六、
へし切長谷部曰く、彼は俺たちの主・を恨んでいるのだ。それ以上の感情なんて無いと酒を煽りそう言った。
そしてへし切長谷部は頑なに、
「三日月宗近、お前は騙されているんだ」
と繰り返すのだ。俺はただ目を細めて酌を続けた。
客間でこうして俺が、へし切長谷部の相手をしているのは、ひとつは彼女の意向を汲み取った結果であり、またひとつの皮肉だった。
『今日のお夕飯は全員で一緒にいただきましょう、長谷部さんも一緒に。少し狭いかもしれませんが七人ならきっと座れると思います』
部隊の帰還後、主は嬉しそうにそして恥ずかしそうにそう言っていたはず。だが、いざ集まればへし切長谷部はひとり客間で食事をとっているではないか。彼女に聞けば横を向いたまま微笑んで、
『長谷部さんはやっぱりお客様ですから、広いお部屋でゆったり食事を取っていただいています』
と、気丈に背筋を伸ばしていた。
本丸の雨漏りを直させておいて今更客扱いも無いと思う。が、俺も年長者だ。の言葉が隠すものを不作法に暴いたりなどしない。
主たる彼女がへし切長谷部を客と言い切るのなら、俺もそうするまで。彼女に合わせ俺も微笑んで、ゆったりと食事を促し話し相手になるのも"もてなし"のひとつだと酒を手に取って客間を訪ねたのだった。
へし切長谷部は俺は酒には強いと豪語していたが、雨漏りを直す仕事に疲労したのかそれともやけ酒気味なのか、彼は次第に顔を赤らめ今では目を潤ませている。
そして譫言のように、彼女への恨み節を吐くのだ。
「ひどい、ひどい人間ですよ、彼女は」
俺の杯にも注がれた酒に口をつければ彼を歓迎してやれとが出してくれた酒だけのことはあってなかなかの美酒である。本当に彼女がひどい人間ならば、こんなにとびきりの酒なんか出してやらないと思うのだが、へし切長谷部はそういったの心には気づかないようだ。
主が以前世話になったという場からへし切長谷部が現れた時、彼女とへし切長谷部の間に因縁めいたものがあるのは気づいていた。だが彼を縛るのがこうも強い感情だったことには驚かされた。
そうか、そうかと言って聞いていたがあまりに相づちが適当すぎたか。へし切長谷部の据わった目が俺をぎろりと見る。
「言っただろう、三日月宗近、お前は騙されているんだ」
「………」
「聞いているのか?」
「ああ、聞いているさ」
小さな反抗心を読みとられないよう目を細めながら、果たしてそうだろうかと俺は思う。
夕餉を共にしたいと俺たちへ提案した、へし切長谷部は客なのだからと笑んだの姿。嘘吐きと一蹴するには、それらの姿の輝きがあまりにも振り切りがたい。
「うむ、まあ、隠し事の無い人間はそうそういない。人間を信じるというのは騙されてみるということにも通じるからな」
「俺はそんな柔な話をしているんじゃない」
「そうかそうか」
俺は、へし切長谷部が抱くものへ、とやかく言える立場には無いのだろう。と重ねた時間はまだ短い俺だが、この打刀と俺の主・の間に、俺には触れることのできぬ何かの積み重ねがあることは感じ取っていた。
「それで、が憎くて追いかけてきたのか?」
「……それは、違う……」
それからへし切長谷部はいささか醒めたように姿勢を正して、今度の表情は何かを悔いているようだった。
「……、まず俺から追いかけてきたわけでは無い」
「そうだったか」
「ああ。俺がここにいるのはそれが主命だからだ。彼女は……、俺に会うつもりなど無いと何度も、何度も手紙に書いていた。俺の主に宛てた手紙だ。だがあいつは、俺の主には逆らえないからな」
書いた、という言葉にひっかかりを覚える。会うつもりが無いと、何度も書く必要があった。それは裏を返せば、彼女が手紙に「会う」と書けば、二人は顔を合わせる理由のある関係のように聞こえる。
「……なぜこのようなことになっているのか。も心の底では不思議に、そして不愉快に思っているんだろうな」
「不愉快、か。俺にはとてもそうは見えないが」
「言っただろう。あいつは人を騙すんだ。俺はまんまと騙されたことがある」
「………」
「はは、本当に、まんまとな」
そうして漏れたのは、氷柱のように冷たい笑い声だった。
へし切長谷部は気持ちも冷えてきたのらしく、静かに水を飲み始めた。
「……つまらない話を聞かせて悪かった」
「好きなことを話すが良いさ。幸か不幸か、ここにはお主らの過去を知るものはいないからな」
そうこの本丸では、もへし切長谷部も過去から切り離されている。
へし切長谷部がそのことに早く気づけば良いと思うのに、彼は苦悶するように目を閉じる。恐らく、に騙されたという過去をまた思い出しているのだ。
