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「鶴丸さんって」
「ん?」
「私が話しそうだと踏んでるから聞いてくるんですか?」
「そんなことはないさ。ただ、きみに興味があるんだ」


 今日の、つい2時間前のことだ。私が鶴丸さんと出会ったのは。互いに恋も結婚も求めていないのに。
 正直言えば、私の恋の話、好きな人の話。未だ他人でこれからも他人の彼に話すことは構わない。その滑稽さを私自身わかっているからだ。私の持つ彼を好きな気持ちは、真剣に、デリケートに口に出されなければならない、そこまでの価値を持っていない。

 けれど、私はメニューを引っ張り出した。その中で一番豪華なケーキのプレートを指差す。三種のケーキにフルーツも飾り付けられたプレート。コンビニとスーパーではまず見ない。
 ほいほいと自分のことをさらけ出して何の対価も得られないのは悔しさがある。もうひとつ、私は免罪符を欲しがっていた。罰金を払えば罰を受けたことになる、法律上ではひとつの罪が許されたことになる。同じように、鶴丸さんを許すことになる理由が欲しかった。


「いいぜ。好きなものを頼んでくれ。というか、昼飯の時間か俺も何かとるか。君はどうする?」


 言われてみると、もう少しで正午を回る。鶴丸さんはサンドイッチやパスタやらを見ているが、私はもう一度ケーキのプレートを指差す。
 お見合いなんてもはや崩壊している。私はお昼ご飯にケーキを食べるという生活力のなさを隠す気をなくしていた。


「それで?」


 オーダーが済むと、すぐさま身を乗り出してくる鶴丸さんは現金だ。


「君の片思いか?」
「そうですね」
「結ばれない理由がある相手なのか? ほら、相手が結婚してるとか」
「そういうわけでは無いですが、でも結ばれることは無いと思います」
「なぜそう言い切れる?」
「なぜって……」


 ありえないから、としか言いようがない。


「これからどうにかなるとも思えないですし、どうにかなりたいと思ったことはない、と、思います」
「たまには喋る仲なのか?」
「まあ」
「かっこいいのか?」
「まあ、モテてますね」
「見た目が好きなのか?」
「好きですけど、見た目で好きになったわけではないです」
「じゃあどこで好きになったんだ?」
「それは……」


 その時は恋に落ちたということすらわからずにいたけれど、多分、私が変わってしまったのは一期さんの笑顔を浴びた瞬間だ。


「そのひとの笑顔を見た時、その笑顔が」
「かっこよかったのか!?」


 いちいちつっかかってくる鶴丸さんがめんどくさい。苛立ちを隠さずに黙ると、鶴丸さんも少し反省してくれたように、席に深く座り直す。


「すまなかった。続けてくれ。その笑顔が、なんだって?」
「……、なんていうか」


 あの日を思い浮かべる。通路の影から、初めて一期さんの笑顔をみた日のこと。晴れやかな笑顔を受け止めて、私は雨をかぶったような心地がしたのだった。それを目の前の鶴丸さんに伝えるのは、とても難しい作業だった。


「ほんと、良い言葉がないんですけど。でも、多分、私が羨むもの全てを持っていると知ってしまって、それがいつまでたっても全身から離れてくれなくて、何を、何をしててもそうでした」
「………」
「彼は、私の持っていないものを持っているんです。でも私も、彼の持っていないものを持っている」


 私は、お金は持っている。親の資産を引き継いで、生命を守るのに必要なものを揃えられている。住む場所どころかお金や、恒久的なライフラインを私はあらかじめ持っていて。だけど一期さんはそれを求めて勉強し、働いている。しかも自分だけのためじゃなく、家族、弟たちのために。


「彼が持っていないものを、私のでよければ分けてあげたい。だけど、私が持っているのは彼にとっては本当は不必要なものなんです。私自身だって、そうなんです」


 一期さんは求めている。兄弟たちと安心して暮らせる日常を。生活に大きな余裕は今だに無さそうだ。だけどそれが満たされていない今だって、彼は幸せだ。あんなに明るく笑う。
 私は一期さんの笑顔に恋を教えられた。一期さんの笑う時の声、仕草を求めてやまない。だけどその笑顔が一番私に知らしめる。彼はすでに、満たされている。私が持っているものを、分け与えなくとも。すでに。

