マリア・ブルーの鳥

三、
長谷部さん長谷部さんと、降り懸かった声。度肝を抜かれて顔をあげれば、いつも主が座る場所にいたのはだった。よく見れば、俺の主はの少し後ろでゆったりと座っている。


「なっ……」
「すみません、わたしで。主様じゃなくて」
「なぜ、貴女が」
「しばらく練習することになったんです」


 へへ、と笑うにはやはり、主ほどの品格が無い。
 視線で主に救いを求めれば、主は悠々と書を読む手をとめて、ことの次第を説明してくれた。


「今日からにここに座らせ、審神者の職務を実践させることになった。今までもに仕事のことを随分見せてきたけれど、今回は全体の指揮や、報告の手順なんかを実際にやってもらおうと思ってね」
「どうして教えてくださらなかったのですか……!」
「まだ誰も知らない。一番に教えたのはおまえだよ、長谷部」
に審神者の任を一時お預けになる、と」
「そんな大げさなことでは無い。一通り真似事をさせるだけだよ。安心しなさい、大事なことは全て私が決めるし、彼女の指揮でまずいことになるなら私が事前に訂正をいれる」
「……というわけなのです。よろしくお願いします、長谷部さん」


 嫌だ。彼女では不安が多すぎる。それに彼女相手では、俺は本気になって尽くせない、というのが本音だ。しかしに審神者の席に座らせたのは他でもない主なのだ。


「主命とあらば」


 俺の答えはこれに尽きる。ここで思ったことをバカ正直にやるのは主の望むことでは無いだろう。
 そのままは、自分がこの席に座り、代理の審神者役をやるにあたって雑務や手助け……つまり近侍としての役割のほとんどを俺に頼ることを伝えた。


「主様とも話し、わたしもぜひ長谷部さんにお願いしたいんです。良いでしょうか?」
「主命とあらば」
「ありがとうございます、長谷部さん」
「主がお決めになったことですから」


 笑顔で釘をさすようにそうつけたが、はそこまでの頭足らずでは無かったようだ。


「はい、分かっています」


 いつもと変わらぬ調子でそう言った。




 仮の役目を背負ったの横に侍りながらも、俺は主を思った。「それじゃあ長谷部。を頼むよ」と言い放つと自由気ままに部屋を出ていってしまった主を。

 今日、主の席に座るのは俺の主では無い。仮の主となっただ。女人である主よりまた一回り小さな肩が机に向かって、執務に励んでいる。俺に向けるにへら笑いを封印して、真剣な顔をしていれば彼女は意外に“らしく”見えた。こんなまじめな顔もできるんじゃないかと驚いたくらいだ。


「長谷部さん、長谷部さん」
「……聞いてますよ」
「へへ」
「なんでしょう」
「いえ。長谷部さんの仕事ぶりをこんな近くで見たのは初めてでしたので。とてもまじめに頑張ってらっしゃるのですね」
「……貴女はもっとまじめになった方が良いのでは」


 せっかく彼女を見直したところだったのに。彼女がその席に座るにふさわしい女性にいつしかなるかもしれないと、そのかけらを見たような気がしたのに、幻想はあっけなく崩れた。呆れ顔をすると、それすらに喜んだのか照れたのか、はへらへら笑うのだ。


「すみません、なんだか落ち着かなくて」


 一瞬抱いた幻想は崩れたけれど、幻滅まではいかなかったらしい。だから雑談として明かされた、「自分は将来審神者になる」という話にも、俺は意外にもすんなり入って行けた。


「わたしが何故ここにいるかと言えば、審神者になるためなんです。だから政府もわたしがお師匠様についていくことを許してくださいました。というか、わたしがお師匠様に厄介になっているのも大元は、わたしに審神者としての能力があったからなんです」
「そうですか」
「はい。といっても当時はこのように審神者が政府に徴用されることは無かったので、お師匠様はわたしを職のためじゃなく純粋に保護をしてくださったんですよ」


 結局おまえと主の、深い深い繋がりの話なのか。と、俺はうんざりしそうになった。が、聞いていけばの話は別の問題に突き当たる。


「だから、わたしはお師匠様からひたすらに、自分で能力をきちんと操れるようになるよう教えを受けていました。刀から付喪神さまを呼び出せるような、そんな能力を引き出すための訓練を受けるようになったのはつい最近です」


 はかなり分かりやすい部類の人間だ。肩を見ているうちに、彼女がつらつらと言葉を並べているのは不安のためだと気づく。横顔を見れば明白だ。呆け加減がにしては全然足りていない。
 いつか師匠の元を離れ、審神者として働かねばならぬ不安。付喪神を呼び寄せ、隊を作り、指揮。その責務の重さから生まれる不安。今の彼女はまだその渦の中溺れているらしい。


「審神者になる日は近いのですか」
「……、分かりません。でも、そう遠くは無いはずです」
「その時はどうするんです」
「どうって……。わたしが審神者として徴用されるなら、また別の本丸を受け持つよう指示されるはずですよ。だから」


 ばかみたいに正直なのはの性質だ。言葉つまりつつも、包み隠さず俺に話そうとする。


「だから、みなさんとお別れになるんでしょうね。今だって、そのための練習をしているんですから」


 そう言われても俺にはあまり現実味が無かった。審神者になるための能力があると彼女は言うが、その片鱗を俺はいっさい見たことが無い。彼女が主と並んで立つ、という想像をしようとしても、あまりの似合わなさに想像はガラガラと崩れていく。

 審神者になる日はそう遠くはないとは言った。けれどはまだ、主に比べれば未熟すぎると俺は思うのだ。
 審神者になって、刀剣男士を呼び寄せる。本丸の主となって、部隊を作り、指揮をとる。勝利を政府へ捧げる。そのいっさいの責任が、いつかこの雛鳥の背中に一斉にのしかかる、なんて今の彼女が耐えられるとは俺には到底思えない。


「長谷部さん、長谷部さん」


 その上、主であるかのような面をして俺を呼びつける表情は何時にも増して楽しそうに緩んでいるので、これが別れのための修行などと、どうしても思えないのだった。