※行為はないけど、長谷部と審神者が死姦についてゆる〜くおしゃべりするお話です。






 俺の主の、一番よく見た姿はしかめ面をしているところだ。背筋を伸ばしていても丸めていても、歩いていても立ち尽くしていても、前を見据えていても、何も見えていない虚ろな目をしていても。
 何を見るにも怪訝そうに眉をひそめる。それに習ってゆがめられた瞼。かかるまつげを通り抜け眼球へと入った光を、目の中で不安げに揺らす。そういった表情ばかりする人だった。
 まるで懐疑という感情が顔に染み着いてしまったようだった。俺の中でもそんな認識であるし、同じような言葉遣いで主を語る刀は多いだろう。

 俺の主の有り様とは、こうなんだ。そう認識した今だからわかる。
 彼女が、俺と出会った一番最初に見せたのは、一等特別な、しかめ面であったと。



「主命とあらば、何でもこなしますよ」

 初めて対面してすぐ、俺の想い、覚悟を伝えた。それに返されたのは、後々思い返せば、常に浮かべるそれではなく俺のために感情を動かして見せた、特別なしかめ面だった。

「何でも、ね」

 やや、気分を害したようにも見えた。主は口をへの字に曲げ、俺を探るように視線が上から下へ、下から上へと移動させた。それから少し冷めたような表情で座り直した。

「何か、お気に障りましたか」
「驚いただけ」
「それは、なぜ」
「……随分、軽率なことを言うから」
「軽率、ですか」

 これから俺の主に成ってくれる人へ、誠心誠意からの言葉だったというのに。この人はさらに眉をひそめる。

「簡単な気持ちで言っているのではありません、決して」
「……想像には限界がある。貴方は、貴方の想像できない事態が起こりうると理解していない」
「そんなことは」
「真に理解しているのであれば“何でも”とは言えないと思うけれど」

 淡々としゃべりながら、主は手元の紙に何かしらを記す。

「何でもなんて簡単に言うべきじゃない」

 小さく吐かれた息。呆れられたのかもしれない。だが俺は、俺自身の誓いとは別のところで、今目の前に座すこの人を、この主を好きになりかけていた。自分の想像の及ばない事態に怯えること。それは無知ゆえに無鉄砲な行動に及ぶ主よりは随分良いと思えた。

「ご気分を害されましたでしょうか」
「いいえ。けど私が受け取るべき覚悟では無いように思えるから、だから、分からなくなる」
「………」
「どう受け取ったら良いのか、分からない」

 そうぽつりと言った主の眉はやはり歪んでいたがどこか悲しげだった。




 何でもなんて簡単に言うべきじゃない。そう言って主は俺の言葉を否定した。そして俺の言葉をどう受け取れば良いか分からないと困惑した。

 けれど俺の本丸での生活は今のところ順調だ。あの日、主は俺の性質を“そういうもの”としてきちんと理解したらしかった。他の刀剣より、呼びつけられる回数、傍らで待機を命じられる回数が多いのは、自惚れではないだろう。彼女も割り切っているのか、審神者として必要なことだと思えば無遠慮に俺を呼んでくれる。

 一方俺も、この人の性質を“そういうもの”として掴めてきていた。以前よりずっとよく、この人の考えが分かってきたのだ。
 主はまじめなお人だ。だから、どういう切り口で聞けば彼女が話し始めるかも、今では理解していた。

「主」

 しかめられた眉の、みぞの浅さ。微妙な差も今の俺なら見分けがつく。
 今は少しの無駄話も許される時間だ。

「主は以前言いましたね。俺は俺の想像できない事態が起こりうることを理解していない、と」
「ええ」
「よろしければ主が想定していて、俺の想像が追いつかないような事態というのを教えてください」
「……なぜ?」
「俺は主の心配の種を、事前に知っていたいんです」

 俺の問いを、審神者として必要なことと思っていただければ、話してくださる。この人はそういう人だから。

「教えていただくことで、より主の考えに俺の想像が及ぶようになると思うんです。だから……」
「別に……。貴方に特別気をまわして欲しくてああ言ったわけじゃない。“何でも”という言葉の重さを知ってもらいたかっただけ」

 そう突っぱねるも、やはり主はまじめなお人だ。筆を置いて、考え始めた。

「そうね、長谷部が想像できないようなこと……」
「はい」
「例えば」

 主が気軽に口にした、その後の言葉。それを紡いだ、意外に血色の良い唇の色が、なぜか俺には強く飛び込んでくる。

「私が死んだ後に、私の体が辱めを受けないよう守れとか、処理をしろだとか」

 正直、驚いた。話があまりにも飛躍したから。しかしすぐに、あり得ないとは言い切れない、そう思った。
 遺体に対する辱め。その手法は様々あるが、俺が想像したのはやはり主が女性であることを踏まえたものだった。

「長谷部は私が死ぬことを考えたことがあった?」

 首を横に振る。
 出会ったばかりの人間に死を思うほど、俺も性格は悪く無い。

「でしょうね」

 俺のことなど分かっていた。俺が、ほとんど純粋に彼女の生が限りなく永く続くことを信じているのは分かっていた。でしょうね、の言葉がそんな声色でもって放たれた時、主の眉間はほどかれていた。
 あれほど締め付けられていたことの多い小さな額が解放されていると、それはそれは優しく安らかな表情に見えた。

「……お守りいたします」
「いらないわ。私の願いを喋っているわけではないの。長谷部が何でもというのなら、私は時間も時空も越えて貴方に命を下すこともできる。貴方の魂を永遠に近い時間、縛ることもできる」
「………」
「それこそ今ここにいる貴方は折れるまで死ぬことも無いのだから。だから、死後の出来事として一例をあげただけ」

 そっけなく言うと、主は書類を横に避け、次の書類にとりかかる。特に重大な言葉でも無かったと言うような仕草だが、俺の胃は石を飲み込んだように重い。

「……辱めを受けるような心配ごとがあるのですか?」
「まさか」

 俺は真剣に聞いたというのに、主は一笑した。

「今の命は守らなくて良いからね。あり得ないことなんだから」

 主はそう言いこの話を閉じた。しかし、俺の胸にはひっかかりが残っていた。

 もうぴくりとも動かなくなった四肢から衣服をはぎ取り、生前叶わなかった欲望を息絶えた身体で満たす。彼女の死を良いことに、彼女がもう好意も嫌悪も示さないのを良いことに、自らを受け入れさせる。
 そういう輩が自分には存在しないと、なぜこの主は言い切れるのだろう。

 主は女性だ。だがひとつの部隊を動かす、主人なのだ。男に比べれば小さな体だが、不可侵の領域を持っているのだ。
 人というものは手が出せないものほど、強く焦がれてしまうのでは無いだろうか。そうした憧れこそが、死姦を成立させることが、俺には理解できる。

 あり得ないと思うことこそ、想像力が足りてないのではないだろうか。そう思ったが、俺はその言葉を胸にしまった。
 言い返したとしても、この主には受け入れられない。自らに向けられる憧れの視線など、感情など、きっと本人には想像できないのだから。

 伝えても無駄なのだ。主はそういう可哀想な人だということも、もう俺は、理解していた。