らりるらメゾン


 レジ向こう、彼らの膝小僧は見えていた。だけどわたしはそれが誰かどころか、どんな人物かも確かめようとせずに機械的にお客様の買い物かごを引き寄せていた。


「いらっしゃいませ。お預かりします」
「あ、大屋さん」
「………」


 向こうから声をかけられて、視線を上げて、ようやく私は気が付いた。レジに商品かごを乗せたのが一期さんのところの弟たちだと。
 整った顔立ちの男の子が四人、揃いの制服に身を包んでレジと商品を詰め込んだかごを挟んでこちらを見ていた。


「ほんとだ!」
「大家さんはありませんか」
「こんにちは、大家さん」
「こ、こんにちは」


 わたしが反応を示したのを見て、彼らの顔が次々に笑顔で華やぐ。
 瞳が丸く大きかったりまつげが長かったり。少年らしいすらりとした足が眩しかったり。成長すれば一期さんに勝るとも劣らない美しさのある男性になりそうな、将来有望な少年たちの代わる代わるの笑顔はなんて眩しいのだろう。私は目を背けた。


「……ごめんなさい。一期さんのとこの子っていうのはわかるんだけど、名前が、その……」


 本当に申し訳なくてならない。だけど、彼らはかけらも気にした様子は無く、ひとりは「僕たちから自己紹介って、したこと無かったですもんね!」なんて頷く。
 頷きをくれた男の子が、大きな瞳を潤ませて笑う。


「僕は、秋田です。秋田藤四郎」
「前田藤四郎と申します」
「平野藤四郎です」
「あっ、す、すみません……。ぼ、僕は五虎退です……。大家さん、ここで働いていたんですね」
「秋田くんに前田くん、平野くん、五虎退くん……。覚えられなかったらごめんなさい」
「構いません。私たちは兄弟も多いので。兄弟一括りにされることも決して少なくありません。慣れています」


 兄弟一括りにされてしまうのに慣れている、というのもどうかと思ったけれど、それを口にすることはできなかった。情けないことに私は、きりっとした物言いの前田くんにすら圧倒されてしまう。どこか逃げ腰になりながらわたしは自分の仕事、レジ係りとして彼らが持ってきた商品をレジに通した。
 ピッピッというバーコードを通す音が妙に響く。待っている間もふざけることなく、彼らは大人しい。小学生の男の子ならちょっとの時間も見逃さず、馬鹿馬鹿しいことでふざけたりしそうなものなのに。
 彼らがきっと特別なんだろう。だって一期さんのところの兄弟なのだから。

 一期さんのところの兄弟たちはなんとなくテレビで生活の一部始終を映される大家族とは一線を画している。皆とても礼儀正しいし、性格こそそれぞれだけど、どこか気品が漂う。
 彼らの学校についても聞いたことは無いけれど、恐らく全員が私立の学校に通っている。だって、目の前の四人は揃いの制服を着ているからだ。そもそもたくさんの兄弟をそんな学校に通わせられる時点で、違っている。
 紺色に金ボタンが光る格式を感じる制服。細工の美しい帽子。それらは彼らによく似合っていて、短いズボンから伸びる、すらりと白く長い足が眩しい。

 私は彼らの全てを直視しないようにしながら、お金を受け取り、お釣りを返した。


「大家さん」
「は、はい」
「今日、僕たちたこ焼きパーティーをするんです」


 さして驚きは無かった。だって彼らが買おうとしているものは、茹でたこ、たこ焼き用のミックス粉、たこ焼きソース、青のり、かつおぶし、紅ショウガなどなど……。どう見てもたこ焼きの材料ばかりだからだ。


「たこ焼きパーティーか。いいね」


 みんな私立に通うお坊っちゃんたちでも、たこ焼きパーティーなんてするんだ。それは少し意外で、圧倒され気味だったわたしの気持ちが思わず緩んだ。


「みんなでやったら、きっと楽しいね」
「はい! 僕、すっごく楽しみです!」
「大家さんもよろしかったら来てください」


 緩んでいた気持ちがまた凍ったように固まった。


「わ、私?」
「はい、是非。いらしてください」
「な、ど、どうして」
「どうしてと言われましても」
「来てくれたら良いなって思うからです……、す、すみません……」
「待って、一期さんはこのこと……」
「いち兄は知りませんが……」
「なっなら、一期さんに許可をとった方が良いと思うの……」


