鶴丸国永が私を驚かせようと、その長身で急に跳ねて見せた。背を伸ばし、白い肌の張る両腕を広げた姿はそこそこ鶴らしく、見入らなかったと言うと嘘になる。けれどその、元気の良すぎる手が縁側につり下げていた風鈴に当たったのだ。拍子で浮いた風鈴は見事にひっかかりから外れ、宙を舞った。
割れ物が割れる音。
破片が飛び散ったすぐ近くで、ぽかんと驚いている鶴丸にどこか怪我したんじゃないかと焦って駆け寄れば、かかとから土踏まずへ走った痛み。私は風鈴の破片で足を切っていた。私もぽかんとしているうちに足裏から流れる血は辺りを汚し、縁側に変な黒い染みができてしまった。
これが、一部始終。
硝子の破片で見事に切ってしまった足は、座っていてもじんじんとした痛みを伝えてくる。けれど私にとってその痛みは気にするべきことでは無くなっている。痛みのことなんか、どうでもよくなるほどの驚きと戸惑いが、痛覚を麻痺させるのだ。
足を怪我して以来、がらりと変わってしまった。何がというと、鶴丸国永その刀だ。
「……鶴丸」
「なんだ?」
「こんなところに居ていいの」
虚ろな目には酷な言葉を選んでしまったと思って、すぐに次の言葉を接ぐ。
「居ちゃいけないってことも無いけれど、ひどく暇そうだから」
「……暇ってことはないさ」
「そう」
「………」
そして鶴丸は早々に沈黙した。否定はされたものの、鶴丸国永はどう見ても時間を持て余しているように見える。いつもならじっとしていること、何もしないでいること、そして心が死んでいくのを嫌がると言うのに、あの時以来彼は私の傍を離れない。何もできないことを受け容れて、私が起きてから寝るまで。私が移動しようとすると必ず手を差しだし、私を助け、時にはおぶってくれた。
近侍にしていた時も鶴丸国永は自由すぎて、また遊び心がありすぎて、ひとつところに収まっているような男では無かった。けれど今は、私から一定の距離を保ったところでしおらしく羽を休めている。
「しかし俺の主が暇というのなら。そうだな、散歩にでも行こうか」
「散歩に。いってらっしゃい」
「何を言う。一緒に行くんだよ」
思い立ったら吉日。その言葉がどの刀剣よりも似合う鶴丸は目を細めて私に手を差し出した。散歩の気分では無かった。けれど心が死にそうになってる鶴丸のためと思って、私は鶴丸の手をとった。
彼の手を頼りにゆっくりと立ち上がる。私がふらつかないことを確認して、鶴丸はさっとその背中を私に向けた。私は、その背中に全て預けるように被さった。
体の前に感じる人の熱。鶴丸の柔らかな毛先。少し人間らしくない香り。
ここ数日でこうして鶴丸の背に乗ることにずいぶん慣れてしまった。最初は彼の細い体に私の体重がのしかかることが恥ずかしかったし、胸と背がくっつくことに緊張はするし、私を負ぶさることが彼の着物に皺が寄るのも申し訳無かった。
しかし数日の経験で知った。細く見えても彼にとって私ひとりおぶるくらいは平気だし、そもそも鶴丸は私を何とも思っていない。
体重のこと気にするのは自意識過剰で、近づくことで心臓を速くしてしまうのは私だけ。だから私も、鶴丸の背中を何とも思わないようにしようと努めている。
努力のかいあって、抵抗を見せずに鶴丸に頼るようになった。今は私も、まるで彼を何とも思っていないふうに腕を回せる。
自分の心の内を見せないためにしたことだった。良くない類の心の麻痺だとは、思っている。私が鶴丸に寄せているのは信頼とは真逆の心だ。
鶴丸が立ち上がって、私をしっかり抱えて、ゆっくりと歩きだした。
「平気か?」
「大丈夫だよ」
「本当か?」
「大丈夫だって」
少し強めに返すと、鶴丸は押し黙ってしまった。ふと彼を見やると、鶴丸は私の足先を見ていた。まだ包帯はとれない。
「大丈夫だよ」
「……、いや何だ。治りが遅いと思ってな」
「貴方たちが特別なんだよ。霊力と資材さえあれば元通り、なんて」
だからこそ、歴史改変をも阻止し、状況を打開する兵士として、政府は刀剣男士を起用した。彼らの傷が人間よりも早く癒えること。そのことを、私は頼もしく思い、そしてかわいそうにも思う。
「痛みが続くのは辛いけれど、本当はもっとゆっくり直ってくれて良いのにって思ってるの」
身体さえ癒えれば次の戦いへ投じられる。体の無理のために休む時間が無いこと、彼らは辛くないのだろうか。
その戦いを命じてるのは他の誰でもない私だと言うのに、あるかどうかも分からない刀剣男士の受難を想像して、私は勝手に辛くなる。
「君は俺たちを特別と思うように、俺たちは君を特別と思っているさ。君はもっと早く治ってくれて良い。その方が良いに決まってる」
「そう?」
「傷ついている姿を見続けているのは来るものがあるからなぁ」
「私は、そうは思えない。苦しむ時間は少なく済むかもしれないけれど傷の重みが無くなっていく気がして……」
「そうだな。反省しているよ。この傷は、不思議に重たいな」
言いながら、鶴丸は体を揺さぶって私の足を揺らした。ぷらんぷらんと空中で揺れる私の両足。
「そりゃあ、驚いたなぁ……」
「俺の真似か」
「うん」
「便利な言葉と思われたら困るんだがなぁ」
「あはは」
しっかりと薬を塗り込んだ足の切り傷が、どうか跡形も無く癒えて消えるよう私は願っている。そうしたら、鶴丸を縛る変な罪悪感も消えてくれるだろうから。
甲斐甲斐しい鶴丸なんて、鶴丸らしくない。それに彼があまりに近いと困る。審神者としてではなくとして抱いた情を彼に悟られてしまったらと思うと恐ろしい。
少しだれてきた体重。そっと腕に力を込める。
「鶴丸、ありがとう。足は、今に良くなるよ」
「そりゃあ、……」
鶴丸は何か言いかけた。けれど言葉を続けなかった。良かったと言いそうで言わなかったし、驚きも口にしなかった。少し下に落ちてきた私を抱え直すように一瞬浮かせて、少し食い気味に私の首と彼の肩が重なった。