その目は誰を見ていたのだろう。視線の先に誰もいないことは俺にも見えている。だから俺が探りたくなっているのは、きみがその頭の中で思い描いている誰かのことだ。誰を見ているのだろう。そうしてきみが物思いに耽って、左の手のひらに、金平糖の白色ばかりを残しているから、俺はいたずらに背後からそれをつまみ上げた。急に現れた俺に驚いて、身体を跳ねさせたきみ。小さな肩が、俺の胸をやわく押し上げた。
 奪い取った金平糖を口の中に放ると固くも微かな棘が甘さを振りまきながら舌の上を転がった。

「驚いたか?」

 は何も言葉にはしないが、振り返った顔にはだいぶ驚いたとありあり表れていて、俺はにやけてしまう。

「せっかくとっておいたのに……」

 そうぼやくとは残りの白いのを手早く口に放り込んだ。大方、俺に奪われる前に食ってしまおうという算段だ。全てを噛み潰して、飲み込んでからは俺をたしなめた。

「あのね、鶴丸。食べ物の恨みは恐ろしいんだから」
「ひとつくらい良いじゃないか、俺たちの仲だろう」
「許されることと許されないことがあるでしょう」

 次の時、何気なく放たれた言葉が俺を刺す。

「いくら友達だからって」

 ああそうだな、きみの言う通り。悲しいくらいに俺たちは友達だな。でも俺がこの関係にけちをつけることはできない。なぜって今この状態は俺が望んだからだ。俺が君と友になりたいと言ったから、俺たちは友達なんだ。




 俺というのはいつも気づくのが遅すぎる。彼女に限定しての話だ。特に呆けた性格でも無いし、過去に散々人間同士のいさかいに揉まれたせいで平和ぼけした男ではないとの自負はある。
 けれど現在俺の主である彼女に関しては、気づくと手遅れだと思うことばかりだ。

 始まりはごく、普通の出会いだったと思う。の持つ力に助けられて俺は人間の体を得た。俺は刀の付喪神、刀剣男士として、彼女は審神者として。その立場を越えたりもせず収まりよく対面できていたことと思う。

「よっ。鶴丸国永だ」

 第一印象は大切だ。俺みたいなのが突然来て驚いたか? なんて茶化しながら俺に向き合う女と視線が合う。
 彼女、はぴかぴかに磨かれた床の上に、ちょこんと座り丸い目で俺を見上げていた。それが初めての対面だった。

「……、私はです」
か」

 そう確かめるように呼ぶと、は数秒の間のあとに「はい」と返事をくれた。ただし、俺から目を反らしながら、だ。
 初めて持った眼で彼女と見つめ合い、目を反らされ、思った。俺はこの子のこと、苦手かもしれない。説明のつかない感覚が、俺の危機感を揺らしたのだ。

 苦手かもしれないという勘は数日も経たないうちに、苦手だという確固とした認識に変わった。嫌いでは無い。だが俺はのこと、苦手だった。
 一番の理由は彼女が近くにいるとぎくりとするような気まずさが俺を襲うからだ。たまにばっちりと目が合うのが、俺に嫌な緊張を運んでくるんだ。
 たとえば、こんな感じだ。

「鶴丸さん」
「な、なんだ?」

 こうやって俺の声は、音痴の鳥みたいに変に上擦ることがしばしばあった。俺の緊張は彼女にも伝わるらしい。はぁとひとつため息をつくと、

「……光忠に作戦のことなど説明しておきますので、彼から説明を受けてくださいね」

 そう伝えて去っていってしまう。始まりから少し経った時点での俺とは、こんなことばかりだった。

 戦場の俺を見てくれているのはまだいいが、不意な場面で見られていることに感づいてしまえば、下手な行動しているところを見られたらたまったもんじゃないなと思えてならなかった。
 だから俺はずいぶんに対し、消極的な姿ばかりを見せていたと思う。彼女を主と思いつつ、俺から近づくことはしなかった。

 しばらくの間、やはり俺は彼女に対してぎくしゃくとした間柄であったが、無論それが永遠に続いたわけでは無い。本丸で過ごす内、戦いを重ねる内に俺に変化が訪れた。

 に対する気まずさは俺だけのもののようだった。
 彼女が他の刀剣男士に引っ張られて歩いている様子というのは不思議と目に入ってくる。周りは気楽に彼女に近づいては主とか主様だとか時には「」と気軽に呼んでは自分に付き合わせているようだった。彼らを遠巻きに見ているうちに、を苦手だと思う気持ちが消えたわけでは無いのだが、それでも俺の中である思いが生まれたのだ。


「なあ、きみ」

 主、主さん、主君、主殿、あるじさま、そしてちゃんと各が自分の感覚でもって彼女を呼ぶ。俺の、主の呼び方は"きみ"。それだった。随分長い間、そうだった。
 俺に話しかけられ、きみはかなり驚いた様子だった。

「このあと時間はあるか? 良ければで、いいんだが」

 声をかけるだけで驚かれるのは、それはそれでつまらない。苦笑いしながら聞くと彼女は少し固まった後、おそるおそるの頷きをくれた。
 すかさず礼を言おうかと思ったが、すぐに他の刀剣がきみを呼ぶ。

