Cream: ミルク
意志のこもった瞳で、訴えかけるように響く彼女の声。そしてそれに聞き入る輩が、この部屋の緊張感をきりきりと引き絞る。
さきほど、今回は非番であると告げられたからだろうか。俺は緊張から抜け出たところから、主を見ていた。
こんな時ばかりはよく喋るんだなって。
「今回は以上です。分からないこと、気になることがあれば今でも後でも良いので必ず私に申し出ること。どんな小さなことでも必ずです。もちろん異議なども受け付けますので。それでは先ほど名前を呼ばれた者はまずは刀装の確認を。非番の者は内番表を一度確認してくださいね。それでは、解散」
主が必要なことを喋り終えるとすぐ、人がばらけ緊張もばらけていく。開いた障子から風が吹き込み、のどかな本丸に早くも戻りつつあった。
本丸がつかの間の日常を過ごすためのものに戻るのと同じ早さで、「ねえ」と俺がそう声をかけた時にはもう、主はいつもの愛想無しに戻っていた。さっきはあんなに喋っていたのに、ぴたりと、餅で貼っつけられたように唇が引き結ばれる。
「あー……」
ああやってさんざん喋った直後ならいつもより、実りのある会話が出来るんじゃないって、正直期待していたが、早速期待が外れてしまった。
どうしてそう、落差が激しいんだか。器用なのか不器用なのか分からない主に、気づけばため息のひとつやふたつも出てしまう。
「なんで作戦とか指揮の時はちゃんと喋るのに、他だとぱったり何にも言わなくなるわけ?」
「そんなことないよ」
「あるし」
ほら、ちょっと強く言うともう返事がなくなる。分かっていた反応に俺はまた落胆する。
落胆の原因は彼女が何も話してくれないからじゃない。そんなことには俺はもう慣れっこだ。いつになってもちっとも俺を分かってくれない主に、悔しくてやりきれない気持ちになる。
もうこっちは彼女の事を分かり始めているのに。そう思うと、落ち込む。
「作戦のことは、みんなに必要だから」
「じゃあ主自身のことは? みんな特に必要じゃないからって?」
「………」
「……、あっそ」
黙ってしまったということは俺は解を言い当てたらしい。
必要無いから教えない。それはぱっと聞く限りは理に敵っている。だけど、「だけど」と反論したくなる。主はものすごく寂しい事を言っているのに気づいているんだろうか。
「必要ないって、そう言うけどさ。俺は必要だな、主のこと」
「……、がんばるね」
「だーかーらー、違うっての。今の審神者としての発言だろ? 俺は主の話をしてるんだって!」
彼女の視線がすっと、左下に流れる。逃げるなよ。俺はいっそう顔を近づけて主に宣告する。
「言ったよ。俺は扱いにくいんだって。そんな上っ面の扱いで、俺の性能を引き出せると思うなよな」
「………」
「俺は作戦で戦ってるんじゃなくて、主と一緒に戦ってるんだからな!」
相変わらず彼女は何も言わない。その小さな唇と少し、開けて、そして閉じた。言葉という答えは返って来なかったけど、良いや、と思えた。この人は気持ちを口にしないだけで、聞いていないわけじゃない、何も思っていないわけじゃないんだから。
そう思った矢先、彼女の口がわずかに開く。
「そうだね」
俺を見ないで、畳の目に視線は流れている。何を考えているのか分からないけれど、一応考えの中に俺が言ったことも含まれているんだろう。
なんだか少しふっきれて、もうひとつ、彼女が伝えたいことが出てきた。
「あのさ。もう猫でも何でも良いよ」
「猫?」
「おばあちゃんとこに昔いた猫、だっけ?」
「………」
「まー、もう、良いよ……」
今の状況、猫ならどうするかな。昔々に見たっきりの猫を思い出す。人を威嚇するような野良猫じゃなくて、誰かに可愛がられたい猫がしそうなこと。考えた末に、俺は彼女の膝の横に頭を投げ出した。
アイツは言っていた。主が、「いつもどうしたら良いか分からなくなる」とこぼしていたって。多分本当にこの人はどうしたら良いか分からないんだろうと思う。主は、他人に自分は必要無いと言い切ってしまうような人間なのだから。
でも猫のことなら撫でたことがあるんだろうな。
そう思わせる手が、少し震えながら降ってきて、俺の頭を撫でた。
俺に対してはまだ、戸惑っている。けれど猫と同じようにすれば男の頭を撫でることが出来るらしい。いや彼女は、俺を男とは、思っていないのかもしれないけど。
指先はまだ止まない。彼女の指が滑るのは加州清光じゃなく、昔愛でた猫なのだろう。暖かい。けれど俺自身を愛してるわけじゃないと思うと、虚しさが襲ってくるふれ合い。
だけどこんなでも、俺の気持ちは自然と落ち着いていく。虚しいはずなのに。
「あー……、くやしい」
そして少し胸が痛い。
きっとこの人を相手にしている限り何度求めても、望む結果や、欲しい言葉は思ったように得られない。だというのに、俺は明日には、いや今日の夜にはこの人の反応を引き出したいと思って落ち着かなくなるんだろう。その時はまた、滑稽にも猫のまねなんか、したりするんだろうな。