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※現代パロ、一期一振は大学生。割と苦学生
※こまかいこときにしないで……





 親から受け継いだ小さなマンションは私に不労所得をもたらす。もちろんトラブル、不動産の管理などの余計な悩みも増えたが、私は大家として送る人生にそこそこ納得をしていた。
 ある日、うちの物件を見に来たのは一期一振さん、という大学生だった。小綺麗な身なりで、物腰は穏やかだが、意外に大きな口を開けて朗らかに笑う男の人だ。その大学生は、離れて暮らしていた兄弟が何人か上京してくるので、ワンルームじゃなく少し広めの物件を探しているとのことだった。
 うちは駅からは歩かされるが、家賃の割には広い。そこを彼も気に入ったようで、とんとん拍子に契約となった。

 本人から聞いていた通り、契約直後、というか引っ越しの日から彼の周りには、個性豊かな弟達が訪れた。性格も、容姿も様々だったが、皆に共通する、何ともいえぬ“規律”、のようなもの。それがばらばらな彼らを、兄弟の枠に納めているようだった。一期さんはその兄弟の中で、ずっとずっと幸せそうに笑っていた。
 私はというと、その一家の様子を、柱に寄りかかりながら、何も手伝わずに見ていたが、一期さんの始終笑んでいる様子を見て、兄弟たちを愛しているのだと知り、すごすごと最上階の自室へと戻った。

 引っ越した後から、それから一月経っても、一期一振さんの元には兄弟たちが訪れた。時には「ただいまー」と言って、彼の部屋に吸い込まれていく子を見た。
 間取りをよくよく知っている私は、不意に心配になったのだ。

 あの部屋に、何人が生活しているのだろう。


「一期一振さん、大家として聞きます。貴方たち、いったい何人であの部屋を利用しているんですか」
「11人ですな、今のところ」


 兄弟の数は間違えようも無いのか、さらりと答えが返ってきた。


「じゅ、じゅういち……」
「はい。……あ、もうしかして騒音などでご迷惑を。申し訳ない。皆によく言って聞かせます」
「あ、いや、それは大丈夫なんですけどね、おそらく、たぶん……」


 もう貴方たち以外の住民、ほとんどいませんから、とは口が裂けても言えない。


「私が驚いてるのは、あの部屋で、あの間取りで11人が寝泊まりしてるってことですよ」
「ああ、そのことですか。心配には及びません。おかげさまでどうにかなっています」
「どうにか?」
「ええ、どうにか」


 それ以上はつっこまれたく無いのか、一期さんは隙のない笑みを浮かべ「では」と断りを入れると、私を通り過ぎていってしまった。


「一期一振さん、大家として提案があります」
「……はい、何でしょうか」
「もう一部屋、貸しましょうか。一期さんが責任を持って、あの弟さん達以外を入れないというのなら。割引、しますよ」
「いくらですか」


 即決だった。一期さん曰く、弟たちが自分の部屋にあまりに通い、そろそろ住み着きそうでそれは兄として歓迎するのだが弟たちが移動をする度に交通費が地味にかさみ、かえって家計を圧迫しているだとか。でもそれを言い出すと皆が徒歩や自転車で無理な移動をして、交通量の多い道を行き来させるのはとても心配だったとか、11人の雑魚寝は本当にぎりぎりで自分はいよいよキッチンで寝ようかと考えていたところだったとかなんとか、かんとか。
 とにかく私の提案は渡りに船だったようで、またとんとんと契約が決まった。


「こんなに、安くしてもらって良いのでしょうか」
「引っ越しシーズン過ぎちゃったのにぜんぜん部屋はけてないですし、焦って変な住民を抱え込むより、ちゃんとされてる一期さんのご兄弟に利用してもらったほうが、総合的にはおいしいんですよ」
「………」
「え、何ですか」
「いや、はは、随分正直におっしゃるので、あっはは」


 弟たちを見守るような笑顔なら、何度も見てきた。だけどそれらはすべて、横顔だった。
 その時笑顔は私に向けられていたばかりか、お腹を大きな手の平でおさえ、砕けたように一期さんは笑っていた。あっははは、なんて、抜けるような笑い声を受けた私は、なんと、言うのだろうか。朝の霧が私を包み、冷たい水滴を頬に無数にぶつけて、去っていったような、目の覚めるような心地にいた。






 科学も来るところまで来たと言われる現代でも、帰り道に見る夕陽の色だけは古くさいと思うことがある。数年前には太陽の存在の危うさが巷でまことしやかに囁かれたりもしたが、結局あの火の玉は変わらず、夕暮れ時になればこの町の道を西側より、片っ端から染めあげる。すべてを、茜色に。この時間の中では自己嫌悪までが古くさい色だ。それを見上げる私に宿るのは、とても良いと呼べる感情では無かった。夕陽を懐かしいと称すことのできない人間の内面など、お察しである。


