(JOY/YUKIの陸奥守夢と、リクエストされた方が同じなので、無駄にお話リンクさせてます。
いわゆる神隠しネタで、内容が暗い。ひとつの分岐ルート先の物語と思っていただければ幸いです)
世界は不誠実というのは私の中では常識だった。例えば、裏切りを稀なものだと思ったことは無い。味方の存在より、敵の存在の方が確かだと思う。未来への夢だって抱いたことが無く、私がこの先の展望に何か考えを抱くとしたら、それは自分が生き延びるためのものだ。
こんな自分は冷えきった心の持ち主だ。私の抱く価値観はどういうわけだか、暗い。そんな風に思えるのは、比べる対象が出会ったからだ。彼の暖かい心がずっと近くにあった。だから、それを照らしあわせることで、私は自分の冷酷さを知ったのだ。
「何を言われようと、どんな条件を持ち出されようと、私の答えは変わりません」
感情を見せないように、政府の男にそう告げる。
もう何度目になるだろう。政府側の人間が、この作戦を提案してきたのは。幾度断ろうとも、この作戦は刀剣男士の帰還の見込みが薄いと指摘を続けても、政府側からの説得が止んでくれない。
刀剣男士は捨て駒じゃない。仲間を生きる望みの薄い戦いへ出したい人間なんていないというのに、政府側は犠牲はあるが効率は今までの比じゃないと、まるで素晴らしくポジティブな作戦であるかのように歌い上げる。彼も同じだ。私に首を縦に振らせようと躍起になる。その姿に、何度罵倒してやりたい気持ちを押さえ込んだだろうか。
「まず、こんな話をこの本丸内で私に聞かせようという神経が、大変おもしろいですね」
つくづく、近侍の陸奥守吉行に席を外させて正解だった。そう思いながら私は冷たい茶を啜る。
「今まで政府の命に従ってきたのは、そこに正統な歴史を守るという正義があったから。そして何よりも、この戦いが付喪神たちの強い思いに報いるものであったからです。だから彼らも同意し、顕現し、戦ってくれたのだと思っています」
言いながら私の思考は別の場所へと逃げていた。
無神経な男に冷ややかな視線を送りながら、ああ、窓の外、お庭が今日もきれい。だけれど春の景趣はもう止めにしよう、花は散る姿までをしかと見なければ、などと考えている。
「私は貴方たちの指示通り、付喪神たちを動かす機械ではありませんし、彼らも機械ではありません。お帰りください」
ふと考えを目の前に戻すと男が何か言っている。ぽかんと聞いていたのだが、その内に彼が何を言っているのかが掴めてきた。
「……ああ、脅したいのならどうぞ。私や私の家族がどうなろうと構いません。職を失い本丸が無くなろうと、たとえ命を落とそうとも、後悔はありません。私には彼らに誠実を尽くした誇りが残りますので」
忍耐の時間が過ぎ去り、無事に男が帰っていくのを見守る。ああ、終わった、とひとつ息を吐く。全く疲れていないと言ったら嘘になるけれど、酷く消耗したかと言うとそれも嘘になる。
我ながら、この窮地に対して無感動である。政府との関係の悪化、自身の身の旗色の悪さ。政府内の政治に何か変化があったのか、審神者も刀剣男士もどちらも無茶な、それこそ、こちらに感情があることすら認めないような要求を突きつけられることが多くなってきた。
どうしたものかな、なんて考えつつ後ろを振り向くと、陸奥守吉行が立っていた。
「むっちゃん……」
