確かに去年は、本丸の大掃除が終わった途端に体調を崩して、数日を寝て過ごした。伏した私の部屋を清めてくれた後に、石切丸さんたちになぜなの? と疑問をぶつけてみれば、
『掃除を、しかも大かがりにしたことで本丸の中に満ちる気の流れが大きく変わったことが、君の体調に影響を及ぼしたのかもしれないね』
とのことだった。
なるほど、そういうこともあるかもしれない。付喪神がこれほどひしめきあっている本丸というのは、ひとつの異常空間なのだ。ものを捨てたり、磨いたりして、本丸の中は大きく組み変わった。それは時に一振りの刀剣が顕現して仲間に加わるのとは全く別物だ。
1日にして、大きく変わった本丸の霊的環境に体がすぐになれることができずに、一種の適応障害となってしまう。
なるほどなぁ、それでこんな突然倒れたりしてしまったのかぁと感心し深く納得して、そこから学ばなかった私は大馬鹿ものの主だ。
次の一年も大掃除を行なって同じように倒れてしまったのだから。本当に大馬鹿ものだ。
薄暗い部屋で布団から天井を眺める。外はすっかり夜で、障子の紙から透ける火のあかりだけが視界の頼りだ。
遠くの部屋から漏れ聞こえる笑い声。大晦日の宴会はつつがなく進んでいるようだ。この一年の苦難を忘れるように美味しいお酒に美味しい料理で、笑いあっていることだろう。私はそれを微笑ましく思いながら目を閉じた。参加したい気持ちはあるけれど、やはり体がだるく、本調子ではない。
去年の倒れたときは、2、3日寝ただけで連隊戦の指揮にも復帰し、年越しの宴会にも参加できたのに、今年はいまだに寝込んでいる始末だ。
「起きたかい?」
「石切丸さん……」
すうっと障子が開いて、優しげな瞳が私を見下ろす。
「今年は体が慣れるまで少し時間がかかるね。それほど刀剣の数も増えた証拠だとは思うけれど」
「そっかぁ、刀剣男士が増えたから……」
確かに今年は本丸を立ち上げて以来、新加入が多かった一年でもあった。それだけ、本丸内の霊的環境は複雑ながら絶妙なバランスで成り立っていたのだろう。それを掃除という形で崩してしまったから、反動も大きかったというわけだ。
「ごめんなさい、変な恒例行事を作ってしまって」
「いや、私ももう少し気をつけるべきだったね」
「私こそ、気をつけるべきでした。でもあんなに急に来るとは思わなくて」
本丸の主要な掃除が終わって、あとは自室の整理でもするかと部屋に戻った瞬間に目の前が真っ暗になったのだ。去年は、なんだか目眩がする程度の症状から出始めたのに。
「あるじさま!」
「ぬしさまっ!」
私の様子を見にきてくれたのは石切丸さんだけじゃなかったらしい。彼の背中から飛び出して来たのは大きい影と小さい影。それから遅れて「はっはっは」という独特の笑い声が聞こえてきたから、三日月さんも一緒に来ているらしい。
「ああぬしさま、おいたわしや」
布団にひっしとしがみついて来たのは、大きい影の方、すなわち小狐丸だ。布団にしがみつきながら、私に体重をかけまいと精一杯気遣ってそばに寄ってくれている。
「いやー今回はわかってたのにすっかり忘れていた自業自得だからね、いいのよ……むしろ心配かけてごめんね」
「おからだはいかがですか?」
「今剣。お見舞いにきてくれたんだね、ありがとう」
「しょくよくはどうですか? よかったらあるじさまのたべたいものを、ぼくがもってきます!」
「ありがとう。でもちゃんと美味しいお粥をもらっているから大丈夫。お腹がすいたら言うね」
「はい!」
「あれ、岩融さんは?」
三条の刀たちが揃いぶみな上に、今剣さんがいるならやっぱり岩融さんも一緒に来ている。なのにあの大柄な姿が見えない。動かせる範囲で首を動かしても見当たらない。
