僕らみたいに"できて"いない彼女は、寝ている間に誰かが室内に侵入しようと目を覚ましたりはしない。念入りに気配を消さなくとも、呼吸を殺さずとも、事切れたように寝入る彼女はひたすらに無防備な存在と化していた。
 近づくと僕の影が布団の膨らみにかかる。枕元にはくしゃくしゃに乱れた頭がうずまっている。

「おはよう、

 甘く囁きかけても眠ってる人間はしかめ面をしないし「生意気だ」とも言われない。僕は傍らに座り持ってきた桶などを置いた。その度に音がしても、彼女はぴくりとも動かない。

 夜眠れずともは必ず早朝に起き出していた。長年不眠に悩まされていたはずの彼女がこんな眠り方をするのは、ここ数日の、特異な傾向だった。
 一睡もしていない様子で僕たちの前に座り、審神者として采配を振るうのがこの寝方の前兆だ。一日か二日、誰が何を言おうと動き、食事もそこそこに命を出し続ける。自らも動き周り、限界になった時に何もかも遮断して眠る。
 全てから逃げ去るように、抱えた欲求全てを眠ることにぶつけるかのように、彼女は夢の中へ行ってしまうのだ。

、どんな夢を見ているんだい」

 返事が無いことも楽しんで、僕は意識のない彼女へ語りかける。

「どこで何をしているのかな」

「それだけずっと眠ったままでいられるんだから、楽しい夢なんだろうね」

「悲しい夢を見ているなら君は相当な物好きだね」

「夢の中では、誰と会っているんだい」

「どんな夢にしろ、そろそろ起きた方が良いんじゃないかな」

 僕は彼女に仕えてるし、彼女に何か偶像を求めるような男でもないから、彼女がずっと眠ったままなのに文句なんて無い。ただもう正午を過ぎて、彼女が倒れて半日以上が経っていた。
 乱れた髪を軽くといたが彼女は枕に顔を押しつけているようで顔は見えない。布団に手をかけると、内にこもった熱が吹き出した。それと、少量の汗の匂い。
 僕は僅かな感嘆の息をあげると、少しずつ彼女にこもった熱を逃がしにかかった。ゆっくりと布団を肩の下までずりさげ、着物の胸元もゆるめてやる。

「ぅ、……」

 体温の変化にようやく彼女が身じろぎをし、声をあげた。

。起きられるかい、。眠り続けることはそれはそれで、大変なことだよ。僕が言うんだから。経験者の言うことを信じなよ」

 なおも好き勝手な囁きを続ける。すると、さもしい風みたいな音がした。

「……、……」

 言葉になり損ないの、すきま風みたいな音だったが、その息は「青江」と、僕を呼んでいた。




 午後の明るい光に、彼女は最初怯んで見せた。君は人間で、後ろ暗い存在じゃないくせに布団の上で身悶える。光の中では生きられないと言うように、僕の影の中に収まった。

 頭はしっかりと働いていないらしく、髪の毛の隙間からのぞく目は虚ろだ。
 覚醒してもなお、の頭はぐしゃぐしゃに乱れ、鳥の巣のようになっていた。でも僕は彼女の頭をそのままにした。彼女の髪の毛に光の通り、明るみを増した色合いが僕はいいなと思ったし、その毛先が乾いた唇にかかっているのが目に愉しいからだ。
 その乾き色褪せた唇が動く。

「何か用?」
「ああ、うん」

 ちょうど僕が見つめる中で唇が動いたから意表を突かれた。

「起きられるかい?」
「何の用。本丸の? それとも、あなた?」
「僕の用事だよ」

 そういうと彼女は体から、骨から肉体が崩れかかるみたいに力を抜いた。溶けそうなくらい布団に委ねられた白い肉。なんとなく僕にはその様子が、もう好きにしてくれという降参の態度に見えた。
 ここで僕が「本丸の、部隊に関して連絡があるよ」とでも言ったら彼女はどうしたんだろうか。気合いで跳ね起きてたかな。

「……、どれくらい寝てたのかしら」
「半日を少し過ぎたくらいさ。丸一日じゃない。それで。体、起こせるかい」

 無言だったが、了承してもらえたみたいだ。布団に後ろ手をついて彼女が起きあがる。僕は肩に手を添える。随分眠ってたくせに骨っぽく硬い肩。ぴくりとも動かないまま寝続けて、体は強ばっているようだった。そのまま首筋をさするとが声を漏らす。眉間のしわが深くなった。

「直接触ってあげるよ」

 するりと服の隙間から指を差し入れると、まだ肩に汗の気配が残っていた。しっとりとした肌に僕の指が馴染む。
 は抵抗しなかった。

「そう、そのまま。安心して、僕に体を委ねてごらん」





 彼女の肌に滑らせていた手を引く。濡れ布巾が冷えてしまったからだ。僕は湯を張った桶の中に布巾を埋める。彼女からぬぐい去った汗が溶け出すように少しかき混ぜる。それから布巾にぬるま湯と温かさを含ませ、ほどほどに絞るとまた彼女の体に手を伸ばした。

 が震えるのは寒さからだった。拭いたあと、肌にわずかに残った水気で体が冷えるようだ。だから僕は片手で脱がしながら彼女の体を拭い、そしてなるべくすぐに着物を着せた。それは体温のための行動であって、肌を見ないための行動では無かった。
 そもそも、彼女の肌や被いの無い乳房を見ちゃいけない、という感覚が僕には無いのだった。

