山姥切国広曰く、白刃戦が終わった後のこと。傷ついた自身に目を走らせながら、歌仙兼定はぼやいたそうなのだ。
「これじゃまた“手入れ”だ」、「いやになるな」と。
「歌仙が、本当にそんなことを言ったの?」
思わず出てしまった私の素っ頓狂な声は、午後の柔らかな光と小鳥のさえずりの差す、作業場にそぐわないものだった。この場に件の歌仙がいたら、風情が無いだとか言って私たちに呆れるのだろう。
私自身は未来の人間だ。廃れた、とは言わない。けれど時が流れるにつれ、風情を知る心を受け継ぐ人の方が希少になった、そういう時代の人間だ。私もご多分に漏れず、閑散と時を送る現代人であると自覚している。
けれど今、山姥切が私の声に反応し、伏せていた目を開いてしまったことは、惜しいと思えた。
作業場で手入れされている時の彼はとても大人しい。目を伏せ、かすかな息に胸を膨らませ、打粉を受けている時の彼は自身が写し刀であるという苦悩から解き放たれて見える。その表情が、私はとても好きだ。今日のように彼がこうして柔らかな陽の光を受けている時は特に好きだ。彼が煌めいて見える。
彼が目を伏せている間は、その姿へ存分に視線を送り、楽しんでいた。けれど、私の心の無さでその時を壊してしまったようだ。
たったひとつの声で失ってしまった山姥切の静謐なる表情。ああ、勿体ない。
「ごめん。変な声出して」
「いえ」
「そっか……。歌仙、他には何か言ってた? 手入れがいやな理由とか」
「あんたの手がしつこい、と」
「あー、あー……」
思わず自分の顔を手で覆って悶えてしまった。歌仙の言っていることに、充分すぎるほど心当たりがあったからだ。
「そっか、しつこいか……。山姥切も、そう思う?」
「しつこいと言うよりは、その……」
「いい、分かった。否定しないってことは、肯定したようなものだよ」
「………」
沈黙もまた肯定なり。こんな気持ちで道具を握っても手元が狂うだけだ。わたしは道具をいったん手から放し、山姥切にも楽にするように言った。幸い彼の傷はもうほとんどが消えかかりだ。
「……ごめん。私は……、ただ、幸せな記憶は多い方が良いと思ったの。私は貴方たちを戦わせるばかりだけど、せっかくこうして巡り会えたのに、残るものが戦いの記憶だけじゃ寂しいじゃない。それにね、こういう時間の積み重ねは、戦場での判断にも影響があると思っている」
例えば、一生懸命に手入れをし、元の輝きを戻した刀剣たちを戦場に送る時、その力を存分に発揮してもらい、戦力を試したいと思うことがある。
それとは全く別に、日常を過ごした彼らを傷つけたくないとも思う。手入れや本丸で過ごした時間は私にその想いを強くさせ、そして私自身を弱くしているように思う。
でも仲間を捨てられないようなこの弱さは、排除するべきじゃないと思っている。私は時の武将や将軍じゃない。審神者なのだ。
「まぁ戦いがあったから、手入れの時間が必要なんだとは、分かっているんだけど、私は手入れの時間が好きなのよ。その体を労って、傷を治している時間は、戦っている時間とは別ものでしょう。だから好きなんだけど、ねちねちしてるとか、粘着質とか、手つきがいやらしいとか、そう思われても仕方ないかなって……」
「そこまでは、言ってないが」
「言われた気がした」
勿論私の妄想でしか無いが、あの歌仙が発言主なのだと思うと、言葉の奥に更なる真意がある気がしてくるのだ。
「言い訳にしかならないけど、あなたたちを愛でてる時間だから、引き延ばしたくもなるんだよ」
そう私なりに、彼らを愛したいと願ったからこその行動だった。だから結果的に歌仙にいやがられたことは、少なからず胸が痛い。
「山姥切も、しつこいと思ってたみたいだけど、程度をわきまえて手入れした方が良い?」
「いや……」
「良いんだよ、個人の好みで。嫌なら嫌と言って欲しいんだけど」
「……、俺はそうは思わない」
沈黙じゃなく、ちゃんと否定の言葉が出てきた。だから私も心から微笑んだ。
「ごめん、休憩終わり。再開しようか」
「ああ」
道具を手に取り、山姥切に向き直る。また山姥切は目を閉じて、まつげの先に金糸の前髪に光が落ちる。
その前髪を櫛で丁寧にときたいと乞う気持ち。これも、彼と過ごした時間がわたしに宿した宝物、そのひとつである。