう。
「まあ……、薄々勘づいてたんだけどね」
「そうなの?」
「ペパーって、私と話してると絶対目を合わせないんだ。というか、そらされたこともあるんだ」
「まじ?」
「うん」
ペパーとは同じ文系クラスの中でも話せる仲ではある。だけど彼はあまり笑ってくれない。その薄い色の瞳と出会いそうになったのに、向こうから逃げていく。そんな視線を、私は何度見送っただろうか。
一応、向こうからも話題が振られたりする。全てが私の一方通行では無かったので、嫌われてはいないと思っていた。そんなかすかな望みに可能性をかけて、私がコツコツと積み重ねていたもの。そんなの一足飛びで超えてしまうような、特別な存在。それが彼女だったのだろう。
「終わった……。もう全部終わったんだ……」
「、そうと決まったわけじゃないよ」
「ううん。私には何かが足りてなかったんだよ。でも、何が足りなかったんだろうね」
アオイさんが後輩であるという事実がまた辛い。
私の方がいくらか早くペパーに出会えていた。彼女より先に話したりクラスを共にして、ささやかな思い出を作ってきた。けれども彼女にはそれを一気に抜かされてしまった。
私はペパーと他の町で会ったことは無い。彼に学校の外へ誘われたことも、学校を出る行き先だって教えてもらったことさえない。
けれどアオイという子はペパーがどんな宝探しをしているのかを知っている。そう思い至ると胸の重石はまたひとつズシンと増え、積み重なった。
考えると辛いくせに、考えない方が良いはずなのに、思考はどんどん悪い方へと進んでいく。
「何がいけなかったの? 私に何が足りないんだろう。私もバトル強かったらよかったのかな……」
「いやいや。比べる相手が悪すぎるよ。アオイって子、生徒会長にも勝って最早チャンピオンクラスだよ?」
「チャンピオン!? 無理だ、敵わないよ……」
「まあバトルで対抗するのはやめとけー」
友人のいう通りなら彼女のバトルの腕前はパルデアのトップ級ときた。じゃあ私には何が勝てるんだろうか。
いいや、認めればいいのだ。アオイという子には敵わないのだと。
「さっきからみっともなくてごめんね。彼女に敵わないって、頭のどこかではわかってるんだ。でもそれでペパーを諦めたり嫌いになれるかって言ったら、全然そうじゃなくて……」
「うん……」
「だから辛いんだね」
パルデアの空は鮮やかな快晴。その空の下、私はどんよりとして、この地方の曇り空を全て集めたかのような暗さだ。
ふにふにと手元で好き勝手揉んでしまったパピモッチの形を整え直して、どうにか落ち着こうと試みる。だけど心は片付かない。何度、遠くへ追いやろうとしても私に混乱や戸惑いや悲しみ、後悔といったものがしつこく覆いかぶさってくる。
そんな時だった。
不意に、あ、という友人の声が聞こえてきて、私は顔を上げた。
噂をすればなんとやら。まるで諦めの悪い私にとどめを刺すように、その二人は現れた。ペパーとアオイさん。
見たことのない四足歩行のポケモンを挟んだ後ろには、生徒会長のネモさんに私服姿の女の子も一緒だ。だから完全な二人きりではなかった。けれど二人じゃないことなんて気にならないくらいに、その光景は私の胸へと刺さった。
生き生きと身振り手振りをするペパー。その顔が見たこともない明るさで笑っているからだ。
「ごめん、私、ちょっと限界、かも」
「……」
「ごめん。また後で、ね」
慌ただしく荷物とパピモッチを抱え、私はその場から立ち上がった。
私はずっと、ペパーから視線を逸らされる側だった。それでもめげずにペパーに話しかけていた。けれど今は耐え切れる気がしない。だから初めて私から目を逸らして、ついでに逃げた。
みっともない顔を見られたくなかった。嫉妬している顔なんて醜いに決まっている。なけなしの嫌われていない程度の印象もマイナスになってしまうだろう。
