1ポンドのケーキ

九、
に仕える刀剣男士たちの率いる部隊で戦うこと。そしてこのボロな本丸へ帰ってくることにも多少は慣れては来た。慣れては来たが、帰還すると俺は主人と従者たちの姿を3歩引いて、見ている。皆より引いた位置から見ているせいだろうか、気づいているのは俺だけなのだろうか。俺の思い過ごしと言われたら流されてしまいそうな気づきだ。は帰ってきた部隊のひとりひとりを見ている。その横顔がぐらぐらと揺れているように見えたのだ。
 はいつだってへらへらしている。けれどそのへらへらは一貫しているのだ。俺は顕現してから今までで初めての、崩れそうな彼女の気配を見つけていた。


「相手に遠戦をしかけられるとなかなか、これまでのようには行かんなぁ」
「主君、すみません。軽歩兵の刀装が……、金色で綺麗だったのに……」
「秋田くん。装備より貴方の傷です」
「うむ。秋田はあっぱれな働きぶりだったぞ」
「はい、分かっていますよ」


 短刀を昼戦に出陣させるのは悩ましい判断だ。短刀らは自身の身軽さのため、ひとつの刀装のみを装備し、戦う。軽騎兵や盾兵などもつけられない。
 最大限出来る装備としては一番出来のいい刀装を秋田につけたのだろう。それを秋田藤四郎も分かっていて、失ってしまった悔しさを顔ににじませていた。


「主さん! 今日はほんとに、秋田藤四郎にしつこく投石や弓が飛んで来たんだよ!」
「そうだったんですね。痛かったと思います。秋田くん、ご苦労さまでした」


 秋田藤四郎が受けた集中砲火とも言えた攻撃について訴える浦島虎徹。対して、は秋田の傷を讃えた。
 今の面子で一番脆いのは浦島だ。脆さは単なる練度の低さゆえだ。今は浦島虎徹に経験を踏ませ、練度と上げて部隊の足並みを揃えていく時期でもある。
 その浦島を戦線崩壊させずに敵将の戦いへと引っ張っていった秋田藤四郎をが的確に褒める。誉の有無にとらわれずに、秋田藤四郎の仕事をきっちりと見ていたを前に、俺はやはり苦い気持ちになる。俺の知らない、俺が知ろうとしなかったの姿がこれなのだ。


「被害はあれど皆軽傷で帰ってきてくれました。お疲れさまでした。順番に手入れ部屋に」


 の笑顔と声に促されて、刀たちはそれぞれの歩みで手入れ部屋に向かっていった。

 輪の中に入らず、見つめていた背中だけがぽつんと場に残された。動こうとしない彼女、表情を見せない後頭部。だがそれが芯を失いかけている、ような気がしてたまらず声が出ていた。


「三日月はやはり大したものだな」


 平静を装って続ける。


「三日月が一番の新入りなのは分かっているが、素の強さで部隊から全く引けを取らないな。さすが天下五剣と言ったところか。悔しいがあいつは頼りになる」
「そう、ですね」
「秋田も愛染にも、昼戦は荷が重いが、よく頑張っている」


 そこまで口走り、俺は口を噤んだ。続けていけば、自分に不利益な事実を彼女に告げることになる。
 ”鍛刀は、しないのか”、”今の戦況にはもっと太刀や大太刀といった連中が必要だ”。そこまで親切を告げて彼女が馬鹿正直に刀集めをし出したら、今度こそ俺の出陣はなくなるじゃないか。
 の今日までの審神者としての仕事に、不足は無かった。だから当然のように自分が一から築き上げた部隊を可愛がるに決まっている。脳裏に浮かぶのはお払い箱という言葉だ。


「長谷部さん」
「なんだ」
「正しい判断って、時々苦手です」


 そんなのは俺もだ。俺とを切り離しているのも正しさ、彼女が下した彼女の思う正しい判断だ。


「……お部屋におにぎりを用意してあります。それを食べ終わったら手入れ部屋に来てくださいね」
「ん? ああ……」
「その頃には秋田くんや蜂須賀さんの手入れも終わっているかと思いますので。……手入れ部屋の場所はわかりますか?」


 そう問われて気がついた。膝を頬にひとつづつ受けた切り傷。ごく小さなものだが、これが初めての負傷だ。俺は本日初めて、この本丸の手入れ部屋に行く。そしてから手入れを受ける。






