※リアル相模民が書いた土佐弁です。あたたかな目で読んでやってください。
こんのすけがもたらした戦績表をわたしは感動なく眺める。紙面には今回も変わらず“良”と“優良”が並んでいる。初めてこれを受け取った時は、自分の全てが足下から揺さぶられるような不安を感じていたというのに、優良が当たり前に得られると知ってしまった今はただの紙きれと化していた。
私は手早く、良の数だけを確認した。ひとつの項目で良評価が優良評価に変わっていたが、別の項目の優良評価は、良へと落ちていた。
全ての項目で優良をとったとしても、自分は何も得られない。そう知っているというのに、良という評価が自分にケチをつけられたように感じてしまう。そんな自分が、嫌になる。
詳細な評など読む気になれない。戦績表を捨てようとした。捨てようとして、もう一枚別紙がついているのに気がついた。
そうか、と私は息をついた。こんのすけも、去り際に一言くれていた『定期健康診断のお知らせ』。そう題された紙を見て、もうそんな時期かと驚いた。政府の末端に属す審神者として、定期健康診断は年に二回、他の役人に比べればややまめに行われている。
前回の健康診断から、もう半年過ぎたということに私は虚を突かれた思いだ。
半年感、私が何をしていたか、あまり思い出せない。審神者としてこの本丸で生活をしていた。刀剣男士をこの本丸に集わせ、政府の望んだ結果を、ほぼその通りに献上してきた。それには違いない。けれど実感無く過ぎ去った季節を思って、一瞬、私は動けなくなっていた。
健康診断日の前夜から、私は本丸全体に非番の礼を出した。私は当日は丸一日、本丸を留守にする。自らの手が離れた状態の部隊を動かしたいとは思わないし、何かあった時に、何もできない。そう思うと例え遠征であっても、命じる気にはなれない。だから私が本丸を留守にする時は、全体が非番となる。
夜、配置を知らせるために使う、それぞれの名が記された札を回収する。半年前もこうして全ての札を回収したはずだ。僅かな既視感の中、薄もやの記憶の糸をたどる。そして記憶にあった、彼の存在を私は思い出した。
明日の朝は陸奥守吉行が、おそらく私を訪ねるだろう。前回もそうだったからだ。私が全体に非番の令を出すと、翌朝彼がやってくる。
彼に、私が健康診断で実家の方に戻るとは伝えていないが、彼自前の鋭さで、私が本丸を留守にすることに感づくだろう。
翌朝は想像した通りになった。朝食をいただいた後、やや間を置いて彼が私の部屋を訪ねたのだ。
「どうぞ」
来るのは分かっていた。化粧台の開いた三面鏡の中、私の肩越しに跳ねっ返りの強い栗色の髪が見えた。鏡の中を覗いたまま、私は彼を招き入れた。
「おお! やっちゅうね!」
今回も良い反応をしてくれる。私は奥歯にむずがゆさを抱え振り返ると、陸奥守吉行は輝くような笑顔で、特に頬を光らせている。
いつも彼の笑顔は場を明るくするような朗らかさがあるが、今日だからこそ、いっそう輝いている。彼は、私が洋装をするのが一等好きなのだ。
元の主の影響もあって、新しいものを彼は好むのだ。だからよそ行きの現代に紛れる格好をした私をこうしてわざわざ見に来る。
「いやあ、しょうえいなぁ」
ご満悦の表情で上から下までを見られる。彼が喜んでいることは理解できても、何故、何がそこまで陸奥守吉行を喜ばせるのか、私にはなかなか理解が及ばない。
私も自分で今日の服装を見直した。
小さなボタンがついた、前をくつろげられるワンピースは検診の時に脱ぎ着が楽なようにと選んだ。白地をメインによく見ればわかる程度の細かな刺繍が全体に施されているが、そう存在を主張しない。全体は無難なモノトーンでまとめ、体が冷えるのが嫌なので軽いジャケットを羽織っている。ハンドバッグは貰いものでしっかりした作りの、品良いものだが、単に私はこれしか持っていないのだった。
特に派手でも洒落ているわけでもない。むしろ私の服装が現代の流行を抑えたものではないことが、新しいもの目当てに来ている彼にはやや申し訳ない。