終わったと、敵わないと、理解した後だ。だというのに私は全てを失ってしまう勇気を持てなくて走った。ペパーとアオイさんから離れられるように。
とにかく人気のない場所を探して、私は校舎裏へとたどり着いた。ひんやりと冷たい空気が流れていて、ベンチも置かれていないような、人が滞在するべきじゃないところ。私はなけなしの花壇に腰掛け、どうにか息を吐く。
「ごめんね、パピモッチ。苦しくなかった?」
腕に抱えていたパピモッチを離してやると「ぷぉんぷぉんっ」と元気に返事をしてくれた。
私といつも一緒にいるパピモッチは、取り乱し切っている私の様子をしっかり感じ取っているようだった。今日はいつも以上にもちもちと揉み込んでしまったけれど、もっと顔をグニグニしろとでも言うように体を擦り付けてくる。
だけど私は制服のシャツの裾を握りしめて、泣かないようにするので必死だった。
落ち着かねば、と自分に言い聞かせる。だけど同時に、叫びたくなる。
どうして諦められないのだろう。どうにもならないことを、なぜ、どうにもならないと心の底から思えないのだろう。ここで足掻けば足掻くほど、それは無駄な時間、無駄な労力になる。だというのに、私の内に存在するペパーは一向に小さくなってくれない。
こちらを向かない後頭部や、前髪に隠れがちな表情や、迷う指先や、閉じがちな唇。アオイという子に比べたら、私はそんなペパーしか見つけられていない。笑顔や、大笑いする時の声なんてほとんど知らない。強いポケモンを前に助け合ったり、庇いあったりしたことだって無い。
なのに、重ねてきたペパーとのささやかな思い出が、記憶に焼き付いて、なおも輝くのだ。虚しい輝きだというのに、だ。
その全てが彼のとびきりの優しさを知ってしまっているせいだと思うと、また悲しさで感情が荒ぶってしまう。悲しみが、私のコントロールを外れようとする。
だめだ、一向に諦められる気がしない。本当にもうだめだ、と思った矢先だった。
「な、泣いてるのか?」
震えた声がした。顔を上げれば、驚き通したペパーがそこに立っていた。
「泣いてないよ……?」
驚きつつ、指先を自分の目尻にやる。とりあえず否定してみたけれど、大丈夫。私はギリギリのところで泣いてはいなかった。むしろペパーがいることに驚いて、涙が引っ込んでしまったようだ。それでも、ペパーは大股で私に歩み寄る。腰掛けた私の視線に合わせて、その場に膝をつく。
膝をついたペパーは私を見上げて、触れないまでも手を顔の近くまで伸ばしてくる。
「ど、どうしたんだよ! あれこれ分量間違えちゃったか!?」
「ぶ、分量って?」
「ほら、テスト勉強とか、わざの練習とかだよ」
「だ、大丈夫。泣いてないよ、ほら」
私はなるべく明るく笑みながら自分の目元をペパーに指差して見せた。すん、と鼻は鳴ってしまったが顔は濡れていない。ペパーが声をかけてくれたのが、ぎりぎり決壊寸前だったおかげだ。
「でもなんか、辛いの渋いのと酸っぱいの、同時に口に入れちまったみたいな顔してなかったか?」
「それは……。ちょっと、色々あったから」
「オレに、言えないようなことか?」
「ああ、うん。なんていうか。ストレスが重なっただけ。いつもはパピモッチをもちもち〜ってして、ストレス解消するんだけどね。最近はこの子のこと揉みすぎてて、ちょっと可哀想だから我慢してたの」
さっきまで、暴れ出しそうな感情を抱えていたというのに、ペパーと相対した私は不思議になくらいに明るい表情を保てていた。
理由のひとつは、ここにアオイさんがいないおかげだろう。なんとも醜い理由だ。
そしてペパーが話しかけてくれていることへの嬉しさが勝っているおかげでもあるようだ。あまりに正直な自分の心には苦笑いがこぼれ出てしまいそうだ。
今のペパーは、この場では私へまっすぐに話しかけてくれている。それにペパーに心配なんて、初めてされたかもしれない。それに気づくと、このごに及んでも胸がきゅっと甘く苦しくなる。
