十二、
元の場所に戻ったと、思わねばならない。主人のもとに戻れたのだと張り切って職務に努めねばならない。だけど一度追い払われた場所だからだろうか、俺は何も与えられず主の本丸で腐っている。の元で「鈍刀になりたくない」と訴えたのは何だったのか、自分自身に問い質したくなるくらい、腐っている。
「ほんとだ、長谷部さん、すごい絶望感漂わせてる」
俺を一笑したのは鯰尾だった。
「確かにこれじゃ、主も放っておくように言うわけだ」
「……違う。主は元からもう俺を使う気はないんだ」
鯰尾だって、事の顛末を知っているはずだ。そもそも一騎討ちという俺の行動に主がかんかんになって怒っていると伝えてくれたのはこの鯰尾だった。
以来感情が乱されっぱなしの濃すぎる日々に見舞われ、あの時がもう随分昔に思える。
「、元気でした?」
そういえばこいつは、俺たちの中ではよくに構う刀剣男士だった。からかいやすさか、気安さか、ごく自然に二人はじゃれあっていて、まるで兄弟のように見える時もあった。
「せっかくだから聞かせてくださいよ、のこと」
「まあしぶとく生きてたぞ」
「またまたぁ。素直じゃないなあ、長谷部さんは」
元の本丸に戻れたというのに、主の妙に優しい笑顔に向かい入れられてからというものなんだか俺は気が抜けて、腑抜けになっていた。
今の俺には鯰尾の茶々にいい返す気力も無く、むしろ流されてしまう。つまらない意地を張るための気力さえ枯れている。
「……ここにいたとは思えないくらい審神者らしくなっていた」
「へえ」
「立派に刀剣男士の忠誠も集めていた」
春の終わりとは思えないほど、の受け持った本丸を思い返すと眩しい記憶ばかりだ。真っ直ぐに、だけしか知らず、主人のもと集えるあいつらは特に、羨ましくて仕方がなかった。
「小さな本丸だよ。俺を含めても六振りしかいないんだ。だけど力を合わせてよくやってた」
駆け出しの本丸に集った刀たちはそれぞれが自分の担うものの重要さを感じて、堅実な鍛錬を重ねていた。秋田藤四郎なんかは、時に俺のように強くなるのが目標だと言ってくれた。
隙間時間を見つけ、皆で手入れをしたボロ屋敷。雨漏りを直し、床を磨き、新しい畳を入れた時はその未だ青い香りが爽快だった。
円卓を囲んで食事ができる程度の小さな本丸だ。人手は常に足りず、もあちこち歩き回っていることの方が多かった。だけどその横顔に、苦痛が見えたことは一度もなかった。
違う、あそこにあったのは春の終わりではない。夏の始まりだ。拙いながらも、これから始まろうとする輝きに満ちていた。
同じ部隊で幾度も出陣を重ねたせいか、蜂須賀虎徹たちの顔がこの本丸にないことが違和感を覚える。
思い出すうちに、硬く眉根が寄っていく。俺も、あそこに帰りたかった。だというのに。
「俺はまた、やってしまったんだ」
「え?」
「一騎討ちだよ。俺はここでも一騎討ちをしかけ、そのせいで追放されたのに。それを思い出したのは仕掛けた後だったな。体が動いていたんだ」
刀剣男士としての終わりが見えた瞬間、何重にも固めて来た嘘が意味を失って剥がれ落ちた。
帰りたい。俺の練度に合わせて現れた検非違使によって次々に仲間が落とされていく中、俺の願いはそれだった。誰も欠けることなく、全員を引き連れて、あの本丸に帰りたい。こんなところであの日々を途切れさせてたまるかという想いが、俺の理性をぶった斬ったのだ。
悔しくも、認めざるを得ない。に二度と会えなくなるのが嫌で、戦っていた、なんて。
主への裏切りと分かっていて、だけどそれでも抱いてしまった。
なのにそれも叶わず、俺は何をしているのか。乾いた笑いも出るというものだ。
「長谷部さん、頭堅いなぁ」
へらへらと笑う俺の横にいた鯰尾は、痩身に見える背から重たいため息を吐いた。
