気づけば、歌仙兼定のたしなめるような視線が薄闇の中からこちらを見ていた。一瞬全身がひやりとする。この歌仙、名の血生臭い由来を引き継いでか、時々非常に暗い目をする。
 時刻はそろそろ人の顔が見えなくなる黄昏時で、灯りの無いこの部屋でも向かい合う歌仙の輪郭は闇に溶けそうになっている。だが、眼孔ばかりは敵に懲罰を言い渡す時に近い冷酷な目をしていた。
 私はそそくさと姿勢を正した。

 なぜここまで不機嫌になっているのだろう。私が彼に何かしたか、とわずかに前の記憶を探る。そこで歌仙が唇を動かしていたことを思い出したが、一体何を言っていたのか記憶が無いことに気づく。

「ごめん、聞き逃した。貴方の言葉を」
「僕といるのに、そこまで心あらずだと妬けるね」
「……そろそろ、帰ってくるから」

 何が帰ってくるのかと言えば、遠征に出した部隊のことだ。

「そんなに寂しがる君は初めて見た。果報は寝て待てと言うじゃないか」

 そう言われて、昨晩よく眠れなかったことを思い出す。自分が予想以上にぐらついていることと、一晩たったというのに遠征部隊が帰ってこない事実がいっぺんに私を揺らした。

「今回の遠征は長いから。今までは長くても半日だったでしょう。朝に送り出せば夜には会えたのに」

 時間もそうだが、送り出した面々が十分な練度を持ったほぼ一軍に近い人選だということも、私を煽った。
 彼らの腕は信頼している。だが頼りがいのある面々がすぐ声をかけられない場所に行ってしまうことも今回が初めてだった。

「仕方がないね。少しだけ本丸から出てみるかい」
「いいの?」
「僕がついていくよ。高台から見れば影くらい見えるかもしれない」

 ここでじっとしているよりは、幾分気が紛れるかもしれない。それにこの落ち着かない気持ちを押し殺そうとしても、また不意に顔を出して、歌仙の機嫌を損ねることも無いとはいえない。
 願った顔で見上げれば、彼は唇を綻ばせ、微かな音を立てて立ち上がった。

 夕闇に落ち込んでいくような地面を二人で踏む。もう土と自分の足の区別はつかないので、歌仙の確かな足取りばかりを私は追って歩いた。
 自分の立場上、あまりみだりに本丸から出るべきでないと心得ている。一人でこんな行動はあり得ない。特に歌仙が一緒でなければ、控えただろう。歌仙兼定独特の、物事の分別を私は少なからず信頼していた。

 歌仙の言葉に甘えて、外へついてきてもらった。けれど、遠景へと目を凝らしながら、私は妥協点を探していた。どの時点で自分に折り合いをつけ、歌仙に「もういい」「ありがとう」と伝えられるだろうか。
 彼に弱い部分を見せた後悔が、落陽と正反対にせり上がってくる。

「おやおや」

 不意にそんな、綻ぶ彼の口元が見えそうな歌仙の声が降ってきた。
 顔を上げ、歌仙の見ている方角を一心に見つめると木々の少し開けたところに、人影が見えた。それもむっつ、それぞれに歩んでいる。
 とりあえず全員が揃っている。歩いてこちらへ向かっている。それだけで真っ先に目元から緊張が抜けていく。うっかりすれば泣いてしまいそうだ。
 歌仙は情けない私を呆れ混じりならが笑い、それから遠征部隊を笑った。

「ご覧よ。あんなに急いで帰ってこなくていいのに。せわしないなぁ」
「………」
「なんだい、その目は」
「帰ってくる時の歌仙だって、だいぶせわしないけど」

 彼が不意をつかれて言葉を無くした。

「っそんなことは無いだろう!」
「そんなことある。大きな犬みたいだよ」
「犬っ!?」
「うん、ふわふわと毛が長い、大型犬。喜びが隠しきれていないの」

 遠征から帰ってくる時の歌仙は、疲れていそうなものなのに、少し気取った風に歩いてくる。だけど彼らしくない歩調の浮ついている。歌仙の言葉を借りれば、いつもの歌仙より仕草がせわしないのだ。

「それは、まあ、君のところに帰るんだからね……。だが君も。迎えの時はなはだしいくらい顔に出ているのを忘れないでくれよ」
「そうなんだ……」

 指摘されると恥ずかしいけれど、張るような意地は無い。数時間の別れでも再会は嬉しいものだ。

「みんなを迎えなきゃ。ほら、歌仙も」

 もう我慢ならない。私は思わず歌仙より前へ出た。大きく、厚みもある手を握り、彼を連れていく。
 私に手を引かれたのは予想外のことだったのだろう。自分のはやる鼓動よりも激しく、彼の着物がはためく音がする。私の後ろをついてくる歌仙は遠征部隊よりもせわしないことだろう。