顔を洗って、寝癖のついてしまった髪にひとまず櫛を通して、お気に入りのワンピースを頭から被る。ワンピースは楽だから好きだ。一枚で着れて、だらしなく見えない、休日にもぴったりの洋服。
それからこの部屋の、唯一の同居人である子猫のが、ちゃんとベッドの上で丸くなってるのを確認する。子猫の名前は"まる"にした。まだ小さくて痩せたこの子が、ふくふくとした丸くなって、立派に成長して欲しくてそう名付けた。
まるはピンクの小さな鼻ですぴすぴと寝息を立てている。それを愛しく見守りながら朝食のトーストと簡単なサラダを食べきる。お皿を流しに置いて、軽く水に浸すとわたしはバッグを手に取った。
「いってきます」
小さな毛玉に囁き声をかけて、わたしは午前の商店街へと向かった。
シャワーを浴びた体には、朝の空気は少し冷たい。腕をさすりながら、わたしは今朝の夢を思い返した。今日もいつもの夢だった。
いつも、と言っても同じ内容の夢、という意味では無い。わたしはずっと、夜ごとにひとつなぎの夢を見ている。
夢の舞台は古いお屋敷。とても綺麗で広い日本庭園のあるお屋敷で、わたしはいずれも武器を手に持った神様たちと暮らしているのだ。
神様と言っても、全員男、あるいは少年の姿をしている。体は人間そのものなのに、わたしはなぜか、彼らが人間では無いことが分かるのだ。
周りは人間の姿をした神様ばかり。その中ではただひとり人間が、わたしだ。
なかなか不可思議な設定ばかりの夢で、わたしにもつじつまが合わない部分が多い。でもそれは夢は夢だからと割り切ることにしている。そうじゃないと、夢の内容に気持ちがついていかないのだ。
どうやらわたしは神様たちを呼び起こす能力を持っているらしく、神様を呼び集めては、力を合わせて何かと戦っているらしい。たびたび神様たちは遠いところへ出かけていき、わたしはそれをお屋敷の中で待って、出迎える。もし神様が怪我をしていれば癒す。そんな役割を担っているようだった。
そのお屋敷で、わたしは彼らと笑ったり泣いたり、絶望したり希望を抱いたりしながら生きている。そういう夢がわたしの記憶の中で、ひとつの絵巻物みたいに、あるいは長編小説のように、夜ごとに繋がり続けている。十代に入ったあたりから今まで、ずっと。
まるで誰か別の人物の人生をなぞっているみたいだと、よく思う。"わたし"の人生が戦いの最中にあるせいだろう、夢の中は楽しい出来事ばかりじゃない。だけどその夢を見ることは決して嫌じゃなかった。
神様たちと心通わせながら過ぎていく日々は、たくさんの感情と感動に溢れている。おかしな話だけれど、夢の中は生きている実感に満ち溢れているのだ。
でも今朝見たそれは、死ぬ夢だった。夢の中の、わたしの生涯が閉じる瞬間の、夢だった。
夢の内容を思い出して考えているうちに、少し早足になっていたらしい。思ったより早く、商店街の中に目的のお店を見つける。生活日用品を安売りしているディスカウントショップ。ここは猫の餌も安く、品ぞろえも豊富に売っているのだ。
「……あ」
思わず小さな声を上げる。そのお店の軒先に見慣れた背中を見つけたからだ。
白いシャツに褐色の肌の、彼。たくましい首にはシンプルなペンダントの紐がかかっていて、今日も黒い上着の袖を縛って腰に巻いている。
「おはようございます」
声をかけるとそのひとが振り向いて、一応軽く頷くような挨拶を返してくれた。よそよそしく見えるかもしれないけれど、これでもかなり親しくなった方だ。
「今朝、ちょっと寒くないですか?」
「あんたとは鍛え方が違う」
彼は元々愛想がある方では無い。けれど今ではこうやって話しかければ返事も返してくれる。嬉しくてにこにこしているとふいと視線を逸らされ、商品選びを再開されてしまった。
