「皆さん、わたしです、です。任務、お疲れさまです。緊急、ではないのですが連絡です。現在わたしたちの本丸は、春の嵐の中にいます。とても強い風。雨も直に横なぐりです。あ、こちらは大丈夫ですよ、みんなと一緒になって今雨戸を閉めたりしているところです。じっとしていればそのうち収まるでしょう。ですが、この嵐のせいで気候とともに空間そのものが非常に不安定です。何か事故があっても困りますので、帰還は一時見合わせてください。風も強いですし。第一部隊、及び遠征部隊の皆さんは嵐が待つまでその時代に待機。異変はすぐに報告、何もなくても二時間ごとに定時連絡をくださいね。それじゃあ、皆さん、嵐のあとに。帰りを待っています」
全てを伝え終えて、わたしはふうと息を吐いた。一時待機を命じたのは、大した理由ではないという細かなニュアンスが伝わって、皆が「俺たちの大将は相変わらずだな」と笑っていれば良いけれど。
「主さん!」
呼ばれて振り返ると愛染国俊が私の前に駆けつけたところだった。
「言われたとーり、全部の窓と戸を塞いできたぜー!」
「仕事が早いですね。ありがとうございます」
「へへっ!」
彼の言葉通り、本丸の入り口という入り口が覆われたようだ。まだ昼間だというのに、密閉された室内はどの部屋も一律に暗い。
「それじゃあ皆さんも、この嵐が止むまで自由に過ごしてください。皆さんでカルタなんてどうですか。ただし、外出は厳禁ですよ。危ないですからね」
「主さんは? どーすんだ?」
「わたしはここで休憩してます。今はゆっくりと、嵐が止むのを待つ時間なので」
休憩の言葉に愛染くんは納得してくれたらしい。それならばとまた、自慢の素早さで廊下を駆けていってしまった。
誰も話す相手がいなくなった室内。暗く、心もと無いので、わたしは手元のろうそくに火を灯した。電気じゃなく原始的な炎に頼るところがなんだかいよいよ嵐の一日らしくなってきた、と感じる。
室内に風が吹き込むことはなくなった。が、代わりにガタガタと屋敷を支える板という板が震えている。屋根の上で、それこそ獅子王くんのぬえが暴れているのでは無いのかというくらいの轟音がしていた。
「………」
きっちりと嵐をやり過ごすための準備をしてもらったし、本丸の中は安全だと思っても、荒れ狂う外の様子に心がざわついた。
「ふわ、ぁ……」
「っきゃーー!!」
悲鳴を上げるほど驚いた。誰もいないと思っていた室内で急に男のひとの声がしたからだ。
暴れる心臓をおさえつけて目をこらすと、確かにそこにごろ寝中の誰かがいる。
「何なん、自分」
声を聞いてやっとそこに寝ているのが誰だか分かった。
ろうそくの灯りを向けると、透けるような肌が見えてくる。
「あ、明石さん……」
なるほど。ふわぁという音はあくびで、ずっと静かに寝てたから気づかなかったのか。
明石さんだと思うと急に全てが納得がいって、心臓が落ち着いていく。
「いたんですか……」
「ずうっとここで、あんさんの護衛をしとりましたわ」
護衛とは、明石さんは今日もずるがしこい物の言い方をする。ただ部屋のすみで存在を消して寝てただけだろうに。
こんな風が強い日も、明石さんは自分のペースを崩さない。
「にしてもすごい風やなぁ」
「はい、そうですね」
「そうですね、て。あんさんの力でちょちょいとすれば、こんな風くらい、どうにでもなるんちゃいますか」
「まあ、できなくは無いですが……」
確かに、本丸の“景趣”を変更する権限はわたしにある。明石さんの言う通り、それを施行すれば天気は瞬く間に変わってしまうのだろう。けれどわたしには、この嵐を消す理由が無かった。
「だってこれ、きっと“春いちばん”ですよ」
ああ、せっかくしゅっとした輪郭の、綺麗な顔をしているのに。明石さんが呆れたように口をぽかんと開ける。