「始めますよ」


 なんだ、と落胆した。部隊の帰還からぐらつきを見せていた。その感情の正体が、まさか俺へ施す手入れへの緊張だったとは。大きなため息が出てしまった。他人のものに本格的に手を入れなければいけないからそんな顔をするのだろう。
 冷めた気持ちで刀を彼女に手渡し、傷を見せた。


「……軽傷ですよ?」


 呆然とそう呟いてしまった。が、ぼろぼろと大粒の涙を流しているからだ。
 がひとつ頷く。彼女が歯をくいしばる必要がなければ、わかっていますよ、とでも言っただろう。
 彼女の情けない泣き顔に感情が渦を巻く。


「俺はきちんと勝ったんです。泣かれる謂われは無いはずですが?」
「別に。長谷部さんが傷ついたから、泣いているわけじゃありません」
「……泣いているじゃないですか」
「皆さんを戦場に送り出すのは私です。危険に晒した責任は全て私にあります。そんなことでは泣きません。私は皆さんの指揮をする審神者ですから……。そう、わたしは審神者に、審神者になったんです……」


 そう当たり前のことをうわごとのように繰り返すとまたはどっと涙を溢れさせた。初めてじっくりと見たの泣き顔は、ほとんど子供だった。
 審神者になってから思った以上に大人びた中身を何度も見せて来ただったが、涙をあふれさせる様子は俺の知っていた、俺が元々だと思い込んでいた雛鳥のようなだった。

 俺は、に触れられずに彼女の泣き樣を見ている。丸まる背を撫ぜたり、ちり紙を手渡したりもできず。

 もっと乱れるだろうか、肺から響かせるようにわあわあと泣かないだろうかと思っていたが、寸のところでは感情を押しとどめて、彼女は俺の手入れを始めた。衣服や傷がひとつ、またひとつと元どおりになる。の涙は止まらない。


「心配なんて、いつもしてます。ほんとは、ひとり、本丸で待つ時間は毎回意識がどこかに飛んでいきそうで」
「………」
「でもこれは、そうじゃないんです、わたしのわがままで泣いているんです……。わたし、わたしの力で長谷部さんを直せるから……」


 そうして涙腺は再度の決壊を見せた。


「何もできない自分が、大嫌いでした……っ。でも、わたしはっ! 今、過去なりたいと願ったわたし、です……。自分の手であなたを直せる、自分の持つ資材を使って、あなたの痛みを取り除くことができる……」


 袖を濡らすを、俺は呆然と見ている。
 なぜ彼女が軽傷なんかでそうも傷ついた顔をするのかと思っていたが、ようやく思い至る。

 出陣で怪我を負った俺。直したいと言い、血やら泥やらで汚れた俺を引き止めた彼女。その手を振り払った記憶を、ようやく思い出す。俺の中では些細な出来事のうちのひとつだ。だが、にとってはこうして取り乱すくらいに根を張った記憶だったらしい。

 あの時のに、俺に手入れを施す能力はあったのだ。俺自身の存在がその証拠だ。けれど俺がを拒絶したのだ。あの本丸に彼女の使っていい物資があるわけが無い、と言って。


「ありがとうございます、長谷部さん。あなたがここに来てくれてよかった……。お師匠様の本丸に残してきてしまったたくさんの後悔が、溶けていくのを感じるんです……」


 彼女が後悔を打ち明けた。心の半分は嬉しさに湧きたつ。少しはあの本丸でのことを省みていてくれていた。
 あとの半分は戸惑いだ。俺を捨てたが全てを忘れて朗らかに生きていたわけでないとしたら。むしろ、あの夜のような何もできなかった経験が彼女を駆り立てたのだとしたら困る。俺がを憎んでいた理由がひとつ、なくなってしまう。

 そして、戸惑いの中に、ひとかけらの叫びがある。
 に、己の手で顕現させたこのへし切長谷部を、置いて来てしまったことを悔やんで欲しい。そしてその後悔をもし抱いているとしたら、決して癒されないで欲しい。後悔が解けてしまったら本当に貴女は、俺と貴女の師匠が統べる本丸から解き放たれて飛んでいってしまう気がしたから。