二、
長谷部さん長谷部さんとひたすらに追いかけてくるには疲れを覚えるが、俺を見ないを一方的に見ることは平気だった。
見つかると厄介なのは身にしみていたので、彼女から話しかけられる以外は、俺が身を潜めて、ぼんやりと彼女を見ていたことが多いと思う。
遠くから見ていて、気づくことはいくつかあった。長谷部さん長谷部さん。そんな風にが懐くのはなぜだか知らないが俺だけのようだった。
他の刀どもとは適度な距離を持って友人に近い関係を構築しているようだ。例えば獅子王にならって朝の体操をしていたり、鯰尾にちょっかいをかけられ顔真っ赤にして彼を追いかけていたり。
だが、彼女から頻繁につっかかって行くのは俺以外にいない。長谷部さん、と呼ぶ時の声。それは「獅子王さん」と呼ぶ時よりは明るいように思えるし、「鯰尾さん」よりは甘やかしの色に満ちている。そして彼女は俺にじゃれあいなどは求めない。何か話しかけてきたかと思えば、盲目なまでに俺を讃えるのだ。
周りと比べれば一目瞭然の、特別な慕い方。
高慢な、だけど自分の了見に正直な言い方をすれば、は俺を恋い慕っているのだと思う。
恋心を彼女が自覚しているのかどうか知らない。が、俺はそうだとほとんど確信しているし、そう周りに漏らせば多くが同意するだろう。俺に対する彼女のそれは、恋か、もしくはそれに近いものだ、と。それくらいの態度は分かりやすいものだった。
「よっし……!」
陽光に白くはためく洗濯物を満足げに見上げる背中からそんな独り言が聞こえた。
確かに手ぬぐいなどがずらりと並ぶ様子は壮観だ。竿は彼女が手をかけるのにはつらい、不親切な高さにあるというのに、よくやったもんだ。俺はうっすら笑う。
「あっ長谷部さん!」
見つかった。あっと言う間に彼女の顔にぱっと桃色が咲く。俺に会えたことを喜んでいるのだ。毎日、顔を合わせているというのに。
「お疲れさまです。今お暇ですか?」
「暇などあるわけない」
不遜な態度は彼女には通じない。何事もなかったように彼女は続ける。
「そうなんです? 審神者様からは何か言われてます?」
「それは……何も言われてないが」
「じゃあ少し一緒に休みませんか。長谷部さんの分もお茶をいれますよ」
ひと仕事終えたのはの方だと言うのに何も無かったようにたらいやら桶を引き上げ襷を解いて、屋敷の奥に消えていく。
俺は同意していないというのに。勝手に行動した彼女を待つ義理も無い。俺はさっさと引き上げて自分勝手に行動した。主の事を想えば、やるべき事はいくらでもある。そう言い聞かせ俺は干場を後にする。
良いんだ、別に。こんな勝手や不義理をしても。相手はなのだから。俺に対して怒ったことは一度もないし、それに、本丸のどこにいてもは俺を見つけ出すのだから。
想像した通りには俺を茶器を並べたお盆とともに追いかけてきた。
「ここだと思いました」
そう言って、彼女は俺の机の横に腰掛け、お盆も置いた。を待たなかった俺に対してまたも彼女は何も思わないらしい。俺の横に座る横顔は笑みを浮かべたままだ。
「この葉っぱ、少しかたいから。良い頃合いです」とへらり笑って茶をいれて、湯呑みを俺に差し出した。それから彼女もすすった。洗濯物で冷えた赤い指に、湯呑みの温度が気持ち良いようだった。小さな安堵の息が俺の横で聞こえた。
彼女は俺に対して不満を見せたことが無い。それどころか今、ひどく満足そうだ。
「俺が好きなのか」
湯気が昇り立つ湯呑みを見つめて、気づけばそう疑問をぶつけていた。
一度、ぽかんと小さく口を開けていただったが、そのまま待てば俺の問いの意味が理解できたらしい。みるみる顔を赤くさせながらはまつげを伏せる。
「な、なんといいますか……。はい、まあ、そうですね。私の一番は長谷部さんです」
