1ポンドのケーキ

二、
の望みはあっさりと砕かれた。俺の、主の手によって。


「わあ、長谷部さん、重い」


 当たり前だ。彼女が抱えるのは俺の依り代となる刀身だ。ふらつく足が危なっかしいが、手助けすることはかなわない。彼女の本丸に入るまで人の姿になるなと、主命の元にきつく言いつけられていた。
 俺を抱えて石の階段を歩こうとしているが、は本当に頼りない。
 やはり人間の身にさせてもらって、自分で歩きたい気分なのだが、主命なのだから、身をゆだねる他、仕方がない。

 久しぶりに会ったは、以前に比べ良い衣服を身につけていた。髪も綺麗に整えられ、主の陰にひっそり存在していた少女から、幾分かましな一人前の見た目になっている。顔つきもかすかに変わり、審神者としての日々が、彼女を少し変えた形跡があった。
 主が出した使いの人間からへと、俺の身が手渡された時は不安が強かった。が、思ったよりは安心して身を委ねられている。


「本当に重くて……長谷部さんのこと、落としそう」


 前言撤回だ。勘弁してくれ。俺は階段を滑り落ちたくない。





 本丸に入るとようやく、ひとの姿になることを許された。が俺の刀身をぽんぽんと叩くと、彼女の力が俺を助けて、ひとりの男の姿をとれる。彼女の胸の中にあった俺が、立ちあがり、背筋を伸ばす。
 少し目線を落とすと相変わらず小さめな彼女が眼下にいた。ぽかんとした顔で俺を見上げているので、俺はその手から俺自身である刀を取りあげた。本当に重かったらしい、俺の重みから解き放たれた彼女は少し浮き上がりそうに見えた。

 自分の依り代となる刀身は左手に携えると、が目を細める。


「お久しぶりです、長谷部さん」
「さきほども聞きました」
「そうですね。でもさっきまでは刀だったじゃないですか。本当に長谷部さんだなぁって」


 俺も、近い思いがあった。ああ本当にに再び巡り合い、の元に来てしまったという実感がじんわりと湧いてくる。
 彼女の本丸には遅咲きの桜が咲いていた。







「ここがわたしが政府より頂き、本丸としている邸宅です」


 に先導してもらい、俺は彼女の本丸へと上がった。外の明るさに対して、本丸の中は薄暗い。鼻を突いたのは埃の気配だった。


「小さいでしょう。恥ずかしながら、修繕が進んでいない場所もいくつかあります、お気をつけてくださいね」
「修繕……?」
「なにやら政府の方々も、急拵えでこの本丸を用意したようなんです。ですから、不完全な部分も多々ありまして。あ、そこ、穴が開いてますので気をつけてくださいね」


 が少し端に避けて歩く。何事かと思って目をこらせば、廊下の板が一部抜け落ちている。
 俺は絶句しているというのに、「まあひとまず審神者がいて、鍛刀場、手入れ所などがそろっていたら本丸は機能できますから」なんて、はまるで意に介さない様子だ。のこの、とぼけた調子。ああ本当に彼女だと思い、こみ上げてくるのは懐かしさでは無い、頭痛だ。


「これでも随分よくなったんですよ。一時期すきま風がすごかったんですけれど、ようやく全ての障子の張り替えも終わりました」
「良いのですか、それで」
「良いも悪いも……。まだ刀剣男士もそう多くないものですから。短刀二振りに、脇差、太刀が一振りずつ、あと……打刀も一振り」


 打刀という言葉に、ぴり、と意識がざわつく。この本丸で、一振りしかいない打刀。それはおそらく、彼女が本丸立ち上げの際、彼女が選び取った"初期刀"なのだろう。


「あ、いました!」


 彼女が笑顔で、飛びつくように駆け寄っていったのは、見知らぬ刀剣男士。目に眩しい黄金の甲冑を身につけた青年の姿をした刀剣男士だった。
 つくりものめいた柔和な輪郭に、紅藤色の長い髪がかかっている。


「蜂須賀さんっ!」


 長谷部さん長谷部さんと呼ばれた過去が重なる。あれを、後ろから見るとこうなるのか。
 自分が見送る側になったのは初めてだというのに、新鮮と呼ぶには苦みの強い味覚が舌の上に広がった。


「ああ、。帰っていたのか。すまない、迎えられなくて。もう少し遅くなると思っていたから」
「そんなことは良いんです。お留守番、ご苦労様でした」


 後方で立ち尽くしていると、しばらく優しくを見下ろしていた髪を同じ色の瞳。それが、切れ味を鋭くしてこちらを向いた。


「……ああ、彼が話していた」
「はい、そうです。長谷部さん、紹介します。蜂須賀虎徹さんです」
「蜂須賀虎徹だ」


 そして蜂須賀虎徹は明らかに語調を強めて、こう付け足した。


「近侍で、彼女の初期刀だ」
「……へし切長谷部だ。長谷部、と呼んでくれ」


 の目の前だ。それを意識しているのは俺も、この蜂須賀も一緒だった。互いに手を差し出し合い握手した。走った緊張に、は一切気づかないで、俺たちの挨拶を見守っている。


「蜂須賀さん、みなさんを集めてきてもらえますか。長谷部さんに紹介したいんです」
「ああ、分かった」
「わたしはお茶をいれます」
「君がかい?」
「はい。長谷部さんはお客様ですから」


 彼女の言葉は俺の神経を逆立たせ、逆に蜂須賀虎徹をにわかに安心させた。


「分かった、行ってくるよ」
「すみません、よろしくお願いします」


 蜂須賀虎徹に言付けると、は俺をすぐ近くの、庭がよく見える部屋へ案内した。おそらく応接間なのだろう。そして俺は、今夜客間に通されるのだろう。
 庭では遅咲きの桜が咲いている。なんて、心の痛い日なのだろう。