朝起きて、身支度をしながら第一部隊を編成する。出陣のためじゃなく、演練のための編成だ。燭台切光忠に用意してもらった朝食を口に押し込み、寝ぼけた頭になんとか栄養を送りながら、演練を命じてこなさせる。
 順調に勝利を修める部隊。平野藤四郎が緑茶を注いでくれる傍らに、前田藤四郎が座る。

「お鞄ができあがりました」

 彼が手に持つのは私の学生鞄だ。前田藤四郎がいつもハンカチなんかと合わせて、その日の科目に合わせて中身を出し入れしてくれる。

「いつもありがとう」
「恐れ入ります」

 得意げな顔に一途な返事。上手なほめ言葉も思い浮かばなくて、ひとつ頷いて緑茶を流し込む。立ち上がり手入れ部屋に向かった。

 昨晩から夜通し行われた手入れは全て完了しており、代わりに昨晩入れてあげられなかった刀剣男士をつれていってあげる。
 内番を命じ、残ったもので部隊を組んで遠征へ送り出す。
 これで朝の本丸でできることは終わり。

 玄関に向かうと、ゴミも全て取り除いて新品のような学校指定のコートをへし切長谷部が着せてくれ、柔らかなマフラーも形良く巻いてくれた。準備の整った身に、やはり前田藤四郎が私に鞄を手渡してくれた。

「それじゃ……」
「主!」

 ローファーのつま先を鳴らした私を、加州が呼び止める。

「はい、これで授業中もちゃんと唇ケアしてね」

 手のひらに落とされたのはリップクリームだった。深緑色のラベルに、商品名に続いて"薬用"とかかれている。

「………」
「色も無いやつだから先生にも怒られないよ」
「……ありがと、いってきます」
「いってらっしゃい、主」
「いってらっしゃーい」
「主君お気をつけて」
「主、帰りをお待ちしております」
「帰ったら僕と遊んでくださいね!」
「留守はお任せください」
「なるべく早く帰って来いよ」

 前田に長谷部に加州だけじゃない。見送らなくて良いといつも言っているのに、なんだかんだみんな集まって毎朝玄関はぎゅぎゅうだ。私が一言「いってきます」と言うだけであるのに、この有様だ。 

「あ」

 言い忘れていたことを思いだし振り返る。

「今日も、お迎えは御手杵で」




 私が審神者という役目を負ったことが政府のエゴであるとしたら、未成年ではあるが義務教育を終えた私が未だ学校に通っているのもまた、彼らのエゴに思えた。
 人道的な支援をしてやるのでそれをありがたく受け取れという押しつけに、審神者をやらせながら学徒もやらせるのかと呆れたものだが、結局私は頭を垂れて審神者と女子学生を往復する生活だ。

 通学路のショーウィンドウに、自分が一瞬写り込む。毎朝きっちりと身なりを皆が整えてくれるおかげで、私はつま先から髪の毛の先まで、清純的記号の塊だ。古くささも覚える紺のセーラー服に身を包み、実に人大人の言いなりになっている人形に見える。実際そうだ。きっと政府もこんな模範的な人間が見たかったくて、学校のパンフレットを見せたのだろう。
 今時、ここまできっちりとした学生というのはクラスで浮いて仕方がないのだけれど、シャツに皺を残さないのは燭台切光忠の性格がゆえだし、靴が綺麗に磨かれているのもコートが毎晩手入れされているのも整えられた持ち物も、刀剣男士それぞれの性格によるものだ。
 みんなの気遣いのたまもの。私にはそれを「クラスで浮くから」なんて理由で拒否なんてできない。だから私は付喪神からの庇護を有り難く賜って、清純的記号の塊として教室へ入っていく。

 本丸であんなにみんなに主、主と慕われているのに比べて、私の学校生活は無味無臭だ。
 まじめに授業をこなして、自分の席でこしらえてもらったお弁当を一人で食べて、クラス内でいなかったことにされている女の子とペアを組んで体育をこなす。審神者としてもやることがあるため、部活動には参加していないし、教師からの配慮で委員会も無い。だから授業が終われば同級生たちと話すこともなく、私は帰る準備をする。