はそう言いにへらへらと顔をだらしなくさせた。言葉にした事がやたら気恥ずかしかったらしい、片手で顔を仰ぎ出した。
白状したな、という気持ちで彼女を見ていたが、は俺に答えを求めない。聞かれたから答えたまでのようだった。
「長谷部さんの一番はお師匠、……主様ですよね」
「ええ。そうですよ」
言ってしまえば、俺がこうしての会話の相手をするのも、主のためであった。
ずいぶん前だが、を邪険にし、あしらう俺を見て主が言ったのだ。「もう少しに優しくしてあげなさい」と。
『そう邪険に扱ってはいけない。の好意をどう受け取るかは長谷部に任せる、けれど無視や拒絶だけはしないこと。できる限り、あの子に付き合ってあげなさい』
悲しげで、含みのある笑みで、主は俺にそう言ったのだ。
『なぜですか』
俺が構わねばならない理由があるとしたら、それは彼女が人間だからだろうか。それとも主にとって大切な存在だからだろうか。その辺りの答えが返ってくることを俺は見越していたが、主の答えは違った。
『せめて、後悔させたくないのよ』
それに、あれは過去の、昔の私だから。主はそう柔和に微笑んだのだった。
を幼い頃から見ているせいなのか、主はこの少女にいつも甘い。だが、俺にまで彼女に甘くすることを望むまれると思わなかった。もちろんそれが主の望みなら俺のすべきことはひとつであるが。
「長谷部さん、長谷部さんっ」
無邪気な声に、記憶から引き戻される。は「おかわり、いれますよ」と言って俺の手から湯のみを取った。
まだ赤みの残る、柔らかな線を持つ頬。目の前の小娘が、過去の主の姿? その言葉の意味が、俺には掴みきれない。と主は遠い存在に思える。
やや蔑みの視線を含みながらながらを見ていると、何を勘違いしたか。彼女は目を泳がせた後、熱い茶を一気に飲み干した。それから「湯呑み、置いておいてください。あとで下げますから」と震えた声で言い、ふらふらとした足取りで真っ赤な耳が逃げていった。
長谷部さん長谷部さんとひたすらに追いかけてくるには疲れを覚えるが、俺を見ないを一方的に見ることは平気だった。
見つかると厄介なのは身にしみていたので、彼女から話しかけられる以外は、俺が身を潜めて、ぼんやりと彼女を見ていたことが多いと思う。
遠くから見ていて、気づくことはいくつかあった。長谷部さん長谷部さん。そんな風にが懐くのはなぜだか知らないが俺だけのようだった。
他の刀どもとは適度な距離を持って友人に近い関係を構築しているようだ。例えば獅子王にならって朝の体操をしていたり、鯰尾にちょっかいをかけられ顔真っ赤にして彼を追いかけていたり。
だが、彼女から頻繁につっかかって行くのは俺以外にいない。長谷部さん、と呼ぶ時の声。それは「獅子王さん」と呼ぶ時よりは明るいように思えるし、「鯰尾さん」よりは甘やかしの色に満ちている。そして彼女は俺にじゃれあいなどは求めない。何か話しかけてきたかと思えば、盲目なまでに俺を讃えるのだ。
周りと比べれば一目瞭然の、特別な慕い方。
高慢な、だけど自分の了見に正直な言い方をすれば、は俺を恋い慕っているのだと思う。
恋心を彼女が自覚しているのかどうか知らない。が、俺はそうだとほとんど確信しているし、そう周りに漏らせば多くが同意するだろう。俺に対する彼女のそれは、恋か、もしくはそれに近いものだ、と。それくらいの態度は分かりやすいものだった。
「よっし……!」
陽光に白くはためく洗濯物を満足げに見上げる背中からそんな独り言が聞こえた。
確かに手ぬぐいなどがずらりと並ぶ様子は壮観だ。竿は彼女が手をかけるのにはつらい、不親切な高さにあるというのに、よくやったもんだ。俺はうっすら笑う。
「あっ長谷部さん!」
見つかった。あっと言う間に彼女の顔にぱっと桃色が咲く。俺に会えたことを喜んでいるのだ。毎日、顔を合わせているというのに。
「お疲れさまです。今お暇ですか?」