わたしも、買い物かごを手にとって、まるのご飯を選び始めた。
彼はわたしにとって数少ない、男のひとの知り合いだ。彼、彼、と呼びつけているけれど、もちろんわたしは彼の名前を知っている。どこで何をしているひとなのかも。だけどわたしは、彼の名前を呼ぶことが苦手だった。
だって呼びそうになってしまうのだ、彼のことを"大倶利伽羅"と。
金色の目、それから褐色の肌が獣のようにも見える。近づけば拒絶されるのに、穏やかな表情でわたしを見ていた。彼は夢の中に出てきた神様、大倶利伽羅さんにそっくりなのだ。いやそっくりなんてものじゃない。そのものと思えるくらい、仕草や言葉遣い、髪の質感、体の線なんかがぴったりと夢の中の彼と重なるのだ。時々、こっそりと心の中で彼を彼じゃなく、大倶利伽羅さんと呼んでしまうくらいだ。
もちろんわたしはそのことを口にしない。口にできるわけがない。あなたとは夢の中で会ったことがあって、その夢の中のあなたの名前は大倶利伽羅なんだよなんて言ったら変人扱いされるに決まっている。だけど、こうして顔を合わせる度に、わたしは彼のすべてを目で追い、思ってしまう。
このひとは、夢の中の、刀剣を携えた神様。大倶利伽羅だ。
「………」
「なんだ」
「な、なんでもないです!」
彼のことを考え、思わず彼に思いっ切り視線を送ってしまっていた。恥ずかしくなりながら目を逸らす。
「アイツのものを買いにきたのか」
アイツ、というのはまるのことだろう。
まるは、わたしが公園でみーみーと鳴いているところを保護した猫だ。帰り道にいつも見かける子猫はいつまで経っても親猫の姿が見えなかった。独りで鳴いている姿をずっと見ているだけだったけれど、台風の日の前日、ついにたまらなくなって家に連れ帰ろうと決めたのだ。
けれど、公園で迷う小さな命。それを心配と一緒に見守っていたのはわたしだけじゃなかった。
『あんた……』
子猫を抱き上げたわたしへ、ひどく驚いたように顔を強ばらせながら話しかけてきたのが彼だった。
正面から向き合ったとき、すぐに気がついた。このひと、夢の中で見た、大倶利伽羅にそっくりだ。もちろんそれは言葉にはしなかったけれど。
『この子のこと、ですよね?』
彼の後ろ姿なら見たことがあったので、すぐに彼がこの子猫のことを気にして声をかけてきたのが分かった。
『わたし、この子のこと連れて帰ろうと思ってるんです……。もうすぐ台風が来ちゃいますし。良い、でしょうか?』
『……あんたの好きにしたら良い』
その声も、ぶっきらぼうな言い方も、大倶利伽羅そのものだ。彼と言葉交わした瞬間の、不可思議な感覚は今でも覚えている。初対面のくせに懐かしくて、その説明のつかない感情に、胸が痛むほどだった。
彼は子猫については好きにした良いと言われたのだ。混乱を押し殺して、わたしはそのまま立ち去ろうとする。と、彼は目を細めて顔をかすかに歪めたのだった。
なんだか離れがたい、寂しさすら感じさせる表情。きっと彼は彼なりに、この子猫のこと、心配していたのだろうと思った。
だから、わたしはカバンから紙とペンを取り出し、そこに自分の住所と名前と連絡先とを書いて、彼に差し出した。
『あなたがこの子の面倒見てたの、わたし知ってます。たまに餌もあげてましたよね』
『あ、ああ……』
『ここにわたしの住所、書いてあります。もしよかったら、たまにこの子に会いに来てください。歓迎します』
そうして、わたしと彼の縁は繋がった。
あれ以来大倶利伽羅さんは何度もわたしの家に来てくれる。必ずといって良いほどその手には、まるのご飯や新しいおもちゃなどを持っているのだから、実はかなり猫が好きなのだろう。
今日もこっそりと買い物かごの中を見ると、ちゃっかり猫の餌が入っている。しかも少し良いやつだ。
