手で肩を捕まれればそれは私の背中の骨まで掴みそうであったし、圧倒的な体格差でのしかかられてはひとたまりも無いのだった。ひいては小狐丸は犬歯を見せつけ、その髪を逆立たせ、存在をみなぎらせるように体を疼かせ、しかしその中で恐ろしいほどに据わった目を見てしまえば、さすがの私も悟るのだった。ああ、喰われると。

 抵抗はした。たくましい指から肩を抜き、逃げだそうとした。だが彼の手は私の肩を離しても服までは許してくれず、畳廊下へと転げてしまった。服から抜け出そうになる肩を庇いながら立とうとすると、小狐丸の手は今度、私の足を掴んだのだった。
 今度は足袋がずるりと脱げて、足の指が冷たい夜の畳を擦る。ゆらり揺れる小狐丸の影の向こうに、私の足袋がわびしく朽ちていた。

 そして寝静まった本丸で、ふたつの荒い息が近いところでかち合った。


「何をするの」
「ぬしさまはもうお分かりでしょう」
「帰りなさい、自分の部屋へ」
「嫌です」
「これは命令よ、帰りなさい、小狐丸」
「それは聞けぬ命令です。私ももう退けませぬ」


 それでも私は声を張った。肉体では彼にはかなわない。だから声や言葉で主たる権力を振りかざすしか、この小狐丸の熱を抑える術を知らないのだ。
 どうにかせねばと考える頭は別の部分でこうも考えていた。彼から垂れてくる、銀の髪がとてもきれいだ、と。


「まだ間に合う。ここでひくなら許します」
「それでも退けませぬ。小狐丸はぬしさまが欲しいのです」


 押し問答が焦れったくなったのか、小狐丸の手がそろそろと降りてくる。


「いや、いや。怖い……」


 気づけばそう唱えていた。何度いやだと言っても小狐丸が止まってくれないことは理解していた。いつも笑っているような目が、鋭く獣のように歪んでいる。


「怖くはありませぬ」


 その言葉の通り、小狐丸はそれから私を落ち着けることに時間を注いだ。手をとりさすると指を舐める。私が息を荒げると彼は唇をゆがめながら呼吸を合わせ、それから私の体に鼻を埋めて大きく息をした。
 小狐丸の恐ろしく羞恥を煽る行動のせいで、徐々に体温があがっていく。今までは悪寒からどろりとした汗をかいていたのに、彼の動作にいつしか血の流れが変わって、熱さからくる自然な発汗になっていくのが自分でも分かった。
 小狐丸はそういった私の変化を楽しんでいるようだった。私がゆっくりと諦めと受け入れの方向へ流れていくのを。見上げた目は、小狐丸らしい笑みをたたえていた。


「ぬしさまがいけないのです」


 目の奥にくすぶる熱がまざまざと見えてしまい、安心にはほど遠かった。
 そして泣きそうな声で小狐丸はこう言った。


「私は、私は鉄には戻りとうございませんでした」






 遠い遠い日から、貴女をお慕いしておりました。ぬしさまはお気づきにならなかったでしょう。私はこの想いを隠すことにずいぶん気をやりましたゆえ。

ぬしさまが、私のようにこのこぎつねを好いていないことは一目瞭然でした。ぬしさまはいつだって兵としてこのこぎつねを見ていましたね。だからこそ、想いが知れることが怖かったのです。
ぬしさまが嫌悪の目でこちらを見るのを考えただけで辛かった。
一番恐ろしかったのは刀解です。

消えたくないという思いや考えをこのこぎつねにくださったのも、ぬしさまです。




「鉄に戻らずぬしさまのおそばにいる道を選んだというのに、ぬしさまはあやつに唇をお許しになられた」


 すぐさま思い至った。太郎太刀のことだ。


「それも真剣な恋慕でもなく、いたずらに」
「………」
「太郎太刀が許されて、なぜこの小狐丸が許されないのでしょうか」


 それを聞くなり私の手足から感覚が遠のいていくのが分かった。この狐、心底腹を立てている。


「ああ、こんなにも簡単だったのですね。ぬしさまを手に入れるのは」


 舌なめずりをする小狐丸。彼の背筋を蛇行して、しかし素早く走るものの音。それが私にも聞こえた気がした。







 せめて布団の上でして、と言うと、小狐丸はにんまりと笑い私を抱き上げた。かなうはずが無いな、と改めて感じた。私の体を軽々と持ち上げるのだから。私の腰のほとんどを、彼は片手で掴んでいる。持ち上げられた腕の中から見ると、私の寝室がずいぶん違って見えるし、一歩踏み出すことで進む距離も違う。
 小狐丸の力強さを感じながら、私はもうひとつ気づいたことがあった。自分を守っていたものの弱さだ。小狐丸の言う通り。私の牙城が崩れるのはこんなにもあっさりとたやすい。

 布団の上に寝かされてから私はふと、脱がされた足袋のことを思い出した。あれは、畳廊下に放ったままではないか。にわかにあれを片づけて欲しいという思いが湧いた。片方だけのくたびれた足袋を見つけた刀剣は何を思うだろうか。想像するだけで顔を覆いたいほど恥ずかしい。あれを、回収して欲しいと思った。
 けれどもう小狐丸は待ってはくれなかった。