「なんだと」
「よく考えてくださいよ。一騎討ちが悪いわけじゃないですって」
「……、それもそうだな」
言われて見ればその通りだ。とってはならない戦略なら、俺たち刀剣男士の共通認識に一騎打ちは存在しないはず。それどころか固く禁じられてしかるべきだ。
だが、刀剣男士全員が了解している。もちろん部隊が極地まで追い込まれた時の最終手段としてだが、一騎打ちは部隊長となった暁には最期の最期でも勝機を奪い取るための一個の戦術だ。
実際に一騎打ちで敵将を勝ち取ったことによって、部隊は二度も帰還を果たせたのだ。一騎打ちとは多くの危険を孕むが、有効な戦術なのだ。
「じゃあなんで主はあんなに俺に対して怒りを露わにしたんだ……?」
「さあ?」
なんだ、こいつもそこまで分かっていないんじゃないか。無責任な鯰尾の物言いに肩から力が抜ける。
「でもうちの主のこと、よくよく考えて見てくださいよ。あのひとが鬼のように怒る物事って言ったら限られてますって」
主によく仕える。それはにわざわざ言われる前から俺が身を捧げて来たことだ。主の良き従者になるために主のものの考え方についても自分なりに熟考し、ある程度推し量れるようにしていた、つもりだったのだが。
「さっぱり分からん……」
「あらら。じゃあもう本人に聞いたらいいじゃないですか」
「……鯰尾、お前、頭いいな?」
帰って来てからの俺は、鯰尾の気負わない発言に助けられてばかりだ。嫌いな奴相手でも馬糞を投げようとする思考は一生理解できないが、一瞬だけ、俺も鯰尾のようにあれたらな、と思えた。
「今の絶不調な長谷部さんには負ける気がしませんよ!」
これまでの俺ならその発言にも苛立ちを覚えていたかもしれないが、鯰尾の言う通り俺は絶不調なのだろう。歯を見せて笑う鯰尾に、気分が多少、救われたのだった。
元の場所に戻ったと、思わねばならない。主人のもとに戻れたのだと張り切って職務に努めねばならない。だけど一度追い払われた場所だからだろうか、俺は何も与えられず主の本丸で腐っている。の元で「鈍刀になりたくない」と訴えたのは何だったのか、自分自身に問い質したくなるくらい、腐っている。
「ほんとだ、長谷部さん、すごい絶望感漂わせてる」
俺を一笑したのは鯰尾だった。
「確かにこれじゃ、主も放っておくように言うわけだ」
「……違う。主は元からもう俺を使う気はないんだ」
鯰尾だって、事の顛末を知っているはずだ。そもそも一騎討ちという俺の行動に主がかんかんになって怒っていると伝えてくれたのはこの鯰尾だった。
以来感情が乱されっぱなしの濃すぎる日々に見舞われ、あの時がもう随分昔に思える。
「、元気でした?」
そういえばこいつは、俺たちの中ではよくに構う刀剣男士だった。からかいやすさか、気安さか、ごく自然に二人はじゃれあっていて、まるで兄弟のように見える時もあった。
「せっかくだから聞かせてくださいよ、のこと」
「まあしぶとく生きてたぞ」
「またまたぁ。素直じゃないなあ、長谷部さんは」
元の本丸に戻れたというのに、主の妙に優しい笑顔に向かい入れられてからというものなんだか俺は気が抜けて、腑抜けになっていた。
今の俺には鯰尾の茶々にいい返す気力も無く、むしろ流されてしまう。つまらない意地を張るための気力さえ枯れている。
「……ここにいたとは思えないくらい審神者らしくなっていた」
「へえ」
「立派に刀剣男士の忠誠も集めていた」
春の終わりとは思えないほど、の受け持った本丸を思い返すと眩しい記憶ばかりだ。真っ直ぐに、だけしか知らず、主人のもと集えるあいつらは特に、羨ましくて仕方がなかった。
「小さな本丸だよ。俺を含めても六振りしかいないんだ。だけど力を合わせてよくやってた」