実は今日これからまるに会いに来るつもりだったのかな、なんて考えていると、横から彼の手が伸びてくる。そしてわたしが買うつもりだったまるのご飯をとられてしまった。しかもそのままレジに持って行かれたので、わたしは慌てて追いかける。
「……良いんですか?」
「俺の好きにさせろ」
「あ、ありがとうございます!」
ほんとにまるのこと可愛がってるんだな、と思いながらありがたく好意に甘えさせてもらった。
やっぱり大倶利伽羅は休日にまるに会いにくるつもりだったらしい。ふたりして猫のご飯を提げて、わたしの家を目指す。
アスファルト、少し錆び始めているガードレール。丘の上にたつ家。ふたりで道を行きながら、わたしは今朝の夢の内容を思い出していた。わたしが、死ぬ日の夢を。
恐らく今と同じくらいの年齢だろう。わたしは病死するのだ。
わたしはどうやら元々体が弱かったらしい。寿命の短さは宣告されていたし、突発死の可能性もさんざん言い聞かされ、幼い頃から周りに心配ばかりかけていた。
わたしは医療の手を尽くされ、けれど死は避けられないとされ、延命措置を終えてそのお屋敷に戻ってきていた。自分の死に場所は、病院じゃなく神様に囲まれ戦うためのそこにと、わたし自身が選んだのだ。
力の入らない体は恨めしい。けれどいつ死んでもおかしくないと思って生きてきた。それこそ突然死する可能性を突きつけられて生きてきたのだ。だから自分の人生の終わりをすぐそこに感じ、死を受け入れるために穏やかに横たわっていられる状況を、わたしは幸せだと感じていた。
さらに幸福に感じていたのは、死の間際に、横にいてくれたのが大倶利伽羅だったことだ。
夢の中の人生で、わたしはずっと大倶利伽羅に片思いをしていた。数多くいる神様の中から、なぜだか彼だけに恋をしていた。
なぜ彼が好きだったのだろうかと問われると、彼だったから、としか言いようが無い。生きざまや眼差し、そういった彼の全てがわたしを心地よく、けれど胸を苦しくさせるのだ。
その想いは交わることは無かった。恋心を押し殺すに足る理由は溢れるほどあった。
彼は神様でわたしは人間だから。彼は戦うためにここにいるのだから。わたしは手助けをする立場なのだから。直ぐに死んでしまうのだから。それに大倶利伽羅に嫌われたくなかった。孤高の存在に、わたしなんかの想いは邪魔なだけだ。
ただ彼に出会えたことに感謝をして、気持ちには蓋をし続けた。そんな恋だった。
最期の日、わたしは束の間の眠りから目覚める。ああまだ目覚めることができた、なんて思いながら見ると、横に大倶利伽羅がいてくれた。他には誰もおらず、彼だけが手を伸ばせば届きそうな距離にいてくれた。
『どうして、いるの?』
慣れ合わない彼が、ずっと横にいてくれること。それが素直に疑問で問いかけると、ぶっきらぼうに『いたら悪いか』と突っぱねられてしまう。それでも離れようとしない彼に、自分の胸がとくとく音を立てているのがよく聞こえた。
『夢を見ていました……』
『良い夢だったんだろ』
『え?』
『……穏やかに寝ていたから』
寝顔、思ったよりしっかり見られていたのかな。少し恥ずかしくなりながら、わたしはつらつらと夢の内容を大倶利伽羅に語ったのだった。
『来世の夢なんです。わたしは生まれ変わって、普通の、健康な体で、その時代では一般的な女の子として生きていて。誰にも余計な心配かけずに、一人暮らしなんかしているんです。しかも家に可愛い猫がいるんです……』
思い返せば思い返すほど穏やかで、特別じゃないけれど今のわたしには手が届かない、小さな幸せに溢れている夢だった。
『それに……』
瞼を閉じて、夢の残りを追いかける。
『そこでは、わたし、大好きなひとと結ばれてました。叶わなかった恋が、叶っていた……』