 勝手にお家に上がり込むのは恐ろしい。お家って言っても私のマンションだけど。
 お部屋の中は彼らの生活スペースだ。そこに無断で私なんかが入り込めば一期さんがなんて言うか。いいや、一期さんなら思っても何も言ってくれないかもしれない。怒ってくれたならまだいいけれど、それすらもしてくれないような気がする。
 気持ちがずん、と重たくなっていくのに、目の前の彼らは気づいていないようだった。


「分かりました、いち兄には連絡いたします」
「はい。私たちから伝えておきますのでご安心ください」
「きっと来てくださいね! 僕たち、待ってますから!」


 事後承諾じゃ意味が無い。罪は犯してからでは全て遅いのだというのに。たこ焼きパーティーの材料を入手して笑顔の彼らに制止は届かなかった。




 私はアルバイトを上がるとすぐさま近所のケーキ屋さんに駆け込んだ。そして人数分のシュークリームを買った。10個以上のシュークリームの詰まったボックスを受け取った私に、みんな喜んでくれるかななんて気持ちは無く、ただひたすらに許しを求めていた。
 一期さんの家の、家族の、たこ焼きパーティーに私なんかが出ていくことが、とにかく責められないようにと。
 インターホンを鳴らず指が震えた。扉が開いたらまずはシュークリームを渡すのだ。中に入ってはいけない。とにかくそれを受け取ってもらってから、一期さんの許可があるのか、聞くのだ。
 出てきたのは真っ白い肌に藤色の瞳をした、艶のある少年だった。


「大家です。こ、こんばんは」
「ああ、話は聞いてるぜ」
「あ、あの、あなたは」
「ん? ああ、俺っちは薬研藤四郎だ」
「薬研さん」
「そんなにかしこまらないでくれ」


 そう言われても、白い喉に反した男らしい落ち着いた声に思わず気圧されてしまう。私自身気弱な人間なのも相まって、薬研くん、なんて気軽に呼べる雰囲気を彼からは感じられない。


「あの、これ。皆さんでどうぞ」
「ん? ああ、わりーな。気なんか使わなくても良かったのに」
「いえ」


 シュークリームは無事に渡せた。そこから固まったままの私に、薬研さんは苦笑いしながらも半身を引いた。部屋の中の様子が見える。中には数人の少年の影、設置されたたこ焼き器など、パーティーの様子が伺える。楽しげな声が聞こえて、思わず足が引き寄せられる。


「さ、入ってくれ」


 けれど、招きには応じられない。
 一期さんが良いと言わなければ私はこの部屋に上がり込むつもりは無い。


「……一期さんは、なんて?」
「ああ。まだ返事は来てないが。別に良いだろ」
「だ、だめ」
「………」
「返事が来るまで、待ちます」


 それが正しいに決まっている。とにかく私は部外者なのだから、勝手な行動はできない。


「一期さんがだめと言うなら、それで良いんです。家族の、楽しい時間のお邪魔にはなりたくないので」
「いち兄がダメというわけが無いだろ」
「そんなの分かりません」
「へえ。あんたが知るいち兄は随分狭量なんだな。俺が知るいち兄とまるで別人だ。その話、俺によーく聞かせてくれよ」


 声変わりは済んだのであろう薬研くんの声がいっそう低く、怪しく響いた。かと思ったら、ぐいと手を引かれた。その手にバランスを崩されて、一歩、踏み入れてしまった。その空間へ。
 あっと思ったときには、薬研さんが後ろのドアを閉めていて、もうひとつあっと驚いている間に薬研さんは、部屋の奥へ進んでシュークリームの箱を高らかに掲げた。


