風のあたたかな日だった。庭の桜が散って縁側、ひいては俺たちのたたずむ奥の部屋の畳に入ってきてしまう。柔らかい陽の光が届かない、ふすまの影で俺たちは向き合って座り、秘め事を打ち明けていた。
 無邪気な笑顔だった。「私も、御手杵と同じ気持ちだよ」。そう言ったとき、は頬を染めながらも、俺に比べればとても上手に胸の中に起こる出来事について教えてくれた。

「私も御手杵が相手だと時々胸が苦しくなったりして、でもどうしようもなく御手杵が気になって、抑えきれないような気持ちがわいてくるの。誰もがそうじゃないんだよ、これは御手杵だけにそう感じるの。ね? 私も御手杵と同じ」
「そう、なのかな」
「たぶん、ね。違うかな? でも、同じだったらいいなぁ……」
「そう、かもしれない」

 の言っていることは、的外れでも無かった。確かに俺はある時から、このひとりの人間が代わる代わる見せてくる表情や動きに、行動や考えを奪われていた。
 艶やかな髪を触っているところなんか見てしまうと、胸が音をたてそうなくらいに変化する。縮んだり痺れたりして、動けなくなってしまう。
 胸が苦しくなり、どうしようもなくこのひとが気になり、抑えきれないような気持ちがわいてくる。それは確かに俺も感じている。だけど。

「御手杵は、人間の体も感覚も得たばかりで、まだそれが慣れないかもしれないけど。その感情を恐れないで」
「怖がらない方が良いのか?」
「うん。だってわたし、それが嬉しいんだから」

 いまいち腑に落ちない様子の俺に、は甘やかに目を細める。なんだか俺は、その表情がいやだなぁと思う。綺麗だけど、俺をずくんと揺らして、突き落としてしまいそうな笑顔なのだ。
 その笑みを浮かべたまま、は知ったように俺の胸に生まれた感情について教えてくれる。

「恋愛にはいろいろあるんだけど、御手杵は感情をもっと出して良いんだからね」
「そうなのか?」
「うん。だってわたしたち、お互いに想い合っているのだから。両思いって言うんだよ。御手杵はわたしに人とは違う感情を抱いていて、わたしもそう。わたしは御手杵が好き。だから、御手杵の気持ちは、わたしが受け入れるよ」
「俺の、気持ち……」

 本丸でたったひとりの人間。の仕草を見て、動く姿を見て、感情を動かされてきたのは確かだ。それを受け入れると、は言っている。
 けれど、俺は動けない。
 いまだに戸惑っている俺に、少しは悲しそうに眉を下げて、俺のすぐ近くに座りなおした。

「ねぇ。わたしも願いがあるの」
「何だ?」
「ずっと、御手杵がわたしを好きでいてくれたらと思っていたの。御手杵に好きって言われたかった。ねぇ、わたしのこと、好き?」
「……好き、だ」

 口に出してみる。これは意外にしっくりきた。そうか、俺は彼女が“好き”なんだ。
 心動かされる。言葉じゃなく、この感情を人間の器に受け渡すのなら。俺は、どうしてそうしたくなったか分からないままの手首を掴んだ。折れてしまいそうに細く白い手首。捕まえて畳に押しつける。俺よりも一回り小さい手、健気な背丈。そのままのしかかって見つめていると、恥ずかしくなったらしい。赤く潤んだ目で「御手杵」と名を呼ばれる。そうして動けなくなっているを目の前にして、不意に、何かが俺の背筋を走った。ぞくぞくと音をたてて。

 そしてやっぱり、戸惑ってしまう。
 俺の、へ抱くこれは恐ろしい。は、「わたしたちは両思いだ」と言った。とても無邪気な笑顔で。けれど俺にはとてもじゃないが、彼女へ笑顔で「俺も同じ気持ちだ」とは言えない。
 解き放ってしまえば彼女の体にかみついて、肌を突き破って、刃を呼吸を伝わせて、心の臓を貫いて、彼女を壊してしまいそうな感情。こんなのは、君の持っているそれとは同じではない。

 俺は彼女が“好き”である。それは間違い無いのに、どうしての抱くものよりも酷く暴力的なのだろう。

「……いやじゃないのか?」
「受け入れるって、言ったでしょう」

 が抵抗してくれないと、それこそ俺は俺を見失ってしまいそうだ。落ち着かない脈を抱えながら俺はの上から退いた。
 といつもの距離に戻ったはずなのに、さっき近付いたの温度が肌をつついて仕方がない。

 緩慢な動きで畳から起き上がり、先ほど俺が掴みあげていた手首を見つめていたへ、俺は問いかけた。

「なぁ。この気持ちは、なんて呼んだら良いんだ……?」

 は、この恐ろしい衝動の名を恋情、と言った。やはり到底、彼女みたく思いを抱えたまま美しくは笑えないけれど、恋情という言葉は意外にしっくり、はまってくれるのだった。