私と膝丸は、特に会話することが少ない、それどころか、言葉交わすことが極めて稀なモノ同士でした。
審神者と刀剣男士。互いの了解のもとに私も彼も存在しているはずなのに、味気ない関係に落ち着いたのはなんといっても私に原因があります。
恐らく私という人間は、膝丸という刀剣男士が恐ろしかったのだと思います。初めて会った時からです。視線を奪う犬歯、それにまなこを蛇のようだと思ったことを覚えています。すらりと背が高く、背筋が美しく。私は常に彼に見下ろされる側でした。薄緑というのは優しさのある色だと思っていたのに、彼の頭髪に宿ると、膝丸という刀剣の冴えた切れ味を表すように冷たく光るのです。そして彼は実際に接してみると、勇ましくも底冷えのするような声色で、事あるごとに物の怪やあやかしの類を切ったのだ、と物語るのです。私は、膝丸という刀剣男士が怖かったのです。それが会話の無い関係の発端です。
もうひとつ、彼のせいにしたくはありませんが、顕現の瞬間彼は自分の身柄を「源氏の重宝」と述べるとすぐに問いかけてきました。もう一振りの重宝、兄のことを。
それからも何かにつけて兄者兄者と言うので、怖さから逃れたいという気持ちもあって、私の頭はすっかり彼を以下のように片づけました。
彼には兄を、髭切を、あてがえば良い。そして私は彼には不要である。
以上のような考えは私を救いました。髭切さんさえいれば、膝丸さんは全て事足りるのだ。そう思えば、ようやく彼と対面する度に感じる手足の冷えから、私は逃れることができたのです。
だから、繰り返しました。彼の、蛇を感じさせた目が私を見据えたらば、彼が何か言う前に、彼の兄の名を繰り返しました。「髭切さんなら畑当番ですよ」「髭切さんなら今日は暇を」「髭切さんは今は合戦場。帰りが待ち遠しいですね」。実際、そんな言葉とともに必死に笑めば、怖い怖い膝丸さんは瞳を鋭くしながらも去っていきます。恐らく納得してくださったのだと思いますが定かではありません。私と彼は、そんな心の機微を感じさせる言葉すら交わさぬ仲なのですから。
その日、膝丸さんはまた私を見下ろしました。じっと、見下ろしました。ああ、まただ、と私は思いました。このところ、よく膝丸さんに睨みつけられます。その度ごとに私は首に冷や汗をかきながら、愛想笑いをするのです。いつものように伝家の宝刀「髭切さんは」を振り上げようとした時でした。
「兄者は」
「は、はい」
膝丸さんに先手を取られ、どくりと汗が吹き出ました。
「本日は遠征だな」
「は、はい……」
その指令を出したのはまさに私です。頷く他ありませんでした。
「か、帰りが待ち遠しいですね」
逃げ腰でそう言います。これもまた、私の中では彼との会話を切り上げる常套句でしたが、本日の彼には通じなかったようです。彼は無言で、しかし私を決して見放しません。
それからの時間は、あまりの緊張で、私はのどをカラカラに乾かしました。膝丸が文字通り、私をずっと見放さないのです。私が何をしようとどこに行こうと、言葉無くも視線を結びつけたままでいるので、私は時に息切れまで起こしていました。
彼に問いかけなど起こしたのは、必要に迫られてのことです。私は膝丸さんに与えられる緊張から逃れようと、口にしたのです、世間話を。
またくだらない問いでした。皆で使っている茶碗が不揃いなのが、時々気になるから、改めてまとめて買って揃えてみようかなんて。どうでも良いにも、ほどがあります。
「ほら昔はこんな大所帯になるだなんて思っていませんでしたから、足りなくなった時にその都度何もかも買い足している現状です。揃いのものが買える時もあれば、別の、近しい何かで代用する日もやはりあるのです。茶碗など良い例です」
私は内心泣きそうでした。茶碗の相談など、何も膝丸さん相手にしなくて良いのに。話を続ける間後悔は募りますが、私はやはり、間を埋めざるを得ませんでした。彼との二人きりの間がどうにも耐えきれなくて、取り持つようにそんな、くだらない話題を展開させます。
言い訳が許されるのなら、膝丸はそんなどうでも良い話題を切り捨ててくれませんでした。
「君は」
「は、はい」
「そういう細かなことにも気が向くひとなのだな」
「………」
こうしてひとつふたつ物言うと、後は圧し黙って佇むので、私はやはり間を埋めようと、必死になって、真っ赤になりながら、つまらない茶碗の話題を続けました。
けれど、たかが茶碗の話です。次第に語彙も尽きてきましたし、話せば話すほどおもしろくも何ともないという事実に胸が苦しくなり、頭がくらくらしてきて、私は途中でぽっきりと折れました。
「……ごめんなさい。興味無いですよね、こんな話」
急に話を投げ出した私に驚いたのでしょう。わずかに膝丸さんが目を見開きます。視線の力がぐんと増します。
「す、すみません……。茶碗のことで、本当に迷っているわけでは無いのです」
