万屋への買い物へ誘ったとき、意外なほど雰囲気をゆるませついてきたのが太郎太刀だった。あの美しい目元が、一輪の梅が見えそうなほどにはなやいだ色を見せたのだ。それから私は、彼の少し緩んだ表情が見たいがために万屋への用事は彼を連れて行くようになった。
時期の割に暖かい日だった。
万屋への道のりは特に日光がよく降り注ぎ、ぼんやりと光っている。
私と彼の一歩は大変な差があるのに、太郎太刀は上手に歩調を合わせてついてくる。横を見ると、太郎太刀の膝下に私の小さな頭の影がかかっていた。
見上げるとやはり、いつもより優しい目元をした太郎太刀さんがいる。冴えるような美しさで佇む彼の姿は人ならざるものの気配を放ち、見事なものだと思う。けれど丘を撫でるような風に黒髪を揺らし、辺りに興味を散らしている彼は、とても身近な存在に感じる。
道の上に、ふたりきりだ。太郎太刀さんと。様々な姿かたちの刀剣たちがうごめく本丸では味わえない緊張が急に胸にせり上がる。もちろんそれは、私の中に巣くう、太郎太刀さんへの淡い気持ちのせいなのであった。
万屋に、めぼしい品は入荷していなかった。とりあえず万屋の主人に挨拶、そして玉鋼を少し多めに融通してもらえないかとお願いをし、私は店を出た。
「何も買いませんでしたね」
「そうだね……」
用事は呆気なく終わってしまった。本来ならばもう本丸に戻るべきだ。けれど、肩に当たる暖かな光。万屋のある通りはいつも以上の活気であふれている。
見上げると、このまま帰るには惜しいという気持ちは太郎太刀の目の中にも見てとれた。私は笑いながら嘆息する。この人に、私は途方もなく弱い。
「少し、寄り道してこうか。良い天気だし。まっすぐ帰るとは、誰にも言ってないもの」
「貴女という人は……」
「行こ!」
「はい」
少々呆れ顔を見せたものの、その後はもう太郎太刀の顔にも笑みが浮かんでいた。
せっかくなので二人で大通りを行く。太郎太刀は人間の中でずば抜けた体躯で辺りを見回している。彼の背丈から見た景色は、私が見るものとは全く別物なのだろう。私の視界のように通りを行く人々の背中や首もとで埋め尽くされていないことは確かだろう。
私は太郎太刀さんの影に隠れ、人の群れをやり過ごす。町行く人が、はじめは太郎太刀さんの見事な背丈に目を奪われ、そして目線をあげた次にはその美しさにぽかんと口を開けて通り過ぎていく。そしてその陰に隠れた娘を見つけ、目を瞬かせるのだ。
一連の流れに私は共感をもってこっそり笑う。
「主、あまり無闇に愛想を振りまかないでください」
「愛想なんて振りまいてないよ。これは、つい笑っちゃうの」
だって驚く人の気持ちが私にもよく分かる。ついでに、太郎太刀に不釣り合いな存在の私に目を瞬かせる気持ちも。
笑いながらも、彼がいったい何に興味を示しているのかを私は必死で探っていた。太郎太刀さんは、何が好きなのだろう。
太郎太刀さんが興味を持ったのは意外にも小物屋だった。確かに端から見れば朱色や黒に塗られた簪や櫛などがきらめいて人目を引くが、太郎太刀さんがこんな、明らかに女の人の物たちに見入るのは予想外だった。
「ここ、見ていく?」
そう声をかけると、「はい」と確かな返事が返ってくる。驚きを拭えないまま、私も彼に習って丁寧に並べられた簪たちに目を落とした。
桜の模様を浮かばせる黒い簪や、余計なものは何もつけず目を引く硝子玉をひとつ、下げたもの。お花を鞠のように集めたものなどなど。どれも美しいが私はそれを、一歩ひいたところで見下ろしていた。なぜって、どうせ私には似合わないものばかりだからだ。
一方の太郎太刀さんはとても真剣にひとつひとつを見比べている。その目は、一緒に万屋への道を行った時よりもいっそうの優しさを灯している。
滲み出すような、深い親愛。ごく自然に私は答えに行き着いた。
きっと彼は、次郎太刀さんに似合うものを探しているのだろう。彼は仲間思いであるが、次郎太刀さんはその中でも特別に思いやっている。
「……ね、太郎太刀さん」
「はい」
「これ、あげるよ」
私は懐から出した金を、彼に握らせる。彼の手に乗せてしまえば本当に小さな金。けれどこれだけあれば、この店のものだいたい一つか二つは買えるはずだ。
「受け取れません」
