ずっと羨ましかった。万屋に行くのが。外に出かけるための、少し明るい桃色の上掛けを羽織った大将が、ひとりの刀剣男士を連れて、門をくぐり出ていくのが。
門を出た先では大将はみんなの大将じゃなくて、横に侍るその刀のものに見えて。そして大将が連れていくはだいたい、打刀以上の大きな刀だ。たった一振が着いていける、というのがまるで大将に選ばれた刀のように見えて、その存在はでっかく見えて羨ましかった。
それに、大将のいない本丸で帰りを待っているのは驚くほど寂しい。別に、泣いたりなんかしないけど。
堪えきれず、俺は今日も机に向かう小柄な大将の目の前に飛びついた。
「なぁ大将! 俺も万屋に連れていってくれよ」
「えぇ?」
「いいだろ? 聞いたぜ、万屋に行くのは本当は誰でも良いって」
「そういうわけじゃないんだけど……」
大将は紙を捲っていた手を止め、くどくどと説明し始めた。一応本丸の外に出るんだから、何かあっちゃいけない。そのために着いてきてもらうのだと。本来は近侍の仕事だが、近侍に任せていることが多く、そういった時は別の刀剣男士にお願いしていたまでだと。
だが、それにへえへえ頷く俺では無い。
「分かったよ。大将の言うことは分かる」
「だったら……」
「つまり。そんだけ俺を行かせたくないってこと?」
俺のこの一言は効いたようだ。大将は少し言葉を濁らせたあと、困り笑いで言ってくれた。「しょうがない。後藤くんの、“特付き”のお祝いね」、と。
そう、この本丸で一番の新参だった俺も、着実に練度を上げ一人前の、いわゆる“特付き”となった。
ぐんと存在感を増して来られた、と思っていたが、それが大将にも認めてもらえた。
念願の大将と万屋に行けること。そして大将が俺の頑張りをちゃんと見ていてくれたこと。両方の嬉しさで、俺はつい、にんまりとしてしまうのだった。
少ししたら仕事に区切りをつけた大将が俺を呼んだ。いつもの、あの、淡い桃色の上掛けを着ている。足袋に草履を履いた大将が俺の横に並ぶ。こうして並んで立ったのは初めてだ。そして俺は、横を向くだけで大将と目が合ってしまうことに気がついて、急に恥ずかしくなる。
「ちゃん」
「あ、燭台切さん」
後ろから俺たちを呼び止めたのは燭台切光忠さんだった。着ている服は黒く、体は締まって見えるのに、妙な存在感を覚える。燭台切さんはひたすら心配そうにさんを見下ろしている。
「万屋に行くのかい?」
「はい。今日は後藤くんと行ってきます」
「へえ……、その、大丈夫かい?」
「大丈夫ですよ、たぶん。今日は、後藤くんの“特付き”祝いもかねて、行ってきますね」
「そっか……」
そう、俺はもう“特付き”なのだ。もちろんまだのびしろはあるが、一人前と言って良いだろう。
主の言葉に納得しながらもまだ心配そうに燭台切さんは俺を見据えて言った。
「じゃあ主のこと、呉々もよろしくね、後藤くん」
「あっ、ああ! 迷子になるなよ、大将!」
「っう、うん……」
「主も気を付けて」
「はいっ」
堅い声で大将は返事をすると、俺たちは並んで門の外に出た。
ひどく心配そうだった燭台切さん。それにあれこれ文句をつけていた大将。二人の様子から、何があっても大将を守ろうと心構えをして門をくぐった。というのに、意外にも本丸の外は至って平和だった。
明るい陽が差し、人で賑わい、物売る商人の声があちらこちらから聞こえてくる。完全に警戒を解いたわけでは無いが、物々しい気配はかけらも無い。
「っとに、賑やかだぜ」
「ほんとう。今日はいつもより人が多いみたい」
大将も、あちらこちらへ興味を向けながら、とても楽しそうに歩いている。
「大将、万屋はどこだ?」
「もう少ししたら着くよ。あっ!」
「ん?」
「後藤くん、あそこだよ。後藤くんにあげたお守り買ったの」
