私が無惨にも敵に討ち取られたあの日不思議と折れた刀剣はなかった。傷ついたものはいた、追いつめられ他の刀に庇われ、とにかく折れるなと後衛にまわった刀はいた。けれど滑稽なことにあの日命絶たれたのは審神者である私のみだった。やはり私はこの本丸でただひとり、ひ弱な人間だった、刀剣男士に全てを委ねなければ戦えやしない無力な人間だったと証明するように私の肉は斬れて(そう見事な袈裟切だった)、大将の骸が私たちの陣地に晒さることになった。皮肉なことに私があそこで息絶えたことで敵の攻撃は止み、あの本丸に集った刀剣の全てが姿形を残したまま、我々の敗北が決まったのだ。

 それから。私は自分の室から外の景色を眺めた。今は夏だ。おどおどろしい入道雲が迫っている。じんわりと汗を滲ませそうな熱波が簾を押している。夏は好きだった。過去形だ。今この体で夏と対することは、私がなにものになってしまったかを教えるようで気分が悪い。次はどの季節にしよう。熱くもなく寒くもない季節が良い。普遍性を感じさせる景色が良い。季節を感じることが今は辛いから。
 そんなことを考えていた時だった。ゆらりと大きな影が私を覆って、その影が声をかけてきた。

「熱くはありませんか」

 皮肉のような質問だ。

「熱くないよ。見て分かるでしょう」
「……そうでしょうか」
「そうでしょ。汗ひとつかいていない」

 この体では汗ひとつ、かけやしないのだから。

 あの日。私が死に、皆が戦えるという状態なのに大将がむざむざと死に、私たちは敗北した。
 私も審神者としての能力を有していたと言えど普通の人間なんで、意識が途絶え、魂は体から離れ、死者となった、はずだった。しかし政府は私が死ぬことを許さなかった。まだ私と私が顕現させた刀剣男士に歴史を守らせるため、死者となった私を呼び出したのだ。伝令に管狐のこんのすけを使ってくる連中だ。その手の連中を使って、私の霊魂を呼び寄せ、そしてとにかく現世につなぎ止めるため、様々なものに私の魂を移し始めた。
 そして、自分でも何を思ったが分からないが、最早意識を有さなかった私の魂はあるひとつの器に収まった。陶磁器の肌、硝子製の瞳。今私の体はアンティーク調のドールとなっていた。

 審神者の力で受肉した刀剣男士は、私が命を絶たれたことにより、いつ消えてもおかしく無かった。が、政府の処置は間に合ったらしい。ひとりの刀剣が消えることもなく、ただ私の生身の肉体だけが失われて、歴史修正主義者と戦うための本丸は今日も存在している。
 私はふうと息を吐いたつもりになってから太郎太刀を見上げた。体重があまりに軽いので動くのにはコツがいるが、指先まで球体関節にしてもらったおかげで自力で動けるのだ。

「この体であなたを見上げるのは苦労するね」
「………」

 それもそのはず。太郎太刀は本来の刀身を反映させたような、2メートルに近い長身だ。けれど、今の私は1メートルほどだった。
 少し唇を歪め、太郎太刀は私を抱き上げた。本来の私でも彼にとっては造作もなく抱き上げられただろうが、人形の体ならなおのこと。私は軽々と宙に浮き、彼の肩に乗ってしまった。

「あはは、太郎太刀のいつも見てる景色が見える」
「そうでしょう」
「ずいぶん遠くまで見えるのね、すごい」

 虚ろな体の横で太郎太刀までが笑いをこぼす。するとそれは私のおなかを揺らすように響いた。


 あの日、私が斬られしとどに血を地面に吸わせて息絶えたのを皆が目撃していた。全員が敗北を味わった。そして消えることを覚悟しただろう。
 しかし誰も消えなかった。それどころか私は、人形の体となって戻ってきてしまった。

 この本丸にあったほとんどの物が以前と同じように動こうと、努力しているのは分かる。でも私は主として、私たち部隊が、拭い得ない傷を受けたのを感じ取っていた。皆私が戻ったことで明るく振る舞っていても、目の前で大将が死に全てが終わるというショックが、未だ根ざしているのが分かるのだ。
 そしてそれをまざまざと読みとってしまうのは、皆が体温の無い私に触れてしまった時だ。その時一番に、私は、私が失ったものを目の当たりにするのだ。

 けれど太郎太刀だけはなぜか、以前よりも甲斐甲斐しく私の世話を焼くのだ。それだけに収まらず以前より増して、私を愛した。愛した、というのは少し語彙がある。愛情を持って接してくれてはいるのだが、主として向けられていた敬愛はどこかへ行ってしまった。今与えられるそれはどこか愛玩に近いものを覚えるのだ。

 不意に太郎太刀の肩からおろされる。

「どうしたの?」
「肩に乗せていると、貴方があまり見えません」

 そう言い、彼は私の髪をすいた。大きな大きな手で。人間であった時も、彼の指の長さには驚かされ、そして不思議な色気のようなものを感じていたが、今はどこか恐ろしい。人間の体そのものがなんだか、かないっこない力を持っているように感じて、私は背筋に悪寒を感じる。
 そんな私には気付かず、彼は愛しそうに私を撫でる。そうして与えられる熱。反して、私の心は冷えてゆく。

 髪は私の遺体から切ったものだ。瞳の色は本来の私に合わせた色にあつらえてもらった。顔は美しいと言えるだろう。なぜって人形なのだから。一切荒れることのない肌に、丁寧に筆で塗られた紅は白い肌の上で本来の色を生き生きと発色している。老いとは切り離されてしまった体は、ひとつの美かもしれない。けれど、私は今の自分を愛せない。

「……太郎太刀」
「はい」
「あなたの熱を与えていて。私がここにいるのは、……」

 私が、本当に現世にある全てを打ち捨てて死んで終おうとは思えないのは、皆がいるからだった。
 私がこの人形の体を有する限り、刀剣男士たちは人間の体を保っていられる。個として存在し、この本丸で集い、季節を感じ、様々な苦しみを魂のみで抱えず肉体へ受け流すことを許され、そしてそれを振るう者がいなくなった現代にも、刀として戦うことができる。
 人に振るわれず、自身の刀としての存在を感じることのできなかった太郎太刀も、その本分を果たせるのだ。

 しかし、それをそのまま口にするのは阻まれた。私は選んで今この器に収まっている。それを誰のためだと言い訳するつもりは無いのだ。
 この体で笑むことはできないけれど、精一杯の優しい声で私は彼に伝えた。

「ねえ、あなたは今も存在してるよ」

 縁側のその向こうは夏だ。緑が青々しく萌えている。全てが熱い太陽に照りつけられている。熱さに遠くの景色が滲んで見える。もはや遙か遠い感覚となってしまった嗅覚がわき上がり私は夏の匂いを思い出す。
 太郎太刀は、それこそ私が人間だった頃、見せたこともない笑顔を見せてこう返した。

「あなたも、存在していますよ」