ちゃん!」
「あ……」
「良いんだ、行ってくれ」

 きみを呼ぶ彼らの元へ。言うと、きみはすまなさそうな顔をしながら、別の刀剣たちの用件を聞くため行ってしまった。
 見送りながら、俺はやはり自分の抱いた微かな気持ちを再確認した。

 気づいたのはいつだろうか。少し離れたところから、俺にはとうてい出来ない刀ときみの触れ合いを何度も見ている内に、うすぼんやりと見えてきたことがあったんだ。
 きみが苦手な俺は、ずいぶん遠くから見たもんだ、彼女と刀剣それぞれの関係を。俺の見立てによると、彼女は誰に呼ばれてもその都度じっくりと話を聞いてやっているようだった。短刀から薙刀まで、俺以外の全員と共にあるところを見たことがある。話を聞くだけじゃなく、は沈黙も受け入れ、時に勇気づけた上で突き放しもする。誰に対しても彼女は平等かつ対等に扱っていた。
 互いに自立した一対一の関係性。それに俺は気づき、すんなりと理解した。はちゃんと理由あって皆に好かれ囲まれている主なんだと。

 そして、同時に周りの刀剣たちからかなり遅れて、俺はようやく彼女へ苦手とは違う感情を抱いた。それは所詮憧れだった。俺も彼女と、そんな関係になりたいと、憧れたのだ。
 俺も彼女に、せめて皆と同じくらいの絆を結びたい。緊張は無くなったわけではないが、それに勝る強く欲求がわきおこっていた。


 俺の願いをはちゃんと聞いてくれた。改めて、彼女から部屋に呼び出された。
 俺から珍しく声をかけたのが、にとって驚きだったんだろう。入室を許したは、開口一番に聞いてきた。

「何かあったんですか?」

 また俺は苦笑いだ。なぜなら彼女のそれは、問題がある前提の口振りをしていたからだ。ようはそこそこ重要な問題がなければ俺から話しかけることも無いと、は踏んでいたのだ。

「鶴丸さんからわたしのところに来るの、珍しいですよね。一体何があったんですか?」
「安心してくれ。心配するようなことは何も無いぜ。たまにはきみと話すのもいいかと、思ったんだ」
「なんだ……、そう、ですか……」
「変におどかしたようで済まない。安心してくれ、大したことじゃあないんだ」

 大したことじゃない。そう言いながら俺の心はいっぱいいっぱいだった。本当はきみとこうして話すだけで精一杯なのに、何も無いふりを装うのはなかなかに苦労する。

「実は最近、きみをだいぶ見直したんだ。なんだかこの言い方だときみを過小評価していたみたいだが、実のところ俺はきみを少し勘違いしていたと思う」
「鶴丸さんが?」
「そうだ、きみ」

 すかさず俺は話を、引っ張った。ずっと伝えたかった、願ってみたかった事柄へと。

「俺のこと。鶴丸と、呼んでくれ」

 燭台切光忠を光忠と呼ぶように、大和守安定を安定と呼ぶように、俺も呼び捨てられたかった。そこに友愛があるように、鶴丸、と。
 俺は臆病だ。彼女が「出来ない」と言う前に、すかさず続けた。

「もちろん良かったらで、いいんだが。無理は言わないさ。だがこれも、良かったらでいいんだが、言葉遣いも崩してくれよ。みんなにもそうしているように」
「………」
「俺は、きみと友達になれる気がしてるんだ」

 この姿で出会って以来、俺はきみを勝手に苦手に思い、なんだか不自然に距離をおいてしまったが、今は違う。
 友達になれる気がしているなんて大層な言い方をしたが、実のところはごく単純だ。俺が友になりたいだけだ。

「どうだろうか。呼び方を変えたら、その他の部分も変われるんじゃないかと思ったんだ」

 実際、鶴丸とは、この本丸でいっとう顔を合わせることのない組み合わせかもしれない。けれど、俺は例えそれがかたちだけだとしても焦がれてしまった。気さくに名を呼ばれたいし、皆と同じように彼女に不用意に近づくことを許されたい。

「……、分かりました」

 その返事を拾った耳を、俺は一度は疑った。だけどは堅い顔をしながら、もう一度返事をくれた。

「違う、そうじゃないね。分か、った」
「いいのか……?」
「うん。急に直せるものじゃないけれど、これからは少しずつ変えていくよう頑張るよ。鶴丸、の名前のことも」

「あ、ありがとう」

 礼を伝えた俺の心境をなんという言葉に込めたら良いのだろう。何もかもがほろほろに崩れていきそうなうれしさだった。
 そうして俺は、周りがら随分遅れて、彼女との友情の切れ端を掴んだのだった。

 少しずつ呼べるようになるからという言葉の通り、数日の後、彼女は俺を鶴丸と呼ぶようにしてくれた。
 そして俺も滑稽なくらい努力した。彼女を"きみ"ではなく、と呼べるように。