「大将からシュークリームの差し入れだ!」


 私はいつの間にか大将と呼ばれるようになっていた。「あ、大家さん」と、レジで会った秋田くんが部屋の光の中、笑っている。




 たこ焼きパーティー自体は私が到着して、少ししてから始まった。おそらくぎりぎりまで一期さんを待っていたのだと思う。

 私はパーティーの客人として扱われているようだった。少し奥まった席につくよう誘導され、ひとつクッションまで渡された。冷たいお茶をもらって、食器は全て、目の前に用意してもらった。一期さんの弟たちは全員が息がぴったりで、私が動く隙なんて微塵も無く。視線が翻弄されているうちにどんどん、パーティーの準備が進められていく。
 何か手伝うと言うと、立ち上がろうとしても「人数が多くて危ないから」とか「みんなもう席につくから」と上手に制止されてしまう。私は目の前の光景に目を回しながら、ちびちびと出されたお茶を飲んでいた。
 そっと私の横にまた、名前を知らない子が座る。


「はい、大家さん。お茶」


 さらりとした長い髪を肩から滑らせながら、その子はお茶をついでくれた。


「ご、ごめんなさい」
「えっ、なんで?」


 青い、ガラス玉みたいな瞳が見開かれる。すごく綺麗な子だけれど、多分この子も男の子だ。


「私、いるだけだから……」
「大家さんはお客さんじゃない。いるだけでいいの」
「でも……」
「大家さん、もしかして帰りたい?」


 そう言って彼はふふっと笑う。
 図星だった。せっかく招き入れてもらったのに、帰りたいだなんて本心を見透かされ、胃がぐるりとかき混ぜられたような気分になった。


「ご、ごめんなさい。気を悪くしないで。こういうの慣れていないだけなの……」
「こういうのって、たこ焼きパーティーが?」
「ううん……」


 もちろんたこ焼きパーティーというものに参加するのは初めてだ。けれど、ひとつ家族の中に身をおく状況の方が、私を強く揺さぶる。


「もう少しでたこ焼き、できあがるよ」
「ありがとうございます……」
「いち兄、早く帰ってくれば良いのにね」
「………」


 彼の言うことに、完全には頷けない。
 一期さんが帰ってきて欲しいとは思う。彼がちゃんと家族の元へ帰ってきて欲しい、と。
 だけど願いを言うならば、一期さんが帰ってきても、皆の中にいる私を見つけなければ良いのにと願ってしまう。

 ここは素敵な場所だ。みんながそれぞれの性格を出しているのに、みんな仲良しだ。たくさんの兄弟が見ている側が暖まるような笑顔を浮かべて、日常の中のいつもより特別な夜を送ろうとしている。普通なら入り込めない、家族のパーティーはなぜだか私に向かって扉が開かれていて、今私は暖かい白熱灯の色に染められている。
 だけど、私は心に苦しさを抱えていた。私には、ここに存在していて良い自信が、さっぱり持てないのだ。

 透明人間になりたい、と思った。

 透明人間になりたい。ここは暖かい。何もできないくせに、もっとここにいたいと思う。だけど、私は本来ならばいない人間だ。
 透明人間になれれば良い。ここにいるひと全員に構われなくたって、そんなのは全然平気だ。むしろそれで良い。ここに一期さんが帰ってきても、私は気づかれないままに、幸福の匂いする優しい空気を吸っていたい。そうだ、それが良い。

 そんな願いが膨らみ過ぎて私は、焼き上がったたこ焼きを三つか四つか食べてから、机に突っ伏して寝たふりなんかをしてしまった。そうすれば、しばらく彼らは私のこと、放っておいてくれるだろうと考えたのだ。
 寝たふりをするのはすぐに名案であることが分かった。寝ているのだと分かれば誰も話しかけてこない。気を遣うこともない。彼らが食べるたこ焼きやお茶が減ることも無い。
 置物のような女はいるけれども、彼らは彼らだけの楽しいパーティーを過ごせる。

 視界は暗いけれどもひたすらに耳が暖かい。幸せそうな子たちの声ってなんて良いんだろう。それも一期さんの弟たちはみんな憎めない良い子ばかりだ。
 やがて、ドアの開く音と、一番憎めないひとの声が耳たぶに触れた。


