主さんくぐって、と言われたからいたずらにその遊戯に加わった。
 いずれも腰に短刀を差す、子供たちの遊戯に。


 とおりゃんせ とおりゃんせ
 ここはどこの 細道じゃ
 天神様の 細道じゃ
 ちょっと通してくりゃさんせ
 御用のないもの とおしゃせぬ
 この子の七つの お祝いに
 お札を納めに 参ります


 童子の姿をとった神様たちが歌うと、そのわらべうたはいっそう言葉の美しさを際だたせた。極まった美しさだからこそ、何の暖かみも感じないのが恐ろしかった。見るからに幼げで柔らかそうなのに、温度の無い手のひら。その上を滑って、こちらをすとんと、もう帰れないような空間へ落とし込むんじゃないかという、罠の気配が彼らの集まりには漂っていた。だけどその遊びに一度入ってしまった私はもう抜け出すことはできなかった。少年少女の付喪神たちがつくる洞を、出口を求めてくぐる。とおりゃんせの歌を、聞きながら。

 行きはよいよい 帰りはこわい
 怖いながらも とおりゃんせ
 とおりゃんせ

 そして手が下ろされる。わたしの目前を細く白い手首が遮り、行く手を阻んだ。

「捕まえた」

 捕まってしまった、と声をする方を見ると、そこに立つのは薬研藤四郎だった。

「また、薬研?」

 そういう声が出てしまうくらい、わたしはなぜだか彼にばかり捕まっていた。もう何度めだろうか。歌がちょうどよく、彼の立ち位置で事切れてしまうのだ。

「主君、交代です」

 薬研とともに手を繋いでいた秋田くんが一歩前へ出る。今度は秋田くんが、手でできた道をゆく番だ。代わりに私が道の脇へと退く。私は薬研と向かい合わせになり、両手を彼と繋いだ。そればかりか指も絡ませあった。あれ、とおりゃんせの時、手はこんな風に組ませたのだっけ、と思ったが、その疑問を口にする間もなく、歌が始まった。

 そして、彼と向き合ったまま、私も歌い出す。とうりゃんせの歌を。すぐそこに、薬研藤四郎の顔と声を感じられる場所で。
 全ての手の指を絡ませているのだから、前を向くだけで瞳同士もどうしても絡み合った。こちらを見つめる目には朝露のような潤みがふるえていた。
 彼の目に宿る薄藤色が、その時ばかりは毒の色合いに見えた。





「行くのか?」

 柱に寄りかかり、薬研はそう言った。わたしは鏡越しに薬研の姿を確認するけれど、彼の顔が、どんな表情をしているのかまでは、鏡が途切れてしまい見えない。
 じくりと、後ろめたさに胸が痛む。なんだか声も、責めるような口調じゃないか。口ごもっていると、もう一度彼が聞いてくる。

「行くのか? あいつのところに」

 あいつというのは、知り合いの政府関係者の男のことである。知り合いと表現するのも落ち着かない、薄っぺらな縁の男だ。
 けれど彼の方はそうは感じていないようで、私が審神者であるということを知りながら、何を生業としているかを承知しながら、何度も私を呼び、会おう会おうと言ってくる。
 彼のためにわざわざ時間を割くことに、賛同してくれる刀剣男士は見事に誰もいない。みなそれぞれに眉をしかめるのだが、薬研藤四郎の反応ばかりは顕著だった。

「別に、私から望んで行くわけでは無いんですよ」
「でもあいつに乞われて行くんだろ」

 薬研の言う通りで、何かと理由をつけられてしまい誘いを断れず、顔を見せることになっていた。
 私自身は彼に何も感じていないのだけど、なかなか切ろうとしても切れないのだから、薄っぺらながら、厄介な男だ。
 ほんの少ししかお構いできませんと伝え、了承してもらったのは、私の抵抗の証なのだけれど、薬研の納得にはほど遠いようだった。

「あのひと、すごくお上手なんです。言い訳を作るのが」
「俺なら言い訳なんてしないがな」

 急に自分のことを言い出したその口調には、かすかに苛立ちが滲んでいた。
 あ、また、と心の中でつぶやく。
 その男のことになると、薬研は少しだけいつもと違った表情を見せる。私の中にあった冷静で、けれど男らしい熱さを持つという薬研の印象が、少し変わったのは、その男に言い寄られるようになって以来だ。

 私は彼の中に感情の揺らぎを見るようになったのだ。

「特に腹立たしいのが、奴は大将の人の良さが分かって、つけ込んでるところだ」
「そう、なのかなぁ」

 はぁっ、と薬研の強いため息。

「んなの、言動を見りゃあ一目瞭然だろ。鈍すぎるんじゃないのか、大将」
「鈍いんじゃなくて、そこまであのひとに興味が持てないだけだよ」
「ああ、奴に大将の興味なんてくれてやるな」

 薬研は彼に会ったことが無いくせに、さんざんな言い様だ。やはり彼が絡むと薬研の違った顔が出てくる。

「けどな、自分に向けられてる感情の色くらいは見極めてくれよ……」

 頼むから、とか細い声で言われると、申し訳ない気持ちになる。私は彼にずいぶんと悪いことをしてしまったのではないか、と。
 私がどうしたら良いのか戸惑っていることを読みとったんだろう、薬研は自分の眉間に手をあててから、「すまん」とこぼした。