石切丸さんが柔らかい笑みを浮かべて、横を向いた。そして投げかけるような声で言う。
「ほら、岩融さん。お呼びだよ」
石切丸さんの口調から察するに、岩融さんはやっぱり来てくれているようだ。
「岩融さん……?」
私も姿が見えない影に呼びかける。私をあんじてお見舞いに来てくれたのなら、彼の顔を見て一言お礼を伝えたい。じっと待っていると、ようやく廊下の奥から彼に似合わない弱々しい声が聞こえた。
「主」
「はい」
「姿を見るだけ、見てもよいか」
「見るだけと言わず、部屋の中へどうぞ。うつる風邪をひいてるわけでもないですし」
「いや……俺はどうも騒がしくしてしまうことが多くてな。顔を一度見るだけで良い」
私が安静にして休めるように、こういう時は距離をとる。それが岩融さんが彼なりに考えた、最大限の看病の仕方なのだろう。その心が十分伝わって来るからこそ、嬉しくなる。
やがて障子の端から小さく覗いた大きな男に、私は布団の中から手を振った。
「岩融さん、ほら、私元気ですよー」
「体が動かないくせに何を言うか」
岩融さんは泣き笑いのようなくしゃっとした顔をしたが、彼のまとう雰囲気が柔らかくなったのを感じた。
本当に自分のうっかりで倒れてしまったばかりに、心配をかけてしまっていて、申し訳なくなる。来年こそは気をつけよう……。
「心配ありがとうございます、でも元気出してください。私の分まで、宴会を楽しんでくださいね。用意する側も気合入れて用意したと思いますし」
「ああ、心得た!」
「じゃあ見舞いはこれくらいにして、皆で戻ろうか。あまり騒ぎ立てる前に退散するとしよう」
「そうですね!」
「ぬしさま、欲しいものはありませんか?」
「今のところは大丈夫。みんなでいっておいで」
「ぬしさま。どうか1日も早く良くなることを、お祈りしております」
「そうだね。私もよく休むね」
名残惜しそうな小狐丸の頭をそっと撫でてあげると、会場に戻る決心がついたようだ。
今剣を先頭に引き上げて行く三条の刀たち。見守るように石切丸さんが後からついていく。また部屋に静けさが戻って来た。最後に残った三日月さんが、夜を背に目を細めて要る。
「大勢でおしかけて、すまなかったな」
「いえいえ。みんなでお見舞いに来てくれて、嬉しかったですよ」
小狐丸を慰めたけれども、私も彼らに負けないくらい名残惜しかった。本当は私もついていきたい気持ちがある。みんなで笑いあって、一年の苦労をねぎらいあいたかった。でも体を一番に直して、また本丸を動かしていかなければならない。
「三日月さん」
まだ話し足りない私を察したのだろう。名前を呼ぶと、三日月さんは部屋に入ってそっと布団の横に座った。
「心配はかけちゃっていて申し訳ないですし、体が動かないのは歯がゆいですが、でも私はこれも新しい一年を迎えるための準備だって捉えることにしています」
「うむ。俺の主は頑張り屋だからな。こういう1日があってもよいだろう。この一年、よく頑張ったな、主」
「はい……」
一番頑張っているのは間違いなく、前線で敵と戦う刀剣男士たちだ。けれど三日月さんの言葉が自由がきかない体に甘い露のように染み渡る。皆の頑張りにはかなわない。だけどこの一年、私は私にとっての精一杯を捧げて来たことは、断言できる。
「ありがとう、三日月さん」
「眠れそうか? 眠れそうならめいっぱい眠れ。そして良い年を迎えるのだぞ」
「はい……」
体に宿るだるさと、睡魔に身を任せて目を閉じる。
次に目覚めた時には新年を迎えているんだろうかと思いを馳せながら、今日、何度目かの眠りについた。