「………」
「意味の無い話題なんです……」
もはや私は膝丸さんを見ることが叶いません。膝丸さんと対面すると急に起こる動悸が、あまりにひどいのです。申し訳なさに頭を垂れて、熱い目頭をぎゅっと引き締めていると、なんとも言えぬ色の声が降り懸かりました。
「ああ、そうだろう」
膝丸さんの声色は、当然だとも、言いたげでした。仕方のないやつだなという呆れも感じられ、私は息が詰まりました。もう一度、すみませんと謝罪せねばと涙を飲み込んだ私へ、今度はそっけない言葉が降り懸かりました。
「だが、興味が無い、わけでは無い」
涙が引っ込んだのは、そのそっけなさが私には唐突で、不自然に思えたのです。
唐突さを噛み砕けずにいると、膝丸さんは続けました。
「俺が君に興味を持ってはいけないのか」
「きょうみ……」
「ああ。意味は無いだろう。答えを求めていない話だ。だが、君の話だ。興味はあるから、聞いている」
「………」
私は何と言うべきか、すっかり迷っていました。膝丸さんの、何かを忍ばせる声にやはりのど奥がひくひくと怯えます。ですが、続きを促されたことは、頭では理解していました。
大きなため息がつかれました。私は膝の着物をぎゅうと握りました。
「なぜ、俺が君に興味を持っていないと思うんだ」
「………」
「なぜ」
視線を合わさずとも、彼がぎろりと睨みを効かせたのが肌で感じられました。
そしてその緊張が解かれたのも、また肌で感じることができました。
「まあ、良い。問いただしたいとは思っていない」
私はようやく、膝丸さんを見上げました。膝丸さんは私でない、畳の目を見ていました。
「君は、俺を恐がり過ぎている」
「す、すみません……」
怖がりすぎているという自覚はありました。この本丸に数多く集まる刀剣男士の中で、私は一等彼が、彼だけが恐ろしいのですから、そういった意味では膝丸さんは特別な男士なのです。
「謝るな。茶碗の話題もつまらなくは無い」
「そう、なのでしょうか」
「ああ。君が知れるからな。いっこうに構わない」
「……、わ、私の、幼い頃……」
それこそ全く関係の無い膝丸さんに自分の幼少期の思い出を語ったのは、悪戯心とも呼べました。私は試そうとしていたのです。私めの、過去のことなんかを話して膝丸さんがなんと言うのか。動悸が収まらない胸の中に確かに、膝丸さんの反応を見てみたいという好奇心が生まれたからなのです。
「幼い頃、実家で使っていた茶碗には、金魚の絵がありました。ふたつがお揃いの茶碗で、赤い金魚と、黒い出目金がそれぞれ描かれていまして、姉はいつもひらひらと泳ぐ赤い金魚の茶碗。私は黒くて地味で痩せせっぽちな、出目金の茶碗でした」
「そうか。君も、上に兄弟を持つ身なのだな」
彼が私に興味を持っている? その新たな世界がまた、私をぶるりと身震いさせました。
彼から逃れたいという気持ちは変わらないままですが、私はやはりいたずらに、どうでも良い話題を続けます。
「今から思えば可愛い出目金でしたが、姉のと比べるとどうしても、赤い金魚の方が美しく愛らしいと思えてならなくて」
「なるほど」
なおも膝丸さんは私の話を聞いてくれている。その姿をちらりと見やると、また新たな想いが生まれます。私は彼に対し、初めて、安堵のようなものを覚えたのです。
「それで揃いの茶碗か」
「はい……」
ふと、目の前の膝丸さんとは対照的な、柔らかな声が思い出されました。
『嫉妬とか、良くないよ』
こくりと息を飲み込みます。そうです、私はいつの間にか嫉妬の話をしていました。
愛らしい赤い金魚の茶碗を、当然のようにあてがわれた姉。対照的にぎょろ目の出目金の茶碗だった私。出目金だって愛せたはずなのに、姉がいるから私は手に入れられない赤い金魚を羨んだ。
刀剣男士が皆ばらばらの茶碗であることが気になるのは、彼女に向けていた妬みが未だ私に根付いているからなのです。
自分の感情の道理を知り、私はすうっと胸が収まる心地がしました。
『鬼になっちゃうからね』
髭切さんの声が、なおも思い出されます。
「……、髭切さんの帰還が、待ち遠しいです」
「………」
「膝丸さんもそうですよね?」
問いかけると、とても器用なことに、彼の犬歯だけが覗きました。膝丸さんが口端を上げたからです。三日月のかたちの口もと。今までほとんど見ることのなかった、膝丸さんの笑みの気配。私はすがるように彼の口元から視線を上げました。
しかし瞳は冷ややかに細められていました。
「果たして、そうかな」
どっと汗が吹き出ました。蛇のようだと思いこんでいた目が、鬼のように煌めいていました。同時に私は、すでに身に染み着いた事実を思い出しました。
私は、膝丸という刀剣男士が怖かったのです。なぜその感触を忘れかけていたのか、自分の頭の悪さを呪いたくなるくらいです。私の頭に響きわたります。私は膝丸という刀剣男士が怖いのです。