けれど陸奥守吉行は満悦という言葉がぴったりの笑顔で私を見定める。
「……馬子にも衣装」
「まっはっはっは! 何をゆうちゅう。よお似合っちゅう、謙遜しな」
そう言われても。私はこういった服の方が、本来ならばよく着用するものだ。
私が本丸で和服を着るのは、その方が本丸の施設になじむからだ。周りの大人にそう躾てもらったおかげで、自分一人でも難なく和装することができたし、“本丸になじんだ私”であった方が刀剣男士たちの奇異の目を避けられ、主らしくいられるのだった。
反対に言えば、本丸でない場所にいるのならば、私に和服を着る理由は無い。
「今日はどこに行くが?」
「健康診断」
「まっことかい?」
「嘘をつく理由が無いけど」
「やけど、ただの健康診断とゆうにゃ気合いが入っちゅうね」
「どこが……?」
「とぼけるなって。化粧までしっかとしちゅう」
指摘の通り、確かに私は普段よりは多少時間をかけて化粧をしたのだった。
普段も自分の顔色に気をつかって、肌に何か塗ることはあったが、今日はそれ以上の気をつかって唇には少し強い色を乗せていた。
「男にでも会うが?」
「そんな人いない」
「まっとかぇ?」
陸奥守にはそう見えるのだろうか。これが、愛しい人に会いにいく時の服装。決してそんなものではないのに、陸奥守吉行はまだ疑い顔だ。
「……病院のある辺りって、政府の関連機関がかなり多く固まってる。父母には滅多に会うことは無いと思うけれど、親族が何人かは勤めているし、上の人間にもいつ会うかわからない」
審神者という職業は現代においてもそう周知されていない。何をしているかすら知らない人が大半であるし、知っていて尚、軽んじられることもある。それは政府筋に勤める親族であっても例外では無い。
私は、あの家系で長兄であった父の一人娘だ。それだけで何かと恭しく扱われてきたというのに、就いたのは審神者という実体の掴みにくい職。私自身がこの役目に不満どころか恐縮すらしていても、理解の無い者にとってはそうではない。審神者は、家に箔をつけやしない無いも同然の職業だ。外で会えば何を言われるかわかったものではない。
加えて、親族よりも出くわす可能性が高いのが“上”の人間だ。こっちは私が健康診断に病院に赴いていることを知っている。
基本的には命令に従い、結果を提供しているのだから、私と上との関係は普通程度に成り立っている。けれど単純に、現場で汗を流しているものを見下し、涼しい部屋で良い椅子に腰掛けながら結果を出るのを待つ自分は無条件に偉い。そんな腐った人間が上層部にいることも確かなのだ。そういう奴に限ってちょっかいを出しにくる。相当暇なのだろう。
「気を抜いてるところ見られて、舐められたくないのよ」
審神者という役目も本丸という前線基地も他の人間からしてみれば実体が不透明だ。だから勘ぐりもしやすいし、文句もつけやすい。浮かれたところを一瞬でも見せれば、けちが付く。
だから、人間の前に出られる人間としてこの役目を、ひいては本丸に何か言わせるような隙を見せたくないのだ。
「つまらない言葉を聞くつもりは無いし、言わせるつもりも無い」
「なるほどなぁ」
私が本丸を抜け出して、想い人に会いにいこうとしている。そんな変な想像を誤解のまま放しておきたくなくて、その目強く見返せば、陸奥守にも私の気の尖りが伝わったらしい。
にやりと、好戦的に彼の口端があがる。
「おんしが色づいてるちゅう思っとったが、どっちかゆうと、戦準備しよったが」
自然と、そうかもしれないと思わされた。今守っているはずの現代に戻るのに、私はその人間社会の中で戦う準備をしている。
「おんしゃー、見る度ぎっちり怖い顔をしちゅうけど、今の方がもっと怖い顔をしちゅう」
「……そう?」
「こたうことなら、一緒について行きたいんやけどな」
「現代の戦いは、もう刀も銃も使わないけどね」
「ほきも、一人で戦うよりは心強い」
そう、なのだろうか。私は一瞬考えが追いつけず、小さく口を開けた。私の戦いは、私のものでしかない。それも宛の無い、意地っぱりな戦い。私は刀剣達に歴史修正主義者に対抗する力を見いだしている。それ以上もそれ以下も無かった。
