※管理人が明石未入手なので明石は名前だけ出てきます
天からの雨粒が地のものに当たって砕けて、霧が立つような大降りだった。はぽつん、と庭の真ん中でざあざあ降りの雨を飲んでいた。飲んでいたんだ、口を大きく開けて。着物をぐっしょりと濡らし、やはり他の男の脇差に比べると見劣りする肩を張って、天を仰いでいた。
この本丸の真上に滝ができてしまったみたいな、水の音が支配する静けさの中。オレは雨の日の物の怪に出くわした人間みたく動けないで、それを見ていた。
鉄砲玉のようだった雨足が弱まると、も張っていた肩をだらりと落として、屋敷の方へと戻ってきた。水を吸った衣を重そうにしているが、オレを見た目元はなんだかすっきりしていた。
「愛染」
「おー……」
オレはこいつの奇行にちょっと引いていた。雨を飲むなんて、物好きにしか思えない。そんなオレの態度を読みとって、は目を細めた。
「雨に濡れるのもそうだし、何をしようが、この体の自由」
でしょう? そう言うと同時にが首を傾げると髪の毛の束から水滴が続けて落ちた。
次にまた、ぽつんとした彼女の背中を見つけたのは、薄暗い蔵の中だった。主の書を納めた、窓の無い暗い蔵では一心に手元に目を向けていた。
「何してんだー?」
「愛染か」
はふう、と一息吐いてから薄暗い蔵から出てきて手の中を見せてくれた。
「主様に借りたの。愛染も見る?」
少しかがんでオレも見やすい高さに帳を持ってくる。彼女が見入っていたそれは刀帳だった。この本丸は発足したばかりだからか、まだ空白の項もあるが、この本丸で見知ったやつらの姿が納められている。
そう、見知ったやつらが順序良く並べられているというだけなのに、には何か別の物が見えているのかと思うくらい、楽しげに帳を指を走らせる。オレはなんとなく、割合整った爪のかたちを目で追う。
「わっかんねーなぁ……。こんなの見ておもしろいか?」
「おもしろいよ。仲間のことがよく知れる。ほら、愛染と同じ刀派には蛍丸がいるんだね」
「蛍なぁ」
しばらく見ていない、ど派手な刀身を思い出す。刀帳に載っているということはいつか蛍が同じ本丸に姿を現すんだろうか。
「そっか。蛍、って呼んでるんだね。ね、愛染」
オレの目の高さに視線を合わせてきたは、今までで一番楽しそうに顔を輝かせていた。
「私が愛染に蛍丸を探してくるよ」
「……はぁ?」
「最近さ、主様は私を戦馬鹿だと思っていらっしゃるから。きっと阿津賀志山にも出してくださる」
「なんでおまえが蛍を探すんだよ」
「阿津賀志山で蛍丸を探すのも、私の自由でしょう。戦で勝ちを納めた上でなら、主様も許してくださる。仲間がいた方が祭も楽しいよ。でしょう?」
「そりゃー、そうだけど……」
突然ひらめいた考え。はもはやそれしか考えられないようだ。興奮気味に刀帳を閉じると、その顔はもう遠い遠い阿津賀志山と、会ったことも無いだろう蛍丸を見ているようだった。
その後相当数の出陣を重ねたものの、は本当に、軽傷を負いながらも蛍丸を連れて帰還したのだから。
「よかったね、愛染」
泣きそうになりながら、は本丸にオレと蛍が揃ったことを喜んでくれた。
じゃーん、真打登場って、言ったのに、阿津賀志山で会ったはそれから俺の手を離さなかった。
蛍丸、やっと会えた。会わせたい人がいるの。よかった、本当によかった。何度もはそう言って俺をぐいぐい引っ張っていく。なによりも一番に、俺を国俊に会わせてくれた。「よかったね、愛染」なんて泣きそうな顔で言うし、国俊と仲良いんだ、って思ってたらどうやらそうじゃないらしい。国俊が言うに、ただのお節介。
それからも俺と国俊がしゃべってると、遠くからにこにこして見てくるから、
「蛍」
は最初は散々恥ずかしがったけど、今ではそうやってすごく気軽に呼んでくれる。蛍、蛍って。国俊のことも、もう愛染じゃなく国俊って呼んでくれる。俺がそうしてよ、って言ったから。
