私たちの主は知らない。

「んー……、今夜はお鍋にしましょうか」

 その言葉で本丸中に緊張が走ることに。





「お鍋かい?」

 私は戦いの気配を察知した。が、なるべく平静を装って、後ろから声をかける。振り返った彼女は、なぜか膨れ面だった。

「何、石切丸。この前も食べたよって言いたいの? だめかな?」
「そういうわけじゃないよ。私もお鍋は好きだよ。今の季節のぴったりだしね」
「でしょ?」

 体も温まるし、旬のお野菜をたっぷり食べられるから大好き。と、主は機嫌良く今夜の鍋について算段を立てている。
 その姿を微笑ましく見送りつつも私の背には一筋の汗が流れていた。

 今夜は鍋。それは、小さな戦の予感を告げている。

「……ひとまず“皆”に知らせるかな」

 皆、と言ってもこの本丸にいる刀剣全てのことでは無い。今晩、私の味方となる同じ大太刀のものたちのことだ。



 現在この本丸には五十以上の刀剣が、審神者であるの力によって人の身体を受けている。切られれば傷を負い、血を流し、時には眠り、熱を知り、欲を知り……。そして食事を取る。
 基本的には朝餉、軽食、夕餉と日に三回の食事がある。大抵は大広間に集まり、皆が過不足無く食べられるようにと、ひとりひとりに御膳が用意される。それが基本の形式だ。

 しかし、鍋ものとなると違う。鍋はひとりにひとつ、用意することが叶わないからだ。『みんなで食べるのが美味しいんだよ』という主の一声もあって、献立が鍋ものとなると、大広間には十ほどの円卓が並べられ、一卓にひとつの鍋が用意される。大体、ひとつの卓に四人から六人くらいが座ることになっていて、近頃は刀種により分けられることが多くなっていた。人数が多いところには二、三卓が振り分けられ、席順は自由となっている。
 例えば槍と薙刀の卓、脇差が集う卓、打刀で集う卓……。そう、私、石切丸が鍋ものを食べる時は、大太刀が集う円卓へ振り分けられているのだ。
 そして私たちの主、が座る卓はその時々によって違う。

 夜の献立が鍋ものとなる日。乃ちそれは、主がどこに座るのか、主をいかにして自分たちの座る卓へ誘うか。無慈悲なる戦いの始まりでもある——。



 幸いにも、我々大太刀は皆本丸にて待機を命じられていたようだ。探してみるとすぐに全員を見つけることができた。それぞれ自由にしていたところを、周りに気付かれないようそれとなく呼び寄せる。
 全員が揃ったところで、私はついに打ち明ける。

「皆、今夜は鍋だそうだよ」

 この言葉が指すものは何か、それは共有されている。それぞれの目がすっと細くなる。

「へえ……」
「おや」
「ふーん」

 私の言葉に真っ先に反応を示したのは、次郎太刀、次いで太郎太刀。最後に間延びした返事をしたのが蛍丸だった。

「それを知っているのは?」
「さて、ね。でもついさっき、私の目の前でお鍋にしようと決めたみたいだから、皆そう知らないはずだよ」
「それは、本当でしょうか」
「兄貴! 今回はアタシたち、勝ち目あるんじゃないのかい?」
「そうだね。俺たちのところにしばらく来てないし。そろそろ来てもいいよね」

 なるほど。蛍丸の言う通りだ。ここ最近私達は主に対して強く出られず、しばらく四人のみで鍋を囲んでいた。

「前回は……、思い出した。御手杵くんたちのところだったね」
「はい」

 私は豪快な槍と薙刀たちに囲まれた小さな肩を思い出した。それを、羨ましく見つめたその時の自分の心情まで、つぶさに。

 主がどこで食事を取るか。そんなことに必至になっている様はいささか滑稽かもしれないが、私もついむきになってしまうのは、彼女と一度同席すれば無理も無いことだった。
 ふつふつを煮える鍋。炊ける野菜の湯気にかぶる、酢醤油に垂らした柚の匂い。ひとつの鍋を皆でつつく、というのは不思議な親密さを抱かせる。湯気の向こうにあの柔和な笑みがあって、笑い合いながら食事するのはもう一度、とつい望みたくなるくらいに楽しい一時なのだ。そしてそんな一時を、我々大太刀はしばらく味わえていない。

「その前は粟田口だったねえ」
「その前の前も、ね」
「彼らは兄弟が多いせいか、愛し方愛され方が上手いからね」

 豪快な槍の面々に囲まれながらも上手に気を回して食事をしていた背中の次に思い出されたのは、短刀の子たちに囲まれた主の姿だった。
 あそこは元から仲が良く賑やかな集団だが、そこに主が加わっていっそう騒がしかったのを、羨ましくも微笑ましく見ていたのを覚えている。