「なんだか気を使わせてるみたいで、ごめんね」
「……俺自身は結構好きなんだがな」
「え?」
「大将の知識の、ちょっとばかし偏ってるところ」
「なんだか喜びづらい言い方するね」

 私がむっとしたのに、薬研は反対に少し笑った。
 こんなやりとりをしている内に、待ち合わせの時間にずいぶん迫ってきた。私が薬研の前を通り過ぎようとする。それは、予想通り阻まれた。

「通さないぜ」
「薬研……」
「そんな目、したってだめだ。くだらない用事のために俺っちの大将を行かせるもんか。大将だって、なんで興味が無い無いって言うくせに、どうして付き合ってやるんだ」
「それは、あのひとが」
「本当はあいつのこと、好いてるんだろ」
「違う!」

 薬研が勝手な憶測で私の感情を語る。それが嫌で否定しようとした言葉は私の意志を外れ、鋭い音をしていた。また、「すまん」と謝られた。

 私は、正直に言うと、薬研に困惑している。彼が何を思って苛立ち、顔を歪めるのか、心無いことを言うか。理解が及ばないのだ。
 ひとつだけ、思い当たる感情の名はある。嫉妬。けれど私自身はまだそれを経験したことが無い。誰かをうらやむことはあっても、異性にそれを抱いたことが無いのだ。だから知識としか知らない。けれど様々な物語の中に繰り返し登場した、恐ろしい感情。
 薬研のこれが嫉妬なら、薬研はもしかしたら私のこと、と考えはするのだけど、私はすぐ自分で首を横に振る。ありえない。神様が人間のこと、そんな風に思うなんて。それ以前に、私なんかを薬研が。ありえない。

「薬研、行かなくちゃ」
「だめだ。通さない」
「でも……」
「どうしても行くっていうんなら、俺がここを通すのに納得できる、用を言ってみな」
「それは」
「言っておくがあいつに会いにいくためなんて訳は聞きたくないし、そんなの、何があっても通さない」

 切実そうな彼の様子に、胸をつらくしながらも、わたしはあの歌を思い出した。
 御用のないもの、とおしゃせぬ。

「来てって言われたから、行くだけなんだけど……」
「じゃあ、俺がここにいてくれって言えば、いてくれるのか?」
「それは」
「違うだろ……?」

 私が返事を言う前、彼は答えを断定してしまう。それがもどかしかった。私は、彼が思うより少し薬研のことを贔屓しているのに、彼にはその考えが欠片も無いのだ。

 そう、私は皆より少しだけ、ほんのちょっぴり、薬研が好きだ。
 たくさんの刀剣男士をまとめることになった主だから、誰かひとりを特別にしてはならない。歴史修正主義者との戦いの中に身を置いているのだから、色恋沙汰にうつつを抜かしてはいられない。そう思うから、あまり考えないようにしてる。けれど、多分、私は薬研に惹かれつつある。
 あの、とおりゃんせで指を絡めあったときから、ほんの少しずつ、私は薬研に関する些細な記憶を重ねていて、それがいつまでたっても止められないのだ。

「ごめんね、薬研」

 彼のこと、好きなのにな。ようやく私の中に芽生えた。罪悪感のようなもの。そこに心は無いのに、言い寄られることをずっと惰性で許して、流されてばかりだった。だけど今やっと、ちゃんと、態度を示さないとだめだと思えた。

「次はちゃんと断ってくる。それに、ちゃんと言うよ。私、実はあなたにあまり興味が持てませんって」

 嫌われることは苦手だけれどあの男に伝えなければ。私を捕まえる、この薬研藤四郎のために。

「それで薬研のところに、帰ってくるため、行ってきます。帰ってきたら薬研に一番に、会いにくるから」
「………」
「っていうのは、だめ、ですか……」

 おそるおそる、彼の審判を待つ。と、薬研は、無邪気な破顔を見せた。

「それじゃだめだ。そんな言い方じゃ生ぬるい。実は大嫌いだったって、生理的に受け付けないって、言ってやれ」
「別に、嫌いじゃないんだけどな……」
「でも好きじゃあ無いんだろ」
「興味が、無い」
「眼中にないって言ってやれ」

 薄くも美しい唇から漏れる容赦ない言葉の数々に、私は端から見れば目を白黒させているだろう。

「薬研がそんなこと言うなんて、思わなかった」
「そうか? 大将相手の俺は、いつもちょっとおかしいんだ。……幻滅したか?」

 問われて、私の心は迷わずに答えをはじき出していた。

「してない。むしろ、私相手っていうのが、少し気持ち良い」
「言っておくが、大将限定だぜ」
「それなら、けっこう気持ち良い」

 私の言葉を聞いた薬研の顔が、また、見たことのない歪み方を見せた。

 黒いまつげに縁取られた目が、色を滲ませている。薬研っていう名前なのに、彼のまなこは毒色だ。薄藤色というぴったりの色の名も知っているのに、滲み出す毒の色をしていると感じてしまう。
 私はまたあの、とおりゃんせの歌を思い出した。

 行きはよいよい 帰りはこわい
 怖いながらも とおりゃんせ
 とおりゃんせ

 ようやく私は彼の横を通り抜けた。彼の元に、帰ってくるために。