「おーい」
「御手杵」

 指定の靴にはきかえ、先生にはさようならの挨拶をして出ると、今日も指定した彼が校門の外で待っていてくれた。
 町中なので防具だけは外してある身軽な御手杵は当然のように私の教科書の詰まった鞄を持ってくれる。

「お疲れさん」
「別に」
「そうかぁ?」

 言いながら御手杵はポケットからあめ玉を出してくれた。広い手のひらに乗る、いくつかのキャンディ。毎日のことだ。きまじめな私は学校にお菓子なんて持っていかない。だからか、御手杵は学校を終えた私に何かと甘いものを一口つまませてくれる。

「ありがと」

 いったいどこで御手杵は、こんな子供のあやし方を知ったのだろう。私はイチゴミルクのものをもらって口の中に入れた。

「あなたも、要る?」

 包みを御手杵に渡しながら、私は後ろに立ちすくんでいる彼女に声をかけた。私たちを見ていたそのクラスメイトの彼女は、突然声をかけられて相当驚いたようだった。かわいらしい女の子らしい声で「え、ええ!?」なんて悲鳴をあげている。

「おお、食うか?」
「い、いいんですか……?」
も良いみたいだしな」
「わ、そんな……」

 狼狽えて、耳まで真っ赤になりながらもクラスメイトのその子は御手杵の顔と手の中を交互に見て、キャンディに手を伸ばした。小さな手がつかんだそれは、レモン味だった。



 帰り道なら荷物は御手杵が軽々と持ってくれるから、私は手をコートのポケットにつっこんで歩いた。
 御手杵が先を歩いて、私は後ろだ。長身の彼は、階段の2段先に降りていっても、私には彼のつむじが見えない。ぼうっとうなじを見て階段を降りていたときだった。

「あの子のためかぁ、俺に毎度迎えを言いつけるのは」
「………」

 急な切り出し方だったけれど、御手杵があの子と呼ぶのなんて、ひとりしか思い浮かばない。御手杵の手の中からレモン味のキャンディを選んでいった"あの子"だ。

「そんな、ばれた!って顔しなくてもいいだろ」
「ほんとに、ほんとに気づいたの? 全部?」

 信じられないような思いで追求すると、御手杵も苦笑いで振り返る。

「あの子、俺のこと好きなんだろ?」

 ざくりと脈が切られたような音を立てた。急な動揺で胸が痛む。

「俺も信じられないけどさ」
「……御手杵って鈍感そうだから、絶対に気づかないとおもってた……」
「んー、まあな」

 否定しないけれど、肯定しきらない相づちが打たれる。

 下校時のお迎えが誰が来るかは、最初は刀剣男士たちに任せていた。誰でも好きなのが来ていい。けれど大人数で来るようなことはやめてと伝えて、私はその日に来る刀剣男士と本丸へ帰っていた。
 鶴丸は真っ白で目立ち過ぎ、燭台切は今度は真っ黒で目立ち過ぎ、山姥切は布をかぶったままだからまた目立ち。短刀の子がくれば弟がいるのかと言われ、また別の短刀の子がくれば私は大家族の娘なのかと噂が立った。でもそれを微かに楽しみながら私は、誰が来ても同じように本丸に帰った。

 それは御手杵が私を迎えに来たときだった。校舎内は関係者以外立ち入り禁止なのを知らない御手杵が、私のクラスまで来てしまったのだ。御手杵が不審者扱いされたらどうしようかと非常に焦ったのを覚えている。
 だけどそれよりも強く焼き付いたのは、御手杵を見る或る視線のこと。

 全ての喧噪を置いてきぼりにしてしまう恍惚の表情。
 私は、同い年の少女が一目惚れする瞬間を見たのだ。

「あ〜……」
「何よ」
「もっと、良い理由だと思ってた」

 むっと眉をしかめる。御手杵の言いぐさだと、クラスメイトに、恋する相手に会わせてあげる、というのが悪い理由みたいだ。

「まぁ俺が勝手に期待したからな……」
「期待って」
「俺を見せびらかすために指名してたんだなぁ……」
「それもあるけど。御手杵は現世馴染みする外見だってのもあるよ」
「そうかぁ?」
「うん」