「じゃあ、御手杵くんたちや粟田口のところに呼ばれていたらそれを口実に断れるとして……」
「太刀の皆さんは、どうしましょうか……」
「燭台切光忠のところは、お鍋の濁りが遅く締めの雑炊まですっきりと美味しいらしいからね……」
「そう! そうなんだよ! あそこは鍋そのものが上手い!」
「鶴丸国永に鶯丸、他にも明石国行という、問題の面々も、おりますが……」
「んーでもそこらへんは一期さんが上手くやってるでしょ」
「打刀のところも結構ぐいぐい行くんだよねえ。……ど真ん中から誘える陸奥守に、そこから圧をかけることを厭わない歌仙兼定! 本人にそんなつもりが無くとも逆に興味を引くのが上手になってしまっている山姥切国広ぉ!」
「あと、加州清光もいますね」
「初期刀ってさ、やっぱそういうところあるよねー」
「ああっ、なんて選り取りみどりなんだっ!」

 次郎太刀の口上につい気分がうわずり、思わず頭を抱えてしまう。
 我々は大太刀だ。皆に比べれば一撃の攻撃力は高いものの、どこか器用さに欠ける。彼女を招きたい気持ちは山々だ。なのに、全てを退け、私たちのところへ来てもらえるのが良いと思わせる、説得がどうしても出来そうにないのだ。
 涙を飲んで順番を待つしか無いのか、と諦めかけた時だった。思い詰める私たちに比べればどこか言葉少なに余裕そうだった蛍丸が、立ち上がった。

「そんな頭抱えること無いって」
「蛍丸さん……?」
「俺が言えば一発だよ」
「どういうことだい……?」
「知らないの? は、俺のこと一番好きだよ」
「ん゛っ?」
「まぁ先手は、打っておいた方が良いよねっ。んじゃ、いってきまーす」

 彼の言う事が飲み込めない私に蛍丸は、へへっ、と彼らしい笑いをこぼして私たちから抜け出していった。
 そして本当に、今日の夜、私たちの卓にはやってきたのだった。


 ぐつぐつと、鍋が煮えている。野菜が透き通ってきている。それを、待ち遠しく見つめている主がすぐ近くにいる。なのにあの蛍丸の言いぐさのせいか、妙に気まずく私たちは鍋に箸を入れる頃合いを見定めていた。
 目を輝かせ、楽しそうに鍋の中を見ている蛍丸に対し、あの次郎太刀でさえ無言で酒を煽っているというのに。口を開いたのは、意外にも太郎太刀だった。

「主、今日は、なぜ私たちの卓に……」
「え?」
「蛍丸さんが、一番好き、だからでしょうか……」

 瞬間、私と次郎太刀の心が一体となった。この兄、聞きにくいことをさらっと聞いたぞ!
 ぽかん、としていた主が笑みを浮かべ、その唇が言葉を発しようとする。急に全ての速度がぐんと落ちて彼女の動作がゆっくりになった感覚する。なんと、言うのだろう。まさか蛍丸を愛しているとでも言うのだろうか。鍋が煮えているおかげであたたまりつつある体に、冷や汗が伝う。

「違うよ」

 先に声をあげたのは蛍丸だった。

がここに来たのは、餅巾着につられたからだよ」
「……、え?」
「そう。そうなの。恥ずかしながら、餅巾着が一番好きな具なんだけど、他の卓だと、あんまり食べられなくて。子供みたいでなかなか短刀の子にも、日本号さんたちにも言えないし。あと、太刀の卓にも打刀の卓にも、油揚げ好きがいるでしょう」
「小狐丸と、鳴狐……」
「の、お供ね」
「うん。だからつい、譲っちゃうんだけど……。蛍丸が今日、大太刀の卓に来たら餅巾着好きなだけ食べていいよって言うから、つい」
「ってわけだから。餅巾着とる前はに一言確認。よろしく」
「でも蛍丸も大好きだよ」
「へへっ」

 はぁ……、と三人同時にため息をついて、脱力してしまう。そういえば彼女が「今夜、お鍋にする」と口にしてから妙な緊張が私を包んでいた。それが今のやりとりで良い意味で抜けていった気がする。
 やれやれ、と思いながら鍋を見ると、丁度良い頃合いのようだ。野菜はくったりと透き通り、豆腐がふるふる揺れている。餅巾着も柔らかくなって出汁を吸っているようだ。
 おぼつかない手で私は箸をとった。

 さあ、お鍋を食べようか。みんなで。