上からの通達を読んでいると、自然と眉間に皺が寄ってしまう。この本丸もメンバーがそろそろ出そろい、手狭になってきた。なので拡張してもらえるよう政府へ要請したのだが、返ってきたのはお役所的なお堅い文面。くどく長ったらしく書いてあるのがようは「自費でやれ」とのことだった。

 任務を遂行する上での問題があるあら政府側に要望を立てているのに身銭を切らなければいけないとは。逆に言えば身銭を切れば刀剣たちはもっと快適に暮らせるのだろうかと、つい考えてしまう。
 とりあえずもう一度、今度はせっぱ詰まった感じで、伺いを立ててみよう。書類をにらみつけながら後ろ手でペンを探す。


「そらよ」


 ふと、軽やかな声がして、わたしの指先に冷たいものが絡む。ペンを探していた手が無意識に握りしめるが、すぐにペンなどではない事に気づく。表面は柔らかいが骨を感じる触感。それに、今の声。


「つるま——」


 わたしが言えたのはそこまでだった。
 握りしめた鶴丸の手首が後ろに引かれ、わたしも体勢を崩す。くずおれる背中にうまいこと差し込まれた手がわたしを強い力で下から支えた。

 あっ、と言う間もなく。気づけばわたしは鶴丸国永の肩の上にいた。

 視界は、鶴丸の背中の純白でいっぱいである。


「何すんのよ……!」


 抗議へ返された「ははっ」と笑い声は五月の風のように爽やかで、なかなかに頭に来た。私はそこそこ真剣にこの本丸の環境について改善を試みようとしていたところだったのに、彼のせいでシャットダウン。

 けれど、米俵のように抱えられる中、ふとフラッシュバックするのは、鶴丸の白く細い四肢だった。

 つい先日。わたしは、白い着物の下の、これまた白い身体を見てしまったのだ。
 戦闘中、深手を負ってしまった鶴丸国永がふとまとう雰囲気を変えたかと思えば、視線で物を切れそうな真剣の表情を見せ、敵を切り捨てていた。
 あの出来事で、彼の、刀剣としての底力を知った。そして着物の下の身体が、思った以上に儚げだったということも。
 鮮血の走る、白い身体。それは今も目の奥に焼き付いている。そして思い出す度に血の気が引く。

 一応女ではあるが、人間一人。それを軽々抱えられているのだから、鶴丸はあれから元気になったらしい。


「なんだ。いやに落ち着いてるじゃないか」
「あ、いや……。そんなことないよ。結構驚いて上手く反応できない」
「そうか」


 彼らは人間とは違う。刀としての手入れ、そして霊力でいくらでも体を補える。そう分かっていても、つい、同じ人間のように心配してしまう。

 本丸の中をある程度進んだところでおろされる。と思えば、すぐに私は暗い押し入れの奥へ奥へ押し込まれた。もっと奥へと追い立てる鶴丸の息がそれはそれは楽しそうに笑っている。

 私を押入の奥に座らせ、そしてふたをするように鶴丸国永が横に座る。ふすまが滑る音がして、私は暗闇の中に閉じこめられた。

 退路を塞いで、「ははっ」とまた鶴丸の笑う声がする。
 刀剣男子は皆それぞれ個性を強く持っているけれど、鶴丸は特に、独特の世界を持っているように思う。根拠の分からない驚きへの執着。思わずため息が出てしまう。


「どうして押入なの?」
「ここなら外の様子が分かるだろう。種明かしも楽々。皆の主を隠すんだ、やりすぎちゃあいけないよな」
「生憎だけど……」
「ん?」
「私が鶴丸と同時に姿を消した時は、とりあえず一晩は待ってくれるように言ってあるの」


 誰かが驚いた表情を得るため、あの手この手を尽くす鶴丸国永。彼ならばいつか何かしでかすのではと思っていた。私自身に何か影響がある場合ももちろん想定して、信頼のおける太刀の面々に事前に話してあった。

 本丸やわたしに何かあった時も、一応鶴丸の仕業かもしれないと疑えと。


「そりゃあ驚いたな。俺の主が自分の重要性を理解してるとは!」
「嫌みか」
「嫌みじゃないぜ。前はもっと自分を粗末にしてたじゃないか。やめたんだな」
「………」
「それに、まさか一晩を俺と過ごしても君は文句のひとつも無いとはな」
「どうしてそうなる」
「そうか、今夜は長いぞ。何を語らう?」
「………」


 重傷を負った鶴丸はまだ私の中に衝撃を残し、隣の熱に元気そうで良かったなどと、人間のように心配して。私はこんなにも鶴丸で心乱されているというのに、当の本人ときたらひどいものだ。まだ日も落ちていないのにノリノリで「今晩は寝かさない」などと言う鶴丸が、正直面倒になってきた。


「良い表情だ。眉間に皺寄せているよりその方が良いぜ」
「………」
「上からの文はあまり読むな」


 その言葉を、鶴丸が一体どんな表情で口にしたのか。押入の中の暗闇では分からない。


「そういうわけにも行かないよ。上が許してくれてるから私は審神者をやれてる。みんなといられるんだから」
「そうか?」
「そうだよ。審神者なんかができたって実生活では全然役に立たないけど、政府はこの能力を政府が必要としてくれた。そうじゃなかったら、私は……」


 消えたって誰も騒ぎやしない、ひとつの平々凡々な命だ。
 現世と押入にそっと隠れても、探してくれる人がいるかどうかすら分からない。

 それに比べれば、この本丸はなんとも言い難い奇妙な空間である。私が姿を隠せば、主と慕ってくれている刀剣たちは私を探してくれるのだろう。

 私が、主だから。ただそれだけの理由で。


「……未来で君はどの辺に住んでいるんだ?」
「化けて出そうだから言わない」
「化けるとはひどい言いようだぜ」
「じゃあ住所知って何するつもり?」
「そりゃあ……あれだ。あれ」
「アレか」
「そう、あれさ。君を驚くほど綺麗に隠そう。本当に必要ない人間か見てみたら良い。俺は探そうとする奴がいると思うぜ。そんな奴がいたら嘲笑ってやるさ」
「………」
「そして君が帰りたいって泣いても聞いてやらないんだ」


 白くとも黒くとも。小さくとも大きくとも。この本丸で私を囲うのは異形の者だ。そんなことを思い出した、昼下がりの暗闇。