「何時ばあに帰る?」
「帰る時間は検査次第ね」
「帰り、待っちゅうよ」
帰りを待っている。その言葉は、ここに住み着く陸奥守にとっては当然の発言だった。
けれど現代に戻るというのに、戦うつもりでいる私にとっては、最早この本丸の方がこの本丸の方が私の帰る場所としての役割を果たしているように思えた。私はここへ戻れるよう、余計な傷を避けたくて洋装したのだ。
「うん」と、私は幼子のように彼へ頷いた。
現代で過ごす非凡となってしまった一日は、あっと言う間に過ぎた。
翌日、朝食の場に出た私へ、陸奥守からの視線が注がれる。あまり機嫌の良いものではない。子供っぽく頬を膨らませていて、じとりとした目で私を見てくる。おそらくまた和装に戻ってしまったことが惜しいのだろうなと読みとれた。
「もう、こっちの方が楽なのよ」
言い訳のようにそう漏らすが、陸奥守はふてくされた顔のままだ。
「ほんなら別に、俺からゆうことないけどなぁ……」
また、彼の頬が膨れた。本当に彼は表情が豊かだ。私が彼のようであれば、気張ることなく現代へ降りていけたのだろうか、と考えた。出来事を前に怒ったり、泣いたり、ふてくされたり。そういった、感情を発露させる事は私には苦手分野だ。
私には持ち得ないものだから、また彼の不機嫌につぶれた顔に愛嬌を感じる。
「昨日は迎えに来てくれてありがとう」
迎えに、という距離でも無いが、私が本丸に戻り、一番に顔を合わせたのは「待っちゅうよ」と言った彼だった。帰りはすっかり遅くなってしまったところに、暗がりから彼に「!」と呼びつけられ、私は大げさな反応をしてしまったのだった。
「ああ、ありゃあたまたまちや」
「そう。たまたま、門のところにいたの」
その割には辺りが暗いくせに、私が手から下げたお土産をめざとく見つけた。
もうほんの数歩で母屋だと言うのに、荷物を持とうとするから観念して、私は早々に土産の洋菓子を立派な体躯ではしゃぐ付喪神へとお供えしたのだ。
それでも私の荷を持とうとするのだから、私は自分の包みを暴かれないよう死守するので大変だった。
ぴんと張ったままだった現代を渡り歩くための緊張の糸は、陸奥守が朝とあまりに変わらない調子で話かけてくるせいで粉々に砕けてしまった。陸奥守は以前から、こちらの調子を崩すきらいがある。
でも昨日は、彼のそこに救われた。
「そうそう。健康診断どうじゃった?」
「それがね、」
体重は少し減っていたのだけど、身長はほんの僅か伸びていたこと。不思議なほど穏やかな気持ちで、私はそれを彼に告げられた。まさかこの年で、まだ伸びてるなんて思わなかった、とも。
早朝のうちに配置が決まっているのだから、朝食が終われば、皆散り散りになる。私はいったん部屋に戻り、誰もまだ来ないことを確認し、私は昨夜持ち帰った荷物を開封した。中には真新しいの処方箋が詰まっている。
健康診断を終えた後、個人的にいくつかのクリニックを受診し、そこの医師にそれぞれ処方したもらったのだ。
プラスチックのポケットに行儀良く収まる小さな錠剤は、思ったより可愛らしい色をしている。こんなチョコレート菓子があったなと思い出した。
最初は量を少なくして様子を見ましょう、と医師は言っていた。食後一錠という案内の通りに口に含み、飲み下す。
これで不安が和らぐという。不安が、なくなる? 私にはまずその状態の己が想像できない。不安はいつも私の中にあった。ひいたり、寄せたりしながらも常に存在し、私を揺さぶるものだ。それが本当に消えるのだろうか? 不安を取り去った私というものは、いったいどんななのだろうか? 分からない。
「!」
薬も、己さえも疑い、それが拭えないまま誰かが私を呼んだ。
返事をしながら、私は今、食道を下っていった粒を思った。不安が消えて、落ち着いた良い私であれますよう、薬に願った。
その結果、そこにいるのがもう今の私と違う私でも良い。肝心なのは、ここに居続けられるということ、それだけなのだ。