 こうしていると思う。見た目ほど、僕たちは男と女では無いのかもしれない。僕は劣情無しに彼女の全身に触れられていた。今のところ、だけどね。
 また、こうしていると、別のことも考える。彼女と僕は姿かたちほど人間同士では無いのだなと。があまりに、僕の手を受け入れすぎているからだ。人間同士の関係ではありえないくらいにはあけすけだ。同じ社会に息づいて、それぞれの歴史を持ち寄り出会った、そういう人間の男女だったら当然存在している互いへの尊重も、尊重が故に生まれる恥らいも、そこには無い。

 息をする度に、湿気との香りが肺にまで入ってくる。
 僕の手で、君の体を清める。はそれを、清めとして受け入れる。
 これはこれで、主人と仕えるモノだから許される交わりのように思えた。


 あらかた彼女の寝汗を拭き終わり、僕はさらに彼女を拭う手を押し進める。全身に残る傷跡へと。
 傷跡といっても主に歯形だ。この肉体に切り傷などがあったら、僕も何をしていたか分からない。が、胸元のそれを除けば噛み痕以上のものは残っていなかった。

「声は抑えなくていいからね」

 傷跡、特に犬歯が食い込んだ跡はさすがに染みるようだった。急にの反応が強くなる。体が強ばって、緊張から浮き上がる鎖骨。のどをひきつらせながら僕の瞳をのぞき込む様子は、単純に愛しかった。悲鳴をあげたりしないのは、それほどの痛みじゃないからか、彼女が児女じゃ無いからか、どちらだろう。

「がんばって」

 そんな声をかけながら、僕は丁寧に噛み跡とその周りを綺麗にした。
 かすかに滲んだ血を綺麗に取り去ると、破けた肌とその下の肉の色が見え、君の傷つきが露わになる。その作業を全身に施すと、僕は今度は瓶を取り出した。蓋を開けて、中のものを掬う。指にもったり絡みつく軟膏は、濁った蜂蜜みたいな見た目だ。それを、傷跡に塗り広げる。その破けた肌の下で濡れる肉が吸い込むように乗せて、余分に塗ってしまった部分はまた指で拭き取る。僕たちの間にはたちまち、薬の匂いで満ちた。

「染みるかい?」
「うん」
「薬の方がかい?」
「うん」

 濡れ布巾よりは薬が染みる。そういう割にはは深い息を繰り返し、落ち着いた様子だ。最初から僕は身を委ねて欲しいと言っていたのが、ようやく彼女の身体に表れてきた。

 僕は一度、薬を置いて、もう一度布巾を手に取った。桶の湯はもう冷えていたが、少し冷やっこい人肌程度だ。僕はさっきは拭かなかった場所、足の間に布巾を当てた。そう強くそこを擦ったわけじゃない、むしろ柔く押しつけた程度だったのが、僕から見てはそこを一番痛がった。
 もう触ってしまったし、僕は怪我としては一番そこを気遣ってここにやってきたのだし、途中でやめるという選択肢は僕には無かった。だいたいをふき取ると、僕は薬を手に取った。僕はあくまで傷跡を見ないまま行為を続けた。ある意味で具合の悪い行為だった。裂けているであろうところに塗らなくてはいけないので、彼女が何も感じないようには事を進められない。が痛がることをひとつのしるしとしながら、僕はそこに指を這わせた。
 指が離れては詰めていた息を大きく吐き出した。僕は呼吸を乱さないよう気を遣った。


 最後に、僕は彼女の身体に薬がちゃんとその効果を発揮するよう紙を挟ませた上で、包帯を巻いた。
 細い血管さえ締め付けないように、転がすように包帯をあてていき、巻き終わりは端を割いて結んだ。

 さすがに包帯は彼女の肌より白い。は出来上がったそれを、不思議そうに見ている。

「怪我人みたい」
「君は怪我してるじゃないか」
「怪我? これが?」
「そうさ」

 噛まれた跡は怪我だ。当然だと思って返事をするも、はまだ腑に落ちないという顔をしている。

「怪我って、こういうのじゃなくて。自分の不注意でつくものでしょう」
「ん? 不注意だったんじゃない?」
「………」
「刀は扱いを間違えれば主人だって切るよ。そもそも主が切れないのは、危ない部分に触れないからだし」

 言い返す言葉がなくなったらしい。黙ってしまったの身体をまた伸ばしたり倒したりして、僕は白いモノを身体に走らせた。

「なんだか、大げさ。怪我してるみたい」
「君は怪我してるんだってば。だから優しくしてあげたんだよ」

 まだ理解できないのかと呆れ気味でいると、今度は、そうね、と小さいつぶやきが返ってくる。

「青江にとっては、私が怪我していると思ったから治療をしたんでしょう。でも、そんなこと、頭に無かったから」
「だろうねぇ」

 腕のみならず肩、首、胸、腹、腿まで巻くとは身体のほとんどに包帯を巻かれた状態になってしまった。着物を着ても、首から手首から、彼女のものではない無機質な白さが覗く。
 でもこれがの本当の姿だと僕は思う。ほとんど全身に包帯が走るのは、彼女がほとんど全身に傷を負ったからだ。彼女は傷ものなのだ。傷は身体だけに負ったものでは無いと思う。けれど、薬の香りやその白さや、身体を着物じゃないもので覆われる感覚。それらは君が痛みを受けたと囁くだろう。それがせめてもの慰めになると良いと僕は願っている。

 彼女は治療を受けた自分の身を見て、何を思うだろうか。それに。手首、首もとに包帯を見せながら姿を現した彼女を見て、皆は何を思うだろうか。
 その白さが放つ言葉を皆は、は受け取れるだろうか。

 彼女はもう怪我人だから。
 君はもう怪我人だから。
 どうかもう傷つけないでやって欲しい。