通りがかった俺を呼び止めたは、昨夜は長谷部さんの相手をありがとうございましたと律儀に指をつき低く低く頭を下げた。それから、へし切長谷部は今、苦難の中にいるのだと言った。
今の彼は逆境の中にいるのだとはそう信じきっているようだった。遠くの視線にへし切長谷部を思い浮かべ、そして不安を滲ませた。
「苦難か」
「はい」
「なぜそれを俺に言うんだ」
「三日月さんが長谷部さんを気遣ってくださったことが有り難かったからです。わたしでは長谷部さんにしてあげられないことが山ほどありますから」
それからまた、ありがとうの言葉を彼女は重ねた。その様がなんだか痛々しくて俺は彼女の近くへ座った。
「三日月さん?」
「何、せっかくだから主へかみんぐあうととやらをしようかと思ってな」
「かみんぐあうと……?」
「昨夜のへし切長谷部も主のことを話していたぞ」
「それ、ちょっとカミングアウトとは違うような……。でも長谷部さんがわたしの話をですか。あまり、良いことは言われていなさそうですね……」
「そう思うか」
「あのですね、三日月さん。お師匠様に逆らえないのはわたしもですけれど、長谷部さんも相当なものなんですよ」
ほお、と相づちを打つと、はいたずらっぽく笑った。
「長谷部さんはいつだってお師匠様のことが一番で、私のやることがなくなるくらい、とてもいろんなことをしてくださっていました」
「まあ奴は見るからに生真面目そうだからなぁ」
「はい。お師匠様の手伝いは元はわたしのお仕事でした。同じ居場所を奪い合うことになってしまって、だからでしょうか。長谷部さんはわたしと喋ることをいつも嫌がっていました」
「そうなのか?」
「はい。いつも不機嫌そうなしかめ面。本当に煩わしそうで、俺は忙しいんだぞ、お前の相手をしている暇は無いんだぞと顔にありありと書いてあるんです」
彼女が語るのは全て、へし切長谷部に邪険にされた記憶だ。だというのには今にも笑い出しそうなくらいに楽しそうに、以前のへし切長谷部を思い出している。
「しかし、言葉は交わしていたのだろう?」
「それは彼の主から"相手をするように"という言いつけがあったからなんですよ」
「ふむ」
「わたしは全然構わなかったんです。長谷部さんが会話してくださらなくても、全然。だけどお師匠様が気を回してくださって、ある日、会話には付き合うようにと長谷部さんに言いつけたんです。そしたらその日から本当に、お相手をしてくれるようになったんです! もちろん嫌々でしたけど。長谷部さん、本当に真面目なんだなって、わたしなんだかおかしくて……」
「………」
「お師匠様はわたしを本当にかわいがってくださいました。そのことを今も感謝しています。でも、長谷部さんは意にそぐわないことをさせられ、申し訳ないことをしたと思っています」
この主の姿を最初見た時は、体格も無いし、目はやたら優しげで、俺はやはり頼りない娘だと思っていた。だがこんな思いを事も無げに、とんとんと書類の端を揃えながら語る様を見ると、己は思い違いをしていたのだと思い知る。
「ああ、話が逸れましたね。つまり長谷部さんは主命がなければわたしとお話もしなかったし、今も主命があるから嫌々ここにいるだけで、主命がなければすぐにでも帰られてしまう、そういうおひとなんですよ。昔から、ずっとです」
「……、なぁ俺は……、主と奴の間に何か誤解があるんじゃないかと思うんだが……」
「誤解、ですか?」
「ああ」
「誤解は無いと思います!」
なぜそうもはっきりと言い切れてしまうのか。
昨夜と今で、俺は主の知らなかった部分を大いに知った。そして初めてこの人間に厄介さを見いだしたのだ。
「長谷部さん、可哀想です。本当に……」
はそうぼやくと、ところどころ塗りが剥げた使い込んだあとのある文箱、それから筆を取り出した。
「それは?」
「手紙を、書こうと思いまして」
は白い紙のほこりを払いながら、誇らしそうに言う。
「この手紙に長谷部さんの良いところをいっぱい綴ります。彼が今日わたしに何をしてくれたか、どんなに頑張っていてくれるか。そしてわたしの本丸で肩身が狭そうにしている様子だとかも、書かなきゃいけませんね」
「宛て先は、お師匠様とやらか」
「はい。長谷部さんが早く、帰りたい場所に帰れるように。長谷部さんはここにいるべきではありません」
俺の後ろで障子ががたりとふるえたが、はそれに気づかず、筆の先を墨で濡らすと屈託の無い笑顔で言い放った。
「わたし、長谷部さんには幸せになって欲しいんです」
