ああ、良くないことに気がついた。私、すっかり大事なことを忘れていた。しかも今すぐ対処しないと、皆を悲しませることになる。けれど部屋には誰もいなくて、助けを求めることができない。

 ああ、誰か来てくださいと願った時、「むむっ」という声と共に立ち止まってくれる髭切さんの感の良さは、さすがというしかなかった。

「呼んだかい?」
「はい、呼びましたとも! でも声も出さずに呼んだのに、髭切さん! あなたって人は本当に最高です……!」
「いやあそれほどでも」
「あの、実はですね……切実なお願いがありまして……」

 私の願いを伝えると、髭切さんは「分かったよ」と柔らかく優美な笑みを残して、一度立ち去った。

  数分後、髭切さんが帰って来た。私のお願いしたものを、全て膝丸さんに持たせた状態で。

「主、あけましておめでとう」
「おめでとうございます。膝丸さんもごめんなさい、ほんともう初日からお世話になって、申し訳ないです」
「これくらいなんともない」

 そう言って私の布団の上に文机を設置してくれた。

「布団の中からとかお行儀悪いですよねぇ……」
「いや、足を冷やすよりこのままするのが良いだろう」
「うー、すみません」

 机の上には筆記用具も揃っている。
 膝丸さんに全部持たせているというのは、私の勝手な勘違いだったようだ。
 一番大切なものを最後に髭切さんが持って来てくれた。

「主、これでよかったかい?」

 彼が持っているのは私が事前に購入していた、たくさんのポチ袋。そう、私はお年玉の用意をすっかり忘れていたのだ。
 大掃除が終わったあとで、自室でひっそりポチ袋に刀剣たちの名前を書いて、準備をするつもりだったのだ。けれど、そこにたどり着く前に、綺麗になりすぎてしまった本丸の空気にあてられて、私は見事に倒れてしまったのだった。

「ありがとうございます髭切さん!」
「はいどうぞ」

 幸か不幸か今のうちに気づけた。あまり時間の余裕はないけれど、急げばなんとか間に合わせることもできるだろう。
 腕まくりをして筆をとる。ひとつひとつに刀剣の名前を記入すると、すぐさま膝丸さんが新しいポチ袋を差し入れてくれる。そして書きあがったものを乾かしてもくれる。まるでわんこそばのようにポチ袋が入って出て、名入りになっていく。
 髭切さんはというと、それを面白そうに眺めている。

「君は元日から頑張るねぇ」
「むしろ今が頑張りどころですよ!」
「主の事情は皆が知っている。だから無理することはないと、思うのだが」
「いや、これを忘れたら……短刀たちのがっかりする顔を想像するとそれだけで来るものがあるかなって」

 私を動かしているのはやっぱり、お年玉を渡した時の、ぞれぞれの喜ぶ顔だ。
 それに心配が及ぶほど、今の調子は悪くなかった。やっぱり日に日に調子も戻って来ているようで、自分から起き上がって座る姿勢も順調に維持できている。これでどうにか審神者としての仕事もだいたいが再開できそうだ。

 ひとつひとつのポチ袋を丁寧にけれど素早く仕上げながら、私はふと考えた。

 もしかしたら、今日から審神者業を再開できるかもしれない。
 指示だけでどうにかなる仕事は今日までも行って来たけれど、座っていられるならできることも増えるだろう。
 移動は面倒だけれど、トイレに行くくらいは今日までもどうにか自分でしてきた。うん、どうにかなる気がした。

「主」
「は、はい」

 顔を上げると口元は笑っているのに目が一切笑っていない髭切さんがそこにいて、心臓がどくりと波打った。
 ぎくりと体を強張らせていると、反対の膝丸さん側からもため息が聞こえる。

「これはなんとか丸さんが言ってたことだけれど」
「なんとか丸さん……範囲広いですね」
「もともと君の体力が落ちていたから、今回これだけ寝込むことになったんじゃないかって」
「え、そうですかね。私がうっかりしていたせいだと思いますけど」
「いや。元々の抵抗力、適応力が落ちていたのだろう。去年はここまでのことではなかったのだろう?」
「つまり……?」
「働きすぎだねぇ」

 そんなことはない、と言いたかった。言いかけたけれど、髭切さんがあまりに反論を許さない笑顔をしていたので、私は素直に頷くしかできなかった。

 ポチ袋に取りかかりつつ、時々ちらりと二人の表情を伺うと、二人とも刺さりそうな視線でこちらを見ていた。髭切さんは一応口元は緩んでいるし、膝丸さんも普通そうに見えるけれど、視線がとても痛い。
 やばい。めちゃくちゃ見張られている気がする。

 さっきまでは、去年の最後に全くできなかったことを今日から消化していこうと思い、やる気満々だったが、この源氏兄弟がそれを許してくれなさそうだ。

「そういえば」
「は、はいぃ!!」

 二人に両方から視線を注がれて、密かにかなり緊張していた私は、髭切さんから声がかかっただけでびくつく始末だ。
 けれど彼からは、実際は思ったより可愛らしい質問が投げかけられた。

「なぜ短刀たちだけにお年玉なんだい?」
「あの、念のために言っておきますけど、年のはじめは全員にお手当を出していますよね? それをお年玉って形で渡した方がいい子にはお年玉袋に入れて渡しているんです。そういうのが気恥ずかしそうだなぁってひとにはいつものような形でお手当を渡しています」
「ふうん……」
「だから、短刀を贔屓しているわけじゃないですからね」
「そう」

 さっきの髭切さんの聞き方だと、姿が小さいだけで贔屓してないかと疑惑をかけられた気がした。だからそうではないと説明を否定をしたのだけれど、髭切さんの機嫌は良くない、気がした。表情には出ていない。むしろ隠されているのだけれどなんとなく、彼が納得していないのが感じ取れたのだ。

 一通りのポチ袋に記名が終わる。数を数えたあとは刀帳を見て、書き漏れがないかを確認する。一応見た目年齢が自分より下かとか、見た目年齢が成人していなさそうかなどを基準にしている。
 とりあえず、当初予定していた分は皆が挨拶に来る前に無事に終わったようだった。視線を横にずらすと髭切さんはもう私を見ていなかった。

「ん? 終わったかい?」
「えっと、はい。中身を詰める作業は私だけでやりますね。ありがとうございました」
「わかった。また何かあれば呼んでくれ」
「ありがとうございます」

 二人が立ち去って、足音が聞こえなくなったのを確認してから、私はまだ何も書いていないポチ袋を追加で取り出した。
 そこに丁寧に、「髭切さんへ」「膝丸さんへ」と名前をしたためる。

 さっき「そう」とだけ言って無言になってしまった髭切さん。言わなかったけれど彼が胸にうちに言いたいことって、こうじゃないだろうか。思いっきり勘違いで外していたらどうしようかとそんな不安をよぎったけれど、まあいいや。髭切さんが時々見せる素っぽい笑顔が見れますようにと願いながら、私はようやく筆をおいた。