笑顔は曇り、私を心配そうに見ている。反対に、わたしはにかっと笑った。笑顔が必要だと思った。
「お疲れさま! 待たせちゃってごめんね」
「……」
「どうしたの? 眉間がしわしわだよ」
「なんであんなこと言った」
「え?」
「命を落とそうとも、なんて」
「あー……。なんでそういうところ、聞いてるかな?」
そんな痛々しい顔をされたら、そっちの方が私を傷つける。
「人間同士の難しい話は、分からなくていいよ」
彼にそう言い聞かせて手を引いた。彼の手はあたたかくて、逆に私の体が冷えきっていたことを知る。こっそり数秒だけ目を閉じ、その熱に浸って酔いしれたい。
「……むっちゃん?」
私が引っ張っても、むっちゃんはそこからびくとも動かない。仕方無いので私の方から彼の横に戻る、と急に腕の中に閉じこめられてしまった。そして酷く辛そうな声で告げられる。
「傷ついてないふりは、しな。しのうて良い……」
彼の熱を感じると、私は目を閉じたくなる。今では手の中にあった熱が私の肩を包んでいて、それが私の視界を閉させ、体の力を抜いてしまう。枝を見つけ、鳥が羽を休める時の気分はこうなんだろうと思う。
「むっちゃんのばか。あのね、むっちゃんがそういうこと言ったら、本当に私が傷ついていることになっちゃうでしょ」
「………」
「私は、弱ってないよ、全然」
ここで彼が「そうじゃ、は全然弱っちゃーせん」なんて言ってくれたら、私の傷は無かったことにできる。私は今まで通りの私に戻れる。なのに、陸奥守吉行はそうしてくれない。
「ねえ、むっちゃん、慰めないでよ。怖かったなんて、認めたくないから」
ああ、やだな。そう思いながら、私は体の震えを思い出していた。
分かるのだ。
正統な歴史を維持するためにと、無情な作戦を厭わない政府。物として人々の思いを受け止め続けてきた刀剣男士。自分のこの身は、大いなる政府の意志と、刀剣男士たちの狭間にある。
そして、刀剣男士を守れるのは私だけだ。
ここに立って立ち続け、政府からみんなを守るため戦うのが私の役目だ。
彼がそっと頬を擦り寄せる。まるで子供が大事なぬいぐるみにするように。
「……おんしは頑張った。十分すぎるくらいじゃ」
「十分なんて言わないで。頑張りやなのは私の少ない取り柄なんだから。もっと頑張らなきゃだよ」
「ほがなこと、あるか。もう充分傷ついた。充分追いつめられちゅう……」
だから、弱さを認めたくないのに。陸奥守吉行が優しいから、あるいは人間みたいな熱で私を暖めるから、私も不用意に情けなさを取り戻してしまう。
泣かない。泣いてはいけない。彼の胸に顔を埋めながら、何度もそう言い聞かせた。
その時だった。ぽつりと、陸奥守吉行が言った。
「遠くに行く方法なら、ある」
急な言葉。涙の引っ込んだ目でそっと見上げると、陸奥守は嘲るように笑っている。
「誰にも手出しできんところに」
「それって……」
ひとならざるものが、時にひとに何をするか。それを知らない私では無い。
むっちゃんが何を言おうとしているか薄ぼんやりと掴みながらも、私は彼の言葉を信じきれない。
私はむっちゃんと一緒に時間を重ねすぎた。そのせいで、時々彼を人間じゃない存在であると思うことができない。
「へんど、ほりゃあ自由とは正反対のものじゃ」
彼のその言い方で全てを確信する。と、同時に戸惑いが溢れ返る。
私が神隠しに遭う? そして、付喪神がそれをやる?