大好きなひと、と言い表したけれど、夢の中で出会い結ばれたのは他の誰でも無い、大倶利伽羅だった。わたしは、その来世でまた大倶利伽羅と出会えていた。
その世界ではわたしと大倶利伽羅に神様と人間なんて壁はなく、互いが対等な存在だった。もちろん彼は変わらずに気高い存在であったけれど、恋を諦める理由にはならなかった。
少しだけ泣きそうになる。わたしの願いのすべてを詰め込んだような、都合の良すぎる夢に。
『……どう、したんですか』
不意に横を見る。なぜだか大倶利伽羅が泣いているような気がしたのだ。彼が泣く理由なんて無いし、あったとしても気の強い彼がそんなところを見せるはずが無いのに。けれど見やった彼は、眉根を寄せていて何かを耐えるような表情をいていた。それも一瞬で、すぐにいつもの大倶利伽羅に戻っていた。わたしはそれを喜んだのを覚えている。彼らしい彼が、わたしは一番好きだったから。
そうしているうちに呼吸が苦しくなる。訪れるのは世界との、大好きな彼との別れだ。けれど思ったより寂しくなかった。彼が健在なのを見届けられるからだろう。
きっとわたし亡き後も、彼は彼のまま歩んでいくのだろう。そう信じさせてくれる彼は、存在だけでわたしを救っていてくれたのだと思う。
孤独をおそれない姿。それが一瞬のかげりを見せたのは、夢の内容を告げたあの瞬間だけだった。
わたしの家に着いてからというもの、大倶利伽羅さんはまるを構い倒しだ。
わたしはそれを台所から笑い混じりに見ている。
彼は猫と遊ぶのがとても上手だ。表情は変えないままなのに、上手におもちゃでまるの気を引いて、思う存分遊ばせてあげている。
まるも本当に楽しそうだなぁと心を和ませながら、お茶を入れたグラスをふたつ持って、大倶利伽羅さんの元へ向かう。
「はい、大倶利伽羅さん。お茶で、す……」
口走ってから気がついた。彼の名は、大倶利伽羅さんじゃない。
「あんた……」
息が止まったみたいに驚いている彼の表情で、みるみる罪悪感が募って、わたしは焦って訂正する。
「す、すみません、まちが」
間違えましたと、最後まで言うことはできなかった。彼がわたしに多い被さるようにして抱きしめてきた、そして苦しくなるくらいに胸の中に閉じこめられたからだ。
彼を受け止めたせいでグラスからお茶が少しだけこぼれて、わたしの指から肘まで伝う。
強い力で抱きしめられ、呼吸まで潰れそうだ。
「あ、あの……」
急に男のひとに抱きしめられ、どうしたら良いか分からなくなる。ふりほどきたくもなる。けれど、彼の呼吸が震えているのがすぐ近くで聞こえた。
大の男がすがるようにわたしを抱きしめている。何の慰めになるのか分からないけれど、わたしはそっとグラスを床に置いた。そして体の力を抜いて、自分の身を彼に預けた。
ワンピースと彼の白シャツ。それに隔てられたすぐ近くに、彼の鼓動がある。そしてそれは熱く打ち鳴っている。彼の心臓の音はわたしを落ち着かせ、そして困らせた。
わたしは多分、彼が好きだ。おそらく猫をかまう背中を見かけた時から惹かれていた。けれど、落ちそうになる気持ちに、わたしは精一杯抵抗もしていた。
だって彼は夢の中での、わたしの片思いの相手にそっくりなのだ。彼そのものが好きなのか、夢の中で会った大倶利伽羅に似ているから恋のような感情を覚えているのか、わたしには区別がつかないのだ。そしてもしこの感情が後者だったら。そう思っただけで恐ろしくなる。そんなのはまともな恋じゃない。
近づけば近づくほど、夢と現実が重なって、彼が大倶利伽羅そのものに思えてならない。だから彼のかっこよさを認めながら、好きにならないようにしていた。なのに。
「もう、一度、呼んでくれ」
「あれは言い間違えで……」
「それで良い。間違えで良いから、呼んでくれ……」
切ない声で懇願される。あなたはあなた、大倶利伽羅さんは大倶利伽羅さんだと、必至に区別をつけようとしていたのに。
