来るな、出ていけ。私はおまえを、ゆるさないよ。それがおばあちゃんの最後の言葉になってしまった。
 私を強い力で引き寄せたまま、苦しげなうめき声をあげたかと思うと、あっけなく逝ってしまった。

 お医者様が、おばあちゃんの眼球の奥へ光りを宛て、そして時刻を告げる。おばあちゃんが死んだ時刻を秒数まで。それを頭に刻みつけられる神経を私は持っていない。お医者様の声が頭をすり抜けていく。私はただ病室の隅、パイプイスの上で立ち方を忘れていた。



「………」
「お願いだ、聞いてくれ、


 私はふらりと顔をあげる。鶴丸さんはすぐ近くにきていて、膝を折って、私より低い目線の位置から見上げてきた。糖蜜のような色の目が、私をのぞき込む。


。悲しいのは分かる。辛い状況でこんなことを言い出すのは申し訳ないが、ひとまず君に頼みたいことがある」
「………」
「さっきのやりとりで分かったと思うが、今、俺には肉体が無い。や、あのばあさんには見ることが出来るが、それ以上の力を持たないんだ」
「………」
「ただ、君が望めば俺は人間の体を持つことが出来る。なんたって、君は""の娘だからな。必ず"審神者"としての力がある」
「さに、わ……?」
「ああ。審神者の力だ」


 審神者って何。そもそも、こうして私の前に現れた鶴丸さんは、一体何者? 掴むことの出来ない指先で、鶴丸さんは私の肩を包んだ。そして泣きそうな顔で懇願する。


「俺を、起こしてくれないか。君に与えたいものがたくさんある。それには、皮肉なもんだがの力が必要なんだ」


 おばあちゃんの死に、おばあちゃんの言葉に混乱した頭。体には、おばあちゃんが憎しみ混じりに私を引き寄せた、最期の指の感触が残っている。
 けれど鶴丸さんの言葉は甘く響きわたった。


「君を、独りにさせたくない」


 お母さんもいなければ、おばあちゃんもいなくなった。けれど私はまだ、目の前の透けた鶴丸さんがいるから、かろうじてひとりぼっちじゃない。

 私の家族がみんないなくなる。こんな日が来ると分かっていた。その時私は、独りで生きていかなきゃいけないんだと、繰り返し自分にい言い聞かせていた。
 だけど目の前の男のひとが、鶴丸さんが、私を諦めさせてくれない。


「ど、どうすれば、いいの……」
「それは自身が知っている。……さあ俺を、必要だと言ってくれ」
「っ鶴丸さん、ここにいて……!」


 だって、このひとがいれば、私は独りぼっちにならずに済むかもしれないのだ。


「私を独りにしないで……!」


 ぼろりと流れた涙はおばあちゃんの死が悲しいからじゃない。身勝手な私は、独りで生きていかなきゃいけない現実から逃げたくて、恐怖のあまり泣いたのだ。







 部屋に満ちる、お線香の匂い。細い煙が私の髪をかすめる。

 手を合わせて黙想し、目を開く。

 祖先の遺影。ひとつ飛びだった、おじいちゃんとお母さんの間に、新しくおばあちゃんの遺影がかけられた。
 なんだか少し憎たらしい。みんなして、あの世にいってしまって、私だけがこの家に残された。

 みんながいないのに、私はこの世にいる。そのことが、不思議に思えてくる。


? ー?」


 ……そうだ。私だけじゃなかった。私と、未だ正体のよくわからない鶴丸国永さんだけがこの家に残された。


「……なんですか」
「醤油がきれてしまってな。どこだったかな」
「戸棚の中だよ」
「そう言われてもな。戸棚の中は一通り探したんだが」
「……今行く」


 あの病室で、鶴丸さんは肉体を得た。
 私を包むように添えられていた手が急に骨を持ち、皮膚を持ち、そして私の肩を本当に包んだのだから、もう何がなんだか分からなかった。
 鶴丸さんはその手に実体を持って、一番最初にしたのは私を抱きしめることだった。
 形を確かめるように強く抱きしめられ、鶴丸さんは言った。、ずっとこうしたかった、もう大丈夫だ、と。
 空中に響くみたいだった鶴丸さんの声は、その細い首からちゃんと鳴っていて、私を慰めた。 

 どうして鶴丸さんが急に、誰の目にも見えるようになったのか、よくわからない。けれど彼は私が望んだ途端に人間の体を手に入れた。
 わからないことだらけれで、"なぜ"という答えには私は全然答えられない。けれど、今日の時点で確かなのは、私が鶴丸さんがいてくれて良かったと感じていることだ。

 鶴丸さんが「もう大丈夫だ」と言ったあと。このひとはたくさん私を助けてくれた。君は座っていれば良いと言い、お医者様、病院とのやりとりを全て引き受けてくれたし、おばあちゃんの葬儀の全てを行ってくれたのも鶴丸さんだった。
 私も、おばあちゃんから死んだ後のことをどうすれば良いか聞いていると言っても、鶴丸さんは私をひたすらにイスに座らせた。


『今は存分に悲しむ時間だぜ』


 そう言って、鶴丸さんはただ、私におばあちゃんの死を悲しむ時間をくれたのだった。


「……あ、お醤油、切れてました」
「なんだ、買いに行かなきゃならんのか。よし、じゃあ行くか」


 鶴丸さんはお醤油を必要としていたはずだ。なのにもうその顔は、これから出かけることが楽しみで仕方がないようだった。


「お店、分かりますか?」
「何言ってるんだ。も行くんだ。さあ靴をはいた、はいた」
「え、鶴丸さんこそ、何言ってるんですか」


 全然話が通じていない。
 でも私は理解しかけていた。鶴丸さんは本当に不思議なひとだ。大人で、おばあちゃんのお葬式のことも全て済ましてくれたのに、この社会のこと、社会の仕組みのことは何も分かっていない。


「お醤油はネット注文で買えますけど、いつものお店で買うと割引かかるんです。お店、分かりますか?」
「……ねっと注文とはなんだ?」


 それから私と鶴丸さんは肩を並べて、リビングから端末を使ってお醤油をネット注文した。
 鶴丸さんは始終驚きっぱなしで、「最近はこちらを覗くことも無かったからな」なんて言う。最近? ネット注文が主流になったのはもう100年以上前の話だ。


「こりゃあ驚いた。こっちでは何かを買いにいくというのが、連れ出す誘い文句にもならないわけだ。この世の男子は恋愛に難儀しているんじゃあないか?」
「……はい?」
「どうやら俺の作戦は見立てが甘かったようだぜ、
「………」
「これは率直に言う他無いな。、一緒に出かけよう。風通しの良い場所で話そうじゃないか。俺のこと、君のことを」


 どきり、とした。
 おばあちゃんの葬儀が終わって、元は幽霊だった鶴丸さんが人間になって私の家にいるようになって、ようやく一週間がたつ。ものごとは少しずつ落ち着いてきたところだった。


「君は様々な答えを欲しがっている。そうだな?」


 私は頷くと、鶴丸さんも目を細めた。


「じゃあ靴を履こう。気分を変えながら話したい。話はずいぶん長くなるからな。それこそ1000年、2000年を越える話だ」


 わけの分からない鶴丸さんの物言い。彼についていけば全てが分かるようになるのだろうか。私は玄関に向かった。スニーカーを履いた。
 引き戸を開けると、目に痛いくらいまぶしい日差しが世界に差していた。