1ポンドのケーキ

十一、
は鍛刀を行なった時、へし切長谷部の主は自分だと思わなかったのだろうか。己が鍛刀したのだから私の刀であると、欠片くらいは考えてくれただろうか。それともはなから人にやる心づもりで、俺を呼び起こしたのだろうか。
 主に頭を垂れた俺を見て、間違っているとなじりたくなったことは無いのだろうか。自分だってへし切長谷部の主になっていたかもしれない、と思わなかったのだろうか。





 本日の隊長は、珍しく俺だった。いつもは両脇を短刀に挟まれるか、殿(しんがり)を任される。部隊長は基本、蜂須賀だ。けれど『今回は長谷部さんの歩調で進軍を行なってください』と、が俺を部隊長に移動させたのだ。
 内心、誇らしかった。別にに任命を受けたことが嬉しかったのではない、何かを任されると、刀剣男士は皆嬉しいものだ。そういうものだ。

 だがその気分に水を差したのがしきりに俺の機嫌を伺うだった。


『長谷部さん。お願いです。一度のことですので、どうか部隊長を引き受けてくれませんが?』


 実際の出陣にたどり着くまで俺は、に何度『申し訳ありません』と頭を下げられただろうか。彼女は全くもって主らしくない。もっとふてぶてしく、己の判断を信じ切って堂々と言いつけてくれれば良いものを。彼女の師匠のように、主人らしく振る舞えば良いのだ。そうでなければ俺も、選ばれたことを堂々と誇れないというのに。

 たとえ俺が借り物だとしても、俺を誇り、能力を信じてくれるのなら、にも隊長が長谷部なら何も心配はいらないと、明るい顔をしていてほしいものだ。
 だが、があまりに申し訳なさそうに目を伏せて、本当はあってはならないことのように配置を言い渡す。だから俺も苛立ちが募って、結局、彼女を振り払うようにとっとと皆を引き連れ本丸を出てきてしまった。

 の本丸から出陣することにもう随分慣れて、俺はこの部隊にも愛着というものを覚え始めていた。大所帯で華やかだった主の本丸。対して、の本丸に集う刀剣男士たちはそれぞれ能天気なところもあるが、謙虚で真面目だ。
 戦いも基本を大事にする。地道ながら危ない橋を渡らず、着実な戦績をものにしている。気遣いと周囲への観察が細やかな秋田藤四郎に、部隊の士気を引っ張り上げる愛染国俊、常に彼らを見守る蜂須賀虎徹。新参者であることを弁えて一歩退いたところから自分の立ち位置を見極めんとする浦島虎徹と三日月宗近。
 どこか一途な彼らの様子は環境のせいか、それとも身に通うの霊力が刀剣男士を変えるのだろうか。そんなことを時々、俺は考えてしまうのだった。


「……長谷部さん、来てますね」


 第一声を上げたのは秋田藤四郎だった。


「気づいている」
「ふむ、敵襲か」


 各々が敵の気配を察知し、気を引き締める。まさにこれから偵察をこれから出そうという、その時だった。


「待て!」


 空間の歪みから降り立った第三勢力。部隊により鋭い緊張が走った。青く発光するかのような槍の斬撃に、目の前の敵が呆気なく散って行く。


「検非違使か……!」
「来ましたね」
「オレ、偵察、行ってくる!」


 遡行軍を散らした後の奴らが次に狙うのは俺達だ。
 警戒感を強めながら素早く愛染が駆け出した。


「十分に、気をつけるのだぞ」
「わかってるって!」
「俺は検非違使と戦ったことがあるが……、お前らも検非違使は初めてではないな?」
「ああ。気は抜けないが、勝ちは納めてきている」
「……、分かった」