「……いや、忘れてくれ」
陸奥守吉行はそれ以上を言葉にしなかった。けれど、私はその時知った。
邪悪は必ず存在する、捻れを抱えた世界の様相。それが私の中で、ずっと世界の正しき有様だった。狂っていることは至ってよくあることで、世界が狂っていないとしたら私は断言できる。そんなものは、まがい物だ。
疑うこともしなかった価値観だ。けれどそんな考えを持つのは私だけだと思っていた。いつだって明るい彼、陸奥守吉行が抱えた価値観と重なっているなんて、思わなかった。
世界を信じないという価値観。それを暗いなと知らしめた彼と私が、同じ価値観を共有していた。
こんなこと、誰が想像しただろう。けれどたったひとつだけなら私は言える。ほら、世界は当然のように裏切りを起こす。
世界は不誠実だ。
何度も生まれた環境や境遇を呪った。今だって恨んでいる。人生を審神者であることに費やしてきたというのに、政府からの仕打ちは、私に刀剣男士を犠牲にするための命令。
けれどひとつだけ、世界に裏切られなかったと思うことがある。選択の権利は常に私にあった、ということだ。
突然の雷が二度落ちて、陸奥守吉行を選びとったのだってそうだ。
雷が恐ろしく命の危険さえ感じていた私は、本能的に、運命的に、自分の欠損を埋めるように、気づいたら彼を選び取った。
世界は、私に容赦無い運命をくれるけれど、選択と行動の自由を奪ったりはしなかった。それは今もだ。
私自身の、終わりのための準備はしなかった。
神隠しとはそういうものだ。誰かが何の兆しも無く、因果も見せず、忽然と失踪する。
唯一刀剣男士、みんなの処遇には気を使った。
むしろ彼らの魂が守られるのなら、私にもはや失うものは無い。
ああ、叱られるかもしれないなと思いながら廊下を駆ける。
「むっちゃん、見て!」
彼を見つけるなり、目の前でくるりと一回転する。今日の私の着物は特別なのだ。
「ど、どうしたが?」
「これね、昔の、お母さんの嫁入り道具のひとつ。お母さんは他にも置物持ってるし、趣味じゃないって言うから譲ってもらったの」
そう言って、留め袖を広げて柄をむっちゃんに見せてあげる。
「綺麗でしょ。古い家だからってこういうしきたりばかりはちゃんとしてて。私は家の頭の堅さには飽き飽きしてたけど、このお着物だけは、すごく憧れたなぁ」
「綺麗じゃのぅ」
「……、ありがと」
愛おしげな眼差しで見つめられる。誉をあげた時のでれでれした様子では無く、しめやかなのはこの後のことを踏まえてだろうか。
でも、一言誉められただけでもう満足しているのだから、私は単純だ。そのままむっちゃんを座らせてわたしもその膝の上に乗った。
彼の胸に頭を預ける。やっぱりここは落ち着く。思わず深く息を吸って、空っぽになりそうなくらい、吐く。
「まっこと、いいのか?」
「……むっちゃん。あのね、ひとつだけ後悔があるよ。それ以外は大丈夫なんだけどね」
「なんじゃ、ゆうてみな」
「あのね……。私、貴方に無理させてたんじゃないかなって」
むっちゃんが私を連れ去ろうかと言った。底抜けに明るいと思っていた彼が、そういうことを言い出した。その驚きが今も残っている。
「私はもう、どうなっても良いと思ってる。むっちゃんとならね。だけどね……、むっちゃんに神隠しなんて考えさせちゃったのは私、なのかなって」
「………」
「私が、弱いから。むっちゃんに選ばせてしまったのかな、って」
どうやら、まだ信じたくない気持ちが残っているらしい。優しさも労力も時間も尽くして、私をここまでずっとこの世界で生かしてくれた彼。その彼が、私に、現世との縁を切らせようとしている。
「いや。を隠してしまおうと考えたのは、単なるわしのわがままじゃのう」
「そっか」
むっちゃんの答えに、最後の緊張が抜けきる。彼の答えが嬉しくて、だ。
「わがままか」
「ああ」
私が選ばせたわけじゃない。彼に尽くさせるわけじゃない。私は、彼がしたいままにされる。それはなんて幸福なの出来事だろう。
やっとむっちゃんに恩返しができるのかもしれないと思った。私は隠されることで、人間としての生を捧げることで、一番大好きな陸奥守吉行に報いることができる。
「」
「はい」
改めて名前を呼ばれたので、足の上を離れて、陸奥守吉行の正面に向き合う。真剣すぎる眼差しがもの悲しかった。
「わしが、を逃がしてやりたい」
逃がすんじゃない。陸奥守吉行は、これから私を閉じこめるのだ。彼も隠されることは自由とは正反対なのだと言っていた。
それは分かっている。けれど今私は自由になるんだ、という気がしていた。
過去も、背負っているものも、恨みも全部忘れられる。自由に、なる。
「はい、私を連れ去ってください。遠くへ、逃がしてください……」
陸奥守吉行に出会って私に心に闇があると認識した。それと同じように、朝が来る、と思った。今までは深い夜闇の中にいた。彼の手で、長らくの夜が明けるのだ。
東雲の光にひるむように、私は目を閉じた。