ぱちん、と音がした。気がした。出来上がった編成を見て、耳の横でぱちん、と全ての問題が一斉に解かれたような、音が聞こえた。まるで詰め将棋の問題のように、全てが解へと繋がっていくように、あるべき答えへと導かれるようにして、皆の配置が決まり、明日からの新しい編成が決まったのだ。

「おおー……」

 もうこれしかない、最高、と言いたくなるくらい最適な振り分けに、この部屋に誰もいないのを良いことに、思わず、熱く息を吐いてしまう。
 ひとつ、ひっかかる部分があるとしたら、それは大倶利伽羅さんの配置だった。彼は第三部隊。第三部隊には寝泊まりを含む長時間の遠征が割り当てられている。もちろん能力的には何の不足も無い。彼ならば任務、という面では安心して任せられる。だけど、心配になったり、遠征じゃなくても良いんじゃないかと思考が揺れ出すのは完全に私情からだった。

 わたしと大倶利伽羅さんは恋仲だ、一応。といっても、わたしが彼に想いを隠しきれなくなり降参するように「大倶利伽羅さんが好きなんです」と告げて、大倶利伽羅さんはそれを拒否したりせずひとつ頷きをくれて、わたし達の心は繋がり出した。あれ以来わたし達の間に、お互い想い合っているという認識が生まれた。
 わたし達は普段、気持ちを言葉にしたりしない。部屋でほんの少しでも二人きりの時間があるとしたら肩の力を抜いて話したりする。わたしが大倶利伽羅さんに、誰にも言えない弱音を漏らしてみたりする。そのくらいの仲であるわたし達は、現代の人からしたら見ていられない二人かもしれない。けれどわたしたちには目的がある。自分たちの置かれた状況を思えば、これだけでも充分満足できていた。

 今は歴史を巡る戦争の中、わたしも彼も戦争に関わる身。完璧とも言える割り振りに抱いてしまうひっかかりは、恋仲の人物が遠くにいってしまうからという私情でしかない。天秤にかければあまりにも簡単に答えが出る。

「……、よし」

 私は満を持して最終決定を示す印を書類に捺した。
 緊張から解放されて、わたしはこてんとその場に横になった。冷たい畳の感触に目をつぶる。

 後悔することない。わたしは自分に言い聞かせる。
 それにどうせ、わたしが寂しいだけ。きっと大倶利伽羅さん、何も言わないし。

「………」

 いじけてないし。と言い訳をした時点で負けている気がする。



 翌朝には本丸全体に新しい編成の報せが行き届いた。部隊ごとに数刻の、第一部隊にはじっくりと話し合いの時間を持たせ、順番に遠征の見送りを行う。
 第二部隊を見送った後は第三部隊の見送りだ。手はず通り、門の前に第三部隊が揃った。
 日を跨いで彼らには戦ってもらわねばならない。そのために集められた精鋭はさすがというべきか、落ち着き払った様子でわたしの号令を待っている。その中には大倶利伽羅さんもきちんと揃っている。

「えと……。遠いところへ行かせてしまいますが、皆さんなら大丈夫と信じています。遠征中わたしは指示を送れませんが今までと同じように生きてかえってくることを一番に考えて行動してください。わたし達にとって最大の損失は作戦の失敗ではありません。誰かが欠けるということです。以上です、無事の帰りを待っています」

 ふと、大倶利伽羅さんと目が合う。目をそらしたのはわたしの方だった。
 結局、そのまま、私は主としての言葉しか口にできず。大倶利伽羅さんとは一言も交わすことなく部隊は行ってしまった。

「行っちゃった……」

 何も動けず見送ったのはわたしだ。この編成を決定したのはわたしだ。彼が言葉少なに、行動で示す人物なのはいつものことだ。
 けれど、彼がいなくなって、数日会えないその事実をようやく体で理解して、ぽつりと思った。
 彼がいないだけで、なんて寂しいのだろう、と。


 数日で帰ってくる。あの編成なら余裕の任務だ。そう分かっていても、体の一部を失ったような喪失感がわたしに絡み付いて離れない。

 結局、恋愛は好きになった方が負けなのだ。そのことを痛感する。
 わたしと大倶利伽羅さんは恋仲だ。お互いに想い合っている。だけど、想いの量は平等とはほど遠い。
 常に、わたしばかりが彼を愛していた。同じ空間でいて欲しいと小さく願うのも、そこで話しかけるのも、彼に甘え出すのも、いつだってわたしからだった。
 だからこそ寂しさが募る。この感情はわたしだけのものでしかないと思うと、胸が切られたように痛み出す。

