隙あらばって、ずっとあるじさんのことは狙っていた。あのひとの不意を突いてやろうって意識で爪を隠しながら見れば、本当にあるじさんってば、隙だらけだった。僕が見つめ始めてから、隙の無い日はないってくらいあのひとは常に審神者の使命に精一杯で、不安と理屈を頭のなかでこねていて、すれ違い様に足をひっかければ、見事に転んで顎まで打つんでしょ。僕は何遍もそんなことを考えてはあるじさんのこと、見送った。
あなたは、誰があなたを見てるかも気づかない。
ううん。本当は、僕たち刀に、刀たちから注がれるかたちないものに、真の意味での興味は持ったことなかった。そう言い表すのが正しいんだろう。
手のひらに手のひらを合わせて押し倒した。噛み合う指。僕たち思ったより手のかたちが似ている。じゃなきゃ鏡合わせを錯覚するほどぴったり噛み合わない。
扇みたいに畳に広がるさんの髪。寝そべるこのひとを遂に真上から見下ろした。あるじさんも、天井を背負った僕をまっすぐに見上げていた。その姿は僕には予想外だった。もっと驚き戸惑い、忙しく泳ぐ目が見られると思っていた。だけどあるじさんは、どうやっても僕に見惚れているなんて期待は抱けない、暗い目で僕を見ていた。
僕は見惚れていた。合わさる僕たちの手の様子に。うっとりとした。
「乱」
「なーに? あるじさん?」
逃げないの、抵抗しないのとは聞かなかった。
遠巻きに見つめていた頃、いつだって襲えちゃいそうと思ったのと同時に抱いたのが、どこかでこのひとは抵抗しないんじゃないか、という目論見だった。
惜しく思いながらも手を離し、彼女の頬に中途半端にかかっていた髪をのけてやった。僕も頭から落ちそうになっていた帽子をとり、彼女の頭上に置いた。
「乱」
再度僕の名を呼んだのは、制止のためなんだろう。
「私は小狐丸のお手つきよ」
ついに抵抗して見せるの。そのために何を言うかと思えば。
あるじさん、お手つきなんてずるい言い方をする。小狐丸さんがいたずらにあなたを喰ったみたいじゃない。僕はふふ、と笑ってみせた。
「そうなんだぁ」
「知ってるの」
「知ってるっていうより、気づいた、かな。僕、そういうの感づいちゃう方なんだよね。うん、それで?」
「………」
「だから?」
ねえあるじさん言葉を失ったりしないで。僕をかき乱したのはあなたなんだから。
「お手つきなら駄目なの?」
思ったより辛辣な声が出て、僕は自分が怒りを抱いていることに気づかされた。
「どうして? 教えてよあるじさん」
誰かがもう好きになったひとは、好きになったらいけないの。
誰なら好きになっていいの。誰にも好かれなかったひとなら、まだ誰にも愛しさが気づかれてない人間なら好きになっても良しっていうの。
じゃあ僕が、私は小狐丸に抱かれたのよねだから好きになったらだめなのって言われたとして、君のこと好きにならないとでも思うの。今から嫌いになれると思うの。まさか全て巻き戻せるなんて思ってないよね。もしも出会った矢先に第一声に「私を好きになってはだめ」なんて最低な言い草されてても、僕はあるじさんを憎めていたか、ちゃんとご主人さまって思えてたかすら、自信ないのに。
それに、それに。
あなたは僕の主人だからって理解してなかったとでも、僕が我慢なんてちょっともしなかったって思っているの。
「あるじさんのばか」
あなたの上にのっかたったことに、勇気がいらなかったとでも思うの。僕は張り裂けそうだし、小狐丸さんも、そうだったと思うよ。
あるじさんの舌を舌で舐めとった。そのことに僕はとても興奮した。このあったかくて小さい舌が、僕たちにいろんなこと命じていた。
「んん、っはぁ……」
一度離れると、あるじさんは耳まで赤くして、僕を凝視していた。濡れたぷっくりとした唇が、何か言いたげに開いたり閉じたりしている。
「何? 言ってみてよ」
「………」
「そんなに僕の顔、いやらしかった?」
図星だったみたい。あるじさんはぎょっとして赤い顔をさらに赤らめた。
あるじさんの服の前を開いて、僕も胸元から開け放していく。あるじさんの胸には細かな切り傷が残っていた。
一兄はあるじさんを池につき落とした理由について何も教えてはくれなかった。きっとあるじさんの立場に関わることだからと、堅く堅く口を結んだのだ。だけど僕はあの日あの場面を見ていた。だから一兄は、雨上がりの庭で転びそうになったあるじさんを抱きとめたとき、何か見たんだろうなという見当はつけていた。
これだ。一兄があの日見たものは。
「ふーん……」
何回も切りつけて、直りかけに傷を重ねたせいて、凹凸のできてしまった皮膚。傷跡を指でなぞると、びくんとあるじさんが反応をした。表情を伺うと痛くは無いみたいだから、僕はそこもぺろりと舐める。ただの肌の味がした。もう切ってないんだね。僕は唾液をたっぷりと落としてそこを愛でた。
傷あとを舐められる感覚にあるじさんは戸惑いながら体をよじらせた。
「あるじさんっ、僕と乱れよ!」
ひどい話だけど、結局、僕はあるじさんを容赦なく攻めながら、心覚めていく自分に気づかされた。
あるじさんの中は気持ちいい。ふわふわと意識が浮いていく。だけど背筋を昇っていく快感に酔いしれながら、悲しくなっていた。
あるじさん。僕が片思いしてたひと。本来ならこんな風に手を出せなかったひと。
このひとを抱けたのは、あるじさんがどっか壊れてしまったからだ。僕は分かっている。この気持ちよさは、あるじさんが自分の身を粗末にしたおかげで生まれてるって。
二人で一緒に行為をしたはずなのに、僕とあるじさんはぜんぜん違っていた。
変質した本丸。あるじさんの肉体のまま、変わってしまった心。みんなの身勝手があるじさんをこんなにした。
僕は乱れても乱れても“乱藤四郎”に戻るしか無い自分を感じながら腰を振った。だけど組み敷いたこのひとはもう、どこにでも行ける、イってしまえる。僕を受け入れて、痛みに歯を食いしばった姿は、乱れてたんじゃない。狂ってた。
ああ。あるじさんてば、隙だらけ。そんな一方通行を繰り返す日々のが、僕たちにふさわしかったのに。
でも結局襲ってこのひとを貪ってしまったんだから、僕もやっぱり身勝手な一振りだ。