「なになに?」
「主様が、そろそろかんねんして手入れ部屋に入れって」
「えー……。やだ」
膨れた俺の頬をが両手でつぶす。ためていた空気がぷうっと俺の口から出ていった。
「どうしていやなの? 綺麗にしてもらった方が蛍も嬉しいでしょ」
「そうだけど……」
ほっぺたをつぶした手が、今度は顔の傷に触れないないようにしながらも気遣うように添えられる。
これくらいの傷は平気だし、俺はまだまだ戦えますし。主様にもそう言ったのに。
俺はちょっと主様を恨んだ。よりによってに頼むのはずるい。俺が最近には素直になってしまうのを知ってるんだ。
「だってさ、お手入れされてる間はなーんにもできない」
「手入れなんだから当たり前でしょう」
「何日もじっとしてるの、つまんない。ひとりだし」
「しょうがないでしょう、蛍は大きいんだから。……小さいけど」
「なにおー」
俺が両手を上に上げても、もう少しのところでの顔には届かない。
「じゃあこうしよう。時間がかかっちゃうのは私にはどうしようもできないけど、私も一緒に行く。蛍の横にいるよ」
「ほんとっ? いいの?」
「うん、ずっと一人でじっとしてるの、飽きちゃうもんね」
「ただし明日までね、明日は出陣だから」
「へへ、やった」
「私でよければ。じゃあ主様に報告してくるね」
は本当に主様に話を通して、手入れ部屋の隅っこに正座した。俺は手入れされるがままでなにもできない。代わりにはつらつらと話をしてくれた。
内容はほとんど、戦いの話。主様がを「戦馬鹿」って呼んだのもうなずけるくらい、対歴史修正主義者の話ばっかりだ。
「槍をさ、受け流さなきゃいけないって思うんだけど、目で追うのがやっとなんだよね。受け止めたら装備を貫通するって分かってるのに、やっちゃう」
「誰もできないよ、あんなの」
「できないって思いたくない。あの軌道をとらえてやるってぐるぐる考えてるんだけど、最近は箸の先まで見て、体が動きそうで。もう病気だよ」
「ふーん」
「……あー、昔の記憶があったらなぁ、もっといろんな話を蛍にできたと思うんだけど。……あれ、蛍い言ったことあったっけ、私近代からしか記憶がなくて」
「どっこい知ってました」
「そっか」
から言われたことはない。だけど、知っている。だっては俺を覚えていないから。俺はを覚えている。大昔に、彼女が脇差じゃない姿だったのを俺が見てた。
だけどそのことさえも忘れて、はどちらかといえば守りたくなる体躯でここに座ってる。
「うん、昔を覚えていたら、私も同じ刀派の連中について、主様に話したんだけどな。そしたら主様も鍛刀できたかもしれないのに。名の知れた兄弟も、いたはずなんだけど、当時の名物が今も名物とは限らないからね」
「………」
「ああでも、覚えてないから寂しくないっていうのもあるんだよね」
ちらりと目をあげてみると、は本当にあっけらかんとした顔で“寂しくない”って言葉を口にする。
「あのね、明日はまた三条大橋に行くんだ。橋の上は結構好きだ。逃げも隠れもできないから。それを主様に言ったら、今度は“橋馬鹿”って言われた」
「ははっ」
「ひどいよね。私、橋らしい橋って、三条大橋しか行ったことないよ」
「俺も行ってみたい」
「私がやだよ。蛍の刃が見えないところで戦うなんて、こっちがまとめて切られそうでひやひやする」
「ひどい……」
「……私、絶対に、蛍と国俊に明石さんを連れてくるからね」
彼女が夜戦での主戦力として働き始めてから、なんどもその言葉を聞いた。変な、違和感があるけど、国行に会いたくないわけじゃないので、俺は「うん」と返事をしてしまう。
「なんでが国行探すの?」
「なんでって……。せっかくの来派が揃った方がうれしいじゃない」