「え、知りません? 春いちばんって、立春の後に吹く、強くあたたかい風のことですよ。春を告げる強風のことです」
「知ってますわ、それくらい」
「ああ、良かった。ほら今日も、雨の割にはあったかいじゃないですか。だからこれって、春いちばんですよね? 今日を境目にきっとあたたかくなっていくんですね」
本丸の上を通り過ぎようとする獣は優しい春の使者なのだ。荒々しくて、少し怖いけれども。屋敷中が震える音に耐えながら屋根の上に思いを馳せていると、ちくりと視線が突き刺さる。
目を向けると、何かを訴えかけるような明石さんとぱちりと視線が合った。
「……なんですか?」
「主はんはほんま、のんびりやさんですわ」
「………」
「何です? その、目ぇは」
「その言葉、明石さんにそのままお返しします」
明石さんにのんびりやさんなんて言われると、少し傷つく。
「明石さんも皆さんのところに行ったらどうですか」
「なんや主はん、怒っとるん?」
「怒ってません」
「ああ、拗ねてるんですかぁ」
「拗ねてません」
何でものらりくらりとかわしてしまう彼に、言葉ではなかなか太刀打ちできない。彼に付き合っているとどこまでも言いくるめられてしまいそうだ。未だ雨戸はガタガタと揺れていて落ち着かないのと、これ以上明石さんに負けたくないのとで、わたしは立ち上がった。
「……どこ行くんです?」
「戸締まりの確認です」
なんでついてくるんですか、とちょっとぶっきらぼうに言ったのに、彼は首を丸めながら面倒そうにわたしの後ろをついてくるのだった。
明石さんは長い足を持つのに、その足音はそろりそろりと密やかだ。その密やかな足音が、わたしの後ろをつかず離れず追ってくる。
わたしはというと、ひとつずつがちゃんと雨戸の役割を果たしているか、確認する手は怠らなかった。生きているみたいに震える雨戸の横を通るのが少し怖い。でも少しだけだ。
「ひっ」
驚いた。急にがたんと大きく揺れるから。は、と足に柔らかい感触。驚いた瞬間に後ろをついてきていた明石さんの足を踏んづけてしまったようだ。
「ご、ごめんなさい」
「気にすること無いで。ほんま主はんは恐がりやなぁ。いつもは敵相手になぎはらえーとか、言うとりますのに」
「え、そんなこと言いませんよ、わたし」
「言ってますやん」
「言ってません」
「………」
「………」
本当になんて明石さんはついてくるんだ。わたしと言い合いをするためじゃあないだろうに。それでも離れてくれないそろりそろりとした足音にわたしは観念して、本丸の確認を続けた。
廊下、大広間、厨房、それから雨漏りなどが無いかも確認する。
「それにしても……。本当にすごい雨と風……」
まるで雨がまとまって拳になったみたいに、雨戸に殴りつけてくる。
閉じきった空間。中からは何も見えないけれど、外はいったいどうなっているのだろう。何にも見えないと、ありえない空想が膨らむ。例えば、この板の向こうでは風と水が全てをさらい、世界が終わってるんじゃないか、なんて。
ありえないけれど。
「世界の終わりみたいやなぁ」
「………」
「何です?」
「すみません、驚いて。わたしも、同じことを考えていたので」
「………」
「世界が、終わってるみたいだなって」
わたしと明石さんであんなに言い合いをしてたのに、その言葉をさかいにお互いが沈黙してしまった。
本丸に異常は見られなかった。雨風にしっかりと耐えてくれているようだ。わたしは最後に厨房に寄って、小腹を満たすためのおやつと、お茶の道具を持った。もちろん、明石さんのぶんも。
沈黙と、ごうごうと言う風の音と。光の差さない部屋で、湯気の香りを嗅ぐと、不意に安心する。未だ非常事態の中なのに、心ほだされる感覚に改めて思う。
「やっぱり、世界の終わりの日みたい」