「暇などあるわけない」
不遜な態度は彼女には通じない。何事もなかったように彼女は続ける。
「そうなんです? 審神者様からは何か言われてます?」
「それは……何も言われてないが」
「じゃあ少し一緒に休みませんか。長谷部さんの分もお茶をいれますよ」
ひと仕事終えたのはの方だと言うのに何も無かったようにたらいやら桶を引き上げ襷を解いて、屋敷の奥に消えていく。
俺は同意していないというのに。勝手に行動した彼女を待つ義理も無い。俺はさっさと引き上げて自分勝手に行動した。主の事を想えば、やるべき事はいくらでもある。そう言い聞かせ俺は干場を後にする。
良いんだ、別に。こんな勝手や不義理をしても。相手はなのだから。俺に対して怒ったことは一度もないし、それに、本丸のどこにいてもは俺を見つけ出すのだから。
想像した通りには俺を茶器を並べたお盆とともに追いかけてきた。
「ここだと思いました」
そう言って、彼女は俺の机の横に腰掛け、お盆も置いた。を待たなかった俺に対してまたも彼女は何も思わないらしい。俺の横に座る横顔は笑みを浮かべたままだ。
「この葉っぱ、少しかたいから。良い頃合いです」とへらり笑って茶をいれて、湯呑みを俺に差し出した。それから彼女もすすった。洗濯物で冷えた赤い指に、湯呑みの温度が気持ち良いようだった。小さな安堵の息が俺の横で聞こえた。
彼女は俺に対して不満を見せたことが無い。それどころか今、ひどく満足そうだ。
「俺が好きなのか」
湯気が昇り立つ湯呑みを見つめて、気づけばそう疑問をぶつけていた。
一度、ぽかんと小さく口を開けていただったが、そのまま待てば俺の問いの意味が理解できたらしい。みるみる顔を赤くさせながらはまつげを伏せる。
「な、なんといいますか……。はい、まあ、そうですね。私の一番は長谷部さんです」
はそう言いにへらへらと顔をだらしなくさせた。言葉にした事がやたら気恥ずかしかったらしい、片手で顔を仰ぎ出した。
白状したな、という気持ちで彼女を見ていたが、は俺に答えを求めない。聞かれたから答えたまでのようだった。
「長谷部さんの一番はお師匠、……主様ですよね」
「ええ。そうですよ」
言ってしまえば、俺がこうしての会話の相手をするのも、主のためであった。
ずいぶん前だが、を邪険にし、あしらう俺を見て主が言ったのだ。「もう少しに優しくしてあげなさい」と。
『そう邪険に扱ってはいけない。の好意をどう受け取るかは長谷部に任せる、けれど無視や拒絶だけはしないこと。できる限り、あの子に付き合ってあげなさい』
悲しげで、含みのある笑みで、主は俺にそう言ったのだ。
『なぜですか』
俺が構わねばならない理由があるとしたら、それは彼女が人間だからだろうか。それとも主にとって大切な存在だからだろうか。その辺りの答えが返ってくることを俺は見越していたが、主の答えは違った。
『せめて、後悔させたくないのよ』
それに、あれは過去の、昔の私だから。主はそう柔和に微笑んだのだった。
を幼い頃から見ているせいなのか、主はこの少女にいつも甘い。だが、俺にまで彼女に甘くすることを望むまれると思わなかった。もちろんそれが主の望みなら俺のすべきことはひとつであるが。
「長谷部さん、長谷部さんっ」
無邪気な声に、記憶から引き戻される。は「おかわり、いれますよ」と言って俺の手から湯のみを取った。
まだ赤みの残る、柔らかな線を持つ頬。目の前の小娘が、過去の主の姿? その言葉の意味が、俺には掴みきれない。と主は遠い存在に思える。
やや蔑みの視線を含みながらながらを見ていると、何を勘違いしたか。彼女は目を泳がせた後、熱い茶を一気に飲み干した。それから「湯呑み、置いておいてください。あとで下げますから」と震えた声で言い、ふらふらとした足取りで真っ赤な耳が逃げていった。