俺がまだここにいなかった時も、きっとは同じことを言ったんだろう。それで国行を見つけたら、絶対に捕まえて、俺を国俊に会わせたみたいに、よかったよかったって言うんだろう。
それで今よりちょっぴり遠いところから、優しく笑ってるが目に浮かんでむっとしてしまう。
「」
「はい」
部屋の外からを呼んだのは国俊だった。
「明日のことで呼ばれてるぞー」
「主様が?」
「おう」
「はぁい、今行きます」
が障子戸を引いた一瞬、姿を現した国俊を目が合う。ばっちりと。
俺と国俊は何も言葉を交わさなかったけど、ちゃんと通じ合う。
「ごめん、蛍、すぐ戻るね」
「うん。すごい早く戻ってきてよね」
「はいはい」
俺は市中にも三条大橋にも池田屋にも出させてもらえないけど、国俊なら一緒に戦える。俺はいけなくても、国俊がいるならいいや。
ふたりの足音が遠ざかってく途中なのにもう俺は暇を感じる。本当に早く戻ってこないかな。小さくため息をついて目を閉じた。
蛍の視線に、オレが返したのは「うん、やっぱりそうだよな」という頷きだった。
「国俊、もしかして話聞いてた?」
「橋馬鹿かぁ?」
「やっぱり聞いてたんじゃない。戦馬鹿も、ちょっと恥ずかしかったんだけどな」
「は国行を探してるだけなのにな」
「うん、ほんと。国俊の言う通りだよ」
明石国行をオレたちのために探して熱心になっているうちに、橋馬鹿と呼ばれた。
戦馬鹿と呼ばれるようになった理由も分かってる。記憶もなくて、連めるやつもいないには、戦うことしかないから戦に出たがった。
がオレを国俊と呼ぶようになったように、オレも少しこの脇差のことを分かってきた。
こいつを、不器用でとんでない寂しがりだと思って見てしまえば、彼女の行動の全部が見えてくる。
明石を探すのは、自身が仲間のいない寂しさを嫌っているから。
蛍と一緒に手入れ部屋に入ってたのは、たぶん蛍が「ひとりはつまらない」とか言ったからだ。
オレと蛍を引き合わせようと必死になったのは、当時ひとりっきりの来派であるオレを自分に重ね合わせたんだろう。
刀帳をあんな楽しげに見ていたのは、仲間や兄弟のいる皆に想いを馳せていたから。そして自分は本当はひとりなのか、ひとりじゃないのか、僅かな期待を込めて見つめていたんじゃないだろうか。
そしてあの雨の日を思い出す。オレは空に向かって大口開けてたを見て、雨を飲んでいると思った。けれど、本当は違ったんじゃないかと今は思える。あの日の、ぽつんとひとりぼっちのはずぶ濡れになりながら、孤独に叫びをあげていたんじゃないかって。
「言っとくけど、蛍の時みたくいかねーからな」
「え? やっぱり蛍に会うより明石さんに会う方が難しいかな?」
「ちげー……」
一時の自分の慰めのためにオレと蛍に優しくしてきた。
けれど次、オレ達が揃っても、にはもう他人のふりをさせない。がの自由を持って、オレたちを引き合わせたように、オレ達はオレ達の自由でもって、を巻き込んで騒ぐ。
きっと国行は最初はのこと、口ではぶつくさ言うと思う。だけど、の正体が不器用でとんでもない寂しがりやだと知ったら、やっぱりぶつくさ言いながら構うんだろう。
オレに合わせて駆けまわって、蛍の調子に乗せられて、国行に世話を焼いてしまう。オレたちに囲まれてしまって、その上本性気づかれてしまって良いようにされる。は国行をうまく受け流せるんだろうか。無理な気がする。
もうそれを想像すると、笑えてしまって、明日、明後日、しあさってが楽しみになる。
「っよーし!!」
「うっわ、びっくりしたぁ。……気合い充分だね。次もよろしく、国俊」
そう言ってが目をきゅっとさせ、歯を見せて笑っている。この姿を誰かに知らせて回りたいような、誰にも見せたくないような想いがまた、オレの全身を駆け巡った。
(明石難民すぎてごめんなさい。眼鏡来たら後日談書きたいです。リクエストありがとうございました)