 あんなによく喋っていた鶴丸さんが、沈黙してしまった。それをなんだか面白く思いながら私は、へらへらと続けた。


「でも、それでも別に良いんですよ。例えば、考えるんです。そのひとと家族の皆さんを、ハワイ旅行に招待したらどうだろう、って」
「ハ、ハワイか?」


 私は頷いた。


「ハワイです」


 何を言っているのかさっぱりわからないと言いたげな鶴丸さんの反応が愉快だ。内心笑いながら続ける。


「全員分の航空券を私が手配するんです。パスポートが無ければ一緒にとりにいってあげるんです。ビーチに近いホテルに全員が泊まれるようにしてあげて、ハワイに行ったらサーフィンがしたいと言われたらサーフボードを選びにいき。レッスンが必要ならばその予約も私がとるんです。アロハダンスが見たいと言われれば、その予約も私です」
「はあ……」
「そして、私は空港で彼らの南国行きを見送るんです」
「ま、っ待ってくれ! 君は行かないのか!?」
「はい。私は行きません。私は、家族ではありませんから」
「………」


 ああ、鶴丸さんがドン引きしている。鶴丸さんには申し訳ないけれど、これは冗談ではない。私がずっと、ひとりの薄暗い部屋でずっと、一期さんとその弟たちにしてみたいと願っていたことだ。


「もちろん妄想です。そんなの送られても、困らせてしまうのは分かっています。困らせたいわけじゃないので、叶うことのない妄想です」
「でも困らないと言われたら、やるんだな、君は……」
「そうだったら、私も嬉しいんですけどね」


 ありもしないことを言う鶴丸さんに、思わず肩をすくめてしまう。


「ハワイ行きを手放しで喜んで、彼は労働から解き放たれて。家族で幸せに楽しんでくれたらそれでいい、ありがとうと言われなくたっていい。お土産を忘れ去られてたら、なおさらいいです。私を気遣う時間や気持ちがあるならば、それは彼ら自身に注いで欲しいと思います」
「………」
「でも私の好きなひとは、どう考えても、ちゃんと困るんですよね。まっとうな、ひとだから。受け取ってくれたら嬉しいんですけど、感謝はしてくれて、だけどそういうの受け取らない。間違ったこととは縁遠い、ちゃんとしたひとなんです」


 まっとうどころか真面目すぎるくらいだ。2万円引きであれだけの律儀に優しくしてくれた一期さんに、家族全員分のハワイ旅行なんてプレゼントした日はどうなってしまうのだろう。命をくれたりして、なんて考えて、邪に笑いそうになってしまった。


「私のこと気持ち悪いって思いますよね」
「あ、いや、その……」


 自分の変態性を暴露しながら、私の脳はもはや目の前の鶴丸さんではなく、一期さんを見ていた。彼は今日は家にいるのだろうか、あの灯台のようだった部屋のあかりの下なのだろうか。それともバイトだろうか、友人に会ったりしているのだろうか。


「いろいろと、俺の理解の範疇を超えていた……」
「ですよね」
「間違っていたらすまない。そのつまり、妄想が楽しくて、実際の付き合いには至らないって感じ、なのか? ほら、片思いが楽しいっていうのもあるだろ?」


 それは、違う。自分の抱いているものにはっきりとした名前や、かたちがあるわけでは無い。けれど不思議と、鶴丸さんの思っているものと違うことだけははっきり分かるのだった。


「……私、すごくネガティブで、マイナス思考ばかりで、ほんと、性格も良くない。今までの人生、別に幸せじゃなかったんですけど、どこか自業自得だって思っているんです。自分はもっと幸せでいいはずだなんて、思えるひとってすごいなって尊敬します。私は、なるべくして今のつまんない私なんです。
 だけどそのひとに恋をしたおかげで、私はそのひとの幸せや、どうしたら笑うんだろうかってことも考えるようになったんです。私は、きっとこのために恋をしたのだと思います」
「………」
「誰かの幸せを願っている私は、きっと今までの酷い私よりは救いがあるって思いませんか?」


 一期さんと出会って、一期さんという存在を知って、私は自分の人生における間違いを知ったのだ。
 私の孤独はきっとこの先も変わらない。健康とは喧嘩別れのままでお金を食いつぶす、非生産的な生き方も変わらない。誰も見ていない隙間を縫って、これからも死ぬ勇気を持てないまま生きて行く。だけど。