「ごめんね。変なところ見せて。気にしないで」
基本、ペパーは私に、あまりたくさんの表情を見せてくれない。だけど私もペパーには、明るいクラスメイト以上の表情は見せられないのだ。
それに気づくと、途端に物悲しくなって、私は再びパピモッチを膝へと抱き上げた。
この子の柔らかさに気を紛らわしながら、私はペパーへと微笑む。
「ペパー。私の横に座ったら? ちょっと寒いけど」
「おう」
「ペパーの方から話しかけてくるの、割と珍しいよね。というか、顔見るのちょっと久しぶりだよね。宝探し頑張ってて、えらいよね」
「そう、だな」
「どうしたの?」
「その……」
ペパーが迷う横で、私は悪い意味で心臓をざわつかせていた。
聞きたい、聞かせてほしい。私は胸の内でそう呟く。だけど一方で恐怖する。ペパーがこれから言うことは、ひどく私を傷つけるものかもしれない、と。
むしろ彼が言いにくそうにする内容は、私にとってはひとつしか思い浮かばない。アオイさんとのことだ。そして、そういう当たってほしく無い予想ほど、当たるものなのだ。
「お、オレとアオイがどうとかこうとか。全くくだらねえよなぁ」
「え?」
「いやこの学園って思ったより噂好きちゃんが多いのなって話だよ!」
「ああ、うん、聞いたよ。大変だね」
言葉尻は噂に困っているようだが、ペパーの表情は妙に明るい。それは私の目には、嬉しさを隠しきれないように見えた。まるで周りも認めるの仲になりつつあることを、喜んでいるように様子に映ったのだ。
「……やっぱり、まんざらでもないんだね」
「……ん?」
「見たらわかるよ。さっき、ペパーもアオイちゃんもすごく楽しそうにしてたよね」
校舎裏に冷たい風が吹く。私はペパーの方を見ることができなくて、パピモッチの黒くて円らな瞳ばかりに逃避した。
「ほら、ペパーも私といる時はああいう楽しそうな顔ってあんまりしないし。だから噂なんてアテにならないって最初は思ってた。けど、きらきらした二人の姿を見たらみんなの言う通りだなって、納得しちゃった」
想像していたことでもあった。何度も噂になるレベルなのだから、きっと遠くから見てもわかるような仲の良さが二人にあったのだろうと想像はしていた。
それでも認めないようにしていた。けれど、ついさきほど見せつけられてしまって、私の手にはいつの間にやら白旗が握られている。
「お似合いだよね」
そう言った、自分の声に傷付けられる。声だけじゃない、現実に傷つけられる。
胸からは異様なほどの痛みが次から次へと生まれてきて、だけど私の心は何故か、その痛みの方へと歩み寄っていた。きっと、もっと深く傷つきたくて、私はそれを口にした。
「本当に噂だけの話?」
「は……?」
「実はもう二人って付き合ってたり、するんでしょ」
どうあがいてもアオイさんに勝てない。そうわかってもなお、私はペパーを嫌いになれそうもない。
じゃあ、どうやったら片思いを終わらせられるのか。ペパーを好きな気持ちをやめられるのか。わからない。わからないけれど、何かを殺すには、狂ってしまいそうなほどのこの痛みは必要なものな気がしたのだ。
「私は、二人のこと応援してあげたいと思、……、ペパー?」
横で息をしていた存在が急に立ち上がった。と思ったら、顔を背けたままバタバタと走って去っていく。
何も言わずに、ペパーは校舎の向こうへと消えていった。日陰のベンチに、私だけがぽつんと残される。
「アオイちゃんのところに行ったのかな……」
無意識にそうつぶやいて、あ、やばい、と思った時にはパピモッチのおでこに水が降っていた。雨が降ったいみたいに、いくつもいくつもパピモッチのおでこで雫が弾けていく。
「ふ、っうう……」
さっきまではいっそ傷つきたいと思っていたくせに、今度は泣きたくないと私は思っている。この感情に足を取られたら、再起不能になってしまう。どうにか涙を止めないと、こんなじめじめした校舎裏で、みっともなく声を上げて泣いてしまいそうだ。