「はぁ……」
「なんか隣にいるのが明石さんっていうのも、現実味があります」
「なん、……なんやて?」
「わたしの中で明石さんって、そういう印象があるんですよ。世界の終わりにも、しれっと一緒にいてくれそうだなって」
やる気が無いというのが口癖の彼は、少し困った刀剣男士だ。けれど働かないって言いながら、自分は何もしないって言いながら、彼はなんだかんだ大事な仲間を見捨てないのでないか、という印象をわたしは覚えていた。
もちろん、わたしの勝手な想像だ。突拍子のない言葉に、目の前の明石さんも呆れかえっている。
「何を言うとるのか、さっぱり分かりまへん」
「いいですよ、分からなくて」
別に良い意味では無いと思う。世界が終わるまでわたしに付き合わなくちゃいけないなんて、いくら明石さんでもかわいそうだ。
だから、理解なんてされなくていい。
「はい、どうぞ」
話題を断ち切るようにわたしは、いれたばかりの緑茶と回転焼きを明石さんに差し出した。
働かないし、その上自分が食べることに戸惑いを持ったりしない。それが明石さんだ。へらへら嬉しそうにしながら、回転焼きにかぶりついた。
「……、ん」
わたしは確信犯。してやったりの顔で「どうですか」と聞いてやる。
「なんや、これ。主はん、これ何味や……?」
「これはですね、チョコレートクリームの味ですよ」
「チョコて。なんでこれを選びはったん」
「さあ、何ででしょうねえ」
その理由は今日の日付にあるのだけど、明石さんは知る由も無い。いつものあんこじゃなく、好奇心で買ったチョコレートクリームの回転焼き。まさかこれを明石さんと食べることになるとは、わたしも予想外だった。
不思議がりながらも悪くは無いという顔で、明石さんはそれを咀嚼する。ふふと、笑いながら、わたしも回転焼きにかぶりつき、あつあつの緑茶をあおった。
小腹を満たして、外の様子へ耳を澄ますと、風はようやく弱り始めているようだった。もうすぐ、送り出した部隊も帰ってこられるだろう。どちらにしろ三十分後には定時連絡が入るはず。
みんなが戻ってくるのだから気合いを入れねば、と思うのだが、反対にわたしの意識はうとうとをまどろみを覚え始めていた。腹が満たされて、緑茶で体も暖まり、緊張がどっかへ行ってしまったらしい。
どうにか眠気を振り払おうと考えているわたしへ、明石さんの声が届く。
「主はん」
明石さんの声は、すべらかで優しくて、いっそうの眠気を誘う。
「寝てもええで」
「いやです」
「そないなこと言うても。半分寝とるやん」
「……三十分したら、起こして、くれますか」
「自分に期待したらあきまへん」
なんてひどいひと。そこは「起こす」と言ってくれたらいいのに。もう一度気力を振り絞って目を開く。
「定時連絡があるん、です……」
でもわたしと眠気との戦いは、すでに勝敗が見えている。
外はまだ春の報せが吹き荒れている。なのにわたしは今までになく安心しているのだ。体もあたたかい。成すすべが無いとはこのことだ。
明石さんはわたしの横に座布団を敷きながら言う。
「ほら。今は待つ時間。ゆっくり休憩するんやろ」
ああ、愛染くんと交わした会話を明石さんは聞いていたらしい。
そういえばこのひとは、最初からわたしの傍にいたのだと思い出した。わたしが部隊へ連絡を放つより前から、ずっと。
ううん、とわたしは最後に否定した。ううん、ちがう。ほっとしているのは、あの、チョコレートクリームの回転焼きと緑茶のおかげ。きっとそう。それ以外の要因なんて、ありません。
そう自分に言い聞かせて、わたしは春のお告げの中で、瞼を閉じた。
(回転焼きは大判焼きや今川焼きとも呼ばれるそうですが、リクエストされた方が「回転焼き」と仰っていたのでこのお話では回転焼きと表記させていただきます)