へし切長谷部曰く、彼は俺たちの主・を恨んでいるのだ。それ以上の感情なんて無いと酒を煽りそう言った。
そしてへし切長谷部は頑なに、
「三日月宗近、お前は騙されているんだ」
と繰り返すのだ。俺はただ目を細めて酌を続けた。
客間でこうして俺が、へし切長谷部の相手をしているのは、ひとつは彼女の意向を汲み取った結果であり、またひとつの皮肉だった。
『今日のお夕飯は全員で一緒にいただきましょう、長谷部さんも一緒に。少し狭いかもしれませんが七人ならきっと座れると思います』
部隊の帰還後、主は嬉しそうにそして恥ずかしそうにそう言っていたはず。だが、いざ集まればへし切長谷部はひとり客間で食事をとっているではないか。彼女に聞けば横を向いたまま微笑んで、
『長谷部さんはやっぱりお客様ですから、広いお部屋でゆったり食事を取っていただいています』
と、気丈に背筋を伸ばしていた。
本丸の雨漏りを直させておいて今更客扱いも無いと思う。が、俺も年長者だ。の言葉が隠すものを不作法に暴いたりなどしない。
主たる彼女がへし切長谷部を客と言い切るのなら、俺もそうするまで。彼女に合わせ俺も微笑んで、ゆったりと食事を促し話し相手になるのも"もてなし"のひとつだと酒を手に取って客間を訪ねたのだった。
へし切長谷部は俺は酒には強いと豪語していたが、雨漏りを直す仕事に疲労したのかそれともやけ酒気味なのか、彼は次第に顔を赤らめ今では目を潤ませている。
そして譫言のように、彼女への恨み節を吐くのだ。
「ひどい、ひどい人間ですよ、彼女は」
俺の杯にも注がれた酒に口をつければ彼を歓迎してやれとが出してくれた酒だけのことはあってなかなかの美酒である。本当に彼女がひどい人間ならば、こんなにとびきりの酒なんか出してやらないと思うのだが、へし切長谷部はそういったの心には気づかないようだ。
主が以前世話になったという場からへし切長谷部が現れた時、彼女とへし切長谷部の間に因縁めいたものがあるのは気づいていた。だが彼を縛るのがこうも強い感情だったことには驚かされた。
そうか、そうかと言って聞いていたがあまりに相づちが適当すぎたか。へし切長谷部の据わった目が俺をぎろりと見る。
「言っただろう、三日月宗近、お前は騙されているんだ」
「………」
「聞いているのか?」
「ああ、聞いているさ」
小さな反抗心を読みとられないよう目を細めながら、果たしてそうだろうかと俺は思う。
夕餉を共にしたいと俺たちへ提案した、へし切長谷部は客なのだからと笑んだの姿。嘘吐きと一蹴するには、それらの姿の輝きがあまりにも振り切りがたい。
「うむ、まあ、隠し事の無い人間はそうそういない。人間を信じるというのは騙されてみるということにも通じるからな」
「俺はそんな柔な話をしているんじゃない」
「そうかそうか」
俺は、へし切長谷部が抱くものへ、とやかく言える立場には無いのだろう。と重ねた時間はまだ短い俺だが、この打刀と俺の主・の間に、俺には触れることのできぬ何かの積み重ねがあることは感じ取っていた。
「それで、が憎くて追いかけてきたのか?」
「……それは、違う……」
それからへし切長谷部はいささか醒めたように姿勢を正して、今度の表情は何かを悔いているようだった。
「……、まず俺から追いかけてきたわけでは無い」
「そうだったか」
「ああ。俺がここにいるのはそれが主命だからだ。彼女は……、俺に会うつもりなど無いと何度も、何度も手紙に書いていた。俺の主に宛てた手紙だ。だがあいつは、俺の主には逆らえないからな」
書いた、という言葉にひっかかりを覚える。会うつもりが無いと、何度も書く必要があった。それは裏を返せば、彼女が手紙に「会う」と書けば、二人は顔を合わせる理由のある関係のように聞こえる。
「……なぜこのようなことになっているのか。も心の底では不思議に、そして不愉快に思っているんだろうな」
「不愉快、か。俺にはとてもそうは見えないが」
「言っただろう。あいつは人を騙すんだ。俺はまんまと騙されたことがある」
「………」
「はは、本当に、まんまとな」
そうして漏れたのは、氷柱のように冷たい笑い声だった。
へし切長谷部は気持ちも冷えてきたのらしく、静かに水を飲み始めた。
「……つまらない話を聞かせて悪かった」
「好きなことを話すが良いさ。幸か不幸か、ここにはお主らの過去を知るものはいないからな」
そうこの本丸では、もへし切長谷部も過去から切り離されている。
へし切長谷部がそのことに早く気づけば良いと思うのに、彼は苦悶するように目を閉じる。恐らく、に騙されたという過去をまた思い出しているのだ。
