四、
が問いかけた、俺が本丸を追い出された理由なら明らかだ。俺が本丸にいられなくなった正にその日、俺は戦場で一騎打ちへと打って出たのだ。敵の大将を擁する部隊を目の前に味方部隊の陣型は無惨にに崩れていた。が、俺自身は大きな傷を負ったわけでもない。俺は単独、敵の大将を狙った。
一対一の対戦で、俺が先手を取れないわけが無い。そして俺の先手を取れる刀がいて俺を斬ったとしても、それに手足を止める俺では無い。俺は勝利をおさめ、それを主へと献上した。けれど帰還後、主はねぎらいの言葉そこそこに手伝い札を手渡した。そして俺に言い放ったのだ。
「長谷部、荷をまとめろ」
「主、今、なんと」
「みなまで言わんと分からんのか」
明るい冗談も言う主が、その時は大きくため息を吐き、疎ましげな視線を俺に向けていた。
「お前はもう、私には使いにくくてかなわん」
何も持たずこの身ひとつで主の元に馳せ散じる刀剣男士に、まとめる荷などありはしない。かくして俺は、あっという間に出陣でも無いのに本丸の出口へと立たされ、本丸を追い出されることになった。
俺の宿る刀は主からこんのすけへ、こんのすけから政府の者へ、そして政府の者からへと手渡され、この不完全な本丸へとたどり着いたのだった。
「長谷部さん」
記憶にさあさあと雨の音が重なる。窓から見る景色は見慣れない庭。けれど雨は全てを打ち鳴らしていて俺の本丸とそう代わりの無い音がしていた。
「長谷部さん、長谷部さんっ!」
徐々にの声が強くなる。もしかして俺を呼んでいるのかとようやく意識が浮上したところで、ぐいと小さな手が服を掴み、体が引かれた。バランスを崩した俺はの小さな肩に顔をぶつけそうになる。それでもは怒りを込めて言うのだった。
「長谷部さん、そこ危ないんですってば。もっとこっちに来てください」
さらにぐいぐいと体をひっぱられ、二、三歩よろめいたところでようやく離される。
「この本丸、ところどころ雨漏りがするんです」
言われて手のひらを頭の上にやると確かに頭のてっぺんが濡れている。は呆れた様子で懐からハンカチを取り出すと、俺の頭、それから肩なんかを軽く叩いて、俺についてしまった露を取り除こうとする。俺の濡れた場所に目をやりながらは言う。
「すみません、なかなか修繕が追いついていなくて……。雨漏りが全て直っていないのはこちらの不備なので言いにくいのですが、どうか気をつけてくださいね」
「……直さないのか?」
「手が回らないんです。お恥ずかしながら」
「なぜ。……貴女には貴女の刀剣男士がいるでしょう」
「刀剣男士には何よりも大事な出陣があります。それに、本丸としてやっていくためには何よりもまず資材です。遠征もそうですし、日課をこなして政府からの援助をいただかないと」
「………」
「よく使うお部屋は綺麗に直してありますし、雨が漏っても気をつければ過ごしていけます」
それから俺はハンカチを扱うの手が傷だらけなことに気がついた。以前の本丸の時もは洗濯や水まわりなどを師匠を支えるためと率先して行っていたが、今指先にあるのは細かな切り傷や擦り傷。明らかに家事だけでつく傷では無い。
手が回らないという言葉は真実なのだろう。この本丸の主であるがこうして手を傷つけるほどに労力を費やしてもこの有様なら、この本丸は元はどれだけボロ屋敷だったのか。急拵えと言うにもほどがあると内心悪態をつきながら、俺は大きくため息を吐いた。
「す、すみません……」
「なぜ貴女が謝るのですか」
「すみません……」
また大きなため息が出た。
別に俺は、自分が濡れているかどうかなどどうでも良かった。がこうして理由も見えないまますまなさそうにしていることの方がよっぽど俺に不快感を与える。もう俺の濡れもよくなっただろう。の手をやわく振り払うと、のうなだれている様がよく見えた。
「雨漏りは俺が直します」
「そっ、そんなのはだめです!」
「なぜです。貴女は手が回らないと言いますが、手ならここにある」
「……だめです、長谷部さんは大事な、大事なお師匠様からの預かりものです……」
「預かりもの? 帰れるかも分からないのに」と、そんな言葉が口を突いて出そうになる。けれどとっさに飲み込んだ。ならすぐに「帰れます!」とむきになって主張するに違い無いのだから。
