※なんちゃって神道。あたたかい目で見てください
※最後ヤンデレ風味








 一期一振と呼ばれる私が恋をした相手は人の子でしたが、そのことに私は一切後悔も負い目も、抱いたことはありませんでした。

 彼女は私に有り余る、多くのものを一期一振という人格に与えてくれました。
 この体、声、戦う場所、そして心体を休ませ日々を過ごせる場所、そして恋心を教えてくれたのです。
 特に恋のはじまりは、私に更に多くのものを与えました。彼女の美しさに息をひそめる時、それは目にもまぶしい「生きている」という心地を私に与えました。
 あのひとは、何とも可愛らしいことに、優しさを籠めて愛でると、頬を染めてくださるのです。その身を大切にしたにしたぶん、優しくも熱っぽいまなざしを見てくださるのです。

 けれど苦しみも、私の身には刻みつけられました。主は私が近侍として身を尽くすのは許しても、私が一期一振として愛情を尽くすのを許してはくださりませんでした。
 主は私の行き過ぎた敬愛に、それが何に変わってしまったかに、気づいておられました。時々交わす視線の熱さに、お互い気づかないわけが無いのです。だというのに主は、私が想いを言葉というかたちにすることを許しませんでした。

「私と一期さんでは、身分が違いますから」

 そんな言葉使いで繰り返し、主は主、私は主に仕える刀だということを教え、私を諫めたのでした。




 全ての戦いが終局を迎え、辛くも私たちが勝利を掴んだ日から、もう幾日かが立っていました。全ての戦いが終わり、今日までゆっくりとこの本丸の解体が進められてきました、殿の最後の仕事もいよいよ大詰めとなっていました。
 ひとりひとりが呼び出され、主の部屋に入り、そして人の形でその部屋から戻るものは一振りもいません。そういう別れの儀式が、順番に行われているようでした。

 そうして最後の最後に呼ばれたのが、私、一期一振の名でした。
 部屋に入ると、景趣は春でした。めでたい日なのだから、と主がそのように設定したようです。

「一期さん。待っていました。さ、座って」

 部屋の中には最愛のひとが、穏やかな笑顔をたたえ、私を待っていました。
 もう本丸に私たち以外いないのですから、耳が痛いほど静かでした。溢れんばかりの桜が、庭先からこの部屋へ差し迫っていました。その前に穏やかに座るこのひとに愛しさが生まれ、私は桜に自分の気持ちを重ね、しかし平静を装い、実に良きこのひとに従う一振りとして前に座ります。
 静けさに反するような花びら落ちる動きが時を忘れさせます。眼前は、美しい景色でした。桜の花びらを通したひかりが、愛しいひとを包んでいるのですから、危うく永遠を錯覚するようで、魂に焼き付くような美しい景色でした。

「一期一振。貴方は本当によく活躍してくれました」

 至福を絵に書いたような光景だというのに、主が口にするのは終わりのための連絡です。

「今までの皆に対してもそうでしたが、この溢れる感謝とねぎらいの思いを伝えるにふさわしい言葉が、私にはありません」
「……もったいない、お言葉ですな」
「本当に貴方は最後まで謙虚ですね。政府が、現世に貴方の社を立て、あなたをまつりたいと言っています」
「私をまつる神社、ですか」
「はい。貴方はこの国の歴史を救った、尊い神さまです。政府が貴方の社を守り、末永くその名を語り継ぐでしょう。時を重ねれば、貴方の魂はさらなる高みに至るのでしょうね」
「私は一介の付喪神ですが、勤まりますでしょうか」
「一期さんならなら大丈夫。心配要りません。それに……貴方の社ならきっと人々に愛される」

 付喪神として意識を持って以来、私のための社が欲しいと思ったことは無い。が、それは願ってもいない話でした。
 全ての戦が終わり、悲願は果たされたのだ。同時に私は愛する主とここで別れねばならないのかと思い込んでいた。しかし国の中に社を持たせていただけるのなら私はきっと現世へ、このひとの住む世界へ繋がっていられる。

 私が改めて神として扱われる。そのことより、との繋がりが絶えないこと、そしてが私を“愛される”と賞したことが嬉しいのです。

「このお話、受けてくれますか」
「はい。謹んでお受けいたします」
「一期さん。もう、そんな風に堅苦しくしていなくて良いんですよ。私は主をやめ、貴方は神様に戻るんですから」
「……そうですね」