 この部隊で検非違使との戦闘は初だ。しかし交戦、そして勝利の経験はここにいる全員が持っている。決して分が悪い状況ではない。
 だが。


「長谷部。ちと、嫌な予感がするな」


 三日月が、俺の抱いたものを的確に言葉にする。嫌な予感。それだ。太い血管を逆撫でされるような、胸騒ぎがする。足元を不確かにするような嫌な気が体にじっとりとまとわりついてくるのだ。
 愛染の報告が着く前に、部隊と部隊との距離が縮まってしまった。偵察、間に合わず失敗。とにかく戻ってきた愛染を含め、守りをしっかりと固める方陣の陣形をとろうと伝えた、直後だった。

 容赦なく遠戦がしかけられた。愛染が言う。


「なんだこの銃弾の数! いってぇなぁー!」
「銃だと……? 今までの検非違使と、違うのか……?」


 またひとつ、違和感のある状況を示すように蜂須賀の呟きが耳に入る。
 銃弾の数に、いや、検非違使が銃兵を携えていることに部隊が驚いている?なんだこの感覚は?


「油断するな、来るぞ!」


 浦島の掛け声とほぼ同時だった。
 距離を詰めてきた薙刀が振りかぶる。横一閃の斬撃を目で捉えながら、俺は、あの日の主の言葉をようやく思い出した。


『検非違使の奴ら、こちらの強さを見ているな?』


 そうだ、主は言っていた。


『こちらが出陣させる部隊によって、編成が全く違う。頭が痛いな、これは』


 俺が走り出すことすら間に合わなかった。薙刀の一陣で文字通り部隊が、陣形が吹き飛んだのだ。


「愛染、秋田!」


 見ればたったの一薙ぎで横にいた短刀たちが後ろへ吹き飛ばされている。俺の声につられて蜂須賀も振り返るが何が起こったか理解っていない。

 初撃で二振りの戦線崩壊。素早く状況を確認すると、三日月は軽傷で受け止めたようだが、装備がいくつか壊れている。蜂須賀と浦島も本体に傷ができ、辛うじて立っているような状況だ。
 しかし俺は装備に傷がついた程度。俺自身の損害と周りの損害の差があまりにも開きすぎている。
 なんてことだ。主の分析に則るのならば、やはり検非違使は部隊ではなく、”俺”の練度だけを見定めて編成した部隊をぶつけてきた。この強さの検非違使を招いたのは、俺だ。


「浦島、俺の刀装を使え!」
「だめだよ長谷部さん! 勝つ方法は、ひとつしか無、ッ!」


 槍の攻撃を受け止めたはずが、押されて浦島が吹き飛んだ。これで隊の半分が重傷。かろうじて形を保っていた陣形も崩壊する。さらに瞬時に重ねられた薙刀の攻撃。押し込まれる……!
 反撃にと、俺が落とすことが出来たのは太刀だった。


「くそ……ッ!」


 一瞬で崩れ去ろうとしている部隊。立っているのは俺、蜂須賀に三日月だ。ぐるぐると血がうるさいくらいに頭に上がってる。
 それしか知らない馬鹿のように、記憶の引き出しを全てひっくり返して勝つ方法を、生きて帰る方法を俺の思考は探していた。

 かろうじて立っている蜂須賀、三日月。三振りの重症、戦線崩壊。俺は動ける。でも部隊は押し込まれるばかり。
 紛れもない窮地だ。だがここから勝って、生きて帰る方法がひとつだけある。


「……っ浦島の言葉を聞いたか、蜂須賀!」
「ああ、分かっている!」


 薙刀の攻撃がまた重なる。意地で耐えた蜂須賀が血反吐を地面に吐き捨てた。
 蜂須賀には通じている。敵の攻撃を受け止めつつ、目線が合わせた三日月も、こくと頷いた。二振りともが、たったひとつの勝機を理解しているようだった。


「太刀、大太刀の攻撃は俺が引き受ける!どうにか持ち堪えろ!」
「三日月、槍だ! 槍をやるんだ!」
「言われずとも……!」


 蜂須賀が言うと同時に、三日月が的確に敵を討つ。返すように斬撃がまた二人を襲い、部隊はまた前線を下げる。
 重傷の三振りを庇いながら後退しきったところで、俺は細く長い息を吐いた。

