鶴丸の一言は私のいろんなものを変えてくれたようだった。変えてくれたっていうのは半分皮肉混じりでそう言っている。でも半分は感謝すべきと思って言っている。なぜなら私は鶴丸のあの「大丈夫か?」からの「俺と結婚するか?」のコンボは本当に私には驚きで驚きで、結果私の何かを作り替えてしまったらしく、あの夜から私はちょっとダメなから平凡なと生まれ変わってしまったのだ。そう生まれ変わったという言葉がしっくりくるくらい私は変わってしまった。
具体的にどう変わったかと言うと、朝寝坊をしなくなった。朝寝坊しなくなったので、朝ご飯をゆっくり作るようになった。そうするとトーストも目玉焼きも焦がさない。カフェラテを飲む時間もあるから家を出る頃には頭がすっきりしていて、行きの電車で乗り過ごすことも無くなった。結果遅刻もしないどころか、人より、鶴丸より早く教室に着く有様だ。鶴丸の「結婚するか?」なんて言葉は一種のショック療法となって、私のおっちょこちょいを全て治してしまったのだ。
今の私ならきっとハンバーグをそぼろにしないし、ポトフのお出汁も全部蒸発させない。鶴丸が結婚を考えるまで心配させたはもういなくなってしまったのだ。
あの言葉で私が変わったように、鶴丸もなんだか変わってしまった。上手く言えないけれど、ぼんやりしていることが増えたと思う。それも一人で。友人関係と距離を置いて虚ろに考える横顔。その作りはとても美しい。正面から見ても綺麗な顔だけどどこから見ても綺麗さがあるってとても希有なことだ。鶴丸はその横顔を惜しげもなく晒して遠くを見る。
鶴丸が癖でよく回転させていた白いシャーペン。今までなら彼の白い指がシャーペンを取り落とすところなんて一度も見たこと無かったのに、シャーペンは今週三回目の跳躍を見せた。鶴丸の手を飛び出したシャーペンは床を滑り、私の足下で回転を止めた。
拾って差し出す。
「はい」
「……、すまない、ありがとう」
受け取った鶴丸には笑顔も恥ずかしがる様子もなかった。
私の部屋に手作り和風ポトフと友に急に訪れるくらい行動力のあった鶴丸の、やたら考え込んでいる様子はそれだけで私に不安を与えた。
あの日から私は何度「全部がちゃんとしてるなんてじゃないみたい」って言われたことだろう。同じように、ふざけることはあってもちゃんとしてた鶴丸がちゃんとしていないと、なんだか鶴丸じゃないみたいだと思った。
「なあ」
今日の授業は全部出席し終えてこれからバイト先を目指そうという時、声だけは明るい鶴丸に捕まった。
「どうしたの?」
彼に向き直って、私は鶴丸とちゃんと対面するのはあの日の夜以来のことに気がついた。
「いや……。まあその、前回のアレだけど」
「ああ、アレ」
熟年夫婦でも無いのにアレで通じてしまう。それくらい結婚するかの言葉は私たちの関係の中で浮いた言葉だった。
「覚えていてくれたんだな」
「覚えてるよ、私は酔ってなかったし」
「そうだな、酔ってたのは俺だけだ。その、なんだ。やっぱり軽い言葉じゃないからちゃんと伝えておこうと思って」
そう鶴丸に言われた時、私は期待していたのだと思う。後から思い返して期待していたと気付くような淡いものだ。鶴丸のせいでちゃんとしたになってしまった私なら、鶴丸のあの言葉、正面から受け取れるかもしれないと自分へも期待をかけていた。
「きみが困っているようだったら忘れてくれていい」
「……忘れようかな」
反射的にそう応えていた。だってもし鶴丸が私にぶつけてしまった言葉のせいで悩んでいるなら、そのせいでいつもの調子を失っているんだとしたら、イヤだなと思うのだ。私が忘れて、あの言葉は無かったことにして、鶴丸がいつもの明るい彼に戻るなら、その方が鶴丸のためだ。
「そっか。じゃあ俺も忘れるよ」
あっさり協定は結ばれて、それからしばらく時間はかかったけど、私と鶴丸は元通りになった。
私は朝寝坊するしトーストも目玉焼きも焦がすし、カフェラテいれたくせに熱くて飲めないまま家を飛び出して、電車も乗り遅れるようなに。鶴丸は明るくてけどひょうひょうとしていて、不思議な行動力でいつも誰かと一緒にいるくせに私の横でどうでも良い情報をつらつらと、やたら楽しそうに語る鶴丸に戻った。
元通りになったはずなのに願った通りの日々がまた送れているという実感はあるのに鶴丸との諸々が後退してしまったように感じるのはなぜだろう。答えなんか私には無い。だけどあの言葉を殺してしまって良かったんだと思う。だって鶴丸が相も変わらず笑ってるから、私の脳みそはそう認識している。