「いいえ、受け取りなさい。これは今日の手間賃なんだから。ほら、太郎さんともお茶をいただいて帰ることもあるでしょう。他の子とも、そうすることもあるし」
「………」
「今日はこれがお茶の代わり。ほら、受け取りなさい」
彼は金を握ったまま戸惑い立ち尽くしているが、そのまま私が別の棚を見に行くと追いかけてくることは無かった。
少しして、彼は懐に大事そうにものを忍ばせた。手の影に隠れよく見えなかったけれど、恐らく簪だ。そのうち次郎太刀と彼の笑顔が本丸では見ることが出来るのだろう。何も関係無いとしても、私はそっと嬉しくなった。
彼が大切な人を思うその気持ちを、私は大切にしてあげたいと思うのだ。主人としても、私個人としても。
「朝の湯汲みはさいっこーだねぇ」
酒気をさっぱり取り去った、明るい表情。まだ少し濡れた黒髪をおろしている次郎太刀さんを見て、私は小さく噴き出した。
「なんか休日のOLさんみたい」
「おーえる?」
「えーと、組織で働いて忙しくしている女性のこと、かな。私の偏見だけどね」
「ああ、そうとも。次郎さんは働き者のお姉さんだよ」
「それはそうなんだけど」
お姉さん、と言いながらも豪快に足を広げて縁側に座った彼は火照った肌をうちわで仰ぐ。次第に首が蒸れてきたのか次郎さんは簪を取り出して、女の私がほれぼれするほど手早く髪をまとめてしまった。
気づいた時には、私は「あれ……」と、声に出していた。
「ん? なんだい?」
「あ、いえ、なんでもないです」
「なんだい、怪しいねぇ……」
「なんでもないですってば」
そう言っても、一度必死になって否定する私におもしろそうな気配を感じてしまえば、引き下がってくれないのが次郎さんだ。
「なんだよ、言いなって」
「いや別にそんな期待されるようなことは何も無いよ?」
「じゃあさっさと言いな!」
「だからその、太郎太刀さんからの簪、使ってないのかなって」
「は……?」
太郎太刀さんが小物屋で買い物をしてから大分経っている。
けれど今彼の髪を留めているのは、見慣れた次郎さんのもので、あの日太郎太刀さんが大事そうに懐に忍ばせたものとは似ても似つかないのだ。
「いやでも贈り物だったら普段使いにせず大事にしまっておくことだってあるよね、うん。私ってば。変なこと言ってごめんなさい」
「いや、ごめんなさいも何も、兄貴から簪なんてもらってないけど」
「……あ、やべ」
言われて気づいた。私は口を滑らせてしまっらたらしい。太郎太刀さんが次郎太刀さんに簪を買ったこと。
てっきり私は、太郎太刀さんの妙に素直な人柄から、帰ったらすぐに渡して次郎さんの喜ぶ顔を見るのだろうと想像していた。だかそれはまだ伏せられていた事実だったらしい。
「次郎さんごめん、今の忘れて」
「忘れるのは良いけど……。でも主、勘違いしていると思うよ」
「……勘違いって何が?」
「兄貴が誰かに簪なんかを送るとしたら、あたしじゃあない」
またそれも、予想外な言葉だった。
「あたしが兄貴に吹き込んだんだよ。“女っていうのはだいたいが贈り物に弱いんだから。もし誰か好いてもらいたい人がいるなら小さなもので良いから何か贈ってみな”って」
それを聞いた途端急に私の耳は遠くなって、その後の次郎太刀さんの言葉は覚えていない。
次郎さんの言葉は私を絶望の底にたたき落とすのには十分すぎるくらいだった。
とても真剣にひとつひとつの簪や櫛を見ていた太郎さん。それは、好きな人を振り向かせるためのものだった。そして私はそうとも知らずに彼に金を握らせた。彼が贈り物を買えるようにと。
私は知らぬ間に彼の恋路の後押しをしていたのだ。
そんなことよりもっと重大なのは、彼に想い人がいるということだ。一体誰なのだろう。太郎さんのことだから、一途に想っているのだろう。そして一途に想われる価値のある可愛らしい女の子がお相手なのだろう。
太郎太刀に恋する人がいる。それを入れれば全て物事が繋がっていく。
渦を巻くように思考は次々に進んでいく。考えた末、ついに私は行き当たってしまった。太郎太刀さんが嬉しそうに万屋までの用事についてきてくれる理由に。
ああきっと、町のどこかに、彼の恋する娘がいる。
そうして私の中に湧いた感情は、もう淡いなんて言葉で片づけられないほど煤けた色合いになっていたのだった。