 女子学生からの気持ちに気づいても、御手杵は自分の魅力にはまだ鈍感らしい。
 長身で、ひとつひとつが整ったパーツでもって優しげな顔をしていて、何気なく立っているのに体はやはり戦士としての体つきをしている。一目惚れをしたあの子以外にも、彼の顔立ちの良さに気づいた子は何人もいた。
 他の刀剣男士より見た目だけならばかなり人間臭い彼だから、恋の相手にもなったのだろうなと私は想像している。

「あの子と仲良いのか?」
「あ、気になってきた?」
「違うって。仲、良いのか?」
「全然」
「じゃあなんで」
「……わかんない」
「あの子は普通の人間だろ」
「普通の人間だから、何」
「俺にはそういう気は無いから。あんまり、期待させるもんじゃないと俺は思うけどな」

 御手杵の言葉に私は唇を噛む。私も普通の人間だよ。
 私は暗に人間と付喪神じゃ関係はありえないと言った御手杵に苛ついていた。人間と付喪神が無理なら、主と刀剣男士という間柄でもある私たちは二重にだめだね。
 前を歩く彼はきっと、こんな私に気づきやしない。

「御手杵は知らないんだね? 例え結ばれないって分かっていても会えるだけで嬉しい恋って、あるから」

 強い、実感のこもりすぎた言葉に、しまった、と思った。私の中で鈍感に分類される御手杵も、ついに気づいたらしい。

「……主にも、懸想してるやつがいたんだな」

 私の腹の中に気づいた。だけどやっぱり御手杵は鈍感だ。ため息混じりに「そうだね」と肯定すると、御手杵は私が誰を思ってようとも何とも感じないらしい。いつもとそう変わりない、困り顔を見せる。

「俺を呼ぶのが、あの子のためだって言うんなら明日からは別のやつに頼んでくれないか」
「……分かった」

 意地悪のつもりはかけらも無い。そう分かっていても、御手杵はずるいなと思った。そんなことを言われて、私に「お迎えは御手杵を」と言えるわけが無いじゃないか。クラスメイトのあの子の理由無しに彼を呼んでしまえば、私の気持ちが今度こそ彼に知られてしまう。
 もし御手杵に、あなたと帰り道を一緒にしたいからなんて言ったなら、それこそ関係の終わりだ。私は目を閉じる。こんな気持ちがなくなれば良いのにねと。

「誰にしよう。あんまり目立ちすぎないひとが良いんだけど」
「それこそ懸想してるやつにどうにか頼めないかな? 男なら送ってくれるだろ」

 男なら送ってくれるという言葉に、目が熱くなった。迎えじゃなく、本丸へ"送ってくれる"なんて言うことは、人間でしかありえない。御手杵の中では、私が本丸の誰かを好きという可能性すら存在していないのだ。
 だめ押しのように御手杵の、人間と付喪神とじゃありえないという気持ちを見て、鼻が水っぽい音を立てる。

「また体冷やしたな?」
「教室が寒いの」
「好きだったけどな」
「な、にが」
の迎え、楽しかった」

 なんなんだ貴方は。刺すことしかできないが口癖のくせして、私の傷つけるのもずいぶん上手じゃない。胸で語りかけながら広い背中を見る。

 隠しているだけであの子のため以外の理由だって溢れるほどあったし、私も御手杵との帰り道が楽しかった。けれど脳内で必死に刀剣男士たちの顔を思い浮かべた。
 誰が良いだろうか。御手杵の代わりにする刀は。誰かを贔屓して迎えに呼び続ければ、御手杵も私が恋する相手が付喪神かもしれないと気づくだろうか。

 無理だろうなと思う。御手杵の頭の中では人間は人間と結ばれるものだとすっかり染み着いてしまっているのだから、きっと何も気づいてくれやしない。嫉妬さえ望めない。お互いに変わらない歩調で歩きながらそこまで考えて、今度こそ私は夕日の中で絶望した。