大将がなんだか嬉しそうな声を上げて早足で俺を抜き去ってしまい、あっと気付いた時にはもう遅かった。
「大将……?」
人混みの中、大将が忽然と、消えてしまった。
それから俺は必死になって人ごみをかき分け大将を探した。同じくらいの背丈のあの人、華奢な肩、あの桃色の上掛けが、ひょっとしたら人々の隙間に見えるんじゃないか、いや見えてくれと願いながら駆け回る。
時には塀の上、木の上に登り、大将が見えないか目を凝らす。
「大将、大将……!」
けれど、どれだけ探し回っても一向に大将は見つからず、気付けば空の色が弱り始めていた。
目が熱くなるが、泣いてはいけないと自分に言い聞かせる。大事なあの人が近くにいない。無事なのかも分からない。俺は泣いている場合じゃない。
あきらめてはいけない。顔を上げて、大将を探すんだ。そう自分を叱って上を向いた時だった。
「み、つけた……っ」
袖が、後ろからぐい、とひっぱられる。
そこにいたのは大将だった。頭はぐしゃぐしゃで、髪は汗で首や頬に張り付いて、鼻緒がはずれてしまった草履を片方手に持った、大将だった。汗をかいて真っ赤な顔で、大将は辛くも笑った。
「向こうから、見えた、よ、後藤くん」
夕暮れの手前。石垣の階段に俺たちは座っていた。すっかり汗もひいて、落ち着いた様子の大将がため息をついている。
「心配、かけたよね。ごめんね、後藤くん……」
「ま、まぁな」
もちろん心配はした。だけど、俺は大将を責める気になれない。俺がもっとしっかり大将を見て、大将にぴったり着いて行っていれば俺は大将とはぐれずに済んだ。
心構えはできていると思っていたが、結果的に大将をひとりにしてしまったのだから、俺は万屋へのお供として失格だ。
「俺も、ごめん。俺はもっとしっかり大将を守らなきゃいけなかったんだ……」
「……本当はね、恥ずかしかったからなの」
「え?」
「実はね、わたし、外に出るとすぐ迷子になるの。本丸の中ではそんなこと無いんだけど、他の場所では方向感覚が無くなって、どうしてか分からないけれど、一人では外の世界が歩けないの。だから、なるべく背の高いひとに着いてきてもらって、わたしがどこかに行かないか見てもらってるの」
本丸を出る時の燭台切さんの様子、それから妙に堅かった大将の言動が、今になって繋がっていく。
「情けないよね。情けなくて、恥ずかしくて、わたしみんなの主のくせして子供みたいで、後藤くんには知られたくなかった。だから言えなかった、ごめんなさい。ちゃんと伝えておくべきだったのに」
「………」
「でもね、わたし見つけられたよ。人混みの中で、後藤くんの頭が見えたの。だから走って、走って追いかけた」
すん、と鼻を一度すすると大将は微笑んで俺の頭に手を伸ばした。指先で俺のハネた髪をかき乱し囁いた。
「大きくなったね。よく鍛錬、がんばったね。もう後藤くんは本当に“特付き”の刀剣男士だよ」
俺よりもさらに小さくて、なのに彼女はやはり俺を従える主だ。
このひとの体温を感じ、笑顔で誉められれば、気付けば俺は願っていた。これがずっと続いて欲しい。そして俺だけのものであって欲しい。
俺はこのひとが好きなのだと気がついた。そして万屋に行くのを羨ましがったのは、この人に選ばれてそして横に立ちたいと焦がれていたのだと。それを教えた、けれど何も知らない大将は立ち上がって行った。さあ、帰ろうと。
「……、もう迷子になるなよ」
そう目を見れずに言って手を握る。その手は握り返された、俺の言葉を素直に信じて。
この特別な時間は終わる。俺は帰ればたくさんの他の刀剣に紛れて本丸で過ごし、戦に出る準備をする。だけど、このひとが好きなのだと気付いてしまった。知ってしまった、迷い子になってしまった。俺はもう、帰れない。