 覚悟を決めた俺が一歩前に出る。と同時に敵将の槍兵が前に出た。
 俺以外が崩れた部隊で生き残る方法。一騎打ちに相手の敵将も応じたようだった。


「死ぬのは、楽だが……」


 敵を見据えて己を研ぎ澄ます。と同時に、ああ、俺はこの間もこの口上を垂れたな、と既視感がちらついた。それが口火となって走馬灯のように記憶を引き連れて明滅する。

 俺はついこの前も、一騎打ちに打って出た。それがあの本丸での立場を砕いて、の反吐が出そうになる願いも、叶えられなくなった。何が主の怒りを買ったか、なぜ主が俺を”使いにくくてかなわん”と言ったのか。あの時はわからなかった。







 予定より早い部隊の帰還には部隊の異常を感じ取り、怪我人多数をすでに覚悟していたらしい。刀剣男士全員を出陣させているこの本丸では負傷者を運ぶことなどかなわないと踏んだようで、帰還するとその場に手入れ道具のほとんどが運び込まれていた。
 青白い頬をして部隊を迎え、それでも欠けた顔がないことに僅かに安堵したようだった。
 それこそ戦っているかのような素早い手付きで次々に応急処置を施し、手伝い札を使いつつ手入れを回していく。俺はそんなの姿を魂が抜けたように見つめた。
 なんともない彼女のことを確かめて安心したいのに、血の音がどくどくと体のあちらこちらから聞こえて邪魔をする。血脈が走り、そして傷から流れ出しているようだった。


「長谷部さん?」


 動揺も安堵も押し隠そうとしたまま手入れを続けるに近づこうとする。が、俺の足は上手に動いてくれない。
 息をするとぜえぜえと胸が鳴って、異様に苦しい。しかしそれは傷のせいではなかった。


……っ」
「は、せべさん……?」
「申し訳、ありません」


 俺は跪いた。そして深く深く首を垂れた。


「俺を捨てないでください、どうか、どうかお願いです。ここにいたいんです」


 主は、一騎打ちに出たから、俺を扱いにくいと言い、手放したのだ。

 忠誠を違えたことは無い。俺にできる最高の働きを捧げてきたつもりだった。だからまさかあの時、一騎討ちが主の逆鱗に触れるとも思っていなかった。一度の間違いでまさかやり直しすら、許されないとも。なぜあれほどの怒りを買ったのかは今も思い当たらない。
 だが俺は、出陣先での一瞬の出来事で、本丸での居場所を失ってしまったのだ。そしてあの行動が原因だったと分かっていたのにまた俺は繰り返してしまった。

 鬼のようだった主の顔が目蓋の裏に赤く浮かぶ。それと同じ顔を、が今に浮かべるのではないかと思うととうてい顔を上げられない。


「俺の行為は、いけなかったかと思います。だけど生きて帰りたかった。許して、、俺を許してくだ……」
「いやです」


 許しを得るまであげないつもりだった頭を上げてしまった。それがまた俺の弱さだった。


「許し? 何を許せと言うのです。私は貴方を失うところだった。貴方が使命を、願いを果たせない方法で、折るところだった」


 は涙をこぼしていた。そして怒っていた。少女めいた瞳の奥はまるで鬼が取り憑いたように暗く燃えていて、歪められたまま俺に裁きを下す。


「こんなのは嫌。もう嫌です。私に長谷部さんは扱えません」


 頑なな声。信念を思わせる、崩せそうにもない冷酷な眼差し。
 視界の全てが墨塗りになったようだった。前が見えているのに全てが色を失っていた。







 あのあとが正面から俺を見上げることもなかったし、俺もの顔を見ることができなかった。

 そして気づけば、あの女性が俺の前に立っていた。


「なんだまた、ここに戻って来たのか」
「主……」


 そう呟くと、主はハハ、と笑った。


「また会えたな、長谷部」


 恐ろしい顔で俺を追い出したくせに、主は慈愛に満ちた顔で俺を迎えてくれたのだった。