「ただ生きていただけなのに、私は自分のお金でハワイに行ってくれたらなんか考えて、自分の持っているものに意味なんて見出したりして」


 一期さんの幸せを考えることが、私を立たせてくれている。一期さんにせめて嫌われないようにと苦しむことが、どうにか私に人としての格を保たせてくれている。


「この片思いに私は救われているんです。私はもう救いをたくさん彼からもらって、今までより少し優良な人間になれました。だからここにもいて、鶴丸さんと話してる」
「そう、か」
「もう十分すぎるんです。そのひとは、こんな女に勝手に好きになられて、いい迷惑ですが」


 鶴丸さんはやはり言葉に困っているようだった。こんな私のためじゃ、ろくな言葉が見つからないだろうと私も思う。沈黙とともにしばらく困惑して、その後、鶴丸さんは白旗をあげたように呟いた。


「こいつは驚いた」







 お互いに昼食を終えて、本日のお見合いはお開きとなった。外はすっかり明るく晴れていて、蒸しているくらいだ。
 このお見合いに、私は満足していた。友達もいない私だ。一期さんに向けて抱えたこの気持ちを聞いてくれるひともいなかった。けれどこの行きずりの鶴丸さんが聞いてくれた。彼に聞かせようとすることで、私は自分の中で燻らせていた一期さんへの気持ちの多くに言葉をつけることができた。
 そしてケーキも食べさせてもらった。
 鶴丸さんの方は変な女に当たって、ぐったり疲れただろう。すぐに逃げ帰りたいに違いないと思ったが、なぜか私を引き止めてくれた。


「家まで送ろう。車が来るんだ」


 彼が電話をすると、確かにすぐ車がきた。運転席から顔を出したのは叔母と一緒に退席していった燭台切光忠さんだ。
 車内の助手席には浅黒い肌の男性。それに後ろには男の子がいたので驚いた。一期さんのとこの、薬研くんと同じくらいに見える。


「鶴さんお疲れ様! さ、乗って」
「ありがとうな、光坊」
「へーーーー! これが鶴さんの!」
「なんだ、送るってことは気に入ったのか?」
「ああ。と言っても、付き合いはなしだ。っくし!」
「うおぉ、鶴さん風邪か!?」
「雨の中で傘もささずにお庭探検なんかしてるからだよ」
「子供だな」


 乗り込むと車内に四人の声が響き渡る。その端に、一言も喋れない私がいるのが不思議でしかない。絶対に、場違いだ。だけどもはや逃げられはしないし、私は非常に疲れていた。座席に体を預けて、車の窓から空を見上げた。

 家の前について、車から降ろされる。私も鶴丸さんも結婚を求めていない。連絡先を押しえ合う必要は無いから、しないものだと思っていたら白い紙を渡された。電話番号だけが記されている。

 そして別れ際握手を求められた。


「また何かあったら連絡してくれ。出来る限り力になろう。君は、案外おもしろいからな」
「そうでしょうか」
「ああ。またきみの優しい妄想話を聞かせてくれ」


 頷くことはできなかった。私の妄想は、別に優しさからできているわけではない。


「楽しかった、ありがとう」


 それには頷いた。私は、鶴丸さんに感謝はしていた。ここまで送ってきてくれたこともそうだが、彼はたくさん私に新しいものを吹き込んでくれた。

 自分の気持ちを言葉にした。言葉にして、私と一期さんのことを眺めた。自分と全然違うひとに出会えた。
 でもそれもこれも、エントランスから「おかえりなさい」と微笑む、このひとのおかげなのだ。


「一期さん」
「おでかけされていたのですね。先ほどのはさんのお友達ですか?」
「いえ。友達かはわかりません。今日は、お見合いで」


 大通りへ向けて遠くなっていく、彼らを乗った車を見やる。鶴丸さんのことを思い出す。私の妄想は、優しさではできていない。
 彼の、一期さんの幸せを願っている。だけどそれはどこまでもエゴだ。願うことで私は救われている。私が救われるから、願うのだ。
 それに本当に彼の、彼らの幸せを願うのなら、私なんかはそばにいない方が良い。その事実に、私はいつも蓋をしている。私に清さは無い。分かってる。彼の視線を浴びる幸福を前にしてしまえば、分かっていながら蓋を手にとってしまうのだ。