駆け出しの本丸に集った刀たちはそれぞれが自分の担うものの重要さを感じて、堅実な鍛錬を重ねていた。秋田藤四郎なんかは、時に俺のように強くなるのが目標だと言ってくれた。
隙間時間を見つけ、皆で手入れをしたボロ屋敷。雨漏りを直し、床を磨き、新しい畳を入れた時はその未だ青い香りが爽快だった。
円卓を囲んで食事ができる程度の小さな本丸だ。人手は常に足りず、もあちこち歩き回っていることの方が多かった。だけどその横顔に、苦痛が見えたことは一度もなかった。
違う、あそこにあったのは春の終わりではない。夏の始まりだ。拙いながらも、これから始まろうとする輝きに満ちていた。
同じ部隊で幾度も出陣を重ねたせいか、蜂須賀虎徹たちの顔がこの本丸にないことが違和感を覚える。
思い出すうちに、硬く眉根が寄っていく。俺も、あそこに帰りたかった。だというのに。
「俺はまた、やってしまったんだ」
「え?」
「一騎討ちだよ。俺はここでも一騎討ちをしかけ、そのせいで追放されたのに。それを思い出したのは仕掛けた後だったな。体が動いていたんだ」
刀剣男士としての終わりが見えた瞬間、何重にも固めて来た嘘が意味を失って剥がれ落ちた。
帰りたい。俺の練度に合わせて現れた検非違使によって次々に仲間が落とされていく中、俺の願いはそれだった。誰も欠けることなく、全員を引き連れて、あの本丸に帰りたい。こんなところであの日々を途切れさせてたまるかという想いが、俺の理性をぶった斬ったのだ。
悔しくも、認めざるを得ない。に二度と会えなくなるのが嫌で、戦っていた、なんて。
主への裏切りと分かっていて、だけどそれでも抱いてしまった。
なのにそれも叶わず、俺は何をしているのか。乾いた笑いも出るというものだ。
「長谷部さん、頭堅いなぁ」
へらへらと笑う俺の横にいた鯰尾は、痩身に見える背から重たいため息を吐いた。
「なんだと」
「よく考えてくださいよ。一騎討ちが悪いわけじゃないですって」
「……、それもそうだな」
言われて見ればその通りだ。とってはならない戦略なら、俺たち刀剣男士の共通認識に一騎打ちは存在しないはず。それどころか固く禁じられてしかるべきだ。
だが、刀剣男士全員が了解している。もちろん部隊が極地まで追い込まれた時の最終手段としてだが、一騎打ちは部隊長となった暁には最期の最期でも勝機を奪い取るための一個の戦術だ。
実際に一騎打ちで敵将を勝ち取ったことによって、部隊は二度も帰還を果たせたのだ。一騎打ちとは多くの危険を孕むが、有効な戦術なのだ。
「じゃあなんで主はあんなに俺に対して怒りを露わにしたんだ……?」
「さあ?」
なんだ、こいつもそこまで分かっていないんじゃないか。無責任な鯰尾の物言いに肩から力が抜ける。
「でもうちの主のこと、よくよく考えて見てくださいよ。あのひとが鬼のように怒る物事って言ったら限られてますって」
主によく仕える。それはにわざわざ言われる前から俺が身を捧げて来たことだ。主の良き従者になるために主のものの考え方についても自分なりに熟考し、ある程度推し量れるようにしていた、つもりだったのだが。
「さっぱり分からん……」
「あらら。じゃあもう本人に聞いたらいいじゃないですか」
「……鯰尾、お前、頭いいな?」
帰って来てからの俺は、鯰尾の気負わない発言に助けられてばかりだ。嫌いな奴相手でも馬糞を投げようとする思考は一生理解できないが、一瞬だけ、俺も鯰尾のようにあれたらな、と思えた。
「今の絶不調な長谷部さんには負ける気がしませんよ!」
これまでの俺ならその発言にも苛立ちを覚えていたかもしれないが、鯰尾の言う通り俺は絶不調なのだろう。歯を見せて笑う鯰尾に、気分が多少、救われたのだった。