通りがかった俺を呼び止めたは、昨夜は長谷部さんの相手をありがとうございましたと律儀に指をつき低く低く頭を下げた。それから、へし切長谷部は今、苦難の中にいるのだと言った。
今の彼は逆境の中にいるのだとはそう信じきっているようだった。遠くの視線にへし切長谷部を思い浮かべ、そして不安を滲ませた。
「苦難か」
「はい」
「なぜそれを俺に言うんだ」
「三日月さんが長谷部さんを気遣ってくださったことが有り難かったからです。わたしでは長谷部さんにしてあげられないことが山ほどありますから」
それからまた、ありがとうの言葉を彼女は重ねた。その様がなんだか痛々しくて俺は彼女の近くへ座った。
「三日月さん?」
「何、せっかくだから主へかみんぐあうととやらをしようかと思ってな」
「かみんぐあうと……?」
「昨夜のへし切長谷部も主のことを話していたぞ」
「それ、ちょっとカミングアウトとは違うような……。でも長谷部さんがわたしの話をですか。あまり、良いことは言われていなさそうですね……」
「そう思うか」
「あのですね、三日月さん。お師匠様に逆らえないのはわたしもですけれど、長谷部さんも相当なものなんですよ」
ほお、と相づちを打つと、はいたずらっぽく笑った。
「長谷部さんはいつだってお師匠様のことが一番で、私のやることがなくなるくらい、とてもいろんなことをしてくださっていました」
「まあ奴は見るからに生真面目そうだからなぁ」
「はい。お師匠様の手伝いは元はわたしのお仕事でした。同じ居場所を奪い合うことになってしまって、だからでしょうか。長谷部さんはわたしと喋ることをいつも嫌がっていました」
「そうなのか?」
「はい。いつも不機嫌そうなしかめ面。本当に煩わしそうで、俺は忙しいんだぞ、お前の相手をしている暇は無いんだぞと顔にありありと書いてあるんです」
彼女が語るのは全て、へし切長谷部に邪険にされた記憶だ。だというのには今にも笑い出しそうなくらいに楽しそうに、以前のへし切長谷部を思い出している。
「しかし、言葉は交わしていたのだろう?」
「それは彼の主から"相手をするように"という言いつけがあったからなんですよ」
「ふむ」
「わたしは全然構わなかったんです。長谷部さんが会話してくださらなくても、全然。だけどお師匠様が気を回してくださって、ある日、会話には付き合うようにと長谷部さんに言いつけたんです。そしたらその日から本当に、お相手をしてくれるようになったんです! もちろん嫌々でしたけど。長谷部さん、本当に真面目なんだなって、わたしなんだかおかしくて……」
「………」
「お師匠様はわたしを本当にかわいがってくださいました。そのことを今も感謝しています。でも、長谷部さんは意にそぐわないことをさせられ、申し訳ないことをしたと思っています」
この主の姿を最初見た時は、体格も無いし、目はやたら優しげで、俺はやはり頼りない娘だと思っていた。だがこんな思いを事も無げに、とんとんと書類の端を揃えながら語る様を見ると、己は思い違いをしていたのだと思い知る。
「ああ、話が逸れましたね。つまり長谷部さんは主命がなければわたしとお話もしなかったし、今も主命があるから嫌々ここにいるだけで、主命がなければすぐにでも帰られてしまう、そういうおひとなんですよ。昔から、ずっとです」
「……、なぁ俺は……、主と奴の間に何か誤解があるんじゃないかと思うんだが……」
「誤解、ですか?」
「ああ」
「誤解は無いと思います!」
なぜそうもはっきりと言い切れてしまうのか。
昨夜と今で、俺は主の知らなかった部分を大いに知った。そして初めてこの人間に厄介さを見いだしたのだ。
「長谷部さん、可哀想です。本当に……」
はそうぼやくと、ところどころ塗りが剥げた使い込んだあとのある文箱、それから筆を取り出した。
「それは?」
「手紙を、書こうと思いまして」
は白い紙のほこりを払いながら、誇らしそうに言う。
「この手紙に長谷部さんの良いところをいっぱい綴ります。彼が今日わたしに何をしてくれたか、どんなに頑張っていてくれるか。そしてわたしの本丸で肩身が狭そうにしている様子だとかも、書かなきゃいけませんね」
「宛て先は、お師匠様とやらか」
「はい。長谷部さんが早く、帰りたい場所に帰れるように。長谷部さんはここにいるべきではありません」
俺の後ろで障子ががたりとふるえたが、はそれに気づかず、筆の先を墨で濡らすと屈託の無い笑顔で言い放った。
「わたし、長谷部さんには幸せになって欲しいんです」