身を貫くようなこの悲しさをどうにか散らそうと私は慌てふためいた。けれど気を紛らわすまでもなかった。
校舎の角から、騒がしい声たちが聞こえてきたからだ。
「うわー。何へたれてんだ」
「ペパー、ここは退いたらダメなところじゃない?」
「それ言えてる」
三人のそれぞれが個性的な女の子の声がする。それからギャアスギャスというような、大型ポケモンのなきごえ。
ポケモンのなきごえが一番のヒントになった。少し考えて、思いあたったのは、ネモさんに転入生にアオイさんという、先ほど一緒に歩いていた組み合わせだった。アオイさんの横にいた、ギャアスギャスと言っていたのはあの見慣れぬ四足歩行のポケモンだろう。
私のことから走り去っていったペパーの声が、角の向こうからダダ漏れで聞こえてくる。
「もー、どうしたらいいんだよ!?」
「だから素直になれっての。めんどくせー」
「カッコつけるのをあきらめるんだよ! 当たって砕けろー! 気合いだめできゅうしょをねらえ!」
「それなんか違う話してない?」
気だるげな声は馴染みがないけれど、溌剌とした声は生徒会長でもあるネモさんだとわかる。
「てか当たって砕けるのかよ……」
「うん。だって当たらないと、さんの誤解は解けないよね?」
中に一本通ったものを感じる、とにかく真っ直ぐな声。きっとアオイさんだ、と直感的に悟る。
「ぐうの音も出ないほどの正論ちゃんだな……」
「ほら、早く行ってきなよ。これ以上長引いたら、まじ泥沼の予感するし」
「ペパー、頑張って!」
漏れ聞こえてくる会話。まだ理解が追いつかないが、会話の内容によるとペパーが戻ってくるようだ。私は慌てて顔を拭いて、涙を隠した。
さっきはダッシュで一時退散していったペパーは、今度は重たく、しっかりとした足取りで私の前へと戻ってきた。
さっきは、彼の表情の硬さばかりが気になっていた。
だけど聞こえてきた会話のおかげか、私には彼の顔にうっすらと別の、複雑な感情がが帯びているのを感じられた。
私の前では閉じがちな唇。それが何度か開いて閉じてを繰り返して、ようやく彼の声は震えた。
「い、いつも緊張してるんだ」
「……えっと、ごめん。何の話?」
「楽しくないわけじゃねーんだ……。でも楽しくなさそうだって思わせて、悪かったと思ってさ」
そこまで言われて私も少しずつ理解する。
ペパーが私といる時は楽しそうな顔をあんまりしない。先ほど私がそう言ったことの真相を、彼はわざわざ教えていくれているらしい。
「えっと。いつも緊張、してるの? もしかして今も?」
ペパーが小さく頷く。
「なんで、緊張なんか? 私たち、もう何回も喋ってるよね」
またも彼は弱々しく頷く。
「雑談ばっかりだけど、いっぱい、いろんな話したと思うんだけどな。でも緊張されちゃうんだ。それは……、ちょっと、残念だな」
アオイさん相手は緊張しないのにね。臍を曲げた私が、勝手にそんなことを胸の内で唱えた。
「そうじゃなくて。相手だと、頭がぐつぐつ沸騰してくるっていうか、自分自身の熱で考えも湯煎状態になっちゃって。それで変なことでも言ったらまずいなと思うと、ますますおかしくなってさ……」
「な、なんで?」
「なんでって!」
一度ペパーが、ごくりと息を呑んだ。喉仏が大きく上下したと思えば、彼は青い目をしっかり見開いて言い放った。
「好きで憧れてるんだよ! 顔とかちょっと見るだけで話せないんだよ! ドキドキして!」
「え、ちょっと」
ちょっと待ってほしい。今ペパー、なんて言ってくれたの。思わずパピモッチを触っていた手にも力がこもる。ゆっくりと確認したいのにペパーは大きく手を振って熱弁する。
「だけど、このまま誤解受けて、遠慮されて離れていって、それきりになったらと思うと、そんなの辛過ぎるだろ! その、煮詰めて言いたいところはだな、……その……」
