審神者と食事を共にできるのは、一度の食事につき三振りまで。いったい誰が言い出したのか、実を言うと果たしてそれがいつ、皆の知る決まり事となったのか。主と呼ばれているくせに、恥ずかしながら私には覚えがありません。食事の席を一緒にしたいと言った短刀に、また誰かが「生憎と、主を入れて四人までと決まっている」という断り方をしたときに、いつの間にやらそういうことになっていたのかと知る、という具合でした。

「主」

 しかし食事は四人でというのは、これまた誰が決めたのでしょうか、なかなかに丁度よい数字なのです。まず部屋の収まりが良い。四人ならばゆったりと、けれど寂しすぎずに座れます。仲間を呼ぶには余裕があり、けれど賑やかすぎる事態にはならない数が四なのです。なんて上手にできていることでしょうか。私は本丸に、暗黙の了解で流れる決まりごとが、嫌いではありません。その決まりが例え誰かの自由を欠くものであったとしても、様々な歴史、逸話、かたちを持つ刀剣たちが、ひとつところに住むための知恵の類に思え、愛おしいくらいなのです。

 そう、皆が決めたことは、決まるに至る因果が必ずあって、そこへ文句や問題などひとつもありません。問題なことはただひとつだけ。日々のことへ私が愛しさをただ感じただけという、棒にも箸にもひっかからないこの話題を、たったひとりの刀剣男士に聞かせてみたいと考えていることです。他の誰でもない、膝丸という刀剣男士です。

「主、主」
「……、はい」

 あれ。なぜ歌仙さんは私をせっつくように呼んでいるのでしょう。不思議に思いながら返事をすると、彼はくっきりとした眉を下げました。

「手が止まっているよ。少し休憩をいれようか」

 なんて気恥ずかしい。本日の近侍である歌仙さんは、私のぼうっとしていた顔を見ていたことだろう。

「いえ、平気です。考えごとが少々ありまして」
「心配ごとがあるなら早めに打ち明けて欲しい」
「心配ごとではなく、考えごとです。ありがとうございます、歌仙さん」

 気遣ってくれたお礼を言い終えると、そそくさと、中途半端で止まっていた筆を動かす。まだ歌仙さんはこちらに視線を注いでいて、紫の慧眼が私の考えごとの中身、例えば膝丸さんのことなどを見透かすのではないかと思え、一層私は手を急がせました。

 膝丸さんと言うのは、おそらくこの本丸で一番言葉交わすことの少ない刀剣男士です。大倶利伽羅さんのように口数が少ないわけではありません。あのひと自身は重々しい口調ながら、きちんと他者とやりとりを楽しめる方です。薄く開けた障子の隙間から覗いたずっと遠くに、私は見たことがあるのです。膝丸さんは親しい刀剣男士に囲まれていると、ふと弟であることを感じさせる笑みを見せるのです。
 ただ私とは、とにかく相性が悪いようでした。いいえ、ほとんど全ては私のせいです。私は出会った時から、膝丸という刀剣男士が怖くて仕方が無いのです。まず見た目に背筋を凍らせて、ねめつける視線に震えて、降り懸かる言葉に恐慌してしまうのです。彼の中身を知りたいのに、彼と触れ合おうとすればいつも私は恐怖に支配されています。
 出会った矢先から怯えるような、私の態度に誰だって不快を覚えて当然です。そんなこんなで膝丸さんが私に対して顔色を良くしてくれるところは見たことがありません。

「主」

 けれど、一度だけ。膝丸さんが私のくだらない話を、聞いてくれたことがありました。この本丸の、不揃いのお碗について。そして幼い頃私が使っていた、金魚の泳ぐお碗についてです。ほら、くだらないでしょう。けれどあの時は恐怖が先に立っていましたが、一人になって思い出すと、膝丸さんのそこかしこから温さを感じるのです。
 膝丸さんの心の内がかみ砕けないままですが、私はあの時注いでもらった彼からの興味がどうしても忘れられないのです。あれ以来です。考えごとの行き着く先が"彼に話してみたい"に結びつくようになったのは。