 私はこの日を待っていました。このひとが、主でなくなる日を。
 それが花の香り舞う、こんなにも穏やかな日だとは思いませんでしたが。

 主は目を微か光らせながら、偲ぶように語ります。

「この本丸で皆と過ごした時間は、奇跡のようでした。本来ならば言葉交わすこともできない私たちが、どこか立場を忘れ、生活を共にし、同じ目的のために手を結んだ。傷つき、苦しい場面も多々ありましたが。今はただあの日々が尊い……」
「ええ、私もそう思います」
「でも今日で全ては、解けてしまうのですね。寂しくないと言ったら、嘘になります」
「………」
「すみません。こういったことは言わないようにと思っていたのですが、本当に、貴方で最後だと思うと……」
「そう悲しまないでください」

 皆との別れは辛い。ですが本当に、悲しむようなことなどありません。
 歴史修正主義者と戦うための本丸は終わりです。同様に、私と主を隔てた身分の違いも今、解体されようとしているのです。

「今日で全てが解けてしまう」

 胸が、逸ります。小さな小鳥を胸元に住まわせたような心地です。

「それならば、私の想いを聞いてくれますか」

 私の言葉が許される、その日を待ちわびていた。なのに、主は首を横に振りました。

「それを聞くことは出来ません」
「どうして……」
「私は……、結婚が決まっています」
「………」
「現代に帰ればすぐ、籍を入れる予定です」

 がつん、と混紡で頭を横殴りにされたのかと思いました。そんなこと、一言も言われなかった、素振りも見せなかった。呆然としていると主は、

「隠していて、ごめんなさい」

 そう言いました。膝の上で堅く握られた拳が青白く震えていました。
 かろうじてお相手は、と聞くと「政府で、立派なお仕事をされている方です」と答える。その目には確かに、私が知れぬ誰かが宿っているのですから、冷たい血が沸き立ちます。

「その人を愛して、いるのですか」
「愛とは違います。言ってしまえば目的のための結婚ですが、そのお方のこと、決して嫌いではありません。私のこと良くしてくださると約束してくださいました。まだ知らないことも多くありますが、時と共に、きっと愛していけると思うのです」
「貴方は……それで良いのですか」
「良いこともあるんですよ」
「目的のための結婚と、仰いましたね」
「はい」
「それは同意の元なのですか」
「納得、しています。元々私には選択肢は無い中、最上のものが与えられたと信じています」

 愛していけると言うくらいだから、今はその男を愛せていないのだろう。良いこともある、という言い方では言外に悪いこともある、と言ってるのに等しい。そしてついには選択肢は無かったと漏らす。そうやって煮えきらない彼女の態度がさらに私を暗く燃やします。

「私は審神者として、この戦いに深く関わり過ぎました。もう何も知らない市民には戻れません。どのような思想の元、私の身や能力が利用されるか分かりません。だから政府に、そのお方に守っていただくのです」
「………」
「それに、私は審神者として、歴史にまつわる戦いを二度と起こさないために一生を捧げたいのです。貴方たちが守ってくださった歴史ですから。そのために捧げられるのなら、この身も惜しくありません」

 言葉返せぬ私とうってかわって、は丁寧に身の上を語ります。きっと、私たちに全てを隠している間、ずっとこの口上を練っていたのでしょう。
 自分の身の振り方、そしてどうやって刀剣たち、そして私を黙らせるのか、考えていらしたのです。なんと、憎らしいのでしょうか。そしてその言い訳の、綺麗であること。

「一期さん、どうぞ私を忘れてください。貴方は尊い、神様になるのです。いいえ、今までもわたしにとっては神様でした」

 私の目の前に座る主は姿形に変わったところはありません。それがまた残酷に、私に知らしめるのです。彼女が今後の人生を諦めて過ごした期間の長さを。戦いの終わりが見えてくるに当たって、きっと、結婚を受け入れる算段も、していたに違いありません。なんと酷いひとなんでしょうか。

『私と一期さんでは、身分が違いますから』

 その言葉を私はひたすら、私を諫めるための言葉だと信じていました。けれど今は違った色でもって響きます。私は付喪神です。そして彼女は、唯一の主だと信じていました。
 けれど、本丸によって守られていた立場を失えばどうでしょうか。私は変わらず付喪神ですが、彼女は人間で、政府の人間と目的のための結婚を飲まされる身です。
 そしてここで別れてしまえば、それは決定的になる。何を私は浮かれていたのでしょうか。社に入れば主の世界へ繋がっていられるなど、と。

 覆いを取り払ってしまった先の貴女を見つめれば、それはなんとか弱いのでしょうか。仕えるひとではなく、守るべきひとなのでしょうか。
 ああもうここまでくれば、私は手段を選んでいられません。