慎重に言葉を選び直す。俺がの代わりに働くことができるように、上手くを説き伏せるための言葉。
「貴女は、俺がどんな男か、知っているでしょう」
「………」
「客間で時間を食い潰しているより、何か仕事を与えられている方が、俺は生きるんです」
卑怯な言葉たちは、に受け入れられたようだった。対して俺は自分の使った言葉にかすかに傷つけられていた。俺はの中にある情に訴えかけたのだ。そこに俺への、決して恋慕じゃないどころか恋慕とはほど遠い感情があると信じて利用した。俺にはまだへの期待があって、それは虫の息だが呼吸を止めていない。
翌日すっきりと晴れた空の下、俺は内番用の服に身を通した。出陣では無いがこれからやることがあるというだけで気分が切り替わる。あの甘やかしののせいで三日ほどぼーっと座って過ごすだけになってしまった。俺は念入りに体の筋などを延ばして調子を確かめた。
「雨漏りを直してくれるらしいね」
「蜂須賀」
話しかけてきたのは蜂須賀虎徹だった。目にも眩しい装束が雨上がりの陽でまた一段と輝いている。けれど蜂須賀本人は苦々しい顔をしている。初対面で俺は蜂須賀からかすかな敵意を感じていた。顔をしかめているのも俺が自由に本丸を動き回るのが気に喰わないからかと思いきや、蜂須賀は感謝の言葉を口にした。
「ありがとう。こんなことをさせてすまない。けれど、助かるよ。……なんだい。その顔は」
「いやこの本丸の初期刀様が俺に何を言うかと思えば、労られるとは思わなくてな」
「君が屋根に登ってくれるのは正直有り難いよ。みんなで主をとどめておくのに苦労していたんだ」
「………」
あいつ、俺が登らなければ自分が屋根に登るつもりだったのか。手をところどころ怪我しているのは見たが馬鹿じゃないのかあの主は。前の本丸で下働きをこなしていたのが、今ではきっちり裏目に出ているようだ。
「雨漏りの修理は任せろとに伝えてもらえるか。邪魔だから作業中は近寄るなとも」
「ああ、なら手伝うと言い出しかねないからな」
全く、その通りだ。俺は大きなため息を吐きながらジャージのジッパーをきっちり一番上まで引き上げたのだった。
が問いかけた、俺が本丸を追い出された理由なら明らかだ。俺が本丸にいられなくなった正にその日、俺は戦場で一騎打ちへと打って出たのだ。敵の大将を擁する部隊を目の前に味方部隊の陣型は無惨にに崩れていた。が、俺自身は大きな傷を負ったわけでもない。俺は単独、敵の大将を狙った。
一対一の対戦で、俺が先手を取れないわけが無い。そして俺の先手を取れる刀がいて俺を斬ったとしても、それに手足を止める俺では無い。俺は勝利をおさめ、それを主へと献上した。けれど帰還後、主はねぎらいの言葉そこそこに手伝い札を手渡した。そして俺に言い放ったのだ。
「長谷部、荷をまとめろ」
「主、今、なんと」
「みなまで言わんと分からんのか」
明るい冗談も言う主が、その時は大きくため息を吐き、疎ましげな視線を俺に向けていた。
「お前はもう、私には使いにくくてかなわん」
何も持たずこの身ひとつで主の元に馳せ散じる刀剣男士に、まとめる荷などありはしない。かくして俺は、あっという間に出陣でも無いのに本丸の出口へと立たされ、本丸を追い出されることになった。
俺の宿る刀は主からこんのすけへ、こんのすけから政府の者へ、そして政府の者からへと手渡され、この不完全な本丸へとたどり着いたのだった。
「長谷部さん」
記憶にさあさあと雨の音が重なる。窓から見る景色は見慣れない庭。けれど雨は全てを打ち鳴らしていて俺の本丸とそう代わりの無い音がしていた。
「長谷部さん、長谷部さんっ!」
徐々にの声が強くなる。もしかして俺を呼んでいるのかとようやく意識が浮上したところで、ぐいと小さな手が服を掴み、体が引かれた。バランスを崩した俺はの小さな肩に顔をぶつけそうになる。それでもは怒りを込めて言うのだった。
「長谷部さん、そこ危ないんですってば。もっとこっちに来てください」
さらにぐいぐいと体をひっぱられ、二、三歩よろめいたところでようやく離される。
「この本丸、ところどころ雨漏りがするんです」
言われて手のひらを頭の上にやると確かに頭のてっぺんが濡れている。は呆れた様子で懐からハンカチを取り出すと、俺の頭、それから肩なんかを軽く叩いて、俺についてしまった露を取り除こうとする。俺の濡れた場所に目をやりながらは言う。