「主!」
「はい」

 声に弾かれて意識の戻った体がぴくんと震えて、思い出しました。私は政府に提出するための書類の、誤字脱字を確認していたのでした。

「止まってましたね、私の手」
「全く……」

 歌仙さんが、呆れつつ、ぬるいあたたかさの籠もったため息を吐く。

「あの体の具合は悪くありません、大丈夫です」
「分かっているよ。君の様子に何も感じ入らない僕じゃないさ」
「はあ」
「主。僕は昼餉の準備をしてくるよ」

 やや早く席を外したと思ったら、歌仙さんは丁度お昼時に戻ってきました。いつもなら仕事場に配膳台を持ってきてくれるところですが、歌仙さんは手ぶらです。

「主、用意ができたよ。今日は部屋を変えたいから、ついてきてくれ」
「はい」

 別室を用意してくれたのは、よっぽど私の様子が気がかりだったのか、それとも風流を愛する彼故か。きっと後者でしょう。なぜなら案内された部屋からは、すっきりと濡れた紫陽花が盛りを迎えていました。

「綺麗……」
「紫陽花なら、ここからの眺めが一番だ。藍から紫までの彩り……。風流だねぇ……」

 満足げな歌仙さんに、私も嬉しくなります。用意されている食事は私を含め四人分。歌仙さんのことだからきっとその献立や器なんかにも所以があるのだろうけど、浅学な私はただ素敵だな、と感じるのみです。

「失礼するよ……」

 先に座らせてもらおうとしたところで、部屋に現れたの小夜くんでした。小夜くんはあまり積極的な性格ではないし、きっと歌仙さんが招いたのでしょう。
 私と、歌仙さんと、小夜くん。それでもあと一席が空いています。来るとしたら左文字の誰かでしょうか、それとも打刀の誰か? それにしても紫陽花が綺麗です。額の縁まで水色に満ちた紫陽花たちは、今が一番良い時期なのでしょう。吸い込まれるように見入った私は、部屋に入ってきた最後の人物に気づくのが遅れました。

「すまない、遅くなった」

 息を忘れて俯いた。顔を隠したかった。対して喋ったことが無いくせにその這うような声の持ち主に、覚えがありすぎるのです。
 さあ食べようか。いただきます。歌仙さんと小夜くんの声が遠い。逆に近すぎるのはどくどくと鳴る私の心臓の音です。
 何を一人勝手に動揺しているの。膝丸さんが来たって、一緒にお昼ととるくらい良いじゃないと、揺れだした心を押さえながら昼餉に向き直ると、膝丸さんが、絶対に私なんか見ず紫陽花を見ては箸をとっているだろうと思った膝丸さんが、背筋の伸びた正座で私を見ていました。

 そこからはもう、全てがだめでした。

 思い返すのも辛いくらい、酷いものでした。箸がかちゃかちゃ鳴り、芋煮はころころと畳の上を転がり、お椀は何度も滑りそうになるので指先からは一度たりとも力を抜けません。そして、そんな私を、膝丸さんが見ていると思うだけで怖いのです。失敗をするんじゃないかと、鈍くさい私を膝丸さんが失望しているんじゃないかと、指先を動かすのが恐ろしくなるのです。
 私の築き上げてきた全ての経験がガラガラと崩れ落ちていました。私はここまで不器用では無かったはずと泣きそうになりながら、今まで通りを捜し求めるも、一向に見つからないのです。暗闇の中でもがくようでした。せっかく用意してもらった食べ物の味が分からなくなってしまい、そんな自分を恥じました。

「……っ」

 ぱちんと音がしました。それは膝丸さんが早々に全てを食べ終え、箸を置いた音でした。

「君は可哀想だな」
「……、……」
「逃げ出したくても逃げ出せない」
「………」
「大変な筋違いだった。俺は、何を期待したのだろうな。愚かだ」

 暗に期待外れと言われて、散乱する感情の中、痛みが胸を突き抜けていく。

「君のその顔、見たくなかった」

 彼がごちそうさまのあと部屋を出ていって、ようやく震えの抜けていく頭で気づきます。
 私は、膝丸という刀剣男士が恐ろしいのです。出会った時からそうでした。ある時は髭切さんをあてがい、彼から逃げようともしていました。けれど一度だって膝丸さんが私を嫌悪したことなんてありませんでした。私と彼の関係は、出会った時よりずっと酷く、会話することの無い頃よりずっと、悪くなってしまったようです。
 私は思います。膝丸という刀剣男士が怖い。こんな少し顔を合わせただけで苦しくなって、胸の痛みを抱え、恥ずかしさに体が裂けそうになる。彼に近づくのが怖い。私は、膝丸という刀剣男士が怖いのです。