わたしの肩に乗る、彼の顎。呼吸ごとに彼の香りがする。そしてわたしは、それをずっと求めていたような気がしている。
わたしは自分の心が折れる音を聞きながら、その名を口にした。
「大倶利伽羅さん……」
しばらくしてからようやく放される。改めて見た彼は、普段の表情を取り戻していて、さっきの取り乱しようはなんだったのろうと思っていると、問われる。
「覚えているのか?」
「……覚えている……?」
「俺のことを大倶利伽羅と呼んだ。審神者だった時のことを覚えているんじゃないのか……?」
「よく分からないですけど……。大倶利伽羅っていうのは夢で聞いた名前なんです」
それからわたしは、ずっと見続けている夢の内容を彼に話した。床に置きっぱなしでぬるくなってしまったグラスのお茶を飲みながら。
彼に引かれないかと心配しながらの説明だったのだけれど、彼は目を細めながらわたしの話を全て聞いてくれた。
そしてすぱっとこう言い切った。
「それはあんたの前世だ」
「前世……」
「俺もあんたと同じ時間に生きていた」
「でも大倶利伽羅さんって、神様でしたよね?」
「付喪神だがな」
「その、付喪神だったのに、人間に生まれ変わっちゃったんですか?」
ただの人間にはよく分からない。けれど神様から人間に生まれ変わるって、なんだかもったいないような気がするのだけれど、大倶利伽羅さんは事も無げに言った。
「あんたは死んだからな。知らないだろう。あんたが死んだ後の俺が、どんなだったか」
知るわけが無い。わたしの夢は、自分が死ぬところで、それを大倶利伽羅に看取られるところで終わっている。
「どんなだったんですか?」
一応聞いてみたけれど、彼は答えずに、わたしの頭を大きな手のひらで少し荒っぽく撫でてきて、ごまかされてしまう。
ぐしゃぐしゃになった髪を手でなおしていると、彼がぽつりと言った。
「大好きなやつとは、結ばれたか」
問われて不思議な気持ちがこみ上げる。本当に彼はわたしと同じ記憶を共有しているのだ。あの死ぬときの譫言でさえ、彼は覚えていてくれた。
「どうなんだ?」
「えっと……」
思わず首をひねってしまう。
死に際に見た来世の夢。
わたしは生まれ変わって、普通の、健康な体で、一般的な女の子として生きていて。誰にも余計な心配かけずに、一人暮らしなんかしている。しかも家に可愛い猫がいて、そして、そこでは大好きなひとと結ばれている。叶わなかった恋が、叶っている。
粗方は夢の中の夢の通り。けれど叶わなかった恋というのは、大倶利伽羅さんとのことだ。結局想いを告げることもなかった恋。
彼とわたしが結ばれているといえば、そうでも無い、と思う。
だけど、全てを否定するにはまだ早い気がしていた。
彼そのものが好きなのか、夢の中で会った大倶利伽羅に似ているから恋のような感情を覚えているのか。区別がつかずに悩んでいた。
あの夢は前世で、全てはわたし自身の記憶だった。彼はやはり大倶利伽羅だった。それを知って、わたしは途方もなく安堵している。
彼を好きになっても良いのだ、と。
夢での記憶を全て、自分のものと受け入れて良い。過去は確かに存在していて、わたしはそれを彼に重ねても良い。そしてまた恋へと落ちていくこの心を、落ちていくままにしても、許される。
ああ、と嘆息した。泣きそうにもなる。
わたしの願いのすべてを詰め込んだような、都合の良すぎる、夢の中の夢。あれは、まだ正夢にはなっていない。
けれど、また恋に落ちた。今ならわたしと彼は人間同士で、この恋を諦めなくても良い。
「大倶利伽羅さん」
「なんだ」
返事をされると、目尻に涙が滲んでしまう。
あなたに何を話そう。いつ全てを打ち明けよう。
あなたとまた会えたから、わたしはこんなことだって迷えるのだ。