 なんと嬉しかったことだろう。についてひとり出遅れてしまった俺が、皆に追い付けたようで。肩肘張らずに過ごした日々は、なんと楽しかったことだろう。
 だが前にも言ったように俺は、俺というのは彼女については気づくのが遅すぎる。気づくいた時にはもう、手遅れだと思うことばかりだ。




「鶴丸、鶴丸……?」

 記憶から、心配そうな声色に呼び戻される。はっとすると、が不安げに俺を見ていた。

「っああ、すまない。少し考えごとをしていた」
「大丈夫……?」
「心配には及ばない」

 俺は飛んでいた意識を、今度は状況の整理へとそそぎ込む。そうだ、俺はが手の平に残していた金平糖をひとつ、奪って食べたのだ。きみが物思いに耽って、誰かに焦がれている様子だったから。奥歯のあたりに、ざりっとした糖の名残がある。

「で、なんだ?」
「金平糖」
「……へ?」
「食べたいんなら光忠に言って」
「ああ、そういうことか。金平糖な。……ん? 待ってくれ。まさかあいつが作ったのか? 金平糖を?」
「まさか。金平糖はもらいもの。光忠には保管のこと、お願いしただけだよ」
「ああ、そりゃあそうだよなあ」
「光忠はそこまでなんでもやるひとじゃないよ。……けど、ちゃんと釜と材料を用意したら、案外綺麗に作ってくれるかも。あんな黒ばっかりの姿で金平糖って、落差激しいなぁ」

 そう言うと金平糖職人になった燭台切を想像してしまったのか、は小さく笑いをこぼした。
 ああそうかもしれないなぁなんて適当な返事をしながら、笑顔を返しながら、俺は思う。また光忠か。

 周りに比べれば随分遅れてしまったが、これで俺もの友の仲間入りだと浮かれたのは本当に束の間だった。すぐに気がついた。彼女の心の奥深くに居場所を持っている刀剣がいることに。

 光忠に言ってあるから、光忠なら知っている、光忠に任せた、光忠を探している、光忠がどこにいるか知らないか、光忠を探してきてくれないか。彼女はどうやら光忠を贔屓しているらしい。しかもは憎らしいことに、奴の名を頻繁に口にすることを自覚していないらしい。
 それを友達という距離間で、嫌というほど見せつけられた。今だって例外じゃない。
 またか、とため息をついた。

「なあ、前から思っていたんだが。きみは光忠になんでもかんでもやらせ過ぎじゃないか?」
「え……」
「光忠が迷惑がらないのが不思議だし、きみがどうして光忠ばかりに頼るのか不思議だったんだ。……やっぱりきみ、燭台切光忠が好きなんだろ」

 は絶句したまま、なんの否定も肯定もしない。それが俺の苛つきになる。
 答えは分かっている。彼女を傍らから少し見ていれば気づくことだ。だから君が金平糖を食べる手を休め、頭の中誰を思い描いていたかなんて、本当は分かっていたんだ。

「良いんじゃないか、彼は。きみも知っての通り、気が利く男だし、昔気質の堅物じゃないところがきみも付き合いやすいんだろう。」
「………」
「実際上手くやっているように見えるよ、きみと燭台切は。現に彼はきみをよく支えているようだからな。思いやりがあるっていうのは、素晴らしいよな。そういうやつとは末永く付き合いたいと思うもんだ」

 誰か俺を止めてくれないかと思うのだが、でも口だけはよく回って、べらべらとあることないことを喋っている。そしてひとり勝手に、苦しくなっている。

「うん。そうだな。お似合いなんじゃ、ないか」

 そういうことを言いたいんじゃ無いんだ。俺もきみにそうやって頼られたいなと思っているだけなんだ。なんでもかんでも光忠に頼られて、俺が少し寂しいだけなんだ。俺だって、ここにいるんだということを上手く伝えられたら良いのに。

「ほんとに、そう思ってるの」
「ああ、嘘なんかついちゃいない。全て本当のことさ」

 だから苦しいんだろう。きみにはすでに、一番頼りにする男がいる。それは俺じゃない。純然たる事実じゃないか。胸が潰れそうだ。
 は握り拳を真っ白にさせて言った。

「光忠は、わたしの気持ちを知ってるよ……」

 ガツンと音がした。俺は本心とは違うことをべらべら伝える口を、誰か殴ってでもとめてくれないかと思っていた。が、のこれはよく効いた。効き過ぎだ。
 なんだ、互いに了承済みだったということか。そりゃそうか。友達になりたての俺から見ても明らかなんだから、光忠が気づかないはずがないよな、そうだよな。

 彼は俺の、先の先を行ってたんだなぁと思い知る。
 見やる、地面が揺れた。何かが崩れる音が聞こえた。

「なんだ、じゃあきみたちとっくに両思いだったのか」

 おめでとうと言いたかったが、その言葉は最後まで伝えられなかった。なぜなら、俺の祝福を受け取らずに遠くへが逃げたからだ。背が小さくなって、角を曲がって見えなくなる。伝えようとした言葉は宙に浮いて、まもなく曇り空に溶けた。