 鼻がつん、として、わたしは今すぐ泣けそうだ。その衝動のままにわたしは頬を濡らした。
 彼の前ではこんな風に泣けない。大倶利伽羅さんは本来ならばわたしなんかいなくても平気で、一人で、どこまでも行ってしまいそうな人だ。彼に鬱陶しいと思われないために、押さえつけている。

 彼がいなくなってしまった寂しさは、皮肉にも彼がいないことで涙にすることができる。
 大丈夫。大倶利伽羅さんが戻ってくる頃には、わたしは立ち直れるだろう。



 約束の日付。第三部隊はやはり精鋭を集めただけあって、予定していた時刻より少し早く本丸に帰還した。結果は成功であった。そして目にじんわりと涙が浮かぶくらいに嬉しかったのが、負傷者なし、との報告だった。

「報告をありがとうございます、大倶利伽羅さん」

 部隊の隊長は別の刀に任せていたが、私の部屋に報告に来たのは彼だった。
 多分冷やかされながらこの役を任されたのだろう。わたし達の仲を知っている刀は少なくない。ああ、大倶利伽羅さんがちゃんと帰ってきてくれた。そのことだけで本当に泣いてしまいそうである。
 まるで自分の半身が戻ってきたみたいな安堵を感じながらも、わたしは主の体を崩さずに彼の報告を受け取った。

「きちんと結果を出してくれましたし、何より無事に帰ってきてくれて良かったです」
「………」
「お疲れですよね、今日はよく休んで、疲労をとってください」
「……分かった」

 そう言って大倶利伽羅さんは立ち上がる。けれど座ったのは、この部屋の入り口だった。入り口の、ぴったりとふすまの閉まる柱に体を預けながら、目をつぶってしまった。

「え、っと……」
「だめか」
「だ、だめじゃない、です……」

 だめでは無い。だけど。
 私は必死で隠そうとしていた。大倶利伽羅さんが帰ってきてくれて、本当は飛びつきたい気持ちを。飛びついて、この手で彼のことを確かめて、離れていたぶん取り戻すように触れていたいという欲求を。
 うつむいたまま何も言えないわたしへ、大倶利伽羅さんが呆れたような表情をしている、ような気がして、わたしはますます首をもたげ、うつむいた。

 やはり彼は呆れていたようだ。はぁ、というため息が聞こえて、わたしは申し訳ない気持ちになった。
 だけど、かけられた言葉は、予想外のものだった。

「あんたは……俺と離れて平気だったのか」
「………」
「俺は、気が気じゃなかった」

 そんな嬉しいことを言われて、我慢し続けることはもう無理だった。

「おい、……?」

 ぼたぼたっと溢れた涙が大倶利伽羅さんに心配させている。けれどもう止められない。返事もできないわたしへ、大倶利伽羅さんは歩み寄ってくる。
 涙に溢れた視界で見上げた彼は、ただ私を案じていてくれて、さらに涙腺を刺激した。

「ごめんなさい、ごめんなさい。あんな決定をして。怒らないで」
「良い。あんたはここの主人なんだ。自分の判断を信じれば良い」
「でも……」

 わたしは貴方が好きな故に、ばかみたいに苦しんだ。そう続きを言おうとする前に大倶利伽羅さんに抱きしめられる。ああずっと、こうしたかったとまた涙が溢れた。

「良い。何も振り返るな。ただ、今はこうさせて欲しい」

 今でもまだ、わたしばかりが彼を好きな気がしている。でも、寂しかったと噛みしめるこの心はきっと少し、重なっているはずだ。
 わたしの骨を確かめるように強く手のひらが這わされるたびに、目が熱くなった。わたしをかき抱こうとする指は思った以上に激しく、何よりも彼の気持ちを伝えた。

「なんで、泣くんだ」
「だって。だって……」

 こんなの、彼がまるでわたしを途方もなく愛しているみたいに錯覚させる。

「全く。あんたはいつまで俺に遠慮を続けるつもりなんだ」
「わっわたしは、わたしで、一生懸命なんですよ……」
「分かっている」

 貴方みたいに気高いひとに嫌われたくないから、わたしは自分の思いを野放しにはしないのだけど、今ばかりは少し素直になって彼の背中に手を回した。
 そうすれば、求めていた体温がそこにあって、息をすれば彼の匂いがする。思ったより早く打ち鳴る鼓動まで聞こえて、今日、わたしはまたひとつ、欲張りな女になってしまった。