「う、うん」
「噂は! 信じるなよな!!」
あ、ヘタレた。私が何か言う前に、物陰からそんな声が聞こえてきた。どうやらあの三人と一匹は未だ近くでペパーを見守っているようだ。
後から、そっちじゃなくね? 当たって砕けろって言ったのになー、なんてガヤガヤ突っ込まれている。
言ってくれたのがアオイさんかネモさんかメガネの子か知らないけど。確かに、私も思ってしまった。言いたかったのは本当にそれなの、と。
ほんとだよ、そっちじゃなくて、もっと大事なこと言ってくれたじゃない。ドキドキするってどういう意味なのか、はっきり言葉にしてよ。気づけば私は立ち上がって、ペパーの方へと、一歩前進して詰め寄っていた。
「ペパー!」
「うおわっ!」
「さっき、私のこと好きで憧れてるって言ったよね。なのになんで話は戻っちゃったの?」
私に気圧されているペパーは耳も、首元までも真っ赤だ。多分私も、負けじと赤いのだろう。
「もういい、いいよ。話戻っちゃっても。だけど一個だけ、教えてほしい」
何度も、嫉妬してきた。ペパーとアオイさんの仲に。どうして私じゃないのと思いながら、でも一方で、私は少し嬉しくもあった。
成績はいいけど、出席率はギリギリ。アカデミーのことが嫌いであっただろうペパーが、パルデアのどこかで笑って冒険していることを聞けて、嬉しかったのだ。
だってペパーが好きだから。あの日、私にとびきりの優しさをなんでもない顔で手渡してくれたペパーが好きで、彼にいいことがあると私まで嬉しくなってしまうから。それほど好きだから。他人のはずだったのに、私にとって大切な存在になっているから、彼の幸せそうな噂の全部が嫌いなわけじゃなかったのだ。
嫉妬はつらかった。自分だけが恋をしているアンバランスが現実がつらかった。だけど一番、私を傷つけたのは、別の迷いだ。
「教えてほしいの、ペパー」
「な、なんだよ」
「わ、私、ペパーのこと、好きなままでいい? もう少し、今のままの私でいいかな……?」
この感情を、どうしたらいいか、ずっとわからなかった。今も、わからないままだ。
でも、消してしまうのだけは嫌だと思っていた。いつか手放さなきゃいけないとしても、今はまだ消せない。ペパーとアオイさんのことが本当で、宙ぶらりんな気持ちになってしまっても、消えてなくなってしまうのは違うと、私のどこかが叫んでいた。
大粒の涙が、私の胸や靴の先を叩いている。みっともなさすぎる。パピモッチにこの涙、受け止めてもらおうと、大好きで大切な相棒を探そうとした。
涙を堪えたままパピモッチへと振り返ろうとした。その頭を、大きな手が包んだ。しっかりとした指先が私の髪の中に埋まっていて、ゆっくりと胸へと引き寄せてくる。
「ペ、パー……」
私のおでこを、ペパーの癖のある毛先がくすぐっている。そしてすぐ近くで彼の声がする。
「好きでいてくれないと、オレはいやだ……」
あの入学したての日から始まった、どうしたらいいか、ずっとわからなかった感情。それが私とペパーの間に吸い込まれて、溶けていく。
風の音。彼のダウンベストがかさかさと擦れる音。それから、ぷぉんぷぉん! というパピモッチのなきごえ。涙が乾いていく心地。物陰に潜んでいた三人と一匹が去っていく足音。ペパーの心臓の音。ゆっくりと伝わってくる体温。
形のない全部が宝物のように思えて、それらをこの手で優しく包みたくなって、私は腕を伸ばす。伸ばした手は、そこにペパーを捕まえていた。
形のない全ては私の手をすり抜けていく。だけどペパーと、彼の温度だけは私に捕まってくれて、そして彼もまた私を強く抱きしめて、捕まえてくれたのだった。
(「ゲーム女主人公に嫉妬する女の子とペパーくんの夢が読みたいです。」とのリクエスト、ありがとうございました!)
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