マリア・ブルーの鳥


一、
長谷部さん長谷部さんと、追いすがってくるナマエの様子。いつしかそれを一度雛鳥のようであると思えば、俺はそうとしか見えなくなっていた。


「おかえりなさい、長谷部さん!」


 刷り込みを受けたかのように、今日もナマエはまるで俺が親鳥であるかのように、何かあるごとに一番に俺を探す。見つけたならば声にも笑顔を咲かせて、長谷部さん長谷部さんと鳴く。


「長谷部さん、長谷部さんてば!」


 俺はそうしてまっすぐな声で呼ばれる度、逃げたいような面倒な気持ちになる。嫌々ながら振り返ると、彼女が駆け足で近づいてくるのが見えた。
 雛、と言うほどナマエは幼くはないが、彼女の背丈は俺の胸にも届かないし、何よりも戦いを知らない呆けた少女らしい輪郭が子供としての印象を強めている。草履が土を蹴る音がなんとも軽々しい。小さな体と髪の毛の先を跳ねさせながらナマエは俺に追いつき、整わぬ息で告げる。


「おめでとうございます、長谷部さん」
「なんですか、急に」
「今日もお師匠様から誉をいただいたそうですね」


 ナマエの言う“お師匠様”とは、我々を率いる主と同じである。彼女は人間側であるが、同じ主に仕える者という意味では同志だった。


「あ、お師匠様じゃなく主様でしたね。失礼しました」


 ナマエも、この本丸での主のお立場に合わせ、ほとんどの場合は「主様」、時に「審神者様」と呼ぶ。が、気を抜くとお師匠様と口走ってしまうようだった。
 主とこのナマエは、師弟関係を結んで長いと聞く。本丸が設置されるよりはるか前、わたしが字も書けない頃から面倒を見てくださっているのですよ、とナマエが笑って言っていた。主こそがナマエへ読み書きを教え、彼女がこの歳になるまでつかず離れず生活を共にしてきたのだとも言う。
 主とそれほどの仲だからこそ、ただの人間であるナマエもこの本丸に存在を許されているのだろう。


「お怪我も無かったようですし、さすがですね、長谷部さん」
「ふん、当然だ」


 主ならまだしも、俺は彼女からの誉めらることに何の関心も抱けなかった。彼女はただの人間なのだ。ただの人間に祝われても。俺には薄い喜びしか浮かばないが、そんなのはナマエにとって問題にもならないらしい。
 俺の無事を、へにゃへにゃと笑って祝っている。


「どうしてそんなに喜べるんです」
「えへへ、どうしてでしょう」
「顔が崩れているぞ」
「えへへへへ……」


 愛想無く返しても彼女の方は構わないらしい。にへらへらと笑って俺の戦果を祝い続ける。俺は気疲れしてくる。
 ただただ、俺の活躍を喜ぶ。その考えしか頭に無い。ナマエのそういう、愚直で身勝手なところも、俺は苦手だ。


「次も、長谷部さんの活躍と、無事の帰還を願います」
「……、ああ」


 その後、とくに会話も繋がらず。俺はさっさとナマエを置いてその場を後にした。俺が逃げ腰なのに感づいてか、ナマエがついてくることは無かった。

 廊下を奥へと進み、彼女が完全に見えなくなって、俺はほっとして息をついていた。こうしていると、ナマエはずいぶんたくさんと俺の“苦手”の持ち主だ。
 ナマエはいつも、根拠の分からない好意を向けてくる。俺は彼女に興味なんて無いのに、まっすぐに。それだけでもずいぶん扱いに困る。
 それに。


「ああ、長谷部」


 廊下の奥で、主が俺を手招きしている。足音でうるさくならない程度に素早く駆け寄ると、主が笑みを深める。


「出陣、お疲れさま」
「ありがとうございます」
「長谷部をちょうど探していたんだ。……大丈夫か? ずいぶん難しい顔をしているが」
「そう、でしょうか」
「疲れが抜けてないのなら素直に言ってくれよな。それで、長谷部。ナマエを見たか?」


 俺をちょうど探していた、という言葉に一瞬浮いた気持ちが静かに沈む。俺の気分のむらなど主は気づかないで続ける。


「長谷部なら知っていると思って」
「はい、先ほど話していたので、まだ向こうにいるかと」
「ああ、会えたんだな。それは良かった。ありがとう」


 ぽん、と俺の肩を叩き、主は行ってしまった。恐らくナマエを探しにだろう。
 主に行かせるなんてとんでもない。俺が呼んできます。そう言うのが正しいとは思ったが、体が動かなかった。先だったのはナマエへの嫌悪感だった。

 これもだ。俺が彼女を苦手な理由。主と彼女の信頼関係に、胸がざわつくのだ。
 同性だからか、彼女が幼い頃から面倒を見たからなのか、主と彼女は特別な絆で結ばれている。俺の手がどうやっても及ばない時間をかけて、あのへなへな笑いの彼女は主の大事な位置を占めているのだ。ただの人間であるくせに。

 彼女は人間としてなら雛鳥どころかもう結婚さえ出来る年齢だ。ただ主に贔屓されてここにいる。
 主に贔屓された、この本丸で一番の甘やかされた存在。それが彼女だ。

 だから小さな背が跳ねながら俺の名を呼ぶ時、ある衝動がちらつく。その手をとって、言い放ってやりたいと思うのだ。

「なぜ貴女はここにいるのですか? いるべき人では無いのに」、と。