「すみません、なかなか修繕が追いついていなくて……。雨漏りが全て直っていないのはこちらの不備なので言いにくいのですが、どうか気をつけてくださいね」
「……直さないのか?」
「手が回らないんです。お恥ずかしながら」
「なぜ。……貴女には貴女の刀剣男士がいるでしょう」
「刀剣男士には何よりも大事な出陣があります。それに、本丸としてやっていくためには何よりもまず資材です。遠征もそうですし、日課をこなして政府からの援助をいただかないと」
「………」
「よく使うお部屋は綺麗に直してありますし、雨が漏っても気をつければ過ごしていけます」
それから俺はハンカチを扱うの手が傷だらけなことに気がついた。以前の本丸の時もは洗濯や水まわりなどを師匠を支えるためと率先して行っていたが、今指先にあるのは細かな切り傷や擦り傷。明らかに家事だけでつく傷では無い。
手が回らないという言葉は真実なのだろう。この本丸の主であるがこうして手を傷つけるほどに労力を費やしてもこの有様なら、この本丸は元はどれだけボロ屋敷だったのか。急拵えと言うにもほどがあると内心悪態をつきながら、俺は大きくため息を吐いた。
「す、すみません……」
「なぜ貴女が謝るのですか」
「すみません……」
また大きなため息が出た。
別に俺は、自分が濡れているかどうかなどどうでも良かった。がこうして理由も見えないまますまなさそうにしていることの方がよっぽど俺に不快感を与える。もう俺の濡れもよくなっただろう。の手をやわく振り払うと、のうなだれている様がよく見えた。
「雨漏りは俺が直します」
「そっ、そんなのはだめです!」
「なぜです。貴女は手が回らないと言いますが、手ならここにある」
「……だめです、長谷部さんは大事な、大事なお師匠様からの預かりものです……」
「預かりもの? 帰れるかも分からないのに」と、そんな言葉が口を突いて出そうになる。けれどとっさに飲み込んだ。ならすぐに「帰れます!」とむきになって主張するに違い無いのだから。
慎重に言葉を選び直す。俺がの代わりに働くことができるように、上手くを説き伏せるための言葉。
「貴女は、俺がどんな男か、知っているでしょう」
「………」
「客間で時間を食い潰しているより、何か仕事を与えられている方が、俺は生きるんです」
卑怯な言葉たちは、に受け入れられたようだった。対して俺は自分の使った言葉にかすかに傷つけられていた。俺はの中にある情に訴えかけたのだ。そこに俺への、決して恋慕じゃないどころか恋慕とはほど遠い感情があると信じて利用した。俺にはまだへの期待があって、それは虫の息だが呼吸を止めていない。
翌日すっきりと晴れた空の下、俺は内番用の服に身を通した。出陣では無いがこれからやることがあるというだけで気分が切り替わる。あの甘やかしののせいで三日ほどぼーっと座って過ごすだけになってしまった。俺は念入りに体の筋などを延ばして調子を確かめた。
「雨漏りを直してくれるらしいね」
「蜂須賀」
話しかけてきたのは蜂須賀虎徹だった。目にも眩しい装束が雨上がりの陽でまた一段と輝いている。けれど蜂須賀本人は苦々しい顔をしている。初対面で俺は蜂須賀からかすかな敵意を感じていた。顔をしかめているのも俺が自由に本丸を動き回るのが気に喰わないからかと思いきや、蜂須賀は感謝の言葉を口にした。
「ありがとう。こんなことをさせてすまない。けれど、助かるよ。……なんだい。その顔は」
「いやこの本丸の初期刀様が俺に何を言うかと思えば、労られるとは思わなくてな」
「君が屋根に登ってくれるのは正直有り難いよ。みんなで主をとどめておくのに苦労していたんだ」
「………」
あいつ、俺が登らなければ自分が屋根に登るつもりだったのか。手をところどころ怪我しているのは見たが馬鹿じゃないのかあの主は。前の本丸で下働きをこなしていたのが、今ではきっちり裏目に出ているようだ。
「雨漏りの修理は任せろとに伝えてもらえるか。邪魔だから作業中は近寄るなとも」
「ああ、なら手伝うと言い出しかねないからな」
全く、その通りだ。俺は大きなため息を吐きながらジャージのジッパーをきっちり一番上まで引き上げたのだった。