殿、持ちますよ」


 一期さんの存在に驚く間も無かった、一期さんは私の手の中にあったビニール袋を取り去った。今夜の晩ご飯になる安価なプリンやティラミスしか入っていない袋が彼の手に落ちてしまった。
 彼は西の空を見上げ、言う。とても綺麗ですね、なんだか懐かしい匂いがします。それから、あ、一番星ですと目を穏やかにきらめかせる。私は気疲れを覚えながらも彼が指さす方角を見ると、確かにそこに砂粒のような一番星が光っていた。


「……一期さんてほんと、意味も無く笑う」
「意味ならありますよ。今日も一日が無事に終わりそうだ。さ、帰りましょう」


 私を帰路へと促す様は、彼にとても似合っている。が、とても大学生とは思えない。


「別に置いていっても良いのよ」
「何を言いますか。同じ建物に帰るのだから、帰り道も共に」
「………」
「ほら」


 ふてくされる私に、この男は動揺したりしない。おそらく見慣れてしまっているのだ。こんな時にふくれる子供の心理を、知り尽くしている。彼は下手なことは何も言わずに私の手を握って、家のある方へと引っ張った。
 私と彼は、帰る場所が同じだから。……そういう言い方をするとなんだかじれったい気持ちになるが、現実はもう少し冷めたものである。彼は、私が大家をつとめる、小さなマンションの住民。それだけだ。
 その手にある甘味だって、元はと言えば私が家賃として徴収した一期さんのアルバイト代なのだが。

 ちらりと見上げた彼はまた、笑っている。何もおかしいことは無いのに。
 厚く、色も良い唇が少し薄くなって伸びている。気づけば私はそれを長い間見上げていて、一期さんが視線をこちらに向けるまでそれは続いた。


「何も、おかしくは無いですよ。まだ苦労も多いですが私は幸せだ。弟達と暮らせて、学業もとてもやりごたえがあります」


 私は手の中にある、一期さんの小さな脈をひたすら探って、感じようとした。
 親から受け継いだ小さなマンションは私に不労所得をもたらす。もちろんトラブル、不動産の管理などの余計な悩みもついてくる。けれど、今、こうして手を引いて一緒に帰ってくれる彼の存在も、あの広い割に家賃を取れないマンションあってこそなのだ。


殿。空が紫色になってきましたよ」


 言われて見上げると、空の茜色は弱り始めて、夜の色と混ざり合う。それが、怪しくもまどろみを覚えさせる紫色に成っていた。

 この人に手を引かれ、美しい景色を見る。私はさっきまで「古くさい」などと文句をつけていたというのに、今、この人が登場してから、不思議な充足を感じている。
 ああ、これが欲しかった。そう思った。オブラートを知らない物言いに、一期さんが砕けた笑顔をくれた日から、私はこんな日を夢見ていたのだ。まがい物でも、叶った願いに涙腺が緩む。


『一期さん』


 大学かアルバイトか知らないが、マンションから出かけようとする彼を引き留めたのは、二つ目の部屋を貸して間もない日だった。
 昨日は深夜になっても帰ってこなかったというのに、こんな朝にきちんと髪も綺麗にさせて出かけていく。苦労が顔にでないのは、弟たちと共に在るからなのだろうか。私の、生来の卑屈な気持ちが顔を覗かせる。


『何でしょうか』
『一期さん、アルバイト大変ですね。……良かったら、もう少し家賃安くしましょうか』
『え』
『その代わり、交換条件があります』


 大家というのは損もあるが、得もする。働かないで得られるお金もそうだけどそれ以上に、こんな受け身な人生を送っていても、家族がいて家族を愛して家族のために働ける、こんな縁遠い存在が向こうから飛び込んで、人生の中でかかわり合うことができる。


『一期さん、私を愛してください』
『………』
『家賃、二万円引きしますよ』


 バカみたいな願いと、現実をセットでプレゼントした、それこそバカらしい行為。だけど、彼は何を思ったがまた即決を私にくれた。はい、わかりましたと、笑顔も添えて。


 二万円と引き替えの愛を、一期さんは今のところきちんと私に与えてくれる。二万円分の愛とはなんともぼんやりした定義だが、道で見かければ、優しく声をかけ、重くもない荷物を持って、帰り道を共にしてくれる。とても、自然な動作で。

 この人は何を考えているんだろう。本当は信じる方が頭おかしい彼の愛を疑いながら、隣を歩く。そうだ、信じる方がおかしい、アテにするなんて脳が足りない。全ての優しさは契約の上にある。分かっていながら今日も私は、繋いだ手のぬくもりを噛みしめて、その奥の鼓動を探っている。






(つづかないかもしれない&つづくかもしれない)