六、
長谷部さん、長谷部さんと俺を呼んでから彼女は思いだしたように言った。
「朝ぶりですね、長谷部さんを呼ぶの」
「朝呼んだなら十分のはずでは」
「本当に。その通りなんですけどね。もう夜なんだなって驚いているんです」
疲れでくたびれた下まぶた。けらけらと笑いながら彼女は俺を見上げた。
最近の彼女は主に熱心につき従い、審神者になるための勉強に打ち込んでいるようだった。
他の刀剣男士にちょっかいを出したり、すみっこで本丸の雑事を片づけたりという姿はもう見られなくなっていた。俺もここ最近、執務室につき、主の一挙一動に目を凝らすの姿ばかりを見ている。
寝る間も惜しんでいる様子の彼女は、以前から比べるとずいぶん話しかけづらい人間になった。とたわいもない話さえできない状況を寂しがる者は多いが、誰もその寂しさを口にしない。が彼女が自分たちと楽しい時間を過ごすためじゃなく、きたる日のために住まわされている事を皆、分かっているからだ。
「どうして急にやる気を出したんですか」
「え?」
「前は不安ばかりで身が入ってなかった」
彼女が審神者の仕事を実践してみることになったあの日。緊張と不安で顔色の悪いと、少し奥で悠々と書を読む主と。あまりにくっきりと差があるのであの光景は目に焼き付いている。
「そうですね。なんか、やらなきゃって気持ちになったんですよね。わたしは未熟なままですが、そんなの心配してる場合じゃないんだって分かったんです。だから怖いとか自信が無いとか、そういうこと全部置いておいて、やらなくちゃいけないんだって思ったら、教えがすんなり頭に入ってくるようになりました」
自分の成長を「みなさんと別れるための練習」と言っていた彼女は気配を潜めている。朝ぶりに俺を見ていたはずの目は、もう俺ばかりを見上げない。今は俺から視線を外し、遠くの星と夜を見ていた。
今まで、俺にはどうしても描けなかった。彼女はいつか審神者になる日というものを。彼女が主のようになる日。本丸の束ねるただひとりのひとの子となり、俺と相対する日。
しかし今、ようやく理解が追いついてきた。
はいつか審神者になる。
主と、皆とが大好きな彼女はいつしか悲しみを振り切って、外の世界に呼び出されるんだろう。
長谷部さん、長谷部さん。それからもう一度、何か確かめるように長谷部さん、とは俺を呼ぶ。
「何ですか」
「わたし、長谷部さんと離れたくない、ですね」
ですね、と同意を求められても困ってしまい、俺は眉をしかめる。
主からの言いつけもあって、俺はいつだって彼女を追い払ったりはしなかった。俺は彼女が追いかけてくることを、主命の元に出来る限りを受け入れた。だが、は俺の中では友とは呼べないひとだ。
俺たちはそんな別れを惜しむほど共に在っただろうか。何かを共有しただろうか。同じ時を過ごしても、感覚を重ねたことが果たしてあっただろうか。
「ああ、もう、なんか。すみません……」
にへらへらと彼女は笑っていたが、うつむいて髪を触る瞬間に笑みは崩れる。見間違えだったと思えば、そう済ませられるほど短い間に見せつけられた歪み。俺はのうつろな一面を見たのだった。
「変なこと言いますと。わたしまた、貴方の魂と出会いたい」
着物の袂を握りしめ、は笑顔を作った。
長谷部さん、長谷部さんと俺を呼んでから彼女は思いだしたように言った。
「朝ぶりですね、長谷部さんを呼ぶの」
「朝呼んだなら十分のはずでは」
「本当に。その通りなんですけどね。もう夜なんだなって驚いているんです」
疲れでくたびれた下まぶた。けらけらと笑いながら彼女は俺を見上げた。
最近の彼女は主に熱心につき従い、審神者になるための勉強に打ち込んでいるようだった。
他の刀剣男士にちょっかいを出したり、すみっこで本丸の雑事を片づけたりという姿はもう見られなくなっていた。俺もここ最近、執務室につき、主の一挙一動に目を凝らすの姿ばかりを見ている。
寝る間も惜しんでいる様子の彼女は、以前から比べるとずいぶん話しかけづらい人間になった。とたわいもない話さえできない状況を寂しがる者は多いが、誰もその寂しさを口にしない。が彼女が自分たちと楽しい時間を過ごすためじゃなく、きたる日のために住まわされている事を皆、分かっているからだ。
「どうして急にやる気を出したんですか」
「え?」
「前は不安ばかりで身が入ってなかった」
彼女が審神者の仕事を実践してみることになったあの日。緊張と不安で顔色の悪いと、少し奥で悠々と書を読む主と。あまりにくっきりと差があるのであの光景は目に焼き付いている。
「そうですね。なんか、やらなきゃって気持ちになったんですよね。わたしは未熟なままですが、そんなの心配してる場合じゃないんだって分かったんです。だから怖いとか自信が無いとか、そういうこと全部置いておいて、やらなくちゃいけないんだって思ったら、教えがすんなり頭に入ってくるようになりました」
自分の成長を「みなさんと別れるための練習」と言っていた彼女は気配を潜めている。朝ぶりに俺を見ていたはずの目は、もう俺ばかりを見上げない。今は俺から視線を外し、遠くの星と夜を見ていた。
今まで、俺にはどうしても描けなかった。彼女はいつか審神者になる日というものを。彼女が主のようになる日。本丸の束ねるただひとりのひとの子となり、俺と相対する日。
しかし今、ようやく理解が追いついてきた。
はいつか審神者になる。
主と、皆とが大好きな彼女はいつしか悲しみを振り切って、外の世界に呼び出されるんだろう。
長谷部さん、長谷部さん。それからもう一度、何か確かめるように長谷部さん、とは俺を呼ぶ。
「何ですか」
「わたし、長谷部さんと離れたくない、ですね」
ですね、と同意を求められても困ってしまい、俺は眉をしかめる。
主からの言いつけもあって、俺はいつだって彼女を追い払ったりはしなかった。俺は彼女が追いかけてくることを、主命の元に出来る限りを受け入れた。だが、は俺の中では友とは呼べないひとだ。
俺たちはそんな別れを惜しむほど共に在っただろうか。何かを共有しただろうか。同じ時を過ごしても、感覚を重ねたことが果たしてあっただろうか。
「ああ、もう、なんか。すみません……」
にへらへらと彼女は笑っていたが、うつむいて髪を触る瞬間に笑みは崩れる。見間違えだったと思えば、そう済ませられるほど短い間に見せつけられた歪み。俺はのうつろな一面を見たのだった。
「変なこと言いますと。わたしまた、貴方の魂と出会いたい」
着物の袂を握りしめ、は笑顔を作った。