「その言葉は聞けません」

 なぜそこで驚くのでしょう。私は今日のためにがんばってきたのです。
 決して別れのために、貴女をほかの男の元へやるために、恋を忍んだわけではありません。
『私と一期さんでは、身分が違いますから』。そういうならばこのどこか立場を忘れられた本丸が、存在するうちに私たちは恋仲になれば良かったではありませんか。束の間でも幸せになれたはずではありませんか。そして二人で、受け入れ難い未来をはねのけための試行錯誤が、できたのはありませんか。

 付喪神である私の身を尊重してくださった優しさが愛しくも憎らしい。

「聞けません、と言われても……。全ては決まったことです」
「そうでしょうか。私は人間ではありませんから。人間同士の契りなど。私には関係ありませんな」
「………」
「結婚する? 良いでしょう。私は政府の支援を受け、神様になります。そして貴方を迎えに行きます」
「そんなの、困ります。私はもう、決めたのです」
「もはや貴女の覚悟も私には関係の無いことだ。貴女が、全てを私に隠し、干渉できないようにしていたように」

 最早これはひとつの復讐だ。こんなにも愛しているのに、その人生の一片も担わせてくれなかった、このひとへの。

「やめてください……」
「結婚相手は、良いひとなのですね。その人を殺されたくなければ、私のものになってください」
「殺すって、どういうことです」
「私は願ってもいないことに神様になりますから、その力でもってその男を呪います。貴女の周りの人間を祟ります。私はこの戦いで大いに鍛えていただきました。感謝しています。刀についた付喪神風情が神霊としてこれほどのものに成れたのは貴方のおかげだ。神の端くれとして、男ひとりどころか、一系の家系も呪うこともできましょう」

 どうして脅迫紛いのことを告げているのに私は笑んでしまうのでしょう。おそらく、ずっと告げることの無かった想いを口にできることが喜びなのです。
 貴女の周りのものを全て取り除いてしまいたいという想いは、何もつい先ほど生まれたものではありません。この人が結婚の取り決めをしている間、私の中で育った、正真正銘私の感情なのです。

「逃げるのも良いでしょう。ですが私は、逃げたら逃げただけ、貴方の周りのものを不幸にいたします。そして独りになった貴方を、迎えに行きましょうか。それも、楽しみです」
「っやめてください!」
「ならばどうすれば良いか分かりますよね?」
「できないんです! 言いましたよね、目的のある結婚なんです。私に、選択肢は無いんです……」
「ならば尚更、貴女の未来を狭めるもの、この一期一振が切り伏せて差し上げましょう」

 そう笑んで伝えると、彼女は黙り込んでしまった。この主はか弱い人間でありながら、やはり審神者なのだ。様々な物事を理解していのでしょう。自分が育て上げた刀剣男士がどれほどの力を蓄えたのか。その脅迫が、出任せでないこと。鍛え上げられた私であれば、今言った災いを引き起こすくらいはできると彼女には理解できるのです。

……、素直になってください……」

 そっと指を絡ませ、名を呼ぶと、震えながらも指が絡んでくる。同時にたた、と涙が畳を打ちました。

「私、貴方が好き、好きでした、一期さん……。だから貴方に悪霊のようなことをしてもらいたくないです。でも、どうしてこんな……」

 その様子で分かってしまう。人間の結婚相手を好きとは言わなかったものの、彼に添い遂げる覚悟を彼女はしていたのでしょう。

 結局こんな方法しか無いのだろうか。彼女の覚悟を決意と共にあった日々を私は打ち砕いて、憎い男と同じ方法でこのひとを手に入れようとしている。彼女が逆らえない身と知って、力を振りかざそうとしているのですから。

 それでも響いた好きの言葉に喜んでいる自分は浅ましい。抱き寄せれば今までこらえた何もかもが泡となって消えていくのが分かる。ずっとこうしたかった。髪をかき乱したかった。耳たぶに頬擦り寄せてみたかった。

「いかがされますか。現世でやはり私の迎えを待ちたいですか。それとも、貴女からこちらへ来てくれますか」

 一度その温度を噛みしめ引き離す。そうして、暗く塗れた目に、私は笑みと共に問いかけました。

「さあ、いかがされますか」

 待てども待てども、は私の手を払いません。でもそれが決して、彼女が望んだ結果では無いことは、私も分かっていました。
 結局、彼女は私を好いてここにいてくれるのではありません。私が事を起こさないために、政府の男、自分の身の回りの人間に危害が及ぶことを鑑みて、私を抑えようとここにいることを選んだのです。

「嘘だらけですな」

 このひとの心を手に入れられないのは、あのような脅しを用いた罰なのでしょう。
 だから私は心に誓いました。人間だとか人間じゃないとかそんなもの、全てを取り払って心通じあえる時まで、私は何者をも切り払って、貴女のそばにいようと誓うのでした。