道のこちらから下を向いて歩いていた私と、道のあちらから颯爽と歩いてきた一期さんが、正面から顔を合わせたのだから、ばったりという言葉の似合う遭遇だった。
「こんにちは、さん」
「……、こん、にちは」
私が呆然と挨拶を返すと、一期さんは少し早足で距離を詰めてくる。不意に一期さんに、人なつこさを感じる仕草をされて、私は逆に一歩後ろに後ずさってしまった。
とっさに失礼な行為をしてしまったと焦ったが、一期さんは気にするどころか気付いた様子も無く、またも人なつこさを滲ませて微笑んだ。
「偶然ですね。これから、どこへ行かれるのですか?」
もちろん目的あって町を歩いていた。けれど、返事に戸惑ってしまう。とっさに上手く、説明が思い浮かばないのだ。
「行くのは、金券ショップなんですけど……」
「金券ショップですか。何かを買われるのでしょうか」
「いや……。売る方」
やっぱり口では上手く言えない。私はいつものトートバッグからクリアファイルを取り出した。割引券やら招待券やらがたくさん挟まったクリアファイルだ。
指でつかめば厚みを感じるほどに束になった招待券たち。こんなにも集まってしまうのは、親の言いなりになって保有している株のせいだった。持っているだけの株なのに、それらは定期的に株主である特典として様々なものを送ってくれる。タオルや物品もあるが、商品券の類もよく受け取った。
積もり積もったその量に、一期さんも驚き混じりに聞いてくる。
「全て、不要なのですか?」
「割引券とかあっても、そのお店にわざわざ行くのも大変ですし、映画とか、展覧会とかも、ひとりで行っても……」
割引券のためにひとりでカフェに通うのは精神的に辛いし、ひとり映画も私には無理だ。展覧会に行ったことあるけれど、ひとりでは楽しいと思えなかった。
本当は喜ぶべきもののはずなのに、気付けばそれらは私には不要だった。孤独という言葉の前には、お得というふれこみも色褪せて見えてしまう。
そう、全ては私がひとりぼっちのせいだ。一期さんなら違っただろう、と考えたところで気がつく。そうだ。
「……良かったら一期さんに、あげます」
思い至ったらもう、それが良いとしか思えなくなった。私には使いきれないものなら、一期さんが持っていた方が良い。
一期さんの方がその長い足で町のいろんなところに軽々と行けてしまうし、学友でも家族でも、誰かとカフェに行く機会も多いだろう。
「そうだ、確か博物館の招待券もあったはずです」
しかもそれは期間限定の、恐竜をテーマした恐竜博の招待券だったはず。恐竜なんて男の子に受けそうなもの、一期さんが弟たちを連れていけば喜んで貰えるんじゃないか、そう思ったのだ。
「あ、……」
一期さんと、弟たちがみんなで恐竜博を見に行く光景を想像しながら、取り出してから思い出す。
招待券が二枚しか無かったことを。
急に気分が萎んでいく。招待券が二枚では、一期さんたちにはあげられない。気まずさの水位がみるみる上がって、足下からから私を飲み込んでいく。
一期さんもきっと、二枚しか無いことを残念がるだろう。あの仲の良さそうな兄弟たちに不要な喧嘩の種を持ち出した自分を、一期さんに変な気を遣わせそうな自分を、なんて言ってわびようかと考えたのに。一期さんは事も無げに笑った。
「良いですね、恐竜博」
「……、……」
「ぴったり二枚あることですし」
一瞬、脳みそがかたまった。一期さんの笑顔と、それと"ぴったり二枚"の言葉に。招待券が弟さんたちの人数分無いことを責められると思ったのに、ぴったり二枚とは、その言葉の意味は。
「た、っ楽しんできてください……っ」
割引券も恐竜博のチケットも、そのほか全てを彼の手に押しつけた。乱暴に手渡したからクリアファイルから何枚かがするりとぬけ落ちて、道路に散ったのが視界の端っこに見えた。慌てる一期さんも見えていた。
だけど私は歩きだしていた。私が道路を汚したのに、一期さんを手伝わないで。そんなひどいことをしたのは"ぴったり二枚"の意味を知りたく無かったから。その台詞が差す事実の、ヒントの欠片も欲しくなかったからだ。
気にするな。深く考えるな。失望するな。失望して、期待の気持ちがあったことを認めるな。頭の中で何度も唱えてる。早足で息が上がっていくのを私は歓迎した。体の苦しさで、全部を押し流してしまいたい。
でも。脳みその片隅は別のことを考えている。
彼に渡すものが弟さん全員のぶん無くても良いのだ、二組の捧げ物でも大丈夫、一期さんは喜んでくれるのだ、と。救いようの無いことを考えている。