「ただいま」
「いち兄!」
「おかえりなさいっ」
「間に合ったようだね」
「何言ってんだ、いち兄! 遅刻だぜ」
「はは、すまない」


 多分一期さんの上着を脱ぐ音、多分一期さんが鞄を降ろす音、疲れたように首をまして唸る声。そして。


「……寝ているのかい」


 びくりと、体が跳ねそうになった。訪ねるような口調だった。だから私へ宛てた声では無いのに。レジで会った声、多分前田くんと思われる声がすぐさま返事をする。


「はい。たこ焼きを少し食べた後、寝てしまわれました」
「そうか。……さん」


 優しく揺すられる。
 名前を呼ばれて、あの手が私の肩に触れた。今度こそ反応しそうになった。寝ているふりだなんてこんなつまらない嘘、すぐやめれたら良いのだけど、私は止めどきをすでに見失っていた。


「お疲れみたいですね」
「そうだね。すまない、布団を敷いてくれないか」
「俺が行こう」
「ぼっ、僕も行きます……!」


 数人が出ていく音がして、また名前を呼ばれた。


さん、さん……」
「やっぱ起きないですねー」
「しょうがない。鯰尾、手伝ってくれるかい」
「はぁーい」


 手伝うって何を。その疑問はすぐに解決された。わたしの体があちこちへ引っ張られる。机から引きはがされ、肩を支えられ。混乱のあまり何もできないでいると、ふわ、と体が浮き上がった。あまりにもしっかりと抱えられる。


「戸を開けてくれるかい」


 まさか、とは思っていた。一期さんの声がすぐ耳の後ろから発せられて、思い知る。私は一期さんに抱っこされて、部屋を移動している。


「どうしたんですか、いち兄。そんな笑って」
「いや。さんが随分暖かくて驚いた。子供みたいな体温だ」


 いいや私は冷え性だ。体が熱いのは、恥ずかしさと混乱せいだ。それにぴったりと触れる一期さんの手や体が、暖かいからだ。
 のどに震えるかすかな笑い声。体重の全部を一期さんに預けていると思うと、爆発しそうだ。逃げ出したいとも思った。だけど、ここまでされてしまったからこそ、言い出せない。

 暖かな部屋から、少しひやりとした空間へ移動する。一期さんが私が落ちないよう抱え直す。


「私の布団を敷いたのかい」
「すっ、すみません……!」
「ああ、いち兄のが今朝干したばかりだ」
「……それもそうか」


 ひんやりとした部屋の、冷たい布団に、熱い体が降ろされる。
 頭の下に枕を引かれ、布団をかぶせられる。


「全然起きませんねー」
「そうだね。手伝ってくれてありがとう。さ、戻ろうか」


 兄弟たちが談笑しながら部屋から出ていく。完全に声が遠ざかったのを確認して、ゆるゆると瞼を開けると、戸は完全に閉められていなかった。
 目が覚めたらこちらへお出でと言うように居間の灯りが差している。


「………」


 嘘をついてしまった。存在を消したいがための寝たふり。つまらない嘘で迷惑をかけたことが申し訳ない。
 だけど、一期さんに抱きしめられた混乱と恥ずかしさで上がった体温が、布団の冷たさと合わさってぬるくなる頃、私は心地良さを感じていた。

 別の部屋の、布団の中。ここは一期さんたちの一家から、程良い壁に阻まれている。
 それに、布団に顔を埋めると一期さんの香りがする。
 再会されたたこ焼きパーティーはとても楽しそうだ。私はもうパーティーの参加者じゃない。けど、部外者でも無い。

 急に家族の真ん中に入り込んだことが、私にとっては辛かった。大きすぎる幸せは、不幸慣れした私にとっては怖いものでしかなかった。だけど、ああ、この幸せなら受け入れられる。

 鼻がつーんとした。部屋に差し込む灯りが、視界の中、滲んだ。
 私は、私に受け入れられる量の幸せを浴びながら涙を飲んだ。この枕は一期さんの枕らしいから、濡らさないように涙をこらえた。

 一期さんにありがとうと伝えたい。私をここへ連れてきてくれて、ありがとう、と。
 近くて遠い場所に貴方の存在を感じられるから、私はたった一人で泣いてるのに、今までで一番寂しくない。